68 格差

 クランマスターの朝は早い。


 太陽が真上に昇り切る少し前。クランハウスに存在する私室で目が覚めると、まず備え付けられている浴室でシャワーを軽く浴び眠気を飛ばす。


 続いて、服を着る。同じ服を何着も持っているので格好はいつも同じだ。だが、装備する宝具の種類と数が違う。僕の集めた宝具は種類も数も多様であり、一度に装備できる数を物理的に越えている。中には持っているだけで効果を発動できる物もあるが、それだってあまり大柄ではない僕が持ち運べる量には限りがある。


 装備する宝具は割とその日の気分次第だ。『結界指』は毎日つけているが、一番多いのはアクセサリー。指輪やピアス、ネックレスなどつけていても邪魔にならず効果も多岐に渡るため非常に便利である。

 トレジャーハンターの中でもアクセサリー型の宝具を使う者は少なくない。やり方次第では装備している事実を隠す事もできる部位だ。


 僕のコレクションの中には武器型の宝具も多いが、戦闘技術がないので理由がない限り持ち歩かない。一応、能力は発動できるが、生兵法は大怪我の元だ。

 代わりに持ち歩くのは鎖型チェーンタイプだ。足止めにも有用だし、邪魔にならず僕にも使える。武器型宝具を持ち運ぶよりも相手の油断を誘えるし、助けられたことも何度もある、僕の好みの宝具だ。


 もっとも、現在魔力をチャージされている宝具はごく一握りだ。選択肢は限られている。

 軽く室内を見回すと、幾つかの宝具がなくなっているのがわかったが、シトリーが魔力回復薬の開発で持ち出すかもと言っていたので気にはしない。大規模クランの本拠地にまで盗みに入る者はいないだろう。


 装備を万全にすると、クランハウスのラウンジに行き朝食を取る。

 ラウンジは二十四時間解放されているが、皆だいたい昼間は忙しいので人はクラン運営の事務員くらいしかいない。サンドイッチとコーヒーで軽めの朝食を取ると、意気揚々と階段を登りクランマスター室に向かう。


 そして、定位置の僕には不相応に立派なクランマスターの椅子に深く腰を下ろし、僕はため息をついた。


 ――やることが……ない。


 広々と取られた執務机はぴかぴかに磨かれており、そして何も乗っていない。


 もともと、クランマスターとしての僕の仕事はほとんどない。足跡の運営に関して、僕はほぼすべての権限をエヴァに与えている。僕までまわってくるのはエヴァで判断がつかない案件だったり副クランマスターでは立場的に微妙な案件くらいで、そういった業務も日常的に出てくるようなものではない。


 エヴァが僕にただ黙って座っていろと言ったのは冗談でもなんでもないのだ。


 やることがないので、机にしまってある柔らかい布を取り出し、慣れた手付きで一個一個丁寧に宝具を磨き始める。


 正直、退屈だった。命懸けの宝物殿攻略をする気にはなれないが、いくらなんでも時間がもったいなさすぎる。


 いつもなら外に出て町を見回ったり、地下の訓練場でコレクションの宝具の性能を確認して悦に入るのだが、今はそういうわけにも行かない。


 リィズがアーノルドに喧嘩を売ってしまった。

 僕は何もやっていないのだが顔は見られただろうし、何故か僕は逆恨みをされる事が多い。ガークさん経由で釘は刺してもらったが、このタイミングで迂闊に外に出るのは危険だろう。

 護衛をつけようにも相手はレベル7――ティノではいくらなんでも力不足だろうし、頼りのシトリーやリィズの姿も見えない。何より、多忙なスマート姉妹を暇だからという理由で連れ回すのは気が引けた。リィズやシトリーにもプライベートはあるのだ(だいたい修行だけど)。


 かと言って、チャージが満足に出来ない状態で宝具の性能を確認するのもまずい。あれはルシアがいる時にのみ許された贅沢である。


 指輪型の宝具を一個一個丁寧に磨き上げ、机に並べていく。


 宝具はランダムで顕現する物だ。過去存在した文明の情報を元にしているので大体の形などは決まっているが、同じ物は二つとして存在しない。

 同じ能力を持っていても微妙に意匠が異なったりする。何もついていないシンプルな物。宝石のような石がついている物。複雑な模様が刻まれているもの。色も形も違えば材質も違ったりする。


 並べられた宝具はただの物質でありながら、どこか神秘的な風情を感じさせる。

 ハンターの中には過去文明の遺産である宝具を信用せず己の力のみを誇る者もいるが、僕は宝具の持つ独特の輝きが堪らなく好きだった。


 続いて鎖型、腕輪型、と順番に取り外していく。頻繁に磨いているので、宝具には曇り一つない。


 ぴかぴかの宝具に強い自己満足を覚えたその時、僕はティノから腕輪型の宝具を受け取っていた事を思い出した。


 雑魚宝物殿で有名な【アレイン円柱遺跡群】で運良く発見した宝具だ。

 直後に巨大なゴーレムが出現し暴れ始めたり、いろいろ忙しかったのですっかり頭から抜け落ちていた。


 机の中を漁り、しまったまま放置していた腕輪型の宝具を取り出す。


 師匠のリィズに何か言われているのか、ティノは見つけた宝具のほとんどを僕にくれる。

 宝具と一口に言ってもその性能はピンきりだ。修行中であるティノの攻略宝物殿はそこまでレベルの高いものではなく、有用な宝具を発見することは滅多になかったが、僕はありがたくティノからの献上品を享受していた。


 今回見つけた宝具も所詮はレベル1認定の宝物殿から見つかった物だ。宝具に秘められた力もマナ・マテリアルの濃度に比例するから、そこまで強力な宝具ではないだろう。


 宝具は特筆すべき点がないシンプルな黒の腕輪だった。

 材質は金属。重さも大きさも並で、色は黒一色。円に沿って模様が刻まれているが特に宝石などはついていない。

 手の中で回転させながら注意深く観察するが、特に能力を示唆するような特徴はない。


 宝具の能力鑑定は過去見つかった宝具の情報との照合によって行われる。こういった特徴のない宝具は実際に使ってみなければ能力がわからない事も多く、宝具の使用に長けた専門の鑑定士に鑑定を依頼するのが一般的だ。


 それは、その辺の宝具店顔負けの数の宝具を集め、知らない宝具でも何となく発動できるようになった僕でも変わらない。

 宝具には使用者にデメリットを与える物もある。『夜天の暗翼ナイト・ハイカー』のように使用者に死者が出ることも少なくないのだ。強力であるが故に取扱に注意が必要なのだ。まぁそもそも試そうにも僕では魔力が足りないのだが。


 忘れておいてなんなんだが、眺めれば眺める程、宝具の正体が気になってくる。


 腕輪は装飾品としても地味な拵えだった。神秘性はかけらも見えず、形だけ見れば安物のブレスレットに見える。外見だけなら現代文明でも容易く再現できるだろう。

 シンプル過ぎる形状からは所属文明や能力を類推するに足る手がかりが見いだせない。シトリーがお土産に持ってきてくれた『異郷への憧憬リアライズ・アウター』とはわけが違う。

 神ならぬ僕ではどうしようもない。


 腕輪を指先に通し、くるくる回しながらため息をつく。


「……アーノルドがなぁ」


 彼さえいなければすぐにでも宝具店に鑑定を頼みに行くのに……。


 いつだって僕は乱暴者なハンターに悩まされるのだ。

 レベル7。ドラゴンスレイヤー。まさしく超越者である。加えて大所帯のパーティを率いるとなれば、どんな暗殺者よりも恐ろしい。


 ガークさんからの釘刺しは上手くいったのだろうか? あるいは、時間が経過すれば大人しくなってくれるだろうか? だがあそこまで面目を潰されたのだ、見込みは薄いだろう。


 となると、最終的な着地点は――血で血を洗う戦い、かな?

 もはや八方塞がりである。穏便に済む未来が全く見えない。


 せめて、百歩譲って――もし暴れるなら路上ではなくハンター向けの酒場で暴れてほしいものだ。リィズにちゃんと言い聞かせておくべきだろうか……そんな事を考えていると、エヴァが部屋に入ってきた。


 エヴァは多忙だが、用事がなくても一日に最低一度は顔を見せにきてくれる。

 クランの事務員の中にはレベル8の僕を恐れている者もいる。きっとそれはそんな部下たちに対するパフォーマンスもあるのだろう。実質的なクラン運営の長として信頼されているエヴァが仲良くしているのを見れば、他の職員達も多少は気が休まるというものだ。


 エヴァは宝具片手にだらしのない格好をしている僕を見て、開口一番に言った。


「また宝具を磨いていたんですか……」


「気持ちを込めて磨くと応えてくれるんだよ」


「そんな話聞いたことありませんが……」


 僕も聞いたことがない。


 肩を竦めて見せると、エヴァは呆れたように深々とため息をついた。


 用事はなんだろうか。活でも入れに来たのだろうか。もともと頭が上がらなかったが、借金のせいで更に頭が上がらなくなってしまった。迷惑掛けて本当に申し訳ございません。


 心の中で土下座する僕に、エヴァがいつもと変わらない表情で報告した。


「この間、ガーク支部長に連絡した《霧の雷竜フォーリン・ミスト》の件なんですが……どうやらひとまず大人しくなったようです」


 !?


 一瞬、理解ができなかった。予想外過ぎて表情筋が凍りつく。

 というか、僕は釘刺しがうまくいくとは全く思っていなかったのだ。なにせ、初めて訪れた街の初めて訪れた酒場で喧嘩を売るような連中である。仮に《嘆きの亡霊》が《霧の雷竜》の立場だったら絶対に釘刺しなんて効かない。


 地味にショックだ。動揺を全力で抑えるが、出てきた声は震えていた。


「……………へ、へぇ。優秀だね」


「…………まぁ、辺境の国出身とはいえ、レベル7ですから」


 じゃあうちのパーティなんなんだよ!? うちのパーティはあんなチンピラよりも血の気が多いのか!

 もしかして、霧の国って帝都よりもハンターの倫理レベル高いのか? ……もう嫌だ。引退したい。


 いや、待て。落ち着け。冷静に考えよう。


 釘刺しが効いたのか、あるいは喧嘩両成敗だと思ったのか、理由はどうあれ、大人しくしてくれるのならばそれに越したことはない。

 非常に癪だが、《霧の雷竜》は《嘆きの亡霊》より安定しているようだ。


「彼らは帝都にやってきてまだ一週間程ですし、探索者協会に目をつけられるのもまずいはずです。牽制もしましたし、しばらくは騒ぎは起こさないかと」


 つま先から頭の先までぴしっと制服で統一したエヴァの言葉には非常に説得力があった。


 これはチャンスだ。立ち上がり、机に並べた宝具を速やかに装着する。最後に正体不明の漆黒の腕輪を右腕に通し、準備は完了だ。

 太陽はまだ高く、気温もちょうどいい。散歩をするにはいい気候だ。


「ちょっとこの隙に『マギズテイル』に行ってくるよ。鑑定してもらわないといけない宝具があってね」


 アーノルドが大人しくしている今しかチャンスはない。

 護衛は……まぁラウンジで適当に見繕うか。相手がレベル7でなければまぁ何とかなるだろう。もともとはティノが見つけた宝具だし、ティノがいればいいのだが……。


 行きつけの宝具店の名に、エヴァが眉を歪め、ジト目で言う。


「一応クライさんも理解しているとは思いますが……無駄使いしないでくださいよ。借金十桁ですよ?」


 全然信頼されていないようだ。まぁ、僕のコレクションの多くは『マギズテイル』で突発的に買い込んだものなので仕方ないだろうが、さすがの僕も昨日の今日で借金を増やす程耄碌してはいない。借金十桁で副クランマスターに何とかしてもらうハンターが他にどこにいると?


 にやりと笑みを浮かべ、親指を立てて答えた。


「大丈夫。そもそも財布にお金入ってないし」


 シトリーに飲み代を返した時点でほぼ空っぽである。鑑定はツケだ。レベル8はツケが利くのだ!


 エヴァが素早い動作で机の上に放り出されていた僕の財布を取り、無言で中を覗く。目が大きく見開かれ、唇が震えていた。


 僕をまるで馬鹿でも見るような目で見上げて言う。


「ほ、本当に、からっぽ………よ、よく生きてますね」


「あまり外出ないし」


「もう! パン三つくらいしか買えないですよ!? さすがにこれは――ちょっと補充してきます」


 エヴァが空っぽの財布を持って足早に出ていった。何度も何度も迷惑かけて本当に申し訳ございません。



§



 クランハウスのすぐ前は大通りである。

 大型の馬車が複数車両、余裕をもって通れる、帝都の動脈の一つだ。朝昼はもちろん夜中でも人通りが途絶える事はない。

 入り口付近の観葉植物の陰に身を隠していると、外の様子を見てきたティノが小走りで駆け寄ってきた。


 つい先日、僕の幼馴染のせいで散々な目にあったはずだが、全くその様子を感じさせない。

 服装もいつも通り、脚を強調するかのように過剰に身軽さが演出されたホットパンツに、黒を基調としたジャケットだ。僕の服装も変わり映えしないが、ティノも大概である。


 ティノが声を潜めるように報告する。


「怪しい影は見えません、ますたぁ。私にわかる限りは、ですが」


「裏道を通って行こう」


 弱者代表として、僕はどんな時も警戒を忘れたりしない。


 相手は大所帯だしリーダーは巨漢だし、専門の盗賊シーフであるティノの目を高レベルとは言え剣士ソードマンが回避できるとは思えないが、できることはやっておくべきだろう。

 僕の言葉はティノの索敵スキルを疑うような類のものだったが、素直な後輩は気を悪くした様子もなく小さく頷いた。


「さすがです、ますたぁ。ドラゴンはサンドラビットを狩る時にも全力を尽くす、という奴ですね」


「うんうん、そうだね」


 なんかテンション高いね、今日は。

 でもドラゴンはサンドラビットを狩るのに全力を尽くさないと思う。エネルギー効率が悪すぎるからだ。ウサギ一匹に全力を出しても割に合うまい。


 ティノは僕の適当極まりない答えにめげることなく、両手をぴったり合わせ、唇の端を持ち上げて見せた。その仕草がどこかリィズと重なる。


「ご安心下さい。あの田舎者達には、ちゃんとますたぁの凄さを正確に伝えておきました」


「ふーん」


「そもそもお姉さまがいる時点で手を出すなんて愚行なのですが、今頃はますたぁの力に震えている事でしょう」


 冗談を言っているように見えないから質が悪い。前半はわかるが後半がさっぱりわからない。

 僕の凄さってなんだよ……。何を話したのかは知らないが、こっちが教えて欲しいくらいだ。


 時間もないので仕方なく、言葉を無視してクランハウスから出る。


 この時間に外に出るのは本当に久しぶりだ。天気は快晴。若干肌寒い空気に身を震わせ、小さな護衛を壁にするようにして歩き始める。相変わらず通行人の数は多いが、ティノの報告した通りアーノルド達の姿はない。危険察知の宝具にも反応はない。


 それを確認してひとまず深々と息を吐く。リィズやシトリーを連れている時はここまで緊張しないのだが(別の意味では緊張するけど)、やはりティノでは僕のノミの心臓を安心させるに十分ではないということだろうか。


 慎重に町中を進む。まだ日が高いせいか、通行人の数は多いがトレジャーハンターの姿はそこまで見えない。

 どこかウキウキした様子で隣を歩くティノに尋ねる。


「そういえばリィズって今どこにいるか知ってる?」


「…………お姉さまなら…………以前ゴーレムの装甲が破れなかったから次は破ってみせると、シトリーお姉さまを引っ張って特訓に行きました。今頃は師範の所にいるかと」


 そもそも盗賊の仕事は敵を倒す事じゃないんだが……負けず嫌いだからなぁ、リィズ。

 師範も恐らく困っている事だろう。帝都でも随一の凄腕だが、《絶影》の名をリィズに継承した辺りからリィズの事を持て余している所がある。


 続いて、ティノが僅かに顔を伏せて弱々しい声で言った。


「そして私は……自主練を言いつかりました……」


 可哀想過ぎて変な笑いしか出ない。

 放任主義にも程がある。ティノだって才能があるんだから一緒に連れて行ってあげればいいのに。


「今度リィズに言っておいてあげるよ。特訓するならティノも連れて行けって」


「!? や、やめてください! 死んじゃいます!」


「死なないように注意するようにも言い含めておくよ」


「…………ま、ますたぁ。ますたぁは、私に、もう少し、優しく、するべきです」


「え?」


 この上なく優しくしてるつもりなのだが、何故かティノが涙ぐんでいた。

 僕にどうしろっていうんだよ。



§


 そして、ぐにゃぐにゃした裏道を何本も曲がり、いつもより遠回りしながら、僕達は一つの店に無事たどり着いた。

 帝都の大通りから数本外れた通りにひっそり佇む知る人ぞ知る名店。

 質実剛健を地で行く地味な外装に、これまた注意深く見ないとわからない小さな看板。


 宝具専門店『マギズテイル』。


 僕が帝都にやってきてガークさんやアーク、エヴァの次くらいに世話になっている爺さんがやっている店である。

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