天の川と蜂蜜
気がついた
どこかの家のベッドで寝ている。
そう気づくのに時間は掛からなかった。
凌弥はベッドから降りて、部屋を見渡した。
天井も壁もクリーム色。1階建てなのか天井に、屋根の三角形が裏写りしたような形になっている。ベッドの反対側の壁にはかなり旧式の火で温めるタイプのオーブンがあってその横に小さな食器棚がある。オーブンとベッドの間側の壁にはドアがあって、今ガチャリと開いた。凌弥が意識をなくす直前に見た少年だ。
「よく眠れた?」
少年は自然な笑顔を見せた。
つられて凌弥も笑いたくなったが、心を引き締めよそ行きの笑顔を作った。
「はい。ここはあなたの家ですか」
「そうだよ」と、少年は食器棚からお皿を2枚出した。「背中と左腕、右腿と左脛はもう傷んでいないかい?」
言われて初めて凌弥は該当の箇所に包帯が巻かれていることに気付いた。言われるまで気付かなかったくらいだから、痛くない。凌弥は「はい」と首を縦に振って肯定した。
少年は安心したように笑った。心から喜んでいるようだった。
その間にも少年はテキパキと食卓を整え、テーブルの上にはハニートーストとカップに入った牛乳が2人分用意されていた。
「じゃあ、朝ごはんを食べようか」と、椅子を引いた。凌弥はどうしたらいいか迷った末、会釈をしてから座った。
少年も椅子に腰掛けると、手を組み何かを唱えてから食べ始めた。
凌弥はトーストを一口噛り「美味しいです」と言った。少年は「良かった」と顔を綻ばせた。
本当に美味しかった。トーストの中はふっくら柔らかく、外側は蜂蜜が染みて一層カリッとしていた。蜂蜜は朝日の輝きを受けてキラキラと輝いており、凌弥が普段食べていた蜂蜜と違いツブツブがたくさんあった。極小サイズの金平糖を撒き散らしたような食感の蜂蜜だった、味は全然違うが。
「凌弥は牛乳を飲まないの?冷めてしまうよ」
トーストに夢中だった凌弥は、ハッとしたようにホットミルクを見た。内心渋りながら、だが態度には出さずにトーストをお皿に置き、カップを取り飲んでみた。
牛乳はトロっとしていて、蜂蜜とも砂糖とも違う甘みがあった。飲めば飲むほどドロっとしていって、粗くかき混ぜたヨーグルトのような舌触り。今度は牛乳に夢中になった凌弥はトーストの存在を忘れてしまった。
少年はそんな凌弥を、幼子を愛おしむような目で見ていた。手についたパンカスを払うと言った。
「凌弥、この家に住もうよ」
凌弥は飲み干したカップをテーブルに置き、目を丸くした。「今なんと?」
「この家で一緒に住もうよ、そう言ったんだ」
凌弥は迷った。
ここはどう考えても元の家から遠い。でも、この少年は自分と同じくらいだから悪いようにならないだろう。でも、知らない人だ。
そこまで思うと、凌弥は顔を上げた。
「お名前を伺ってもいいですか?」
「アルナァキだよ」
「なんて?」
凌弥は巻き舌の[ル]が聞き取れず、反射的にタメ口で聞き直した。
「アルナァキ。アルって呼んで」
「はい。よろしくおねがいします、アル」
思いっきりカタカナ発音だったが、アルは気にする素振りを見せず、凌弥はホッとした。巻き舌なんてムリだ。
凌弥はふと気になった。
なんで僕の名前を知ってたんだ?
***
アルの所で暮らすことを決めてから数時間。
服のサイズ合わせをした。アルは背が高く見えたのに、僕とあまり変わらなかった。170くらいに見えたのに。
これで良かったのかな。
晩ごはんから30分経った。アルは外で本を読んでいる。
今日もまた夜が来る。
僕はベッドの足元に座って、ベッドの足の寄りかかっている。うちはベッドじゃなかった、家族で雑魚寝だからベッドだと部屋が狭くなる。朝早くから練習に出る
僕は透明の子だ。誰にも見てもらえない。誰も僕を愛してくれない。死は僕を見透かして見ている。死に連れて行かれる時は上がるのかな、下がるのかな?いっそ奈落に飛び込みたい。いっそ狂いたい。目を閉じれば、嫌な記憶ばっかりだ。普段あったらゲームを始める。その間は死にたい気持ちが小さくなるから。でも……。
「凌弥、来て!」
アルの声だ。強盗が来た?体が重い。
凌弥はノロノロと立ち上がり、重い足を引きずってベランダのような所に出た。強盗はいない。
僕を見るとアルは顔をろうそくのように輝かせた。
「見てよ!星がすごく綺麗だよ」
星かよ。そう思いながら、上を見た。
凌弥は息を飲んだ。生まれて初めて、いい意味で息を飲んだ。都会育ちの凌弥は生まれて初めて満点の星空を見た。
さっき見た川のきらめきが空にあった。この光だけで読書が、視力が良ければできそうなくらいだった。はるか昔の星々が今を全てとするように煌々と輝き続けていた。
「さっきは流れ星が来て、とっさに呼んだんだけど」
アルの声に、凌弥はさっきの自分を呪った。アルはこちらを見た、星に負けないくらい目がキラキラしていて、さっきの川より澄んでいて、火より燃えているように見えた。何となく目をそらし、凌弥は星の数を数え始めた。当たり前だが数えられなかった。
「空の星ってどれだけあるのか、人には数えられないよ」アルは凌弥の心中を見透かしたように言った。「だって人も大いなる意思のもとにある存在だから」
アルの言葉に凌弥のどす黒いものが湧き上がり、勝手に口が動いた。
「神がいるかどうかなんて証明出来ないだろ」
凌弥の言葉にアルは眉尻を下げた。閉じた口元は悲しさ、寂しさを雄弁に語り、細めた目は憐れみに満ちていた。星々が一層輝くころ、アルは口を開いた。
「僕も君を愛しているよ」
この時の凌弥の表情は、様々な感情を物語っていた。
特に大きかったのは、驚きと困惑、不信感と安堵だった。
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