失踪
@s1998
第1話
決めた。失踪しよう。
そうだ、何も死ぬことはない。逃げればいいのだ。
今までの気苦労は損だった。ホームに飛び込んで電車に轢かれて死ぬのが早くて楽だけど、家族に損害賠償が科せられるというところだけがネックで、まあ死んだら死体が出るのだし金の他にも諸々の手間は生きてる側に発生するのだろうが、それでかなり迷惑をかけるのだろうが、掛けるにしても迷惑は最小限のものにしておきたいと、そうでなくてはどうしても恰好がつかないと(死体に格好もクソもないとはいえ)躊躇して、いまひとつ一歩を踏み出せないでいたところだった。ここのところは毎日、出勤前に、地下鉄のホームの黄色い点字ブロックの上に立ち、すこし身を乗り出して、もういま死んでもいいだろうか死ねるだろうかと、滑り込んでくる車両のヘッドライトを睨みながら、いざ飛び込むとなると心臓がどきどきするので自分も案外情けないなあと苦笑い、そんなだから飛び込めず、結局わたしを轢くはずだった車両に揺られながら、死ねなかったことに、いちおう、落胆して、次の日の朝、またホームに立つ、の繰り返しだった。
でもどうして死ぬしかないと思っていたのか。
逃げよう。ちょっと遠くまで。わたしのことを知ってる人がひとりも居なければどこでもいい。それほど遠くに行かなくてもたぶん大丈夫、SNSさえ切ってしまえば、友達も家族も、わたしの電話番号とメールアドレスを知らないので、連絡の取りようがないはずだ。
わたしはこの前インスタをやめたから、あとはツイッターとラインを消すだけでいい。ツイッターなんて最近は、嵐の公式アカウント見るだけのためにしか使ってなかったし、その嵐も活動休止してからだいぶ時間が経っててあんまりツイートも多くない、もう社会人になるしそろそろジャニーズも卒業しないと、と思っていたところだったので、ここらが潮時というやつかもしれない。だからツイッターはすぐに消せる。よし、もう今消しとこう。アカウント削除。アプリも削除。消した。長らくiPhoneのホーム画面にこびりついていた水色の鳥のアイコンがなくなって、となりにあったマクドナルドのクーポンアプリのアイコンがその場所に音もなくスッと水平移動した。そしてもともとマクドナルドがあった場所に、盛れるカメラアプリのアイコンが下の列から斜めに入って来た。他のアイコンも、それにならって一糸乱れぬ動きで無機質に移動し、次の瞬間にはまるで何事もなかったかのように整然と並んでみせた。沈。ひとつアプリが消えると、物足りないような違和感が残るけれど、こんなのはすぐに見慣れる。三回まばたきをするだけでいい。呑気な若者なので、変化に慣れ過ぎている。慣れ過ぎて、変化に気が付かないこともある。記憶力が鈍っている。ばかなのだ。わたしの記憶の容量では、朝に天気予報を調べただけで通信速度制限が来てしまう。二ギガくらい。いや、三メガバイトくらいか。
とりあえずツイッターは消した。さっきよりはマシな気分だ。もう百四十文字以内でつぶやく内容をいかにくだらなくするかということに頭を悩まさなくていいのだ。酔った勢いで気取ったことをつぶやいてそのまま寝て、次の日の朝に赤面しながらツイ消ししなくてもいいのだ。仕事終わりに飲んだタピオカが氷なしで注文したのに氷がどっさり入っていたことをわざわざつぶやかなくてもいいし、それにいいねが三個しかつかなくて中身を見に行ったらマルチ商法で稼いでる系のキラキラ大学生だった、なんてもの悲しいことも起きないし、お腹痛いときにお腹痛いってつぶやきたいけどつぶやいたらなんか構ってほしいアピールみたいに思われてしまうかなとか考えながらアプリを開いたり閉じたりしなくてもいい。友達の主語抜きのツイートについて余計な詮索をしなくていいし、フォロワーの数がフォロー中の数よりも多くなるように調節して見えない誰かにマウントとらなくてもいい。いいこと尽くし。
とにかくツイッターは粗悪なコンテンツだった。誰でも気軽につぶやける、っていうのが駄目だった。ふだん声も気も小さい奴が、フリック入力で大口叩いてるありさまなんて、見てられない。スーパームーンだかシルバームーンだか、やたら月がでかく見える夜に、iPhoneのカメラで撮ったせいで白いゴムボールみたいに劣化させられた月がタイムラインに並んでるのも、見てられない。その中に、たまにある、「今日の月なんかあったの?ふつうにバイトだった」とかいう、月など見る間なく働いていた忙しさをアピールしつつ、自分の風情みやびに酔わないサバサバ姿勢をほのめかしているつぶやきなんて、もっと見てられない。大嫌いだ。わたしがそうだった。
それで繰り返しになるけど、ツイッターは悪だった。もう二度とやらない。疲れた。わたしの神経をすり減らして、頭をわるくさせて、ほどよい個性を滲ませた無個性にさせた。悪だった。わたしでない可哀そうな人の中には悪口を書かれて禿げたり死んだりした人も居る。犯人は名無しののっぺらぼうで、凶器は親指か人差し指だ。それか中指。ポテチをつまみながら打っていたら中指を使うかもしれないけど、さすがに薬指や小指をつかうのは少数派だろう。だけど指一本で人が殺せるなんて、まるで呪いだ。オカルト兵器。
それから、こういう事件が明るみに出ると決まって、なにごとも使い方が大切なのだ、とか、正しく使えば、とか偉そうにみんな言うけど、全員、想像力が無いのか。包丁でひとを刺した人間に向かい合って、人差し指をつんと上に向けて指し、にっこり笑って、説くのか。「この包丁は使い方によっては素晴らしい成果を生むからね。たとえばニンジンに向かって振り下ろせば、ジャガイモに向かって振り下ろせば、玉ねぎに向かって振り下ろせば、カレーができる!」
馬鹿だ!
そしてこんなふうに、すでに議論され尽くしたことがらについて、切り口の変更もなく、なんの面白みもなく、ただ誰かの猿真似のような猿真似にも至らないようなカスみたいな文章で浅い意見をいっしょうけんめい述べようとしているわたしこそ、きっと真に想像力の無い人間だ。おおばかで滑稽だ。轍しか踏みしめたことがなく、すでに通っているトンネルをくぐって歩くことしか出来ないのだ。二番煎じどころではない。煎じ過ぎてもう味も色もない。無個性だ。なにを書いても無個性。ただの模倣でつまらない。「創造は模倣から始まる」なんて言ったのは誰だ?これを信じてめっきり油断してしまっていたけど、言ってる奴らの傍らではいつも、一番目に煎じた茶がすでに飲み干されて空っぽになってるじゃないか。
結局、創造者は最初から最後まで創造者で、模倣者は最初から最後まで模倣者じゃないのか。じゃあわたしは死ぬまで誰かの猿真似みたいなことを言い続けるんだろうか。教養が無いから仕方ないんだろうか?でもそんなのは嫌だ。わたしだって好きでこんなものを書いてるんじゃないのだ。書かなければ済まないから書いているだけで、書かないで済むなら、たとえば泣くとか喚くとか喋るとか笑うとかそれこそ死ぬとか、それだけで済むなら本当は書きたくない。
書きたくないわ!
下手だと分かっている文章なんて。書いたそばから恥ずかしい。でも何故か書く。理由がない。初期設定みたいなものだ。わたしの身体にチップみたいなのが埋め込まれていて、能力の如何に関わらず文章を書かせるようにプログラムが組まれているに違いない。
だけど、もういい、ここまでの文章が習いたての十九番煎じだとしても。わたしは失踪するんだから、ひとの前から姿を消すんだから、いちど死ぬのと同等だ。これが十九番煎じだろうと二十番煎じだろうとどうでもいい。百番煎じだとしてもかまわないから、とにかく書いて遺して逝ってやる。猿真似なら猿真似で、それしか出来ないわたしの醜いありさまがのこるだけだ。
みんなわたしのこれを読んで驚けばいい。醜悪な文章に顔を顰めるのはもちろん、できれば、各々のわたしに対するイメージを見る影もなく崩されて、落胆してほしい。他人の内面を大きく見誤ったことを、恥ずかしく思ってほしい。とくにわたしのことを呑気なネタ系女だと思っている人は、ピエロ役みたいに思っている人は、わたしのことを「キャラ濃いな」とかいう得体の知れない言葉で形容したことが一度でもある人は、その洞察眼のレンズにガタが来ていることを実感したうえで、なんでもいいけど大いなる力によって口を開かないように固められてほしい。大いなる力じゃなくてもいい。アロンアルファでいい。とにかく自分の想像が至らなかったことを後悔すればいい。想像力のない人は嫌いだ。長い間つまらないことについて考え続けられない人も嫌い。人生についてよく考える人は好きだけど、生きる意味とか自分の存在価値とかについてやたらに悩む人は、自己憐憫のひどいナルシストの傾向があるので嫌いだ。めんどくさい。
そしてそれはわたしのことだ。
どうでもいいけど、大人になれば分かるさって大人に言われるのが、昔から嫌で嫌でしょうがなかった。大人でなくても分かるように説明すればいいんだ。そりゃあ時間の経過は何でも教えてくれる。ただ、のろい。待っていられない。退屈な大人は正月が来るたびに「はやいねえ。昨日が正月みたいな感じだったけど」と阿保みたいに笑っているから、きっと自分たちが子どもの頃に時間が一向に進まなかったのを忘れてしまっているんだろう。誕生日を指折り数えたことも、四十五分間の授業がむずむずするほど長かったことも、給食の時間を待ち遠しく思ったことも。
それか、大人は子どもをしたことがないか。大人はそもそも子どもとは全く別の生命体で、子どもが時間を経て大人に成るなんてことはないのかもしれない。
「大人になれば分かるっていう言葉は、強いよね。だって、大人になれば分かるわよあんたも、なんて言われたら、子どものころ、すごい悔しかったけど、ぼく何も言い返せなかったもん。なにか言い返そうとするんだけど、どこにも言い返せるような隙間がないんだよね。そんなのウソだ!って言うにしても、大人になれば分かるかどうかも、大人になってみなければ分からないじゃない。じゃあ大人になるまであと何年?ってイライラするよね。でも奥歯を噛んで地団太を踏みながら、大人になるのを待つしかないんだ。
そうしてさ、絶対に大人になっても分からないままでいてやる!なんて胸に誓うのにさ、大人になったら結局、『ああ、大人になれば分かるってこういうことか』って本当に分かっちゃうんだからね。悔しいというか、なんかね…微笑ましい気分になるんだから、不思議だよなあ」
どうでもいいけど2、エロ本が十八歳になるまで買えないのも意味が分からなかった。
だいたい皆、受動的なのだ。巣の中のつばめのヒナみたいに、時間がミミズを運んできてくれるのをピイピイ待ってる。顔を出しすぎて巣から落ちたら、馬鹿だから飢えて死ぬ。自分で餌を食う術が分からないから。
でもわたしは分かる。わたしは巣から落ちても死なない。自分の足で歩く。どうせ飛べないだろうから歩く。そして干からびたナメクジでもなんでも食っていつかひとりで飛んでやる。
だからわたしは今、この足で踏み出す。
死んでなんかやるもんか。失踪してやる。みんなみんな、わたしの不在に気付いて慌てふためけばいいんだ。ぽっきり姿を消してやるんだ。そうして二度と戻ってやらない。
誰も知らないところで、悠々自適に暮らすのだ!
失踪 @s1998
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