222 愛好家②

 何を言っているんだ、この男は……?


 現れたボスの突拍子もない言葉に、ガフが仮面の下で眉を顰める。各々狐の面を被った他の面々も戸惑ったようにざわついていた。


 『九尾の影狐』は集会時に各々狐の面を被る習わしだ。確かにガフ達が被った仮面はイミテートだが、それを狐面愛好会などと揶揄された事はこれまで一度もない。


 肩を竦めてみせる男からは一切凄みというものが見られないが、その仮面だけは尋常ではない気配を発していた。

 揶揄されても集められた者たちが物申さないのはその仮面が持つ本物の凄み故だろう。


 組織に於いて上位メンバーの言うことは絶対である。もしも上位メンバーが狐面愛好会などと言ったのならば、ガフ達は鋼鉄の意志を以て狐面愛好会にならねばならない。


「あ………………写真とっていい?」


 狐面がポケットから板を取り出す。噂で聞いたことがある、スマートフォンと呼ばれる宝具だ。希少で高価で、並大抵の者が持てる品ではない。


 あまりにも態度がボスに似つかわしくないが、その者がボスかどうか判定するのはガフではない。

 ガフは計画のために付随していた狐神の巫女を見る。


 狐神の巫女は組織でも特別な役割を持つ者だ。組織設立のきっかけとなった狐の神を奉じるその者達は秘密主義故に発生しうる柵をその眼で正確に判断する。


 どういう手段を使ったのか、うまいこと目的の人物を連れてきた巫女が目を瞑る。


 ガフはこれまで狐神の巫女を何人も見てきたが、目の前の巫女は明らかに年若かった。即座に判断を下すはずの巫女のその態度に、じっと控えていた他のメンバーたちも動揺している。

 巫女達への対応に細心の注意と敬意を払うのが組織の掟だ。七本の地位になってもその掟は変わらない。


 だが――不敬になるのでとても口には出せないが、やはりもっと経験豊富な巫女を要求するべきだったか? 本来ならばこんな事態考えていなかったので、精鋭の巫女を入れるなんて考えもしなかった。そもそも、人数も少ないのだ。


 一抹の不安が過るガフの目の前で、巫女が目を見開く。

 そして、神聖な事でも告げるかのように宣言した。





「跪きなさい。白狐様の御前です」




 その宣言に、ガフは即座にひざまずいた。他の面々も同様だ。

 白狐は称号である。大幹部に与えられる狐面に因んでつけられた称号だ。


 巫女がそう判断した以上、これまでの動きに対する不審など関係ない。組織の中ではかなり上の方にいるガフとて、大幹部にここまで近づくのは初めてだ。

 かつてガフが会った相手ではないようだが、白狐と呼ばれる大幹部が何人か存在しているのは知っている。


 一斉に控えたガフ達に、大幹部はあからさまに戸惑ったような声をあげた。


「!? 何? なんで急にひざまずくの!?」


「これまでのご無礼をお許しください、白狐様」


「白狐ってこの仮面の事? そんな、皆が跪く程珍しいものだったの?」


 空気が張り詰めた。本気で不思議そうな声だが、本気なわけがない。

 怒っている。間違いない。

 おそらく、ガフ達の理解があまりにも遅すぎた事が気に障ったのだろう。仮面の真偽を疑ったのはまずかった。だが、本物を見たことがあるガフが疑ってしまう程、その白狐の態度は大胆不敵だったのだ。


 組織では無能は切り捨てられる。世間一般で名の通った者が組織では無能認定されるなどよくある話だ。

 いつも泰然としている狐神の巫女の表情も少しだけ緊張しているように見えた。


「まぁそりゃ、珍しいか。でも、困ったな。事情が全然わからないよ、僕は狐面愛好会じゃないし……武帝祭に行かないといけないんだけど……」


 心臓がまるで握られているかのように痛んだ。

 ボスの判断すらつかないお前らなどいらない。痛烈な皮肉に、誰もが息を殺している。

 この中では一番尾の多いガフが声を上げねばならない。必死に舌を動かし、進言する。


「ボス、既に我々、『狐面愛好会』も武帝祭に乗り込む計画は立てています。よろしければ案内しましょう」


「ボス……? あー、そうなんだ。好意はありがたいんだけど、でも僕も仲間と来ててね」


 ガフは知らなかったが、どうやら別働隊がいるようだ。

 ガフの計画が失敗に終わった時の事を考え精鋭を配置しているのか、あるいは大幹部が同行するような別の計画があるのか――だが、このままではガフ達が粛清されかねない。

 押し殺すような声で言う。


「現地で待機しております。何か御用があれば何なりとお声がけください」


 果たして首の皮一枚で繋がったのか。ボスは困惑したように沈黙していたが、まるで仕方ないと言わんばかりに頷いた。


「ああ、そうだ。記念に写真撮っていい? こんなにたくさん狐面が揃っているところは珍しいからさ」





§




 神狐の巫女、ソラ・ゾーロは初めての仕事に、緊張に引きつりかける表情を必死に留めていた。

 由緒正しい神官の家系に生まれたソラは当然、幼少のみぎりから巫女になるべく育てられた。厳しい訓練も積んでいる。

 だが、狐面の真偽を判定する機会などそう何度もあるわけがない。一族の中には一度も見ることなくお役目を終えた者だっている。


 神から選ばれ、その遺物を与えられた【九尾の影狐】のボスはソラ達にとって付き従うべき相手だ。

 その前に立つのは非常に名誉な事だが、まだなりたての巫女であるソラにとって重荷だった。


 判断が遅れたのは、自分の判断がどこまでも重いものだからだ。組織のメンバーは巫女の言葉を疑わない。だからこそ、奉じる神の名にかけて真偽判定を誤る事は絶対に許されない。


 隣に立つ青年の仮面は間違いなく本物だ。神官を担ったソラの目は一種の魔眼である。普通の目よりも読み取れるものが遥かに多い。

 白狐の仮面を見誤る事など絶対にありえないし、たとえ魔眼がなくてもその仮面から放たれているプレッシャーは尋常ではない。


 だが、それに反して仮面を被った青年からは一切の力が感じられなかった。今も楽しそうに写真を撮っているが、その身から放たれている力は――信じられない程、弱い。

 何度目を凝らしても、何も読み取れない。これまでソラが見てきた中ではぶっちぎりで最弱だ。その辺の一般人を連れてきた方が強いくらいである。何という――強力な隠蔽能力だろうか。


 ソラの仕事は付き従う事だ。緊張に震えかける手を鍛え上げたポーカーフェイスで封じ込め、厳かな声色で告げる。


「白狐様はドラゴンの贄を求めています」


「ドラゴン……!?」


 今集まったメンバーの中では白狐を除いて一番上の地位にあるガフが愕然とつぶやく。その瞳がソラに真意を問いているが、真意など知るわけもない。

 最強の幻獣であるドラゴンも、組織の力を動員すれば狩るのは難しくない。だがそれは近くに生息していればの話だ。


 強力な幻獣が生息しているのは大抵、地脈の上――マナ・マテリアルが溜まった人外魔境である。町の近くにいるわけがないのだ。

 だが、ガフは無理難題を受けても不平不満一つ言わず、理由も問わず、後ろを振り向いた。


「この近くにドラゴンの生息地はあるか?」


 皆が首を横に振っている。心臓が凍りつき、ポーカーフェイスが崩れかける。

 まずい……ソラはドラゴンを用意すると言って白狐様を連れてきたのだ。あの時は焦っていたので用意できなかった時の事を考えていなかったが、どんなペナルティがあってもおかしくない。


 歴代の巫女の中には白狐様の機嫌を損ねて殺された者もいる。ぎゅっと拳を握るソラに、白狐様は慌てたように言った。


「あ、ああ、仕方ないな。ドラゴンが取れないなら、屋台で売ってたチョコとアイスの奴でもいいよ」


「今すぐ買ってこいっ! あるだけだ!」


 薄暗闇の中、ガフの命令を受け、手近に控えていた狐面が数人、駆け出す。


 秘密組織なのにこんなに目立って大丈夫だろうか?

 自分の失態の結果に現実逃避気味に固まるソラの前で、ガフが大きな袋を取り出し、立ち尽くす白狐様に差し出した。


「そうだ、ボス。こちらが、例の宝具になります。お納めください」




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