309 嘆きの亡霊は引退したい⑦

 精霊人ノウブル呪術師シャーマンを迎え入れる手はずを部下達に任せ、帝都に帰還する。

 フランツを待っていたのは、怪物出現の報に大混乱に叩き落とされた帝都だった。

 騎士団のメンバーの大部分を精霊人を迎え入れるために使ったのが失敗だった。かろうじて帝都に残していたメンバーから状況を確認する。


「ッ…………失態、だ。一体、何が起こったというのだッ!」


 全力で情報をかき集めるが、余りにも意味不明だった。

 突如現れた屋根を飛び回る巨大な猿の怪物に、帝都教会への襲撃。マリンの慟哭と黒騎士が封印から解き放たれ、下水からドラゴンが現れ? 猿が竜に変わり? ゼブルディア魔術学院と剣聖の道場を襲撃して――最後にドロドロに溶けた?


 脈絡が全くわからない。わかるのは、状況がかなり最悪に近いという事だけ。マリンの慟哭が解き放たれただけでも最悪なのに、その事実が完全に霞んでいる。


 怪物は暗雲を伴い移動していたと言うのだから、恐らく予言の対象はマリンの慟哭ではなく、そちらだったのだろう。


 その怪物に歴史あるゼブルディアの町並みを闊歩されたというのだから、帝国を守る者として死んでも死にきれない。

 もうめちゃくちゃだ。頭を抱えながら、部下に叫ぶ。


「皇帝陛下に、なんと報告したらいいのだッ! せめて、何が起こったのかくらいは纏めねば――くそッ……状況をしっかり理解している者はいないのか!? 被害はどれだけ出た?」


「は、はい! どうやら怪物に重さはほとんどなかったようで、足場にされた街の被害は軽微。直接襲撃を受けた教会とゼブルディア魔術学院、ソーン流剣術道場のみ、被害甚大です。ハンター達が交戦しましたが怪物は足が速かったらしく――」


 どこから現れたのかはわからないが、怪物に帝都への侵入を許してしまったのは騎士団の落ち度だ。万全に万全を期したつもりだったが、まだ甘かった。

 だが、あれ以上警戒を厚くするのは不可能だったのも事実――と、そこまで考えた所で、フランツは頭を切り替えた。今なすべきは後悔ではない。これ以上の被害を食い止めるのだ。


「死傷者はどのくらい出た? 怪物は今どこにいる?」


 問題はそこだ。巨大な怪物が帝都を闊歩したともなれば相応の死者が出た事だろう。そして、まずそのアーク・ロダン達でも食い止められなかった怪物をどうにかできなくては、責任問題が発生する前に、帝都は終わりだ。

 努めて平静を保ち尋ねるフランツに、騎士は困惑したような表情で答えた。


「はい。それが――現在確認中なのですが、不思議な事に、死傷者はほとんど出ていないみたいで――」


「あぁ!? そんな、馬鹿な話あるかッ!」


 死ねというわけではないが、帝都を大混乱に陥れる程の怪物が出てそのような結果はありえない。

 語気荒いフランツの言葉に、部下は顔を強張らせながらも報告を続けた。


「い、いえ、本当です。そして、肝心の怪物なのですが――消失して、それ以降、確認されていません」


「!? ………………どこで消えた?」


 もう何をどう判断して良いのかわからない。状況は良いのか、悪いのか。全てを聞いて総括して判断を下さねば――。


「はい。クラン《始まりの足跡ファースト・ステップ》のクランハウスです」


 《始まりの足跡ファースト・ステップ》のクランハウス……だと!?


 予想外の言葉に目を見開くフランツの懐で、不意に共音石が震える。ラピス達に渡したものと繋がっている石ではなく、占星神秘術院と繋がっているものだ。

 慌てて取り出し、共音石を起動する。占星神秘術院からの速報に、今度こそフランツは凍りついた。




「予言が…………消えた?」









§ § §


 





「…………パー……ティ?」


 広大な砂漠の地下。運悪く流砂に飲み込まれた先にあった前代未聞の宝物殿の前で、その変わり者の精霊人は、チョコバーを齧りながらゆっくりと目を瞬かせた。


《嘆きの亡霊》は幼馴染達で作ったパーティだ。僕たち六人は良くも悪くも、昔から気心が知れていた。

 元々、トレジャーハンターというのは六人一組のパーティを組むのが一般的だ。役割的に必要なメンバーは揃ってはいるものの、僕というお荷物がいるうちのパーティは他のパーティと比べて隙が多い。

 メンバーの追加は帝都にやってきて、《嘆きの亡霊》の活動が軌道に乗ってからの――いや、軌道に乗る前からの課題の一つだった。メンバー募集はそれまで何度かしていたが、《嘆きの亡霊》についていける程のハンターは大体所属パーティがあるし、我が強く性格が合わない事も多い。猪突猛進で栄光のロードを駆け抜けていくルーク達と付き合っていくには実力は当然として、ある程度の寛容さは不可欠だ。


 遭難した先で遭遇したそのエリザ・ベックというハンターは僕の要求を全て満たした稀有な存在だった。

 ソロで活動し、たった一人で流砂に飲まれて一切焦りを見せないその泰然とした態度。あまつさえ遭難先でお昼寝を始めてしまうマイペースさに、これまで会ったどの精霊人とも違う人当たりの良さ。

 実力は未知数だが、きっと彼女ならば《嘆きの亡霊》のパーティにもうまく馴染めるに違いない。何より、こんな所で遭難している辺り、凄く共感があるし、彼女がパーティに入ったら僕がお昼寝していても目立たなくなるはずだ。こう、調和が取れている。


 打算が含まれた僕の勧誘に、エリザはしばらく沈黙して首を傾げた。


「………………なんで?」


「チョコバーあげたじゃん。それに、いつでも抜けてもいいし、一人でハントするよりも楽しいよ? 何より、安全だ」


 どうやらさすがに突然のパーティ勧誘は受け入れづらいところがあったらしい。特に、女性のハンターはそういう手段で狙われる事もあるらしいのでやむを得ないと言える。

 エリザは僕があげたチョコバーをぼんやりと見下ろし、落ち着いた声で言う。


「…………探している…………物がある」


「一緒に探してあげるよ! 得意だから!」


 何を探しているのかは知らないが、リィズ達ならばきっと見つけられるはずだ。適当極まりない事をハードボイルドに言う僕に、エリザはとても眠そうな眼差しを向けていた。


 その後、エリザは別に遭難したわけではなく別ルートで宝物殿にたどり着いていたという驚愕の事実が判明したり、知る人ぞ知るハンターだという事がわかったり、何より卓越した危機察知能力を持っていてパーティに入るよりソロで動いた方がずっと安全である事がわかったり、色々あったが、全ていい思い出だ。

 なんだかんだ、これまで脱退の話が出た事もないし、パーティにも馴染めているようだ。唯一の誤算だったのは彼女が入っても別に僕のサボりが目立たなくなったりはしなかった点だが、そこまで求めるのは贅沢というものだろう。





 そして、クランマスター室のゆったり椅子に腰を下ろし、身体に入った力を全て抜くべく僕は長い長いため息をついた。


「いやー…………今回ばかりはもうおしまいかと……」


「………………クライさん、毎回同じ事言ってませんか?」


「エヴァが引き上げてくれなければ永遠に闇の世界だったよ。あの宝箱、暗いね」


 エヴァがいると日常に戻ってきたような心地がするな。


 どうやらあの呪いで本当に打ち止めだったらしい。一夜明け、帝都には少しずつ平和が戻りつつあった。

 まだ新聞を確認すると騒動の話でもちきりだが、時間が経てば収まるだろう。フランツさんが戻ってきたらなんとかしてくれるはずだし、この程度の騒動、慣れている。

 記事の中で具体的な話が何も書かれていないのはセンシティブな内容だからだろう。教会や魔術学院、《剣聖》の道場まで関わっている他、フランツさんが元々予言関係で動き回っていた事もあり、さすがにメディアも配慮したように見える。幸いな事に、騒動の大きさとは裏腹に破壊の規模はそこまで大きくなかったらしい。奇跡的に死傷者もほとんどいなかったらしいのが本当に驚きだ。


 だが、エリザがあの時、みみっくんに食べられていなければ相当やばい事になっていた。僕達が戻ってくる前に偶然ラウンジにやってきてみみっくんを見つけ、罠にかかって食べられたらしいが、本当にエリザもみみっくんもいい仕事をしてくれる。

 ティノも無事だったし、エリザも探していたものを手に入れご満悦だ。呪いの精霊人も……エリザのつがい発言を受けてから出てきていない。今更だけど、あれ、凄い機転だね……。



 だが、幾つもの不運と幸運が混じり合いなんとか落ち着くべきところに落ち着いたが、何か一つでも噛み合わなかったら二度と陽の光を浴びることはできなかっただろう。

 今回ばかりは疲れ果てた。一晩眠っただけではこの精神的、肉体的疲労はとても取れない。一ヶ月くらいゆっくり眠りたいくらいだ。しばらくみみっくんの中にでも住もうかな……。


 そんな事を考えていると、エヴァが右手薬指から、結界指を抜き、机の上に置いた。


「そういえば……クライさん、これ、ありがとうございました」


「ん……?」


 目を見開く僕に、エヴァが深々とため息をつく。僕も大変だったが、どうやらエヴァにもだいぶ疲れが溜まっているようだな。


 どうして指輪を返されるのかわからないのだが――目を丸くする僕に、エヴァが乾いた笑いを浮かべて言う。


「借りていたそれのおかげで、あの『呪い』の影響を受けずに済んだのです。ラウンジで修理箇所のチェックをしていたら、いきなりクライさん達が現れて、飲み込まれてしまって――私、もう終わりかと……」


 …………まさかエヴァ、あの時、ラウンジにいたの?


 今更、背筋に冷たいものが走り、どくんと心臓が強く鳴る。全く気づかなかったが――確かに、リィズではなくエヴァが引き上げてくれたのは意外だったけど――。

 本当に、備えはしておくものだ。散々迷惑をかけておいて、エヴァに何かあったら死んでも死にきれない。


 僕は机の上の結界指を摘みしばらく眺めていたが、すぐに机に戻してエヴァに差し出した。


「あげるよ、福利厚生だ。チャージはルシアにやってもらうといい」


「……え!? 福利――い、いりませんよッ!」


「そう言わずに、また次何かあった時に役に立つかも知れないから……」


「…………そういう機会、ないようにしてください。ほんっとうに、お願いします」


 さてはエヴァ……僕に何らかの思惑があって結界指を預けたと思っているな? そんな事ないよ。僕は、何も考えていない。

 今回も持っていた結界指を全て消費するような目にあってしまったし、一個くらい増えたところで何の意味もないだろう。


 憮然としているエヴァの手を取り、指輪を嵌めてあげる。これでエヴァは安全だ。

 しかし……今回僕がやった事でいい結果に繋がったのは、もしかしてエヴァに結界指をあげた事くらいでは?


 真剣に考え込む僕に、指輪を擦っていたエヴァが視線を泳がせ、話を変えるように言った。机の片隅に置いてあるクマのぬいぐるみを指差す。


「…………そういえば、そのぬいぐるみ、なんですか? 随分年代物みたいですが」


「みみっくんの街で拾ったんだよ。いいでしょ?」


「またおかしなものを……………………い、いや、それって、もしかして――」


 ボロボロでクタクタのクマのぬいぐるみだ。そこかしこが解れ、元はライトブラウンだったであろう毛皮は、そこかしこが黒ずみ汚れている。目と腕も片方取れていて、かなり痛々しい。

 一緒に落ちていた十字架のペンダントをこうして首にかけてあげれば………………呪いの二点セットの完成です。


 恐らくそれは、『マリンの慟哭』の本体だった。ペンダントの方は見覚えのあるものなので、恐らく間違いない。

 呪いがまだ残っているかはわからないが、最後に何故か守ってくれたし、ついつい持ち帰って来てしまった。その場のテンションで行動してしまうのは僕の悪い癖だが、今のところ呪われている気配もない。


 人差し指を立て、驚異的な洞察力で何かを察した様子のエヴァに言う。


「皆には秘密だよ」


「わ、わかりました」


「今度、じゃぶじゃぶ洗って日干しするんだ。でもまずは内臓を入れ替えないと――」


 腕と目も付け替えて、シトリーにオーバーホールしてもらおう。ぬいぐるみ型宝具も割とポピュラーな分野である。宝具の改造は不可能だが、ただの呪物ならば可能だ。きっとマリンも大喜びだろう。

 にこにこ話す僕の前で、不意に触れてもいないのにぬいぐるみがパタンと倒れる。エヴァが大げさにびくりと震える。


 残された腕がまるで救いを求めるようにこちらに伸びている。僕はため息をつき、ぐったりしているぬいぐるみを起こしてやった。




「………………どうやら内臓はそのままの方がいいみたいだな」

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