魅惑の四段パンケーキ

 外は雨脚が少し強まっていたが、四人は雨音が聞こえなくなる程の大きな声で話しながら『カフェ忠』へと向かう。


 今から実際に見るにもかかわらず、道中も瑠奈はしきりに「どんなメニューがあるの?」「店内はどんな感じ?」と楽しそうに話している。


 四人で帰るという新鮮さも相まって、体感では朝の何倍も短い時間で洸太郎は自宅の前まで来ていた。


 洸太郎が店の扉を開くと、同時にチリンチリン……と鈴の音が店内に響く。



「いらっしゃいま……あら、洸太郎、お帰りなさい」



 麻里が笑顔で出迎えた。


「おばさん、お久しぶりです」


「まあ、千歳ちゃん、それに大介くんも。いつ振りかしら、久しぶりねぇ。」


「聞いてください! 幼稚園以来、俺ら初めて三人一緒のクラスになれたんすよ!」



 大介は外でのボリュームのまま、嬉しそうに言った。



「大介うるさい」

「だいちゃん、静かに」



 洸太郎と千歳は子どもを叱るように言った。


 それを見た麻里は「相変わらず仲が良いのね」と微笑んだあと、「そちらの可愛いお嬢さんは?」と瑠奈に視線を移した。



「初めまして。私、木山瑠奈と申します。洸太郎さんたちと同じクラスになりまして」



 瑠奈は会釈の一つをとっても、相変わらず所作が美しく、初対面の人の心を惹きつける話し方をしている。



「礼儀正しいのね。洸太郎の母です。これからも洸太郎をよろしくね」



 瑠奈は「こちらこそ」と笑顔を見せた。



「ささ、みんなこっちへいらっしゃい。洸太郎、本当に今日はお店も大丈夫だからね」



 洸太郎は店を手伝いながらでも大丈夫だと思っていたが、どのみち麻里から断られそうだったので、「ありがとう」とだけ返事をするに留めた。



「母さん、あっちの窓際の席でも良いかな?」



「もちろんいいわよ」と言って、麻里はカウンター奥へと戻って行った。



 洸太郎はテーブル二台をくっつけて、四人が座れる席を作る。


 大介と千歳が窓に背を向けるようにソファ席に、洸太郎と瑠奈が窓の外を見られるような位置の椅子にそれぞれ座った。



 窓から覗く外の雨は、少し弱まっていた。



 何を頼むかメニューを見ていると、麻里が「これはサービスね」と言って、四段にもなる大きなパンケーキを持って来た。



「ありがとうございます」とお礼を言う三人を横目に、洸太郎は「また勝手に、裏で父さんが作ったんだろうな」と思わずにはいられなかった。



 何故なら、こんなオシャレで学生受けしそうなメニューは、「カフェチュウ」には存在しない。


 洸太郎はカウンターの奥で、笑顔を浮かべながらパンケーキを作る忠の顔を思い描いていた。


 洸太郎はブラックコーヒーを、他の三人はカフェオレを注文し、しばらく談笑していると、注文したドリンクを忠が満面の笑みで運んでくる。


 そして「カフェチュウ特性裏メニュー、『魅惑の四段パンケーキ』のお味はいかが?」などと浮かれた様子で聞いてきた。


 絶妙に微妙なネーミングセンスと、自ら「カフェチュウ」呼ばわりしていることに三人から総ツッコミが入ったが、「美味しい」の一言を聞くと、忠は満足そうにカウンターへと戻って行った。


 その後、パンケーキを食べながら時間も忘れ話し続け、気が付くと時刻は十七時を回っていた。



「暗くなってきちまったな。洸太郎、俺そろそろ帰るわ」



 大介は席を立ち、レインウェアに袖を通し始める。


「私もそろそろ。瑠奈ちゃんはどうする?」


「私は……あと少しだけ。洸太郎、いいかな?」



 洸太郎は少し驚いたが、「もちろん」と返事をした。


「ここ、気に入った?」と千歳の問いかけに、瑠奈は「すごく落ち着く」と笑みを見せる。


 その返事を聞いて、洸太郎も自然と笑みがこぼれた。



「それじゃ、また明日学校で。おばさん、ごちそうさまでした」



 そう言うと、大介と千歳はフードを被り、店を後にする。



「ごめんね、私だけ長居しちゃって」


「ううん、全然大丈夫。気に入ってくれて、嬉しいよ」



 瑠奈はニコッと笑い、窓の外を見つめた。


 街頭や自動車のライトに照らされ、存在感を増しながら降りしきる雨は、風に煽られ右に左に着地点を変えている。


 無数の雨粒の音が重なり、心地よい雨音を奏でながら、何に抗うわけでもなく地面に向かって落ちる。


 そんな雨を、ただじっと眺めていた。



「雨って本当に降り止むのかな」



 どれだけ雨を見ていたのだろう。


 不意に瑠奈は言った。



「言い伝えでは千年に一度、雨は死ぬって言われているけど、もう千三百年以上降り続いているわけじゃない? ここまで来たら、あれってただの迷信だったんじゃないかなって、思う時があるの」



 洸太郎も同じことを考えたことがある。


 本当に降り止んだ瞬間を見た人などいたのか――と。



「今の私たちの生活は雨が降らなかったら成り立たないし、もし、降り止んだ後の話も本当なのだとしたら――」



 言い伝えの内容を思い出していたのか、瑠奈は少し寂しそうな表情をしていた。



「急に変なこと言ってごめんね。私もそろそろ」と瑠奈も帰り支度を始めた。



 目に映る雨は、物心がついたころから降り続いている。


 どんな記憶や思い出も、全ては雨とともにある。


 そんな雨が降り止むなんて、洸太郎の妄想を持ってしても、どうしても考えることが出来なかった。



「ただいまー……って、木山先輩! なんでお兄ちゃんと一緒に? どうなってるの?」



 彩美の騒々しい声とともに、想像と妄想の狭間に居た洸太郎は現実へと戻される。



「彩美の言ってた『木山先輩』って、瑠奈のことだったのか」


 洸太郎は彩美のことを瑠奈に紹介し、今日のことを簡単に彩美に話した。


 洸太郎が話している間、彩美は「心ここにあらず」といった様子で、瑠奈の方をチラチラと見ては、視線が合うたびに会釈を繰り返している。



 瑠奈は自分が彩美にとっての憧れの存在だということを知り、照れくさそうに笑っていた。

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