花時

第1話

 花が嫌い、というと大抵の人はぎょっとした顔をする。だから「嫌い」じゃなくて「苦手」とつまらない小さな嘘を吐くのが癖になった。

遠目で見ている分にはまだいい、じいっと細部まで見ているとぞっとしてしまうのだ。

 例えば、てんとう虫を見つけて、最初は可愛らしいなあと思っていても観察するうちにその触覚や節の多い足、羽ばたく時の音などに昆虫らしさを感じて気味が悪くなってしまうような、あの感覚に似ている。(ちなみに私にとって虫も花も同じくらい嫌悪を感じる存在である)

 誰かを惑わせるための甘ったるい香りや目を引くための派手な色彩、趣味の悪いドレスの裾のように重なり合う花弁、柱頭に群がるおしべたちを見ていると、“生き物”らしさを感じて気分が悪くなってしまう。

 でも、あなたは私とは真逆、―――梅雨には長雨の雫を受ける紫陽花、夏には日光を存分に浴びる向日葵、秋には華やかな香りで存在を告げる金木犀、冬には積雪に耐える椿を愛でるような人だった。特に、春の訪れと共に咲く、この国を代表する花がとりわけ好きらしい。


 すっかり日が落ちた宵の中、等間隔に並んだ街灯が桜並木を白く照らしていた。ニュースで言っていた通り、満開が宣言された桜の木たちはこぼれ落ちんばかりにたくさんの白い花を身につけていた。

 あなたは花を見るために顔を上げてゆっくりと歩いている。私はやや離れた場所でその後ろ姿を見ていた。私もあなたを真似て、視線を高くして同じように桜を眺めてみる。が、別に楽しいことはない。風情のあるようなシチュエーションだからといって、私が日頃から花に対して抱いている感情をひっくり返すようなものは無いのだ。

 あなたに聞こえないように小さく溜息を吐いて、視線をあなたへと戻す。これなら夜桜なんかよりあなたを見ている方が余程素敵だ。

 そう、素敵。首が折れてしまうんじゃないかと心配になるくらい上を向いて、無垢な瞳で花を眺めているあなたは美しかった。そのあどけない横顔に見惚れていると、あなたが振り向いて思いがけない言葉を投げてかけてきた。

「眩しいの?」

 夜に不釣り合いな質問に、どういうことだろうと首を傾げた。

「いつもお花を見るときに目を細めているから、眩しく見えるのかと思って」

 それは顔を顰めているんだよと思いつつ、その誤解は却ってちょうどいいかもしれない、そういう事にしておこうか。

 私が首を縦に振ると、あなたも納得したように頷き返してくれた。

 花の匂いを含んだ、春の生温い風が吹く。枝が微かに揺れて、それに釣られて桜の花弁がひらりと落ちてきた。あなたの柔らかな髪に乗ったそれを私は腕を伸ばして反射的に指先で弾いてしまう。あなたが驚いたように私を見るので、思わず目を逸らして言い訳めいた言葉を吐いた。

「…付いてたから」

「花びら?別にいいのに」

 済ました顔で言うあなたになんだか腹が立った。だって私は散りゆく桜の花びらなど美しいと思えないから、あなたにそんなものを付けてほしくないのだ。そう言わない代わりに私は黙ってあなたの腕に自分の腕を絡ませた。甘えているのだと思ったのだろうか、あなたはくすりと笑って空いている方の手で私の髪を撫でた。ああ、本当に苛々する。それなのに口からするりと流れ落ちたのは正反対の言葉だった。

「桜がきれい」

「ええ、本当に」

 あなたが居なければ、私が桜を見るために夜を歩くこともなかった。嫌悪をひた隠しにして花を鑑賞している振りをすることもなかった。嘘を重ねてまで、あなたに知られたく無い私がいる。あなたは何にも知らないままで、いっそ愚かしいくらい健気に花を見て笑っていたらいいと思う。

 私は今夜、それが見たかった。

―――きっとこれが愛というものだろうと、私は確信した。


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花時 @sinonome_shikimi

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