第4話

 首輪というものは甚だむず痒いものであるが些か心地よい物である。

 野良のときは酒場の親爺は吾輩を親の仇のように扱っていた。

 酒場にうろつくけば目を血走らせ厨房に入ればその麺棒を持って殲滅せんと躍りかかってくるのである。

 吾輩は白面のオークは今だ遭遇したことないが、密偵がこの街に潜入しているのならば親爺に違いない。

 だが今の吾輩の身分は首輪付き、飼猫であった。

 その燦然と輝く輪を見ればさしもの親爺も意欲を失うようである。

 忌々しげにしっしと麺棒を振って吾輩を去らせようとするだけ。

 今や酒場は吾輩の庭である。しかるに厨房は今だ親爺の領域である。

 このまま主人の下賜品が増えれば来年の今頃はこの酒場は吾輩の荘園になっているのではないか。

 いささか自由が増えたのでその足で外に出るのが最近の吾輩の行動である。


 宿を出れば坂である。坂の下りを道なりに行けば門につく。

 反対に上って行けば噴水にとぶつかる。

 暇を持て余している妻君共はここで友と歓談をしている。

 ではその亭主と言えば仕事の最中である。

 吾輩はまだこの街全てを探索したわけでは無いが、ある者は門の外まで畑を耕しに行く。

 噴水の横にでも田畑を耕せば水廻りが楽なのに何故遠出を致すのか。

 鬼の居ぬ間にという言葉があるが異世界では夫のいない間に雑談である。

 井戸端会議ならぬ噴水会議である。

 議論の結果は大抵夫が悪いで締められる。

 居ない者に弁解の余地など無い。労役として作物を育てそれを納めるのだ。

 まったく涙ぐましい努力である。

 彼らの日夜を眺めると吾輩の記憶の奥底が呼び覚まされるのだが、同時に暗い気持ちに押しつぶされそうになるのであまり考えないことにする。

 人もだが猫もここでよく見かける。

 吾輩は前世ではそれなりに生きていたがここでは新参である。

 東西からの往来を横目に日なたを感じながら寝入るである。

 挨拶してくる御仁もいるが一瞥して通り過ぎる御方もいる。

 まあ大体そんなものであろう。吾輩はここより先の地はまだ行っていない。

 もっぱら宿屋周辺の大通りが吾輩の活動範囲である。

 此処は宿屋以外にも多くの建物が並んでいる。

 工房だったり商店だったり、吾輩の住む宿屋だったり酒場だったりする。

 そのため多くの人がごった返ししている。

 しかしそんな中にもやはり吾輩と同じく猫は確かに居る。

 大通りから小路へと入ればそこは違う顔を見せる。

 一つ道を間違えればここが何処か分からないくらいだ。

 最初は壁か塔と見間違えたのだがそこは余さず工房のようであった。

 大通りの商店が顔とすれば胴体のような長さである。

 高い柱からもうもうと煙が立ちのぼりまるで秋刀魚を焼いているようでもある。

 しかし彼ら職人が作成していたのはどうやら武具のようだった。

 万力で人を半分に潰したようなずんぐりした小人が同じ大きさの槌を振るって何事かを作成していた。

 後で知ったことだが彼らはドワーフという種族であるそうだ。

 ドワーフは職人ともいえる技の冴えをみせるそうである。

 職人が振るう腕前はある種の芸術さを感じさせる。

 吾輩は美術の才能はない。

 だが、彼らが作る物は只者ではないと確かに感じさせられる迫力があった。

 しばしその制作を興味深げに魅入っていたのであるが、吾輩の背中にその槌に勝るとも劣らぬ大声がかけられたのだ。


「なんでえおめえは」


 振り返れば猫がいた。

 ドワーフに勝るとも劣らぬ立派な体格であった。

 丸々と偉大な体格である。吾輩を1とすれば彼は2か3はあろうかと思われた。

 しかも同じく黒毛である。

 吾輩は混じりっけ無しの黒毛であるが彼は所々錆が浮き出たような茶混じりの黒毛であった。

 吾輩は好き嫌い無く食べる口ではあるがもしや焼けた鉄をめしあがっているのではないかと錯覚する毛並みであった。

 そう考えれば全身から錆が浮いてるのも頷ける。

 問われて黙するは失礼であるから吾輩は答えることにした。


「吾輩はクーロ。猫である」


 正直体格の差に心の臓が早鐘を打っていたのだがその鐘の音より早く彼は言葉を投げかけてきた。


「なんでえそんなの見ればわかるわな。だいたいクーロだぁ? 俺の名前もクロだよ!」


 体が大きければ声もでかいようである。

 名前は吾輩が一文字上ではあったがクロの方の迫力は二枚も上である。


「だいたい何処に棲んでいるんだ」

「吾輩は宿屋に住まいを構えている」

「宿屋、仮住まい野郎かよ。どうりで痩せていると思った」


 随分と傍若無人である。

 主人の名誉のために弁明するが吾輩が食に不足したことはない。

 いつも出かける際には十分な蓄えを部屋に置いていく。

 吾輩が酒場の厨房に忍びこむのはただ口直しを求めてのことである。

 しかるに彼と吾輩の体格を比べればそう思われても仕方ない差があった。

 ゆえに吾輩は何も言い返せず彼の者がまくし立てるのをただ鎮座して拝聴していた。


「俺はな、ここに住んでいるのよ。どうでぇ大きいだろう」


 クロはそういって顔を後ろにむける。

 どうやらこの工房にて飼われているらしい。


「熱気が凄そうだね」

「あたぼうよ。なんせ金物を溶かしているからな。日に当たるより焼けちまわぁ」


 熱気は確かにここにいても肌に感じられる。

 しかるにドワーフたちは汗水を垂らしながらそこから逃げることもせず鍛造に勤しんでいる。

 これには感心する。吾輩がここに居ろといわれたら御免被る。

 主人と一緒に風呂場に行った方がましだ。


「あっからこっちまで親方殿の持ち主よ。どうだ、すげえだろ」


 どうやらこの一画全てが彼の主人の家宅らしい。

 家が大きければ飼い猫もここまでふてぶてしく大きくなれるのだろう。

 吾輩はクロの自慢話を適当に聞き流していたがやがてこんな質問が来た。


「おめえは今まで鼠を何匹捕ったことがある」


 吾輩は猫である。しかし人のほうが長い。

 猫のままに生まれて親猫に師事を貰えればそのようなことは造作も無かっただろうが、人としての教育を受けた吾輩にそのような物を捕らえるすべは無かった。

 吾輩の中にあるちっぽけな猫の矜持がこの質問に対し侮辱を覚えたのだが事実は事実である。


「実はとろうとろうと思ってもまだ捕れない」


 クロはふんぞり返って大いに髭を震わせ笑った。


「だろうなぁ、そんななりじゃ逆に鼠に食われちまわぁ」


 吾輩の答えにクロは大層機嫌を良くしたのかニヤニヤと笑っている。

 人であれば問題ないのであろうが猫の身で鼠を捕れないのははなはだ格下なのであろう。

 目の前の御仁の態度をみればそれはあからさまである。

 吾輩を嘲るクロの言葉に相槌を打ちながら適当に聞き流しているとあることを尋ねてきた。


「鼠も捕れないようじゃおおかたスキルも未習得なんだろ」


 スキル、はてさてそれは一体なんであろうか。聞き慣れない言葉である。

 首を傾げ尻尾を曲げながら考えこんでいるとクロはカッカッカッと呵々大笑した。

 まこと忌々しい大毛玉である。

 吾輩の内心を尻目にクロはよっこらせと身を起こす。

 そしてまあ見てなと身震いすると吾輩の前で大きく身体を膨らましたのである。

 どのような原理が働くのか、大毛玉は雷球と化していた。

 ビリビリと放電しているせいで吾輩の髭がピリピリと震える。

 空気を送られている風船のようにクロの身体は更に大きくなっていくではないか。

 2か3と評した体格は今やそれ以上、5に達しようとしていた。

 赤子を追い越すかにみえた膨張は、男の声によって差し止められた。


「コラッ、クロ! なに子猫に粋がってやがる!」


 工房から一人のドワーフがジロリと睨む。

 それを見てクロの身体が空気が抜けたように萎む。

 クロは不満そうであったがそれ以上何もしない。

 何もしないことを確かめるとドワーフはまた工房へ戻っていった。

 どうやらあれがここの親方のようである。

 毛玉雷球もさしもの飼い主には弱いと見える。


「これが俺様のスキル球雷ボールライトニングよ。これで撮った鼠は数知れず、まあ百匹ばかりは捕まえたかな」


 などと言ってまた再びふんぞり返る。はたして彼が百匹獲ったかどうかは眉唾である。

 しかし不思議な技を使えるのは事実である。

 スキル。

 それは吾輩にも扱えるのだろうか。その言葉に吾輩は非常に興味をそそられた。



「それは凄い、吾輩にはとても無理だ。鼠以外にも大層獲物を取ったのだろう」

「あたぼうよ。この球雷にぶち当たったやつはひっくり返って痺れちまうからな。犬にだって勝てちまわぁ」


 彼は色々となにか知っていそうだった。少なくとも吾輩よりは物知りであろう。

 主人に仕える下男の如くへりくだり彼の自尊心をおだてて様々なことを聞き出してみることにした。


「吾輩もそれを使えるようになるのだろうか」

「お前さんには無理だね。出来るのは俺ぐらいなものだろう」

「他の猫もそういうたぐいを使えるのかね」

「随分と物を知らねえ奴だな。使えるに決まってるだろう」

「君と違って学がなくてね。良ければこの憐れな猫にご教授願いたい」


 額を地にこすりつけるように拝聴する吾輩の態度に機嫌を良くしたのかクロは聞いてもないことをベラベラと喋ってくれた。

 曰く、この街には長老と呼ばれる猫がいるらしい。

 その先輩は知識に優れ知らぬものはないという。

 街の猫はスキルという概念をその御方から教えて貰ったらしい。


「君もそうやって教えてもらったのかい」

「俺は生まれつきだ、そん時はただ毛が震えるだけだったけどな。長老と会ってから意識して使うようになったらここまできたな」


 なるほど面白し。

 前世では科学が優勢を占めていたがここでは魔法が主流だ。

 スキルという不可思議なものがあってもおかしくはなかろう。

 吾輩も今やこの世界の住人となった。

 その不可思議なものを扱える資格を備えているはずである。

 おそらくただ使い方が分からぬだけである。

 灯りのスイッチを赤子に見せても分からぬばかりである。

 親がこうだよとスイッチを入れることで赤子は初めてそれが何なのか理解するのだ。


「長老に会えば吾輩もスキルが使えるようになるのだろうか」

「あたぼうよ。あの御方は俺より数倍偉いからな」


 不遜と思われたクロも珍しく長老には一目置いているみたいである。

 どうやらその長老がここの元締めで間違いあるまい。

 スキルのことはどうであれ、新参の吾輩がこの街に居るためにも挨拶するのは処世の知恵だ。


「吾輩も会いたいがお会いになられるであろうか」

「吹けば飛ぶような小僧がいきなり会える訳あるめえ。第一お前場所知らないだろう」

「もちろんだ。今君に聞いたばかりだからね」

「じゃあ案内がいるな。少々厄介なヤツがいるが俺が話をつけてやる」

「それは本当か。迷惑をかけるな」

「ああ、俺にまかせろ。お前さんを会わせてやれるように取り計らってやるぜ」


 格下の頼みを引き受けられるのが嬉しいのか、それとも兄貴風を吹かせられるのが嬉しかったのか、とにかくクロは嬉しそうだった。

 吾輩も嬉しい。どうやらただの猫からスキル持ちの猫へと昇格出来そうである。

 クロのふてぶてしさは消え今の吾輩には彼の姿は好意的に見える。

 その代わり礼は頼むぜという彼の言葉を快く引き受け吾輩はその場を去った。

 宿に戻れば窓から見える景色が違って見える。

 世界が変わって見えるとはこのことをいうのであろう。

 魔法を習得しようとした主人もこんな気持ちだったのであろうか。

 であれば、あれほど躍起になっていたのも頷ける話である。

 今日は良き日であった。早く邂逅が待ち遠しい。

 夜になっても眼が爛々とさえて眠れぬくらいである。

 吾輩はクーロである。スキルはまだ無い。

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