第11話
聖女による聖なる救世の旅、その壮行会として行われた夜会があった日の深夜。
翌日から世間がどえらい騒ぎになることなんか知りもしない私と兄は、屋敷のバルコニーから飛び立ち、キャッキャキャッキャと星空の旅路を楽しんでいた。
「すごい! すごいすごいすごいっ! さすがルーシー、すっごいよ! 楽しい、キレイ、最高!」
私の腕の中でかわい子ちゃん(兄)が、空を飛ぶ爽快感を、どこまでも澄み渡る秋の夜空を、冴え冴えと輝く月とキラキラと瞬く星とを、楽しみに楽しんで快哉の声を上げてくれるから。
私はもう大張り切りで、自分本来の体ならともかくこの人形のボディでやるとどこかを痛めちゃうかもしれないレベルに力を込めて飛行の魔法を使う。
加速するとその分風の抵抗を和らげるためのバリアの維持も大変になるんだけど、加速すればするほどお兄ちゃんが喜んでくれるから。
「きゃー! あははっ!」
ちょっと無理してガツンと一段スピードを上げてやれば、兄は、私じゃこんなにかわいく叫べないなと思わずにいられない可憐な悲鳴をあげ、そのまま笑い声に繋げた。
楽しんでくれてなにより!
お兄ちゃんってば、悪魔崇拝者の父に怯えながら箱入りのご令嬢として暮らすことを強いられてきたからねぇ。秘密を抱え、恐怖に耐えながら。
あの屋敷から脱出できた解放感もあるだろうし、空を飛ぶのなんて、楽しくて仕方ないよねー。
そりゃもう妹は張り切りますよ。この半年、いやその前からずっと、私のために無理をさせてきたのだろうなと思うし。
そんなこんなで、お兄ちゃんの声援のおかげで、人一人抱えているにも拘わらずむしろ自分史上最速という速度で飛ぶこと、二時間。
道中兄にこれから向かう村の説明をしたり、互いの素の話し方は二人きりの時だけとすることを確認したりしつつ。
王都から見れば北西、カーライル侯爵家の領内の北の方にあるとある村へと到着。
さすがにこのまま宿屋まで飛んでいくと、誰かに見られてぎょっとされる可能性が高いので、降り立つと決めたのは、村の中心にそびえたつ大きなケヤキの木。
ただ大きいだけで特になんらかの伝説があるわけではないのだけれど、とにかく大きいのでなんとなーくみんなにありがたがられてなんとなーく村のシンボルツリーっぽいポジションにあるその木の太い枝の上に兄を隠すように座らせ、根元に人形のボディを立てかけた。
……まあ、兄さえ見つからなきゃ良いだろ。むしろ、私が戻る前に誰か来たら人形にぎょっとして上の兄に気づかなければ良い。
「えっと、この村の宿に、私の本体がいるのね。で、今この人形から抜けてそっちに戻るから、お兄ちゃんはそこで私が自分の体でやって来るのを待っててね」
兄にそんな風に言い含めて、大樹の上にドレス姿の兄がいると女神か精霊のようだななんて思いながら、私は人形から抜け出た。
――――
「……っあー。感覚共有だの人形への憑依だのをあんま長時間やると、やっぱ感覚おかしくなるな……」
宿の一室。自分の体に戻った私は手をにぎにぎし、足をぶらぶらし、ぐぐーっとのびをして、からのふーっと脱力し……、と、一通り自分の体の感覚を確かめてから、ベッドから起き上がる。
そのまま兄の元へ駆けつけるべく、お行儀悪く窓から飛び降りた。
二階の窓からだったけど、問題なく着地。一目散に大樹へと駆け出す。
すっかり馴染んだ男装、冒険者ルクレシアスの姿。
今私の身長は一六七センチ、兄が一六八センチ。ちょっとだけだが兄の方が背が高い。兄は一応男なので、まだもう少し成長しそうだ。
そのため、いつか互いが本来の性別に戻った時のため、というのと、冒険者の中で男で身長が一七〇センチに足りないと割とナメられることがあるので、シークレットシューズのようにかかとを厚くしたインソールを入れたブーツで五センチくらい足している。
それにゆったりとしたズボンとローブを合わせ、男の魔法使いらしい服装に仕上げた。
兄と揃いの黄金の髪は高い位置で一つにまとめ、顔には口元以外を広く覆う精緻な刺繍の入った派手な仮面。
この仮面に関しては、初対面や大多数の人間には『顔に火傷の跡があって人をぎょっとさせてしまうから』と、親しくなった人には(といってもこの説明をしたのはまだ三人しかいないんだけど)『実は火傷跡なんか無いのだけど、この貴族然とした顔を晒しているとトラブルが多いから』と、二段階の嘘を吐いている。
我ながら兄に似ているだけあってまあ割と美形なので、二段階目の嘘を聞いた人はすごく納得してくれた。
本当は、実家あるいはルクレシアの関係者と会ってしまって、同じ顔だと騒がれたら困るというのと、いずれ私と兄が元の立場に戻るとき片方の顔が世間にあまり知られてない方が良いかもしれないというのがこの仮面の理由なんだけど。
「……その姿の時は、ルクレシアスと呼ぶべきかな? それとも、お兄様?」
自分の体でたどり着いた先、大樹の枝に座る兄は、男装姿の私を見るなりそう尋ねてきた。
ふわり、今度は生身で空を飛んで、兄の前まで向かいながら、私は首を捻る。
「うーん、どうだろ。双子だから別にお互いに呼び捨てでも構わない気はするけど、お兄様って呼ばれるとなんかきゅんとするなー。……さあ、お兄様の腕の中においで、かわいいルクレシア」
「もう、またそんな冗談を言って。ルーシーの方がよほどかわいいってば。……まあ、その姿だと凛々しくてかっこいいなとは思いますよ、お兄様。わかりました、人前ではこれでいきましょう」
兄は拗ねた顔をしつつもまた私のお姫様抱っこに収まってくれて、きちんとリクエストに応えてくれた。
え、もうずっとこれで良くない? うちら、本来の性別に戻る必要なくない?
妹(兄)ちょうかわいい。ずっと愛でていたい。
そんなわけにいかないことはわかっているけどさ。叶うならばこんな妹が欲しい。
そんな私の邪念を知ってか知らずか、兄は憂いを帯びた表情でため息を吐く。
「はあ……、それにしても、ルーシーはなんでもできるね。君がすごいことはよくわかっているつもりだったけど、なにもできない自分が兄として情けなくなるよ」
「ええ……? お兄ちゃんだって、私にできないこと色々できるじゃん。ダンスとか刺繍とか勉強とかはお兄ちゃんの方が得意だったし、お兄ちゃんは上品だし人たらしだし美人だしかわいいし色気があるしもはや傾国だし」
地上にすとんと降り立ち、兄を立たせてやりながら私は反論した。
後半になるにつれ険しくなった目元で、兄はこちらをじとりと睨む。
「一部素直にありがとうと言いづらい部分があったけれど、ありがとう。でも、ルーシーみたいにこれほどの魔法を自在に使えるのは素晴らしいよ。いつからどれほど魔法の練習をしていて、そこまでになったの?」
「えっと、うっひょー魔法のある世界に異世界転生だぜーって思ったのが、生まれた直後? で、ははーんこれが魔力ってやつねーって首が座るかどうかくらいの頃に気づいて、なにかできないかとねりねりいじくりまわしてたら、なんかそれも修行になってたらしいんだよね」
私は兄の質問に答えつつ、兄の代わりに大樹の足元にあった【人形】を抱き上げた。
寝静まり返っている村を歩き(私も兄も秋虫の声に紛れる程度の小声で喋っているので、たぶん村人を起こすことはないだろう)、人形の制作者であるネイサンの家へと向かう。
他の人形は魔法を切って崩してもらうけど、返せるなら返せばなにかしら使い道はあるらしいから。
「〇歳から修行……。君が生まれた時から中身は大人だったというのは知っていたけど、すさまじいね」
兄は私の後ろに付いてきつつ、呆れたようなため息を吐いた。
「ふへへ。まあね。そう、で、周りの人にねだって簡単な魔法を教えてもらい始めたのが、三歳頃だね。……お母様が、若干病み気味に、身を護る手段があるに越したことはないとかって、すごく真剣に教えてくれた」
「ええ? そんなことしてたっけ? ……覚えてないな」
「すごい短い期間だったからねー。みんなそこまでの魔法使いってわけでもないから、本当に基礎の基礎だけ教えてくれたの。確か、半年くらい? とかでみんなができる領域を越えたとか言われて、そこからはお母様が用意してくれた本を読みつつまた一人で自己流自己研鑽よ」
〇歳からの魔力ねりねりのおかげで、私は魔力が人より多くしかもすごく上手に動かせる方になっていたらしい。そのおかげとはいえ、さすがに半年は短かった。兄が覚えていないのも仕方ないだろう。
そこまで説明するとようやく思い当たることがあったらしく、兄はぽんと手を打つ。
「あっ、ルーシーがお気に入りでずっと持ってた本、ぜんっぜん読めなくてなにこれって思った覚えある!」
「それそれ。あれ、魔法の専門書。それで、まあ、自己流で修行して、さっきの空飛ぶやつとか一通りやりたいことをできるようになったのが、五歳頃。そこからはもうひたすら精度と規模の研鑽をして、七歳頃にはうちからこの村まで飛んで来てたよ~」
「七歳。覚えてる。父親たちが帰って来ていて、ルーシーは隠れてるって言ったのに家のどこにもいなくて、ずっと会えなくて、本当はあの人に見つかって殺されちゃったんじゃないかってこわくて、泣きたくて、でも本当にうまく隠れてるだけなら騒いじゃダメだって……」
「ごめん」
その時の事を思い出したのか、徐々に涙声になっていく兄に耐え切れず、私は彼を振り返って深々と頭を下げた。
兄は、仕方なさそうに笑ってくれる。
「謝らなくて良いよ。なにか、大切なことをしていたのでしょう? この村が追加の聖守護騎士候補になり得るとかいう、【
よくおわかりで。その通りである。
八年前、原作ゲームにおいては【
よって、今の彼はただの【人形遣い】ネイサンと呼ぶのが正しいだろう。
そして、その縁から、彼は私に手を貸してくれている。
私が最初のイベントを覗き見する場として普段冒険者活動の拠点にしている街ではなくこの村の宿を選んだ理由も、この村にネイサンが住んでいるからだ。
ちょうど、彼の家の前に着いた。
ノックをしようと構えた瞬間、扉が内から開かれる。
こちらの気配、というか、自分が作った人形の気配を感じ取って扉を開けてくれたのだろう。
中にはネイサンと、その隣に寄り添う原作では八年前に死んでいたはずの彼の現在は妻当時は幼馴染のマリリン。
さっきまでの兄と会話していた素のルーシーモードから冒険者ルクレシアスモードに切り替えつつ、私は彼らとの出会いを思い返す。
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