第34話
翌朝。
私はアンジェラちゃんが利用している城の客間まで彼女を迎えに来ている。
あんまり早くてもプレッシャーになっちゃうかなと予定時刻ピッタリに扉の前に着いたら、バタバタと部屋から飛び出してきたのは、比較的動きやすそうなワンピースを身に纏い、つばの広い帽子と編み上げブーツを合わせたアンジェラちゃん。
「お、遅くなりましたお義兄様……!」
「全然遅くなんてないさ。むしろ、かわいいあなたを待てる幸福な時間を、もっと引き伸ばしてくれてもよかったんだよ? まあ、あなたの愛らしい顔を早くに見られたのは、すごく嬉しいけどね。そんなに急いでくれてありがとう」
「ぴえっ」
息を切らしたアンジェラちゃんに微笑みかければ、彼女はまたも奇妙な悲鳴を上げて硬直してしまった。
「ふふ、さ、アンジェラ嬢、お手をどうぞ」
少し笑ってしまいながら馬車までのエスコートのため手を差し出せば、アンジェラちゃんはちょっと拗ねたような表情をしながら、震える手を重ねてくる。
かーわいーい。
「普段の聖女らしい厳かな服装も美しいけれど、その軽やかなワンピースもステキだね。花の妖精のように可憐で、よく似合っているよ」
「あ、ありがとうございます? ……いや、貴公子こっわぁ。男の人って、私ごときの服なんて着てりゃなんだって気にしないもんじゃないの……? それに、ハリーファあたりならきっと、待たせた時間の倍はかけてずっと文句言ってくるのに……」
道すがら心からの称賛の言葉を送ったのに、アンジェラちゃんはひきつった笑みでそうこぼした。
「ハリーファ殿下たちと、仲が良いんだね。でも、今日は僕とのデートなのだから、他の男のことはあまり考えないでくれると嬉しいな」
「ぴえっ」
また出たな、『ぴえっ』。
私が眉を下げて頼み込めば、アンジェラちゃんは短く奇妙な悲鳴を漏らした後はすっかりぎくしゃくとなってしまい、私に引かれることでどうにか歩いているような有様だ。
いや本当に、聖女様御一行の男性陣は普段彼女をどう扱っているんだ……?
原作乙女ゲームがこれくらい進行した時期なら、みんなこの程度の甘い言葉は日常的に競うように吐いているはずなのに……。
あ。事件は爆速で解決されているけれど、時間としてはまだそんなに経っていないのか。
ということは、まだ序盤? それにしたって、アンジェラちゃんから『私ごとき』なんて言葉が出てしまうなんてなぁ。
ハリーファなんて、待たされたら倍の時間かけて文句言うなんて。
女の子の用意は時間かかるのだから、遅れたって仕方ないのに。
私が、男女両方の装いをする身だからこそよくわかる。
女装は、とてもめんどくさい。
いや女装もなにも私の本来の姿は女の装いなんだけど。
とにかくめんどくさいのだ。
女性の装いは、より美しくの見た目のために機能面が犠牲にされていることがとても多い。
男の服は選択肢が少ない分、それほど考える事が多くないのもありがたい。
よって、女の子が自分とのデートのためにおしゃれをしてくれているというのなら、いくら待たされようと少しも気にならない。自分は男装で楽をしているし。
ついでに、兄が私のために女装を続けてくれていることに、改めて感謝の念がわくというものだ。
そんな事を考えている間に、馬車へとたどり着く。
アークライト王家の方々がお忍びで街に出る際に使っているという、外側は極めてシンプルで質素に見えるように仕立ててある小さな馬車。
しかし乗り心地にはこだわっているし、造りもとても堅牢なんだそうだ。魔法的な守護も念入りにかけられているとか。
そんな馬車に私たちが並んで乗り込むと、それはすぐに街へと出発し始めた。
「……あの、本当にすみませんでした。遅くなってしまって。街歩きなんて元々はよくしていたのに、聖女となってから聖女としてではなくというのは初めてだなと思ったら、どういう服が良いのかわからなくなってしまって……」
馬車が走り出して数秒後、ようやく落ち着いたらしいアンジェラちゃんがそう切り出してきたので、私はうんうんと頷く。
「ああ。聖女って、服装に関しても、品位を損ねないように丈はどうのとか装飾がああだとか、うるさい規定があるんだっけ。でも、いかにも聖女らしい服なんて着ていけば、今日はお忍びなのに変に注目されてしまうものね」
「そう、そうなんです。結局この服で行こうと決めたのが約束の時間ギリギリで、髪までは手が回らず……、とりあえず帽子でなんとか押さえつけて来たような有様なんです……」
そう打ち明けたアンジェラちゃんはそっと帽子を外し、その桃色のふわふわの髪を露わにした。
確かに、帽子を被っていたせいもあって、多少は乱れてしまっているけれど……。
「アンジェラ嬢、あなたの髪に触れてもかまわない?」
「えっ、は、はい。ど、どうぞ……?」
ぎこちなく許可をくれたアンジェラちゃんの髪を手で梳いて整えながら、私は提案する。
「これほど綺麗な髪なのだから、こういう風にただおろしていても美しいとは思うよ。でも、食事の時なんかには煩わしく感じてしまうかな? 少しまとめられるよう、まず髪飾りでも見に行こうか。今日の記念に、僕からあなたに贈らせてくれる?」
「もうやだぁ……。貴公子こわいぃ……。助けてルクレシアお姉様ぁ……」
アンジェラちゃんはその大きな瞳に涙を浮かべながら兄のいる城の方を向き、ぺそぺそと泣き言を漏らした。
どういうことだ。
私が、こわい? そっか、こわいのか……。できるだけ紳士的に接しているつもりなのにな……。
あれ? でも、昔マリリンにもこわいと言われたような……。あれは結局なんでだったっけかな。
「ええと、ごめんねアンジェラ嬢。泣かないで……?」
とりあえず髪も落ち着いたのでパッと手を離し、そう声をかけて様子を伺うと、アンジェラちゃんはへろへろと首を振る。
「いえ、お義兄様は悪くないのです。これはもう、私の経験値不足によるところが大きいので。なんというかこう、女の子扱いされることにとにかく慣れてないのです」
「それは、その、……もしかしなくてもうちの妹のせい、かな?」
「まあ、多少は……? 社交界の男性はみんなルクレシアお姉様ばかりを見ていて、私なんて聖女になってすら注目されなかったくらいですからねぇ。もう、私だけを気にかけてくれる男性の時点で珍しいっていうか。うちの男どもなんて、お姉様がいない所でもずーーーーっとお姉様の話をしているんですよ」
もしやと尋ねてみれば、『多少』どころか全面的にうちの兄のせいだとわかる力強い返事が返ってきた。
兄が周囲の誰も彼もを魅了しまくるせいで、その分アンジェラちゃんがないがしろにされてしまっていると。それに慣れてしまったと。
それだけ多大な影響力のあるとんでも魔性の悪役令嬢(男)を社交界に解き放った元凶であるところの私は、心底申し訳なくなり、しっかりと頭を下げて謝罪する。
「本当にごめんね。あの子、魔性にも程があるよね……」
「いえっ! お姉様がそれだけ魅力的というだけです! 私自身ルクレシアお姉様のことばかりを追いかけていたから、同年代の男性と接することに慣れていないのでしょうね……」
アンジェラちゃんはふう、と切なげにため息を吐いて、そんな風にこぼした。
普通に普通の侯爵令息としての兄とアンジェラちゃんを出会わせてあげていれば、そんなことにならなかったのになぁ! 誰だこんなややこしくも残酷なことしたの! 私!
兄も男の姿に戻ってこの子を口説く事を望んでいるのに、それを妨害しているのも私!
いたたまれなくなった私は、私は心の底からの反省と謝意を込め、膝に頭が付くくらいまで頭を下げる。
「ほんっとうに申し訳ない……!」
「いや、そんなっ、頭を上げてくださいお義兄様! 私はルクレシアお姉様と出会えたことを、自分の人生で一番の幸福だと思っておりますから……!」
事情を打ち明けるわけにはいかないのでただ短い謝罪の言葉だけを放った私に、アンジェラちゃんは慌てた様子でそう返してきた。
うう、なんて良い子なんだ……! 本当にごめんねアンジェラちゃん……!
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