373 威光

 唐突に現れたセレンに、ラウンジ内は凄い空気だった。

 特筆すべきはガークさんとフランツさんで、まるで油の切れた機械のような動きで後ろを向くと、そのまま一言も出さずに凍りついている。こちらから表情が見えないのは幸いだろう。


 セレンはそんな二人の様子も眼に入っていないのか、ラウンジを物珍しそうにきょろきょろしながら近づいてきた。


「なんという、不思議な臭い。これが…………ニンゲンの国なんですね。それに、この建物も――樹を使わずにこんなに高くするなんて………………何故!?」


 何故とか言われても困る。どうやってとかじゃないんだね。


 そして、さてはセレン…………クランマスター室に転移してきたな?

 僕がセレンに送ってもらう際、セレンは転移魔法を使う前には事前に転移先を確認して指定するのが大変だと言っていたので、今回はその手間を省いたのだろう。もしかしてこれからもクランマスター室に飛んでくるのだろうか? ……いや、別に構わないけどね。


 しかしそれにしても、僕が予想したよりも随分早い。

 服装をじろじろと確認し、眉を顰めて言う。


「更地になったユグドラの復興はどうしたの? どうやら…………快適では、ないみたいだけど」


「指揮はルインに任せてきました。それに、ユグドラの魔導師は皆、優秀ですからね。むしろ、視察は皇女たる私にしかできない仕事なわけです」


 胸を張り堂々と断言するセレン。


 そうですか…………遊びとか言いかけていたけど、まあ本人がそういうのならばそういう事にしておこう。

 ユグドラの魔導師達が優秀かどうかはともかく、セレンへの忠誠心だけは間違いないし、脅威がなくなった今、むしろセレンは自由に動けるという事なのだろう。



 細かい事は今は置いておこう。出てくるタイミングが酷いけど、来てしまったものは仕方ない。ポジティブにいこうじゃないか。


 護衛がいなくて外に出られなかったのだ。セレンならば護衛として十分である。


「仕方ないなあ。視察したいなら帝都を案内してあげよう。甘いものは好きかな? とっておきの店を教えてあげるよ。宝具の店とかもあるよ」


「…………ニンゲン、その提案、ありがたく受け取ります。しかし、一応言っておきますが、私は遊びに来たわけではありません。それだけは忘れないでください」


 セレンが上機嫌そうに言う。やっぱり好奇心強いよなあ。


 ガークさんとフランツさんはこの期に及んで、未だ完全に蚊帳の外だった。相変わらず一言も口を開いていない。ここまで思考が停止している二人を見るのは初めてだ。

 カイナさんやフランツさんの部下達も固唾をのんで僕とセレンのやり取りを見守っている。


 帝都に転移してきたユグドラの皇女は二人にとって酷くセンシティブな問題だろう。

 明らかな不法入国なのだが、何しろどこに存在するのかも不明なユグドラの皇族である。正当なクレームを入れて開きかけていた国交がなくなっても困るのだ。


 そして、僕がまだ怒鳴りつけられていないのも――ユグドラのトップの前で僕を叱るわけにもいかないという事だろう。恐るべし、セレン。


 硬直していたメンバーの中で真っ先に声をあげる事に成功したのは、僕の隣に座っていたエヴァだった。


 彼女には自覚があるのだ。僕の代わりにクランの利益を追求しなくてはならないという責任と自覚が!


「あ、あの………………クライ、さん? まさか、そこの、御方は――」



 その言葉に、ようやくセレンの視線が僕から外れ、エヴァを見た。


 まるでなんでそこにいるんだろうとでも言わんばかりの不思議そうな表情。

 ガークさん達がセレンの急な登場に完全に凍りついていたのはまあ仕方ないが、こんなに人がいるのに僕以外を完全に無視していたセレンはやはり根底にあるものが人間とは違っている。


 まぁこのままずっと二人でやり取りするわけにはいかない。


「あぁ、話していたユグドラのトップ――セレンだよ。セレン、彼女は僕の右腕のエヴァだ。僕が好き勝手やってクランが駄目にならないように代わりに頑張ってくれている。用事があったらエヴァに言うといい。協力してくれるよ」


「え!?」


「好き勝手やってクランが駄目にならないように…………あぁ」


 セレンは何かを納得したように頷くと、急な振りに固まるエヴァに見惚れるような笑みを浮かべて言った。


「初めまして、セレン・ユグドラ・フレステル。世話になります」


「こ、こちらこそ……ご紹介に与りました、エヴァ・レンフィードです。何かありましたら、クライさんに代わって対応します」


「優秀なのですね。覚えました」


 よきかなよきかな。そして、どうやらセレンは僕からの紹介があればちゃんと他の人も認識するようだな。


 皆の判断力が低下している間に紹介をやってしまおう。セレンの今後の活動には僕は役立ちそうにない。仕事を押し付けるスキルについては僕は他の追随を許さないのだ(丸投げとも言える)。


 僕は立ち上がると、固まっているガークさんの方にまわり、その肩をばんばん叩いてセレンに言った。


「そしてこの人が探索者協会帝都支部長のガーク・ヴェルター。ユグドラに支部を作る話をする時とかはこの人としてよ。そうだな……強いて言うなら、僕の左腕みたいな感じだからさ。はは……」


「!? お、おい、こら!?」


「わかりました」


 慌てたように立ち上がりかけるガークさんにも一切疑念の眼を向けることなくセレンが頷く。なんだか刷り込みでもしている気分だ。

 そして、僕は最後にフランツさんの肩に手を載せて言った。


「そして、この人がフランツさん。ゼブルディアの偉い人だ。何か問題が起こったら解決してくれるはずだよ。僕も色々お世話になってるから、困った事があったらフランツさんに言えばいいよ。入都申請も誤魔化してくれるし……」


「ッ…………あ、あぁッそうだなッ」


「わかりました。それで……そのニンゲンは、どの腕なんでしょう?」


「!?」


 目を瞬かせ素朴な疑問を挙げてくるセレン。少し天然が入っていた。


 どの腕って……人には腕は二本しかないんだよ。僕は息が詰まったような声を上げたフランツさんを見下ろし、首を傾げて答えた。


「えーっと…………左の手首、くらいかなあ?」


「左の手首……覚えました」


「!?」


 覚えられてしまった…………いや、でも、急にそんな事言われてもうまく答えられないって。

 何も言わないが、フランツさんの額に血管がぴくぴく浮いている。またやってしまったな。


 ガークさんは今すぐ皇女を連れてこいとか言っていたが、本当にいきなり来てしまったらそれはそれで困るだろう。何分急すぎるし、調整しなくてはならない事もあるはずだ。


 僕は場を誤魔化すように笑顔で言った。



「そ、それじゃ、さっそく帝都を案内するよ。ガークさんやフランツさん達も少し考える時間が必要だろうし。エヴァも話聞いといて、僕は時間稼ぎするから」


「!? お、おい、ちょっと待て、それは――」


「!! 話が早くて助かります。ニンゲンの街や文化を知らねば何もできませんからね」


 フランツさんがあげかけた言葉に被せるように、セレンがキラキラと目を輝かせて言う。


 ……もしかして駄目だった? 今日、タイミング悪すぎるな。



 現実逃避気味に笑みを浮かべる僕に、フランツさんが真っ赤な顔でさっさと行けと言わんばかりに手振りをするのだった。







§ § §







 帝都ゼブルディア。大通り沿いに存在する宿の二階の一室で、ズルタンは探索者協会本部と繋がる共音石を使い、報告をあげていた。


「はい。余りにも荒唐無稽な話で――信憑性はかなり低いかと。《千変万化》の口調には重みが足りていなかったというのが実際に話を聞いた我輩の正直な見立てです。同席したガーク支部長やフランツ卿の評価も我輩と同じ様子でした。ユグドラ関連には何度もしてやられてますからなあ」


 大きな窓からはさんさんと光が差し込んでいた。帝都ゼブルディアは聞きしに勝る盛況っぷりで、通りには小さな都市ならば祭りの日でもなければ見られない程の人が行き来している。この国の発展の一翼をトレジャーハンターが担っているのは周知の事実だ。


 だが、そのトレジャーハンターの活動の根底を支えているのは、探索者協会だ。


 探索者協会が管理したからこそ、トレジャーハンターは近年の地位に至った。

 情報共有。仕事の斡旋。教育に、自治。トレジャーハンター全員に問題があるとは言わないが、ズルタンから言わせてもらうと、ハンターというのは雑すぎるのだ。


 共有される出処が不確かな情報に、実力の過剰な自己申告。腕っぷしのみが物を言うと勘違いしている犯罪者崩れのハンターも未だ大勢いる。探索者協会の認定するレベルが社会から信頼を得るまでも随分かかった。


 先達の活躍もあり、トレジャーハンターの地位は既に揺るがないように見える。だが、それは勘違いだ。


 中でも探索者協会の持つ信頼性を揺るがせかねないと危険視されていたのが、ユグドラ関係だった。


 ユグドラ。世界の中心に存在するという伝説の都。

 精霊人達の証言から存在は確実だとされていたが、訪れた事がある者はほとんどいなかった。その都市には数多の希少な自然素材が存在し、高度な魔術技術を有する精霊人達によって高い文明が築かれていると言われている。


 誰もがその都の情報を求めた。国家規模でその都市の探索計画が実行された事だって何度もある。


 だからこそ、その都市の情報は価値を持った。


 問題なのは、これまで何度もハンターがユグドラの情報を持ち込み、その全てが誤りだったという点だ。

 それでも、持ち込まれた情報が表に出なかったのならば、内々で誤りと判断できたのならば、問題はなかった。


 だが、その中には、情報を真実だと認定してしまったパターンも存在していた。


 持ち込まれた情報への信頼を担保するのは探索者協会の役割だ。不確定な情報はしっかり調査しているからこそ、探索者協会は信頼されている。


 それは、探索者協会の根底を揺るがす失態だった。


 ユグドラというビッグネームの前には探索者協会の支部長とて眼が曇る。なまじ情報に価値がある分だけ、功を焦ってしまう。


 二度とそのようなミスを許すわけにはいかない。だからこそ、現在ではユグドラ関連の情報は調査部預かりとなるのだ。

 探索者協会を騙そうと仕組まれた情報を見破るのは困難だからこそ――。


 そこで、ズルタンは報告に付け足した。


「まぁ、ですが……レベル8の報告としては余りにもあからさまで杜撰な報告だったのも事実。何か別の狙いがあるのかもしれません。推移を見守り、結果が分かり次第また報告を」


 例えば――ユグドラの情報を狙う組織を一網打尽にするための餌にしようとしている、など考えられるだろう。

 データベースの情報によると、《千変万化》はこれまで幾つもの組織を潰している。探索者協会としては、信頼の根底を揺るがすような囮を使うのは到底許されない行為ではあるが、《千変万化》が何も考えないアホだと考えるよりはそちらの可能性の方がずっと高いはずだ。


 共音石の接続を切り、ズルタンはため息をつく。

 最悪な状態になるのは未然に防げたとはいえ、ユグドラに支部を作るという話がなくなってしまうのはズルタンとしても残念でならなかった。


 所属ハンターの言葉でフランツ卿の手を煩わせてしまった事についても、改めて謝罪しなくてはならないだろう。レベル9審査についても、これではまず通らない。レベル9審査を通すにはミスなく莫大な功績を挙げなくてはならないのだ。


 今回の件で探索者協会は、大国ゼブルディアの心象を落とし、ユグドラに支部を作れず、新たなレベル9候補を失った事になる。大損な上に、これからズルタンは《千変万化》のこれまでの功績が妥当かどうか洗い直さなくてはならない。

 低レベルならばともかく、レベル8の信頼が揺らぐとはそういう事。それは少し考えるだけでうんざりするような仕事だった。


 唯一、ズルタンにとっての僥倖があるとするのならば、ずっと一度は訪れてみたかったゼブルディアに来られた事だろうか。

 魂が抜けるような長いため息をつき、窓の外を見下ろす。





 そして、ふと大通りを行き来する人々が立ち止まり、一方向を見ている事に気づいた。



 大きく見開かれた眼。中には口をぽかんと開けている者もいる。

 馬車が何台も急に止まり、乗っていた人々が慌てたように馬車から下りる。往来に発生したザワツキはまたたく間に膨れ上がり、二階から覗くズルタンにもはっきりわかる規模になる。




 一体何が起こっているんだ?




 戸惑いながらも、窓を開き大きく身を乗り出し、皆が見ている方向を確認する。




 そして――ズルタンは一瞬、我が眼を疑った。


 心臓がどくんと強く打ち、背筋に冷たい何かが奔った。

 思わず更に窓から身を乗り出し、眼を最大まで見開く。見たものを、見てしまったものを、改めて確認する。


 そこにあったのは――人の群れだった。何十人もの人の群れ。

 通りすがりの人々を吸収し大きくなるそれはまるで波のようでもあり、パレードのようでもある。


 そして、その先頭に立っていたのは、先程別れたばかりのレベル8ハンター、《千変万化》だった。


 だが、一人ではない。


 ざわめきの中、不思議とその声ははっきりと聞こえた。


「なんて数――まさか、こんなに沢山ニンゲンがいるなんて、信じられませんッ! しかも皆ついてきますよ、ニンゲン!」


「な、なんでだろうね……不思議」




 声をあげたのは《千変万化》の隣を歩く女性だ。《千変万化》が相変わらず気が抜けるような声で相槌を打つ。


 それは、この上なく美しい妙齢の女性だった。だが、ただの女性ではない。


 精霊人だ。だが、ただの精霊人でもない。



 ズルタンは探索者協会本部の人間として、何度も精霊人と会ったことがある。



 格が違った。存在の格が。

 見る目には自信がある。ズルタンにはわかる。きっと、人々も本能的に感じ取っているのだろう。その細身に秘められたどうしようもなく惹き寄せられる輝き。それこそが、人の波が出来上がった原因。



 ユグドラを支配するという、精霊人の皇族。高位精霊人ハイ・ノウブル



 あ、ありえないッッ!!




「あ」


 ふと視界が回転し、地面が迫ってくる。

 身を乗り出しすぎて窓から落ちたのだとズルタンが認識したのは、全身に強い衝撃が奔ったその後だった。

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