196 最高の仲間③

 一体何が起こっているのか、全くわからなかった。


 余り頭の回転が早い方でない事は自覚しているが、それ以前の問題である。目の前で起こった超展開は完全に僕のキャパシティを越えていて、まるで現実感がない。僕には表情を変えることすらできなかった。


 テルムが室内に入ってきた途端護衛の皆さんがばたばたと倒れ、いつの間にか弾劾されていた。だが、そこまで至っても僕の脳は混乱から立ち直っていなかった。

 僕は常日頃からへっぽこだが、予想だにしない急展開にはそれ以上にへっぽこになるのだ。


 何がなんだかわからない。テルム達が敵だったというのも驚きだが、僕がそのテルムに味方のように思われているのは更に驚きである。びっくり。


 何か言わなくては。その一心で口を開いた結果出てきたのは、空気が読めていない間の抜けた言葉だった。



「狐……? ………………何の話?」


「………………!?」


 全身に無数の視線が突き刺さるのを感じる。

 先程まで射殺さんばかりの鋭い視線を向けてきていたフランツさんも、睨みつけていたクリュスも、そして穏やかな笑みを浮かべていたテルムやいつもどおりのケチャチャッカも、そして皇帝陛下や皇女殿下までも、皆こちらを見たまま固まっている。


 その瞬間、確かに時間が止まっていた。だが一番状況がわかっていないのは多分、僕だ。


 どうしていいのかわからない僕に、テルムが再び笑みを浮かべて言う。


「ふ……つまらない、冗談だな、《千変万化》。演技などもう不要だ」


「え……」


 演技なんてしてないけど……。


 そう言おうとした瞬間、ようやく僕の脳みそが動き出した。

 普段なら冷や汗をかいていただろうが、快適だったので冷や汗はない。というか、ここまでのんびりしてしまったのはきっと『快適な休暇』の力である。この宝具は装備者を半強制的に快適にしてしまうという欠点があるのであった。


 悩んでいる場合ではない。ケチャチャッカとテルムが敵に回るということは……まずいではないか。

 彼らは僕の最強の戦力だったのだ。こちらには何故か膝をついているフランツさん。クリュス、キルナイトしかいないのだ。


 僕は小さく咳払いをして、仕切り直すことにした。一歩後ろに下がり、テルム達を弾劾した。


「テルム、ケチャ、君たちが裏切り者だったのかッ! 信じてたのにッ!」


「!? 何を言っている!? お、お前も『狐』の一員だろうッ!?」


 何を言っているんだ、この男は。

 記憶があやふやだが、『狐』というとつい先日名前を聞いた秘密結社の事だろう。

 だが、一般組織にも微妙に馴染めていない僕が秘密結社に入れてもらえるわけがないし、《嘆きの亡霊》は名前は恐ろしげだが至ってクリーンなパーティだ。


 そして、いくらピンチになったとしても、犯罪者に迎合する程僕は落ちぶれてはいない。


「秘密結社が、僕を入れてくれるわけないだろ! 僕を恨んでいる秘密結社は山程いるんだよ? どう勘違いをすればそんな発想になるのかさっぱりわからないね!」


「なん……だと!? 何故、符号を知っていた!?」


「……何の話だかさっぱりわからないな」


「ふ、ふざけるなッ! 貴様、十三本目だと自ら名乗っていたではないかッ!」


「全然記憶にないな」


「ッ!?」


 いや、本当だよ。符号って何? 十三本目って?

 心当たりは化け狐から尻尾を貰った話をしたことくらいだが、いくらなんでもそれではないだろう。あの会話からどう連想すれば僕が秘密結社の一員になるのか僕には全く理解できない。

 テルムが唖然として一歩下がる。 


「あり、えんッ……クソッ、まさか、罠かッ!?」


「はぁ? 罠?」


 何言ってるんだ、この爺さん。

 勝手に罠とか言って、僕が何かやったかのような濡れ衣を着せるのはやめていただきたい。


 テルムが右腕を上げる。僕は久しぶりに鋭い声で叫んだ。


「おっと、動くなよ、テルムに、ケチャチャッカ。動いたらお前達を――ヒキガエルにしてやる。僕の力は見ただろう?」


「!?」 


 テルムがぴたりと動きを止める。その厳格そうな容貌には冷や汗が伝っていた。


 開花した魔法の才能。あれから何度か試したが、再び発動することはなかった。だが、今再び開花せずしていつ開花するというのか。

 格好をつけて腕を伸ばす僕に、クリュスが目を白黒させて叫ぶ。


「ヨワニンゲン、お、お前、敵なのか味方なのかはっきりしろ、ですッ!」


「いや、僕の無罪は『真実の涙トゥルー・ティアーズ』で証明されてるし」


 散々やると思っていたと言ってくれたフランツさんが目を見開く。


 いくらなんでも信用なさすぎではないだろうか? 無能な所は幾つも見せてしまったが、そんな犯罪行為に手を染めた記憶はないのだが……。


「わか、らんッ!? ならば何故、私を引き入れた? ここまで泳がせた!? クソッ……」


 テルムが戦慄したように言う。僕は胸を張って言い返した。


「何を言っているのか、さっぱりわからないなッ!」


「だが、船の動力は既に、破壊した。船は落ちるッ!」


 なんだと……!? ……絨毯と仲良くなっておいてよかった。


 だが、そんな事言われても知らん。僕のせいじゃないし、まぁテルム達を入れてしまったのは僕のミスなので間接的原因ではあるかもしれないが、正直どうにもできない。今考えるべきではない。


 幸いなのはまだ落下している気配がないことだろうか……もしかしたら風船の部分があるので落下が緩やかなのかもしれないが。飛んでいる理屈がわからないから完全に妄想だけど。


 僕は捨て鉢な気分で笑みを浮かべる。もうやけくそである。この護衛依頼は明らかに失敗だ。


「形ある物はいつか壊れる。フランツさん……は無理か。キルナイト、彼らを拘束しろッ」


 だが、陛下は生きている。他の倒れた者たちも今すぐ治療すれば助かるかもしれない。

 僕の要請に、シトリーから預かった真っ赤な鎧を着たキルナイトはしかし、ぴくりとも動かなかった。


 これまでちゃんと動いていたのに何故――そんな事を考えた瞬間、怪しげな声が響き渡った。

 どこか狂ったような笑い声を上げていたのは、黒いローブを着た如何にも怪しげな男だった。


 余りにも怪しげで逆に怪しくなかった男。ケチャチャッカ・ムンク。彼こそが神算鬼謀でなく、誰が神算鬼謀と呼べるだろうか。



「ひひひ……うけけけ……思って、いたぞ。お前は……ひひひ……味方ではない、と。ひひひひひいいいいいいッ!」


「!? ケチャが喋った!?」


「!? くけけ……馬鹿に、して――だが、ひひひ……けけけ……」


「ケチャ……なんて嬉しそうな、ですッ!?」


 そうだね、輝いてるね。てか、僕って敵からも味方からも敵だと思われてたの? 凹むわ。


 一度目の衝撃が収まらないうちに二度目の衝撃が奔る。ケチャチャッカが取り出したのは、シトリーちゃんから受け取っていたキルナイトのコントローラーだった。いつの間にかなくなっていたのだが、何故ケチャチャッカが――。


「まさか――」


 馬鹿な……僕はケチャチャッカの前でコントローラーを使った覚えはない。

 だが、ケチャチャッカはそれとキルナイトの関係性を察しているようだった。

 ずっとオートモードだったはずのキルナイトはぴくりとも動かない。


「ひひひ……キルナイト……ゴーレムで有ることは、わかっていた……ひひひ……魔導師を、舐めるな、《千変万化》、シネッ!」

 

 ケチャチャッカがスティックを倒し、大きなボタンを押す。

 キルナイトは一度びくりと震えると、両腕両足をぎこちなく動かし奇怪な動きで踊り始めた。


「……!?」


 羞恥がないのか、キルナイトは無数の視線の中緩慢な動作で踊る。シトリーが仕込んだにしては随分雑なダンスだ。


 ケチャチャッカは何も言わずそのダンスを見ていた。悪夢でも見ているかのような表情だ。

 一通り終えると、キルナイトが止まり、その場で転倒する。そのまま起き上がる事なく、ぴくぴく痙攣していた。


 と、そこで僕はキルナイトに一度もご飯をあげていなかったことを思い出した。

 食事の場にもいなかった……ような気がする。生肉をあげればいいんだっけ? とにかく、どうやらキルナイトが敵に回ることはないようだ。


 呆然としているケチャチャッカにハードボイルドに肩を竦めてみせる。


「あーあ……後で使おうと思ってたのに……で、それがなんだって?」


「!? ???? く……けけけけけけ、きひーッ!」


 ケチャチャッカが壊れた!?


 ケチャチャッカが叫ぶ。戦意を取り戻したのか、テルムが僕に両手を向ける。


 僕は必死にヒキガエルになれと念じながらクリュス達を庇うように立ちはだかった。

 魔法が飛んでくる。一瞬で構成されたのは数え切れない程の水の槍だった。


 詠唱速度が早すぎる。まるで前兆が見られない!?


 逃げられるわけもなく、無数に飛来した槍が僕の全身に突き刺さる。凄まじい威力、凄まじい速度、にもかかわらず音一つない。恐ろしい魔法だ。


 だが、僕は『快適な休暇』と『結界指』のおかげで快適だった。

 水の槍は全て防がれ、僕を一歩も動かすこともできない。これは結界指の効果である。


「ッ……無傷、だと!? かの高名な《千変万化》の『絶対防御』か!?」


「信じられない技量だよ、テルム。間違いなく僕の知る中で最強の魔導師の一人だ」


 テルムがおかしな事を言っているが、僕も内心は表情程落ち着いているわけではない。表情は快適だが。


 恐ろしい魔導師だ。テルムの魔法は詠唱速度も威力もさる事ながら、コントロールも極められていた。


 何故わかるかというと……一個の結界指で全弾防げたからである。

 結界指が展開する結界は指輪によって違いがあるが、基本的に本当に一瞬だ、少しでも着弾にずれがあったら複数個の指輪が起動していたはずだ。こんな真似、ルシアでも出来るかどうか怪しい。


 僕はにやりと笑みを浮かべ、気合を入れて魔法を放った。


「だが、遊びはここまでだ! はああああああああああッ! オレンジジュースになれッ!」


「ッ!?」


 テルムとケチャチャッカが強張った表情で後ろに下がる。


 魔法は発動した。恐らく、多分、もしかしたら、発動した。だが、テルム達がオレンジジュースになる気配はない。


 …………もしかして僕、魔法使えない?


 僕は小さく咳払いをした。


「………………どうも今日は調子が悪いみたいだな。逃げるなら追わないけど?」


「ッ……ここまで、虚仮に、するかッ! 凍りつけッ!」


 テルムの両腕の腕輪が仄かに光り輝く。


 ぴしぴしと小さな音がこちらに向かってきて、そして僕を包もうとして、停止した。


 結界指は発動していない。これは、シャツ型宝具、『快適な休暇パーフェクト・バケーション』の効果だ。この宝具は防御能力は皆無に近いが、気温の変化にめっぽう強い。とても快適だ。


 後ろのクリュスが無事なのはテルムが威力を高めるために範囲をかなり絞ったからだろう。

 範囲を狭めるのは時に広げるよりもずっと難しいはずなのだが、さすがはレベル7ということか。


「馬鹿な……ありえん。絶対にありえん、なんという力だ。あの冷気を、防ぐだけでなく、完全に、消し去るだと!?」


 『快適な休暇』って周りの気温や湿度の変化を防ぐ宝具だからな。持ってきてよかった。


「僕に高温多湿は効かない」


「ヨワニンゲン、フザケている場合か、ですッ!」


 思考を通さず口から勝手に出てきた言葉に、クリュスがツッコミを入れる。

 テルムの顔は真っ赤だった。完全に頭に血が登っている。


「グッ…………船ごと、落としてやるッ」


「くけけけけッ!」


 ケチャチャッカが笑い声をあげながら、地団駄を踏む。何をやられているのかわからないが、結界指がどんどん消費されていくのがわかった。確かに呪いを掛けられているっぽい雰囲気はあるが、これが呪術というやつだろうか。テルムよりよほど相性悪い。


 船を落とされるのはまずい。だが、何故か調子の悪い僕に攻撃手段はない。助けもこない。

 クリュスを見ると、察したかのように魔法を唱える。


「くっ……炎の魔法は苦手だって、言ってるのにッ……『火ノ嵐』」


 僕も申し訳程度に弾指を同時起動する。発生した極めて弱い弾丸が詠唱を続けるテルムに襲いかかり、命中する前に消える。

 簡易の障壁を張っているのだろう、魔導師の常套手段である。多少強力な攻撃だと防げない気休め程度の物と聞いているが、つまりそれは弾指による魔法の弾丸が大した攻撃ではないという事を意味していた。


 遅れてクリュスのはなった魔法『火ノ嵐』がテルムに命中する。ぽつぽつと小雨程度の火の粉がテルムに降り注ぐが、全く効いていない。

 いくらなんでも威力が弱すぎる。手を抜いているのだろうか?

 思わず見てしまう僕にしかし、クリュス自身が一番呆然としていた。手の中の杖……僕が貸してあげた『丸い世界』を見て叫ぶ。


「はぁ!? な、なんなんだ、この杖!? です」


「…………つ、杖のせいにしちゃだめだよ」


 だが、もうダメだ。全てが裏目に出ている。

 そうこうしている間に、テルムの両の腕輪が神秘的な光を放つ。青の光だ。


 僕は杖型の宝具を余り持っていないので詳しくは不明だが、その輝きは間違いなく一級だった。止められないッ!

 空気が揺らめき、強い衝撃が船全体を揺らす。テルムが叫ぶ。








「死に絶えろッ! 『白き天に絶えよグラキエース・ゼロ』」






§ § §




「ルシアちゃんッ! 高度、上げてッ! もっと高くぅッ!」


「くッ……うるさいッ……ただの、嵐じゃないッ!」


 リィズの言葉に無意識の内に反論し、ルシアは顔を真っ赤にしながら必死に凧に掛けた魔法を制御した。


 既にシーツは着ていない。今はそれどころではない。


 凧は巨大だ。アンセムを含めた全員にプラスで荷物まで乗せていて、重量もかなりある。だが、それとは無関係に、制御が殆ど効かない。まるで暴れる馬の手綱を握っているかのようだ。いついかなる時にも魔法を使えるように研鑽しているルシアからすれば、信じられない事だった。

 魔術の起動を妨げる特殊で強力な結界の中で術を使っているかのような感覚だ。


 それでも強い風に乗り、凧が上に上にと上がっていく。一度落ちてから追いつくのに時間がかかったが、最初は全く効かなかった凧の制御にも慣れてきた。空には終末を思わせる暗い雲が広がっていた。

 中から巨大な気配がする。凧の上部にしがみついていたシトリーが小さく首をかしげる。


「こんな高度に結界が張られているわけがありませんし……随分、雲行きが怪しくなってきましたね」


「うおおおおおおおおおおッ! たーかーいーぞーッ! 嵐につっこめ、ルシアッ! 俺がファーストアタックだッ! 見てろ、今こそ雷を斬る時、ここで斬れなきゃ男じゃねえッ!」


「…………うむ」


 そして、白い凧に乗った奇妙な集団は黒い雲に躊躇いなく突っ込んだ。

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