197 生きる災厄
魔導師の恐ろしい所を一点述べるとするのならばそれは、その魔法が僕の日常の延長線上にないという事だろう。
剣を振れば物が斬れる理屈はなんとなく理解できるが、魔導師が指を鳴らしただけで火が灯る理屈は予想もつかない。魔術も一応一定のルールに則っているらしいが、魔導師でない人にそれを認識することはできない。ルシアが《万象自在》などと言う大層な二つ名を得たのも納得だ。
テルムが呪文を叫ぶ。そこに至っても僕にはテルムが如何なる魔術を行使しようとしたのか全く理解できなかった。
「ッ……これだから魔導師は……」
だが、大丈夫。大丈夫だ、僕には結界指がある。
僕が前に立っているとはいえ、クリュスや皇帝陛下に攻撃が及ばないか心配だが、僕より強いんだしなんとかするだろう。皇帝だし。
僕は目をつぶり、とっさに右腕を伸ばした。
魔術の中では命中した瞬間そこを起点に発動するものがある。不安でいっぱいだが逃げても無駄だし、僕以外全員死んだらその時点で僕も死んだようなものなので突っ込むしかない。
船を揺さぶっていた衝撃が不意に止まる。結界指は…………発動した気配がない?
そろそろと瞼を開く。視界に入ってきたのは愕然としたテルムの表情だった。まるで天変地異にでも遭ったかのような表情。
「ば、馬鹿な……ありえん。魔力も十分残してある……何故、魔法が発動しないッ!?」
え? 失敗? あそこまで自信満々に呪文を唱えて失敗したの?
テルムは明らかな隙を晒していた。ここにルークやリィズがいたら嬉々として切りかかったはずなのだが、あいにくフランツさん達は倒れ、近接戦闘で魔導師に負ける僕しかいないので何もできない。皇帝陛下が斬りかかってくれないかな。
ケチャチャッカが何もしていないのに気圧されたかのように一歩後退る。
「うけけ……何を……した……?」
「まさか、この嵐の力か!? 術式が、定まらんッ!?」
テルムが焦り腕輪を光らせるが、僕はいつも大体魔法を使えないのでいつも通り快適であった。
なんだかよくわからないが助かったらしい。しかしこの嵐、テルムが敵だったなら、テルムの仕業なんだろうと思ってたけど違うのか。
そしてまた僕が何かしたみたいになっているらしい。濡れ衣だ。
「はぁ? 嵐? 何でも僕のせいにするなよ? 僕は何もやっていない……」
「くそッ……」
テルムが駆け出す。その肉には光の線が血管のように奔っている。身体強化の魔法だ。どうやら全ての魔法が使えないわけではないらしい。
身体強化はいざという時にしか使わない魔導師の切り札である。肉体に大きな負担がかかる点と、いくら強化してもマナ・マテリアルで日頃から身体能力を向上させている近接戦闘職には及ばない事から、『悪あがき』とも呼ばれる。
「!? ??? ヨワニンゲン、私も魔法、使えないぞ、ですッ!?」
「僕も使えないよ」
テルムは老齢とは思えない身のこなしだった。身を低くしこちらに向かってくる様は
僕はとっさに両手にはめていた
ほとんど破壊能力を持たない弾丸を、テルムは横っ飛びして回避した。床に倒れ伏す騎士から剣を抜き取り、流れるような動作でこちらに投擲する。
剣は僕の頭に一直線に飛んできたが、いつも通り発動した結界指に弾かれた。残りの結界指は――五つ。
テルムが息を呑む。弾指の威力の低さはとっくに理解しているだろう。それを大げさに回避したという事は――。
僕は結界指が残り少ないにも拘らず快適な気分で、冷や汗をかくテルムを見下ろし、強がりを言った。
「どうやら障壁すら張れないようだね」
張らなくてもテルムなら余裕で耐えられると思うけど、まともに受ければ麻痺する弾丸も幾つか含まれているので回避は正解だ(ちなみにある程度マナ・マテリアルを吸っていると効かない)。
僕の名推理に、じりじりと警戒したように距離を取りながら、テルムが肩で息をした。
「化け物めッ……」
冗談だろ? 部屋に入っただけで近衛の精鋭たちを倒せるテルムにそんな事を言われる日が来るとは。後ろからクリュスが背中をつっついてくる。
「ヨワニンゲン、油断するな、です! さっさと倒せ、です!」
「……」
その貸してあげた杖で殴りかかってくれないかな。多分魔法を使えないクリュスの方が根本的に使えない僕より強いと思うんだけど。
しかしどうしたものか。魔導師の拘束には魔封じの力を持つ拘束具が必須だ。おまけにそれだって高レベルの魔導師には通じない事がある。
故に、大量のマナ・マテリアルを吸った魔導師を捕らえるのは非常に難しい。彼らはいつだって予想もつかない切り札を持っているものなのだ。だから、滅多にいないが高レベルの魔導師の犯罪者との戦いは大体、どちらかの死で終わる。
僕はとっさに、何故か都合のいいことにまともな魔法を使えないテルムにハードボイルドな笑みを浮かべて言った。
「テルム、僕は仮にも《深淵火滅》の片腕を殺したくない。その腕輪を捨て、投降するんだ」
別に宝具が気になっているわけではない。
テルムは熟達した魔導師だ。だが、その力はあの宝具の腕輪が支えている。
魔導師にとって杖は増幅器でもあり、制御装置でもある。クリュスが慣れない杖でまともに魔法を使えなかったように、杖を失えばテルムの力も大きく減じるはずだ。
僕の要請にテルムがその端正な顔を歪め戦意をむき出しにする。
テルムが口を開きかけたその時、後ろのケチャチャッカがこれまで聞いたことがないくらい冷静な声で言った。
「うけけ……テルム……ひひ……竜が、こない。一度退いたほうが、いい」
「ッ……クソッ」
なんでいつも味方は敵になると強くなって敵は味方になると弱くなるのか。君、この間までうけけけとしか言ってなかったじゃん?
声を上げる間もなく、テルムが反転する。前衛に見劣りしない速度で扉を蹴破ると、部屋から駆け出していった。ケチャチャッカがそれに続く。
僕はそれを見送る事しかできなかった。追っても負けるからだ。狗の鎖を放ってもいいが、レベル7を捕らえる事はできないだろう。壊されて悲しい思いをするのが落ちだ。
「ヨワニンゲン、追うぞ、ですッ!」
「落ち着くんだ、クリュス。彼らはとりあえずいい。まずは人命優先、フランツさん達の治療だッ!」
クリュスが僕の背中を押して叫ぶ。僕はほぼ反射的にその要求を回避した。
§
幸い、物資は各部屋に分割して配置していた。余りそういった行為に慣れない僕に代わり、クリュスがテキパキとした動作でポーションを用意し、倒れ伏した護衛達に飲ませる。
どうやら一瞬でやられた者達もまだ死んではいなかったらしい。
シトリー特製のポーションを飲ませると、間もなく顔色がよくなり、呼吸を取り戻した。クリュスがほっとしたように息を吐く。
「純粋に破壊の魔法じゃなかったようだな、です」
「はぁ、はぁ……だが、動けなかった。力が入らなかった……」
唯一意識を保っていたフランツさんが脂汗を流し、言う。
テルムは水の魔導師だ。そして水の魔術というのは他の魔法に対して破壊力が低い事で知られている。
もっとも、それは消費魔力に対しての話であり、僕に水の矢を放った時のように破壊が苦手なわけではないだろうが、テルムの魔法はとても静かでほとんど前兆がなく、非常に効率を重視しているように見えた。
余りにも派手で何もかもを焼き尽くす《深淵火滅》とは正反対だ。もしかしたら方向性を変える事で《深淵火滅》に対抗していたのかもしれない。
「体内の水を直接、少しだけいじられてる……信じられない神業だ、です。ラピスでも不可能だ、です」
クリュスの声は深刻そうだった。
魔術の基礎中の基礎なので知っているのだが、魔術を他人の体内に直接作用させるのは非常に難しい。
何故ならば人間の肉体は大なり小なり、魔術に対する耐性を持っているからだ。それを突破して生命活動を止めるには莫大な魔力が必要で、故に魔術師はそのような事をしない。雷を落としたり炎を生み出したりする方がずっと楽なのだ。
そういう意味で、一瞬であれだけの人間の体内を操作し無力化したテルムは紛れもなく超一級の魔導師だった。
オートで起動する結界指ならば防げるが、不意にかけられては防ぐ術はあるまい。
フランツさんがよろよろと立ち上がる。他の兵たちは未だそれだけの余裕はないようだ。
ひとまず生命の危機は去ったが、テルムとケチャチャッカに対して、こちらの戦力はあまりにも心もとない。
皇帝陛下はこんな時でも一切、動揺を表に出さなかった。椅子にどっしり腰を下ろし、僕に尋ねる。
「それで、どうする? 勝ち目はあるのか?」
「ないわけないだろ、です。そうだよな、ヨワニンゲン? です」
その鋭い目に見据えられ、クリュスに同意を求められ、しかし僕は快適なせいで余り緊張感を持てなかった。
あるのかないのかで言えばない。船内で倒れているであろう他の乗組員達の様子も気になるが、見に行く余裕はない。
とりあえず、絨毯は無事だった。もしかしたら一番元気かもしれない。だから、最悪逃げればいい。それしかない。
「クリュス、君は……空とか飛べる?」
「飛べる――がッ! この杖だとッ! 無理だッ! ですッ!」
「……それ、杖じゃなくて翻訳機だから」
「!? はぁッ!?」
クリュスがバシバシ『丸い世界』を叩いている。僕はそっと視線を逸した。まさかこんな事になるなんて。
どうすればいい? わからない。何が起こっているのかも余りわかっていない。まいった。
僕はどうしていいのかわからず、とりあえず物資の中から燻製肉の塊を取り出すと、(恐らく)空腹で倒れ伏し痙攣しているキルナイトの近くに設置する。
落ち着け。騒いでもどうにもならない時は落ち着くのだ。
腕を組み、目を閉じる。とても快適だった。
……そうだ! もしかしたら時間を稼げば僕の愛しいシーツお化け達が助けに来てくれるのではないだろうか? ルーク達はいつだって僕を助けてくれる。
完全に現実逃避している僕に、クリュスが不意に鋭い声をあげた。
「ッ!? ヨワニンゲンッ! 後ろッ!」
とっさに目を開け、足元を見る。いつの間にか、倒れ伏すキルナイトの側に小さな影が蹲っていた。
子どもだ。人間の子ども。リィズも小柄だが、さらに小さい。緩やかな真っ白な法衣のような衣装。伸びた細い腕が、僕が配置した燻製肉をつまみ、小さな口に運び、むしゃむしゃ動かしている。
この飛行船に子どもはいない。異様な光景だったが、背筋に寒気は奔らなかった。快適なせいだ。
だが、それでも驚きがなくなるわけではない。
子どもは何も言葉を発していなかった。だが、クリュス達は青ざめている。皇帝陛下も目を見開き固まっていた。絨毯までもが怯えたように大人しい。
白い髪は長いが、性別はわからない。頭の上半分を白い奇妙な仮面が覆っているせいだ。
白いつるつるした質感に、上に伸びた二つの『耳』。僕のデザインした《嘆きの亡霊》のシンボルよりもシンプルだが、何故か不思議と『超然』とした印象を受ける。
その顔がこちらを見上げる。その仮面に目の穴はない。だが、見られている。
勝ち目はない。それは、そういう生き物だった。
悪寒が奔るべきだった。人間が死を怖れるように、僕は当然にそれを恐れるべきだった。
だが、僕は変わらず快適だった。次からは……護衛にこのシャツを着てくるべきではないのかもしれない。
ふと思い出す。かつてそれと遭遇したのも不思議な嵐の日だった。
嵐なんて散々遭遇しているから全く気づかなかったが、なるほど、どうやらそれは嵐を伴いやってくるものだったらしい。
あれから目撃情報がないと思ったらまさか空を飛んでいたなんて、そりゃ誰も見ていないわけだ。
生きている間に二度と遭遇することはないと言われていたはずなのにまた遭遇するなんて……つくづく僕も運が悪いな。
完全に危機感が麻痺している事を自覚しつつ、顔を上げる。
窓の外には先程まで広がってた嵐はなかった。いや、先程まで広がっていた世界そのものが影も形もなかった。
外に広がっていたのは完全な白だった。宝物殿とはマナ・マテリアルが再現した異界である。マナ・マテリアルの薄い宝物殿ならば現実世界に準じた異界になるが、高レベルの宝物殿は違う。そこは、現実世界とはかけ離れた『ルール』の支配する正しく異界だ。魔術が発動しないのもつまり、そういう事だろう。
察しが悪すぎるな。
今更気付いてもどうしようもない事実に思わず笑みを浮かべると、『狐』の仮面を被った奇妙な子ども――『
いつの間にか、テルムとケチャチャッカが駆け出していった扉の向こうの光景は、異なる物に切り替わっている。
ぶつかった。飲み込まれた。ようやくその現実を理解する。
狐の子どもが言う。その口から出てきた声はか細く、イントネーションにも違和感があったが、確かに僕たちの言葉だった。
『ヨウコソ。コワクナイヨ』
僅かに開いた口の中は炎のように赤い。
それは、余りにも強くなりすぎた宝物殿の成れの果て。世界各地を巡回する奇怪な地。生きる悪夢。
その発見難度と最奥に巣食う強大な幻影から未だ踏破者の出ない、前人未到。推定認定レベル10。
彼らは学び、巡り、戯れに弄ぶ。
【迷い宿】。その奇妙な宝物殿は、そう呼ばれていた。
『カンゲイスルヨ』
「嘘つき」
彼らは神だ。この世界に君臨する偉大なる神の一柱だ。一度は生きて帰れたが、二度目も生還できる見込みはない。
撃退は不可能だ。矮小な人間に唯一可能なのは――交渉だけ。神とはそういう存在だった。
とっさに出てきた僕の言葉に狐の眷属が深い笑みを浮かべる。
『ウソジャナイヨ』
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