課外授業
水源寺
あの始業式の日から数ヶ月が経ち、洸太郎は四人で過ごす時間が増えていた。
休み時間は大抵、洸太郎の席に集まり、瑠奈と千歳の部活が休みの時は放課後にみんなで『カフェ忠』に行く。
それがお決まりにまでなっている。
「今の数学の時間、洸太郎また当てられてたな」
「うるせーよ」
大介は「ざまーみろ」とでも言わんかのように笑顔を見せる。
授業中に当てられるようになったのには理由があった。
どうやら後ろの席のお嬢様は数学が苦手のようで、内容がわからなかったり、つまらなかったりすると、前にいる洸太郎の椅子の後脚や座面を蹴ってくる。
座面をノックするようにコンコン……と蹴る可愛いものから、突然、前に椅子が移動するほど強く蹴るなど、蹴り方は様々だ。
この椅子が前に移動してしまう時が厄介で、床と椅子の脚の摩擦でガガガ……と授業を妨げる程の音を奏でてしまう。
先生に当てられるのも大抵はこの、椅子が前に移動した時だった。
音に反応した先生と視線が合った際に、洸太郎がどんなに取り繕った顔を作っても、「またお前か」と言いたそうな表情を浮かべた後、結局は当てられる。
先生目線で考えれば、表面上は優等生に見えるお嬢様が授業中にふざけるとは思えないだろうし、洸太郎の背中に隠れてクスクスと笑う声も届いていないのだろう。
お陰でこちらは完全に問題児、要注意人物扱いだ。
「これで六回連続。完全に嵌められたよ」
洸太郎は目を細めて、瑠奈を睨んだ。
「たまたまって、こんなにも続くものなんだね」
瑠奈は千歳に目配せをしながら笑い、千歳も「運が悪かったねー」と同調した。
自己紹介の時に真面目な人だと思った自分の記憶をなんとか揉み消せないかと、目を強く瞑ってもがいてみたが、残念ながらそう都合よくはいかなかった。
むしろ、過去の記憶というものは得てして美化されてしまうものなのかもしれない。
「六回も連続でたまたまが続くと偶然も必然も、ひったくれもひったくりも、葛藤も窃盗も、何も信じられなくなるよ」
「ごめん、言ってる意味が全くわからないんだけど」
「こうちゃん、犯罪はダメだよ」
中身のない会話ほど、人を笑顔にすることがある。
最近はいつも、傍から見ればくだらないと思われるような会話で笑っていた。
「次の授業は歴史だよね? 真剣に聞きたいから、邪魔しないでね」
「お前が言うな」
洸太郎は被せるように瑠奈に言った。
そして、さらにそれに被せるように、授業開始のチャイムが鳴った。
歴史の授業の担当は担任の松木である。
「おーし、じゃあ授業始めるぞ。席に着けー」
松木が教室の扉を開けるなり言った。
せめて教壇に立ってから言えば良いのにとも思うが、基本的にチャイムの音ではなく、先生が来るか否かで生徒は席に着き始めるので、早く授業を開始するためには合理的な方法なのかもしれない。
「えー、今日は今度の課外授業で行く「
「水源寺」とは、この町の外れの山の中にある、お寺のことである。
そのお寺が水源寺と呼ばれている所以は文字通り「水」の「源」になっていることに由来していて、お寺の中にある一本の木が、この世界に雨を降らせてくれているからに他ならない。
よく様々な地域で「御神木」と呼ばれる木が存在するが、水源寺にある木もまさにその一つだ。
しかし、こんなにも人々の生活に直結している御神木は他にはないだろう。
そういった意味で、近くにあり、親しみやすくも敬意を持って接することということで、水源寺の御神木は洸太郎が生まれるずっと前から「
「――このように神木様は既に千三百歳を迎えられていて、ご寿命は疾うに越えられているわけだが、それでも、今も変わらずこうして雨を降らせて下さっていることに私たちは感謝しなければならないわけだ」
この話は洸太郎が幼稚園の頃、いや恐らく物心の付くもっと前から、事あるごとに聞いてきた話だった。
洸太郎の一番古い記憶でも神木様は千三百歳なので、「神木様は歳を取らないのではないか?」と錯覚に陥ることもあった。
「神木様」の起源は二千年程前に遡るのだが、実に曖昧となっている。
最も有力な説は、「我々のご先祖が深刻な水不足となった際に一本の木へ雨乞いを行ったところ、その想いに応えるように雨を降らせてくれた」とされているが、記録が全く残っていないので詳細は不明とされている。
わかっているのは、雨乞い以降、世界には一年中絶え間なく雨が降り続けていること、それ以前は、雨のない世界が存在していたことである。
といっても、当然、雨のない世界を生きて来た人間は現在にいるわけがないので、あくまで妄想に近い空想でしかない。
雨のない世界で人々がどのように生活をしてきていたのか、全ては謎に包まれている。
「そんな私たちの生活に欠かせない雨を降らせて下さっている、神木様のところへ今度行くわけだが――」
「先生、神木様は千年に一度枯れ、次の神木様が生まれるまで雨が降らなくなると言われていますが、本当なのでしょうか?」
突然、後ろから瑠奈の大きな声が聞こえた。
その声に洸太郎は――いや、この教室のざわめきはクラス全体が驚いている――ようだった。
瑠奈は松木の回答を待たずに続けた。
「結局、神木様が枯れてしまったところも、雨が降り止み、その間に沢山の人が亡くなったことも、明確な記録や証言としては残っていません。雨を降らせてくださっていることに関しては本当に感謝していますが……これはただの言い伝え、迷信なのではないでしょうか?」
この神木様にまつわる話を聞いて、「そういうものだから」と深く考えずに理解している人は非常に多い。
現に、このクラスにだって瑠奈の言った疑問を感じている人は数える程しかいないのかもしれない。
今や、「うさぎとかめ」などの童話と同じような感覚のお話になってしまっている。
「確かに木山の言う通り、ただの言い伝えなのかもしれないな」
瑠奈の言葉に耳を傾けながら、松木は言う。
「それでもだ。もし、私たちが雨の止むことを想定も出来ていなかったら? 人々が生きていけないという可能性について、想像も働かせなくなったらどうなると思う? 雨は私たちの生活に切っても切れない存在ということは、今更、議論の余地もない。だから、この話が本当なのか、そうでないのかは大した問題ではないと先生は考えている。大切なのは雨を降らせてくれていること、そして、我々の命を支えてくれていることへの感謝の気持ちなんじゃないか?」
その言葉に、洸太郎は妙に納得した。
松木は瑠奈に向かって目配せをしながら頷くと、「降り止まないに越したことはないんだからな」とも付け加え、授業を進めていく。
洸太郎がそれとなく瑠奈の方を振り返ると、瑠奈は次の言葉を飲み込んだような顔をしていたのだった。
その後、雨と神木様の歴史などについての話を聞いたが、どれも今までの復習となる内容であった。
「松木先生の話、洸太郎はどう思った?」
授業が終わった後、瑠奈は静かに洸太郎に問いかけた。
「どうって? いつもの神木様の話だったと思うけど」
「そうじゃなくて、本当に雨が止むのかどうかの話」
「そうだなぁ……僕も気持ちは瑠奈と同じだけど、正直、今日の松木先生の言う通りでもあるのかなと思う。もしこの話が迷信だったとしても、今もこうして雨が降り続いているのも事実なわけで、降り止むと思う人、降り続けると思う人がいて当然だと思うから」
事実を知る人や記録がない以上、意見が割れても仕方がない――これが洸太郎の考えだった。
実際にテレビやラジオでも、「雨に関する専門家」なる人の中で意見は割れている。
瑠奈と同じように、このまま雨は降り続くと言う人もいれば、降り止むまでは時間の問題と言う人もいる。
それぞれがそれぞれの考えをデータ化し、フリップ等を用いて解説しているが、どれも本当のようで、どれも違うような気がしてしまう。
そもそも、雨のない世界で過ごしたことのない人々が、雨の降る世界からの情報を如何に纏めたところで想像の域を越えることは出来ない。
「だよね。きっと、このまま雨が止んでほしくないっていう、私の願望も入っちゃっていたのかも」
「洸太郎、課外授業のグループはこの四人で良いよな?」
一瞬、瑠奈の寂し気な表情が見えた気がしたが、大介が二人の会話に終わりを告げるように、千歳と一緒に洸太郎の席に来て言った。
「もちろん、そうしよう」
洸太郎への質問に代わりに答えた瑠奈は、いつもの彼女に戻っていた。
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