424 裏切り者の場合
「断言します。私が知る限り、こんな頻度でここにやってくる人は貴方が初めてです」
「うんうん、そうかもね……僕も本当は来たくないんだけど頼まれるからさあ……」
「しかも、二回目で貴族になり、三回目の今回はノーラ王女の使いだなんて…………順調に地位が上がっていませんか? しかも今回は当の《雷帝》まで連れているし……ここまで来ても、私にはまだ――貴方がそんな大人物には見えないんですが」
いつもの監獄の職員さんに辛辣な事を言われながら内部を先導される。
監獄の建物は相変わらず人気がほとんどなく、ただただ静かだった。
前回訪れた際には最後に監獄警備対クラヒの激しい対決が繰り広げられたが、被害の跡のようなものは残っていない。
「ここってお客さんくるの?」
「数は多くありません。貴方のように解放に来る人もいれば、収監に来る人もいます。後者は、最近はないですが――最後に入れたのが、《雷帝》で、その一つ前に入れたのが、今回の貴方の相手です。どちらも危険度最大で判定された者です。本来都市システムは収監者を甘めに判定しようとする傾向があるんですけど――」
「僕は別に危険じゃなかったよ。まあ、脱獄に成功していたらクール達を助けるために監獄は壊していたと思うけど……」
職員さんがドン引きしたような視線をクラヒに向けている。僕の幼馴染達も同じ状況になったら同じ事をやりそうなので僕からは何も言えないが……。
どうやら案内されるのは前回来た時とは違う場所らしい。
清潔な、悪く言えば何もない廊下を職員さんの先導で歩いていくと、どんどん雰囲気が物々しくなってくる。廊下に機装兵が立ち始め、壁に砲口がズラリと並び、僕達がその前を歩くと自動的にこちらを向いてくる。クラヒのいたフロアだって、ここまで警備は厳重ではなかった。
一体、何が収監されているのだろうか?
辿り着いたのは、大きな黒い扉の前だった。職員さんが説明してくれる。
「今回の封印指定は特殊な収監者です。《雷帝》を収監した際もこの監獄は特別な部屋を用意しましたが――この収監者のためだけに我々はフロアを用意しました」
目を見開く僕の前で、音もなく扉が開く。
そこは、四方百メートルはあろうかという広大な部屋だった。入口近くで一旦、壁で区切られ、ガラス張りで向こうの風景が見られるようになっている。
これはつまり、クラヒが入れられていたような監獄だ。ただ、広さが尋常ではない。
何もない広々とした空間の中心に、人間が浮いていた。
菱形のガラスのような物に閉じ込められた男が。それはどこかぞっとするような光景だった。
「あれが最近入ってきたコードネーム《空》――最悪の魔導師です」
クラヒのように鎖で縛られているわけではない。傷だらけになっているわけでもない。あの男が入れられている菱形の物質が何なのかはわからないが、通常の監獄ではない事だけはすぐにわかった。
「一見警備が甘く見えるでしょう? 《空》が入れられているクリスタルは物理的、魔術的に極めて硬度の高い代物です。加えて部屋全体に強い重力がかけられていて、《空》が覚醒しても何もできません。仮に重力が破られても、即座に狙撃できるように設定されています。このような対応になっているのは、《空》の周囲が未知の力で覆われているからです」
なるほど…………なんだかよくわからないけど、コードの監獄は本当に恐ろしい所だ。
ガラス張りの壁際に近づき、コードネーム《空》とやらを遠目から確認する。
《空》は一見、ただの人間だった。中肉中背で、目をつぶっているせいかもしれないが、凄腕の魔導師には見えない。
と、そこで、隣に立っていたクラヒが、眉を顰めているのに気づいた。
「この気配――あれはまさか…………だが、何故こんな所に? 奴は国際指名手配を受け、逃亡中のはず。いや、コードと取引する組織は多い、奴らが絡んでいるのは十分ありえる話、だが……」
「ん? どうかした?」
ブツブツ呟いていたので声を掛けるが、クラヒが頭を振ると、いつも通りの表情で言った。
「…………いや、なんでもない。今回僕は付き添いだからな。だが、気をつけた方がいい。あの術師がどれほどの実力を持っているのかわからないからね。僕も武帝祭の時と比べたら随分修行したが、なるほど……僕以上の厳戒態勢というのも、納得だよ」
クラヒの見立てでもしっかりやばいのか。どうやら今回も僕の見る目がないだけのようだ。
一緒についてきたクール達も愕然とした様子で《空》を凝視している。
「こちらの声を向こう側に伝える事はできます。もっとも、これまで一度も《空》は反応を見せていないので、果たして《空》に声が聞こえているのかは定かではありませんが……都市システムの干渉を弾く程ですからね」
よく捕まえたな、そんなの。しかし、声が聞こえているかどうかも定かではない相手を懐柔するとか、ノーラさん無茶振りしすぎでは?
今更だが、周りの騎士の人達がそんなの無茶だと声をあげていた理由がわかる。
そもそもこの人って、外に出していいわけ?
「とりあえず、こっちの姿と声を届けてくれるかな? とりあえずやってみるから」
きっとノーラさんもうまくいくなんて思っていないだろう。
気楽に試してみるだけみて、ダメだったらその時はその時、考えよう。
§ § §
秘密組織『九尾の影狐』――通称『狐』の元ボス。かつて空尾と呼ばれた男は今、どうしようもない状況に追い込まれていた。
全ての発端は武帝祭での事件だ。それ以降、組織の裏切り者として追われ続けた空尾は全力を尽くし組織からの追跡者を返り討ちにし、ついに、同格のボス――剣尾に距離を詰められ、敗北した。
ぎりぎりで絶対不可侵の結界を張ったが、この状態では空尾からも攻撃はできない。一瞬でも結界を緩めれば、全ての力を剣に割り振ったあのイカれた女はその隙を見逃さないだろう。
だが、仮にもボスである剣尾は忙しい。いつまでも空尾を見張ってはいられないはずだ。勝機はそこにあったのだが、剣尾の打った手は空尾の予想を越えたものだった。
高機動要塞都市コード。高度物理文明を再現するその都市の監獄に、空尾をぶち込んだのだ。
『ふふふ……さすがの貴方も、この監獄は破れないでしょう? 後は、その結界を解析したらゆっくり料理してあげる』
高機動要塞都市コードは空尾の管轄ではなかったのでそこまで詳しいわけではなかったが、剣尾の言葉通り、コードの力は厄介極まりなかった。
有する都市戦力や兵器もかなりのものだが、特に魔導師にとってまずいのは構築した魔術を霧散させるその特異な対魔フィールドだ。
未だに空尾が結界を維持できているのは、結界を張ったのが都市外だったからだ。結界が都市の対魔を跳ね返している。一度結界を解けばこの都市でこのクラスの結界を張るのは不可能だろう。
ただの監獄ならば魔術対策が施されていても脱出できるはずだったのだが、目論見が外れた。
どうやらあの女は、腹立たしい事に、空尾の事を全く甘く見ていなかったらしい。あの女がコードの中で確固たる地位を築き都市の全面的な協力を得れば、いずれ空尾の結界も解析されるだろう。
その前に何としてでも、武帝祭で《千変万化》を使い、空尾を嵌め裏切り者として扱ったあの女にだけは一矢報いねばならない。まずはこの房から出なければ何も始まらない。
可能性がないわけではなかった。コードも決して一枚岩ではない。この都市では今、王位争奪戦を前に王族達がしのぎを削り、戦力を求めている。剣尾が取り入る勢力以外にも王族はいる。
特別房に入れられ、その中でチャンスを待ったが、なかなかこれぞという勢力はこなかった。
これまで何人か房に来る者はいたが、いかんせん弱すぎた。
組織が協力し剣尾が取り入る勢力は恐らく最大派閥、最低でもそれに準じる派閥の者でなければ手を組むに値しない。
結界ごとクリスタルに幽閉され、果たして何日経ったか。
王位争奪戦が近づいたのか、最近では様子を見にくる者も少なくなった。
久しぶりに空尾の元に通信が繋がったのは、半ばうんざりしかけていたそんな時だった。
『やぁやぁ、聞こえるかな? 《空》。まぁ、聞こえなかったら聞こえなかったでいいんだけど……』
それは、かつて武帝祭で突然雷で撃たれた時に匹敵するような衝撃だった。
結界維持のために最低限を残して眠りについていた意識が一瞬で覚醒する。
顔を上げ、ガラスの向こうを睨みつける。動揺で術式の構築が乱れ、大きくクリスタルが揺れる。
鉄壁の精神力で一月以上も不可侵の結界を張り続けた空尾の精神を乱す程の声。
それは、今もまだ悪夢に見る声だ。
何故、貴様が――《千変万化》がここにいる?
馬鹿げた行為で空尾を嵌め、宝具『大地の鍵』発動の濡れ衣を着せた男。与えられた作戦の重要性から考え、剣尾直属の部下であろうその男は言うまでもなく空尾の仇敵の一人だ。
目を開ける。歯を食いしばり、ガラスの方を睨みつける。心臓がどくりと強く鼓動した。
通信の向こうで息を呑む気配がする。
だが、《千変万化》の声は相変わらずのんびりした、悪く言えばなんにも考えていないような声で、よくわからない事を言った。
『もしもよかったら、なんだけど、解放してあげるから代わりに、協力してくれないかな?』
……は? 何を言っている、この男は?
一瞬、怒りを忘れた。怒りを忘れる程に、意味不明な言葉だった。
空尾が己を嵌めた剣尾の手下に協力するわけがないのは聞くまでもなく明白である。ボスの一人だった空尾が剣尾に迎合するなど、たとえ死に瀕していてもありえない事。
だが、その程度の事実を神算鬼謀で知られる《千変万化》が知らないわけがない。
怒りを抑え、その言葉の真意を考える。
《千変万化》は剣尾の命令で空尾を嵌め、失脚させた。剣尾は空尾を捕らえ、コード監獄にぶち込んだ。その空尾に
これは、つまり――。
空尾は唇を開き、久しぶりに声を出した。
「協力……だと? 貴様のバックにいるのは…………『剣尾』か?」
『!? ………………え……? 剣尾? 誰それ?』
まるで本気で何も知らないかのような声。その馬鹿げた演技に、空尾は確信した。
この男――今度は、剣尾を裏切るつもりだ。
そもそも、武帝祭での《千変万化》の行動はどう考えても頭のネジが数本飛んでいた。空尾が全力で止めなければ、今頃、《千変万化》の発動した『大地の鍵』は幾つかの国を無意味に崩壊させていただろう。
剣尾はとにかく強いが所詮は生粋の戦闘員であり、空尾の思考を完全に読み切った作戦を立案できる程の能力はないはず。
そもそも、あの時の《千変万化》の行動には躊躇いがなさすぎた。あんな馬鹿げた作戦を躊躇いなく実行できるのは作戦を考えた本人だけだろう。
さては剣尾め……《千変万化》をうまくコントロールできていないな?
褒美が足りていなかったのか、あるいは他に理由でもあるのか。
そもそもいくら命令だったとしてもボスを嵌めようとする《千変万化》の行為は組織に露呈すれば間違いなく処分される類のものだ。剣尾が相応の褒美を与えられなかった理由もわかる。
そして――それだけの作戦を取れる男ならば、上司を裏切るなど簡単なはず。
『協力したくなければそれでいいんだよ? どっちにしろ、反意があったら解放申請通らないし』
これは――好機だ。今解放されなければ、王位争奪戦の前に次のチャンスが来る事はないだろう。
《千変万化》は確かに仇敵だが、それよりも優先して対処すべき相手は剣尾である。それに、《千変万化》の権謀術数は空尾でも理解できない恐ろしいものだったが、味方になれば強い武器になるだろう。
判断にかけたのは数秒だった。怒りを抑え、ガラスの向こうを睨みつける。
『ッ…………わかった。解放しろ。この私が、力を貸してやる』
剣尾め……貴様に真の絶望を教えてやろう。
《千変万化》などというイカれた男を使い、空尾を嵌めテリトリーを侵したことを後悔させてやろう。
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