第6話

 その日は晴れであった。

 吾輩の胸中を表わすかのように、祝福するかのように雲ひとつ無い快晴であった。

 本日は長老にお目通りが適う日である。

 そのような日はこのような天気が相応しいに違いあるまい。

 心なしか吾輩の足取りも軽い。浮かれているのは事実である。

 風も心地よき今日は良き日である。

 そのような陽気を浴びながら吾輩はまずクロ殿に対面しにいった。

 彼のふてぶてしさも今は好ましく思えるのである。


「朝からニヤニヤと。何か良いことでもあったんかよ」

「いやぁ、君のおかげで会えるのが嬉しくてね」

「あたぼうよ。俺のおかげってことを忘れるなよ」


 クロとたわいない会話をしながら吾輩は道を行く。

 坂をのぼれば噴水に出る。

 そこを真っ直ぐにとクロは歩む。


「この先かね」

「ああ、この先だ」

「実をいうとこの先には行ったことがない」

「なんでえ臆病者が」


 街の中にいるのに何で行かないとクロは笑う。

 仕方があるまい。馴れた道ならいざ知らず知らない道なら迷子になるのは必定である。

 何事にも先達は必要である。

 だから吾輩はクロの後をついていくのである。

 そうやって進んでいくと同じ街中でも景観が違うと感じた。

 すれ違う人が少ないせいでもあろう。何だか道が広く感じるのだ。

 それに建物を覆う塀、これは宿屋の通りでは見なかったものだ。

 それがここでは建てられているあちこちに築かれている。


「ここら辺はお偉いさんが住むお屋敷ばかりだとよ」


 興味深そうに首を振る吾輩の疑念に答えるようにクロがいう。

 なるほどそうであれば個々の一軒が大きく広いのも頷ける。

 そうわかると何やら通行人も衣服も違って見える。


「君の主人もここに住んでいるのかね」

「ああ? 俺の主人はこんなところに住んでねえよ」

「そうか。お偉いさんが住むと聞いたから住んでいるのかと思ったよ」


 何気なく返した言葉だったがクロには気に触ったらしく脚を止めて吾輩を睨んできた。


「俺の主人は強えんだ。こんな所に住んでるような青瓢箪共とは訳が違うのさ」


 鼻息荒くそう吐き捨てると彼はまた歩を進めた。

 危ういところであった。

 クロの機嫌を損ねてしまっては手はずが台無しなってしまう。

 吾輩は詫びをいれながらついていったのである。

 そうこうしているうちに教会へとついた。

 宿の近くにも神に祈る建物は見かけたがここはそれよりも大きく立派であった。

 どうやら庶民は入れぬお偉さまようの教会であるらしい。

 吾輩たちは猫であるからしてそのような人の事情は関係なく、衛兵にも咎められず中へと入ることが出来た。

 教会の裏手へ回ると中庭に出た。中庭といっても広い。

 吾輩たちが住む通りの家屋なら数件はまるまる入るのではなかろうか。

 それに所々調度品や樹木が備えられていてよく整えられている。

 吾輩はこの世界の神の名はひとつも呼んだことはないが、もし吾輩が神で呼ばれたのならば来てやってもいいかと思わせる美しさがあった。

 その中にも噴水がある。通り過ぎてきた街の噴水とは大きさも比ぶるべきものではないが、その分意匠はこちらの方が優れていた。

 噴水から零れる霧雨を浴びながら一匹の猫がそこにいた。

 晴天に雪塊が現れたかのように猫は真っ白であった。おまけに耳が吾輩たちの倍程長い。

 近づく吾輩たちに気づいたのか白猫は身を立ち上がらせ、辺りを見回した。

 猫というよりは虎ではないかと間違うような鋭い目。

 射すくめられるような眼というのを実物で示せというならば吾輩は迷い無くあの白猫を指すだろう。

 そんな白猫の雰囲気に気圧されることなくクロは陽気に声をあげた。


「よう。来てやったぜ」


 キュウと目を細めて白猫はクロを見やった。

 どうも彼にはあまり良くない感情を抱いているように見受けられた。


「そちらが面会を望まれる方ですか」


 クロはいないかのように吾輩の方に目を細めてくる。品定めされているような態度は居心地が悪い。

 とりあえずこちらから名乗ることにした。


「お初にお目にかかる。吾輩はクーロである」

「初めまして、わたくしはメントル。長老が居られる場所まで御案内致します」


 そういって深々と吾輩に頭を下げる。何というか一挙一動が麗しい。

 端正な物腰というのはこれのことであろう。

 おそらく周りの貴族のように生まれも良いに違いない。

 生まれも育ちも良く分からない吾輩とは大違いである。

 ふわりと踵を返しメントル殿が先へと進む。

 吾輩とクロはそのあとをついていく。

 空は晴れていて雲ひとつ無い。時々鳥の影が見えるだけである。

 緑の芝生に白い端子が陽を浴びながら進んで行く。

 吾輩はそのあとをついていく。

 先が見えぬ吾輩にとってそれは光明であった。

 白い光に導かれるままに歩いていったので正直どこをどう行ったのか覚えていない。

 メントル殿が足を止めた場所は古びた祭儀場のようであった。

 壁に嵌められた着色ガラスから漏れる陽の光が辺りを照らし色が交ざり合って別の空間を生みだしている。

 吾輩はその厳かな空気に飲まれ一言も発することが出来なかった。

 クロも同等である。

 この野卑な猫にも美を知る心は持ち合わせているらしかった。


「長老。面会を求めている御方が来ました」


 メントルが奥へと声をかける。

 すると祭壇から布が伸びた。

 それは音もなくするすると舞い上がるとこよりのようによじれて太くなる。こよりは幾つも現れするすると伸びる。

 それに引っ張られるかのように根元が持ち上がりふわりと祭壇を追い越して吾輩たちの前へ着地した。

 根元の正体は猫であった。なんと尾が幾重にも分れた老猫であった。

 しかし老いは感じられない。

 年輪が刻まれたかのような毛並みはふさふさと長くツヤを失ってはいない。

 顔も皺が刻まれているが老耄さは無く穏やかさを浮かばせている。

 ゆらゆらと揺れる尾の数は九つ。その長さ一つとっても吾輩の背丈を優に追い越していた。


「クーロさんや。はるばるよう起こしなすった」


 長老が吾輩に語りかけてくる言葉はしっかりしている。

 耄碌さは微塵も感じられず永く生きてきた者の威厳があった。

 吾輩もかく歳をとりたいものである。


「吾輩がクーロです。本日はお伺いしたき義があって来ました」


 もはや体毛なのではないかと思われる眉を持ち上げて長老は吾輩を見やる。

 その目を見つめると吸い込まれそうになる。

 先ほどメントルに見つめられた時とは違う偉容がその視線にはあった。


「全て言わんでもわかっとるよ。スキルについて知りたいのだね」

「はい。そうであります」


 長老の双眸に吾輩の像が映し出されている。

 吾輩はただ黙って立っていた。

 メントルとクロの二匹も声をかけず長老と吾輩のやりとりを見つめていた。

 そうしてからどれほどの時間が経ったであろう。

 十分かもしれないし一時間だったかもしれない。

 ふむ、と長老は目を閉じて深くため息をついた。


「後ろのおふたり、しばしこの仔と二匹だけで話をしたいので席を話してくれるかな」


 クロは応と威勢の良い声を出して離れてくれた。

 メントルは長老が気がかりそうであったが、吾輩をじろじろ眺めてようやく去ってくれた。

 また静寂がその場を支配する。そして長老が口を開く。


「お前さん、転生者だね」


 吾輩はその言葉にドキリとした。転生者であることは誰にも喋ったことはないからである。

 どうしてこの御方はそのことを知っているのであろうか。

 長生きはしても吾輩と会ったのは今日が初めてであろう。

 訝しがる吾輩を前に長老はほっほっほっと身体を揺すりながら笑われた。


「そう警戒せんでもいい。私も転生者だからね」

「転生者は他の転生者が分かるのですか」

「いや、そうとも限らん。私はすでに九の世界を渡り歩いてきたのだ」

「なんと」

「渡る度に能力に目覚めた。そのうちの一つが他者を視れる異能力さ」


 九の世界を巡ってきた。

 俄には信じがたい話だが、吾輩はすでに一つ世界を飛び抜かしてきている。

 大小の格はあれどもそういった事柄は起こりうる話であろう。

 吾輩は興奮して尋ねた。


「ではそういう者に吾輩も成れるのでしょうか」

「それは分からん。これから先起こることは私にも分からん。だがお前さんはスキルを知りたいと言った」

「はい、そうであります」

「スキルは先天性と後天性にわかれる。おそらくお前さんが知りたいのは先天性の方だろう。私はギフトとそれを呼んでいる」


 ギフト。

 転生者は世界を巡る度に異能を授かるのだという。

 なぜそうなのかは長老も分からない。

 ただ言えるのは、太陽が東から西へと毎日巡るようにそれが当たり前と認識することだという。


「自分はそれを使える、そう認識することだよ。手足を動かすにいちいち意識したりはしまい」

「ですが吾輩はそれを、何を使えるのかが分かりません」


 ほっほっほっとまた笑われる。


「今、お前さんは怪我をしているのだ。しばらくぶりに身体を動かすと違和感を覚えることもあろう」


 例えを聞き吾輩はううむと首を傾げる。

 吾輩は前世で人であり今世では猫となった。

 確かに勝手が違うといえば違う。人としてこの世に生まれ変わっていればもしや使えていたのやもしれぬ。


「恐れながら吾輩はこの躯に違和感を感じませぬ。全て当たり前のように今は感じています」

「二本足で歩いていながら四つ足で歩くことに違和感を覚えないというのかね」


 吾輩は恐れ入った。長老は吾輩が元が人であったことを見抜いている。

 転生者であったことはカマをかけられても人であるということを見抜くのは難しい。

 長老はおそらく、確かに視えていらっしゃるのだ。


「残念ながら吾輩は猫として少しばかり生き過ぎました。今は二本足で立つことは難しかろうと存じます」

「お主はただ忘れているだけよ。儂がひとつ、道を指し示そう」


 長老の長い尾がひとつぐにゃりと伸びて吾輩の方へとやってくる。

 吾輩の頭上にまでやってくるとそれは膨らみ、吾輩を覆い包み隠した。

 まるで稀有怪訝のようになってしまった吾輩ではあるが恐怖は感じなかった。この御方が吾輩を害する理由もないからである。


「口で説明するのは難しい。故に儂はお前さんにヴィジョンを見せる」

「ヴィジョン、ですか」

「そう、ヴィジョンだ」


 スキルというものは他人に教えられて身につくものではないと長老は仰る。

 先天性も後天性も、自我に足り得ると認めて発現するのだと。


「だからスキルを身につけようと思っても素質の無いものはそれを授かることは出来ぬ」

「吾輩はもしかしたら素質無き者ではないのでしょうか」

「それはない。お前さんは世界を巡ってきておる」


 それこそが資格ある者の証。長老はそう断言したのである。

 そして目を細めて笑われた。


「儂は耄碌しとるからお前さんのスキルを当てることは出来ぬ。だがそこに至る道を示すことは出来る。


 長老の尾が束ねり動き吾輩を揺らす。それはまるで急かすようでもあった。

 その蠕動のなかで吾輩は揺りかごに揺られる赤子のように優しさに包まれ眠気が起こる。


「目を閉じるのだ。お前さんをヴィジョンへと誘おう」


 長老が何か仰っている。だが吾輩には聞き取れぬことが出来ぬ。

 もはや眠気にあらがうことなど出来なかった。

 年長の前で居眠りをするなどあってはならぬことだがもはや睡魔は吾輩の身体を支配下に置いている。

 立っているのか座っているのか既にはっきりとしない。

 揺動する繭の中で吾輩は暗闇へと堕ちていったのである。

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