385 潜入③
声のまま前に進むこと数十メートル、その先にあったのは小さな部屋だった。
シンプルな部屋で、椅子と机のみが置かれた部屋だ。机を挟み、向かい合うようにして先程ゲートで僕に応対してくれた人と同じ制服姿の職員さんがふんぞり返って座っている。
高度物理文明の代物だなどと言っても部屋の構造的にはそこまで変わらないらしい。椅子やテーブルは金属製だけど――。
席につくと、職員さんが横柄な口調で言う。
「それではコードの市民登録を始める。コードの都市システムは外の世界とは異なる、最初は戸惑うだろうが、直に慣れるだろう。パスカードを提示しろ」
何をするのだろうか? 大人しくカードを差し出す。
職員さんはちらりとカードを確認すると、鼻を鳴らして聞いてきた。
「ふん…………名前は?」
「クライ・アンドリヒ」
……もしかして本名を言うべきではないのでは?
そう思い当たった時には、既に遅かった。
ここに入るのに使ったカードを机の上に置き、職員さんが唱える。
「市民登録、クライ・アンドリヒ。階級設定、クラス1」
「!?」
金属カードの表面に刻まれていた模様が不意に蠢き、文字を形作る。
クライ・アンドリヒの名前に、星の印が一つ。
目を見開き硬直する僕に、職員さんが面倒くさそうに言う。
「外の世界とは異なり、コードでは都市規約に則り、全ての市民に階級――クラスが設定されている。市民は都市システムにアクセスする権利を持ち、クラスが高くなればなるほど高度な都市システムを使用できる仕組みとなっている。外部からやってきた者は能力に応じてクラス1か2が割り当てられる。その判断は出入国管理官――つまり、この俺に委ねられている。お前は能力が低いため1に設定した。異論はあるか?」
「なるほど……特にありません」
さすが高度物理文明、ルールが現存する他の都市とはだいぶ違うね。探索者協会もコードのように優れた技術力を持っていたら僕のようなぼんくらをレベル8にする事はなかったに違いない。
使用できる都市システムが何なのか気になるなあ。
僕の答えに、一瞬職員さんは肩透かしを食ったようにぽかんとした表情をしたが、すぐに一つ咳払いをして言った。
「階級が上の者を相手にする際は注意する事だな。仮にクラス1の者とクラス2の者が争った場合、あらゆる面で都市システムはクラスが高い者の味方をする。クラスは星の数でわかるようになっている。あんたは星1だからクラス1、私はこの通り、星4だからクラス4だ。出入国管理官は業務の重要性からクラス4以上の者で構成されている」
「なるほど……わかりました」
言われてみれば、ゲートの近くにいた職員さん達が胸につけていたカードにも星が幾つも刻まれていた。
「…………この都市では、クラス1より下の者はクラス0――都市システムから市民として扱われない、下級民しか存在しない。カードを与えられたからと言って調子に乗るなよ? お前は、この都市では、最底辺にいる。もう気づいているかもしれないが、クラス1では都市内で魔術を使用する権限もない」
「なるほど…………ありがとう。ご親切に」
魔術を使用する権限、か。なかなか厄介そうな都市だな。
権限がない者が魔術を使ったら即捕まったりするのだろうか? 僕は魔術を使えないから余り関係ないけど……。
ぼんやりそんな事を考えていると、職員さんがあからさまに舌打ちをして、恫喝するような口調で言う。
「…………チッ…………そうだ。色々教えてやったんだ。礼はあって当然だよな? 何かよこせ」
「え? …………うーん……じゃあこれで」
仕方ないな。せっかく持ってきたけど、短剣でも渡そうかな。
幸い都市の中にはある程度の秩序はありそうだ。ちょっと邪魔だと思っていたんだよ。
腰から短剣を外しテーブルに置くと、職員さんが表情を引きつらせた。
「…………武器を躊躇いなく渡すとは、どういうつもりだ? 武器なしでどうやって戦うつもりだ!?」
「え……欲しいって言ったのはそっちなのに…………」
「…………くそっ。調子が狂うな。もういい、それを戻せ。仮にも戦力として引き入れたのに武器を没収したと知られたらこっちに飛び火するわッ!」
言い分が理不尽過ぎるが、確かに、よく考えてみたらそうだね……。
そして、最近人を集めている目的が戦力確保だという噂は本当だったらしい。
ぼりぼりと苛立たしげに頭を掻きむしっている職員さんに尋ねてみる。
「ところで一つ確認したい事があるんですが……………………僕はこれからどうしたらいいんでしょう?」
「!?」
一応、内部で依頼人との待ち合わせはあるが、街の地図もないし、お金もない。いや、ゼブルディアの貨幣は少しは持っているが、それはきっとコードでは使えないだろう。
できれば都市システムとやらの使い方も教えて欲しいものだ。宝具とは違うみたいだけど、何ができるのか少し興味がある。
「知るかッ! と言いたい所だが…………そうだな、基本的に今回コードに入った連中は王族の私兵として配属させると聞いている。優秀なメンバーの中には事前に話が通っている者もいるようだが……何か聞いていないか?」
王家の私兵……? 探協から貰った情報にはそんな話なかった。
だが、なるほど。王族を保護するにしてもどうやって近づくのか気になっていたが、道筋はできているらしい。依頼人がコードの運営に関わる上層部の誰かというのは真実なのだろう。
「……そう言えば、なんかそれっぽい事は聞いてますね」
「まぁ、あんたには同情するよ。総合評価4でここに送り込まれるなんて――せいぜい、強い王族に取り立てられる事を祈るんだな。まぁ、たった4なら逆に生き延びる確率もあるだろう。有能なら邪魔になる事もあるだろうが、その数値じゃ邪魔にもならないだろう」
「…………??? え? 強い王族?」
理解が全然追いつかない。王族は幽閉されていると聞いているんだけど、どういう事だろうか?
そもそも私兵って何するの? コードには強力無比な機装兵が沢山いるみたいだが――高レベルハンターと比べるのならばともかく、そこらのチンピラよりは機装兵の方が強いはずだ。
そして、4って何?
新情報の目白押しに混乱していると、職員さんはふと何か思いついたように目を見開き、にやりと笑った。
「いや、まて。そうだ、俺にいい考えがある。ちょうど総合評価の低い、誰も欲しがらないような無能を見つけたら送ってくれと、話がきていたんだ。あんた、それにぴったりだよ。連絡してやろう」
「え? あ、はい。お願いします」
…………なんだか分からないが、それはありがたいな。
まるで僕が来る事をわかっていたかのような要望じゃないか。
§
迎えがくるまで待つように通された部屋。分厚い窓越しに、コード市内を確認する。
上に歩いているつもりはなかったのだが、いつの間にか都市内部に入っていたらしい。
高度物理文明の宝物殿から分離したというコードの町並みはゼブルディアとはかけ離れていた。
無数に立ち並ぶ洗練された建物はその一つ一つが《始まりの足跡》のクランハウスと同じくらいの高さがある。
広々とした道路には金属の蜘蛛のようなものが高速で駆け回り、中には建物の外壁の上を走っているものもあった。もしかしたら、あれがこの街では馬車の代わりなのかもしれない。
どうやらこの都市がかなり高度物理文明の影響を色濃く残しているのは間違いないようだった。
金属の蜘蛛一つ取ってみても、帝都に持っていけば千金の価値がある代物だろう。あちこち走っているので生産工場か何かが存在しているのかもしれない。
まさか、こんな都市がこの世に存在していたとは――高度物理文明の宝具欲しいなとか言っている場合ではない。
これなら間違いなくスマホも手に入るだろう。時間ができたら是非探しにいきたいものだ。
そういえば、カイザー達は無事、コードに入れただろうか? まぁ、僕でも入れたんだから彼らならどうにかするだろう。
評価も僕より高いだろうし、きっと強い王族に雇われるはずだ(改めて考えてみても強い王族とか意味不明)。
合流は適宜行う予定だった。中に入ってからどのような状況に置かれるか不明だったからだ。
自由に動けるようになったらサヤやカイザーの方からコンタクトを取ってくるだろう。遅くとも依頼人と会う際に合流できるはずだ。
そんな事を考えていると、不意に部屋の扉がスライドした。
「貴女の要求通りの人材です。長年出入国管理の業務についていますが、総合評価4は間違いなく最低です。へへ……コード入りを許されるのは本来、有能な人間ばかりですからね。少々とぼけた男ですが、会話出来る程度の知恵もあります」
「ふん……それならば、いいのです。多少有能でも分別がつくのならば問題ありませんが、無能であるに越した事はありませんからね。これで、ちょうど『近衛』の規定数に届きます」
入って来たのは、クラシカルな丈の長いメイド服を着た女性だった。目つきはややキツめで、蜂蜜色の髪。胸元に星の印の刺繍が五つ施されている。
女性はずかずかと部屋の中に入ると、僕の全身をじろじろと無遠慮な目つきで確認し、手を二回叩いた。
「!?」
女性の眼の前に不意に黒い板のようなものが浮かび上がるように出現する。
こちらからは見えないが、そこに何か書いてあるのか。女性はしばらく中を確認していたが、やがて大きく頷いた。
「いいでしょう。見事な無能です。顔もまだマシなので使い道も多そうだ。貰います」
その言葉に、職員さんがぐっと拳を握る。
「よしっ…………お気に召したようで何よりです、オリビア様。それで、その……報酬の方は――」
「わかっています。振り込んでおきます。また何かあったら報告しろ」
そろそろ説明が欲しいなぁ。ぼんやりしている僕に、オリビアと呼ばれた女性が言う。
「来い。貴方には第二王女の近衛になってもらいます。拒否は認められません。わかりましたね?」
「あ、はい……」
!? 良くわからないがいきなり近衛になってしまった。
事情はわからないが、とりあえず今回の僕は運がいいのかもしれない。
僕に近衛が務まるかどうかは置いておいて、王女の近くにいれば保護する機会もあるだろう。
僕では無理かもしれないが、カイザーやサヤに集めた情報を渡すくらいはできるに違いない。
もしかしたら、今回の僕はいつもよりは役に立つのでは?
「ちなみに、王族って何人いるんですか?」
僕の問いに、オリビアさんは目を見開き、すぐに訝しげな表情を作った。
「本当にぼんやりした男ですね…………まぁ、いいでしょう。現在のコード王には、六人の子がいます。王子が四人、王女が二人、貴方が近衛を務めるのは一番末の娘――アリシャ王女殿下です」
「なるほどなるほど、六人ね…………多いなぁ。コード王に兄弟とかいるの?」
「……七人いましたが全員、亡くなっています。それが何か?」
「コードの王族って、それだけ?」
「…………何の話をしているんですか?」
「いや、ちょっとね…………」
どうやらそれだけのようだ。コード王と王子と王女で合計七人保護してコードから逃がせば任務成功らしい。
多いのか少ないのかはわからないが、三人で、この未知の都市から七人を脱出させるってかなり難しそう。
依頼人のサポートがどれくらい手厚いかにもよるだろうけど。
オリビアさんはしばらく考えていたが、首を横に振って言った。
「…………まぁ、何を考えているのかはわかりませんが、いいでしょう。クライ・アンドリヒ、禁止事項追加、私に不利益を与える発言と行動を禁じる」
「!?」
その言葉と同時に、僕の全身に僅かな痺れが走った。
結界指はつけているのに、何も発動しなかった。
戸惑う僕にオリビアさんは勝ち誇ったように言う。
「コードでは階級が全て。禁止事項の付与はクラス5以上の権利です。貴方は何を目論んでいたとしても、私の不利益になるような発言や行動はできません。これがコードを支配する都市システムです」
不利益になるような発言や行動が、できない、だって?
「……オリビアさんのばーか」
「!? そういう事じゃ、ありません!」
オリビアさんが苛立たしげに床を蹴りつける。
だが、これは…………まずいかもしれない。
都市システム、か。その言葉が真実ならば、僕達の依頼達成はかなり難易度が上がる事になる。
理屈はわからないが、例えば、攻撃が禁止されれば攻撃できなくなるかもしれないし、王族への接近が禁止されれば保護も難しくなるだろう。
さっきの魔術が使えないというのも、使ったらペナルティではなく使用自体できないのかもしれない。
セレン……立場を交換しなくて本当によかったね。
黙り込む僕にオリビアさんが言う。
「来い、貴方をおひいさまの元に案内しましょう」
まぁ、いいか。考えようによっては、相手を縛れるという事は、警戒されないという事である。どうせ僕などまともに動けたところでそんなに役には立たないのだ。
依頼の達成は遠のいているが、宝具の購入は近づいている。悩んだって、どうせなるようにしかならない。
僕は気を取り直すと、早足で部屋を出るオリビアさんを追いかけた。
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