57 違和感

 最近運が悪い。

 人の運気には波がある。上がり調子の時は何をやっても上手く行くし、下り調子になると何気ない行動が悪い結果につながる。

 なんだかんだ数年もハンターをやっていると、なんとなく波というものが感じられるようになってくる。


 僕はハンターだが、ほとんどクラン運営に従事していて、宝物殿の探索など滅多にしない。

 それがこの短期間で二回も外に出る羽目になっている。毎回何かしら起こるのはいつも通りなので置いておくとしても、調子が落ちているのは間違いないだろう。


 今早急にやらねばいけない事は宝具のチャージだった。


 ルークが宝物殿の最奥で修行を始めたとするのならば、ルシアは当分帰ってこない。

 宝具のほとんどの魔力は切れ、いざという時に込めてもらった切り札も使い切り、身を護るための『結界指セーフリング』すら残り僅か。

 いつもならばクランハウスに篭ってぶるぶる震えながらルシアの帰りを待てばいいだけなのだが、最近の調子を考えると、かなり危うい。


 問題は、どうやって僕の持つ五百点以上の宝具の魔力をチャージしてもらうか、だ。


 もともと、宝具の魔力チャージはハンターにとって大きな負担である。


 宝具はその絶大な力に比例するように莫大な魔力を要求する。

 普通のハンターならば一個か二個、魔力総量に秀でた魔導師でも五、六個チャージするのが限界な事が多い。

 魔力が枯渇した者は凄まじい虚脱感に襲われ、立つこともできなくなる。慣れていなければ意識を失うこともある。宝物殿において、魔力枯渇はハンターが最も気をつけなければならない事の一つだ。


 それ故、ハンターは多くの宝具を持たない。

 仲間の魔導師マギにチャージしてもらうにしても限度がある。そもそも、魔導師は魔法を使うのにも魔力を消費する。余裕は一切ない。


 魔力は栄養を取ってゆっくり睡眠を取れば自然に回復する。そのため、よく勘違いされるのだが、魔力というのは――ハンターにとって貴重な資源なのだ。


 何より問題は――数である。


 一点や二点ならばともかく、五百点以上の宝具というのはクランのほとんどの魔導師を集めても賄えるかどうか怪しい数だ。

 帝都にも宝具への魔力チャージを商売にしている魔導師が何人もいるが、それらをかき集めたところで十分の一もチャージできないし、彼らも倒れるわけにはいかないので、まず断られる。


 そういう意味で、僕の妹――いつも僕の宝具をチャージしてくれているルシアは『特別』な魔導師だった。


 宝具によって必要な魔力量も変わるが、特に大量の魔力を要求する宝具が――『結界指セーフ・リング』だ。


 一度だけ攻撃を防ぐ。単純であるが故に強力な効果で、誰もが念の為に持っておきたいと考える宝具だが、『結界指セーフ・リング』はその威力に相応の多大な魔力を必要とする。

 その量――並の宝具の五倍から十倍。並のハンターではチャージできない量である。それもまた、結界指があまり使われない理由の一つだ。


 だが、チャージしないわけにもいかない。

 結界指は僕の生命線である。もしもなければ、僕はここ数週間で十回くらい死んでる。



 それはともかく、僕は帰って来たばかりで疲れ果てているはずのシトリーちゃんに何故か肩を揉んで貰っていた。


 クランマスター室には僕とシトリーを除いて他に人はいない。

 エヴァはここしばらくの調査任務の報酬の整理をしていて、いるのはいつもの定位置である椅子に深く腰を掛けた僕と、私服に着替えたシトリーだけだ。


 高難易度の宝物殿から帰ってきた直後にトラブルを解決してもらった挙げ句、肩まで揉んでもらうとか、僕はダメ人間かな?

 借金まであるのに……完全にヒモであった。


「んっ……どう、ですか? 気持ち、いいですか?」


 シトリーの華奢な指先が僕の首筋から肩までまるで擦るように這い、あまり凝っていない肩をぐりぐりと押し付ける。

 つぼを心得ているのか、力が入る度に痺れるような快感が背筋を駆け上がり、息が詰まるほど気持ちいい。


 そう言えば彼女は人体についての造詣も深かった。錬金術師というのは優れた科学者であり、魔術師であり、医者でもある。


 『嘆きの亡霊』のメンバーは皆仲がいいが、特にシトリーは僕と仲がいい。

 これは、まだトレジャーハンターになる前、修行時代にシトリーが他のメンバーと比べて遅咲きだった事に起因している。


 結局その理由は、錬金術師アルケミストという職が、熟達に膨大な知識と設備を必要とする『大器晩成型』だったというそれだけの話だったのだが、一時期劣等感に苛まされていたシトリーを才能空っぽで暇だった僕が元気づけてあげた事を、義理堅い彼女はまだ覚えているらしい。

 シトリーは度々こうして僕に気を使ってくれる。


 もうその程度の貸しなんてとっくの昔に利子つけて返して貰っているはずだし、そもそも貸しなのか怪しいところなのだが、「嫌ならやめますけど……」と悲しそうに言われて断るわけにもいかない。


 肩揉んで貰うと身体が軽くなるのも確かだし……。


 ぐりぐりと背骨に沿ってゆっくりと指圧され、筋肉をほぐされる。シトリーは華奢に見えて力が強い。

 身体が火照ったように熱を持つ。頭の後ろ、耳元にその吐息が触れ、ぞくぞくする。


 興奮の混じった熱っぽく甘い声が耳を打つ。


「んッ……こんなに、硬くッ……クライさん、とっても、素敵です――んッ! あぁ……ッ!」


 どうでもいいけど性的なサービス受けてるような気になってるから変な声を出さないで欲しい。

 なんで肩を揉む側がそんな変な声出すんだよ。そんなに肩凝ってないから。


 僕は凄まじい快感に思わず出そうになる変な声を抑え、努めて平静を保った。


 パーティリーダーには常に冷静であることが求められる。


 深く呼吸をして鼓動を落ち着け、何故かボルテージの上がっている我がパーティのブレーンに話しかけた。


「………………あー、宝具のチャージどうしようかなぁ? そろそろまずいんだよね」


「ん……ッ!」


 シトリーが切なげな声で返事をする。どっからそんな声出てるんですか……。


 錬金術師は魔導師の一種ではあるが、魔力は並のハンターと同程度しかない。世間一般では錬金術師は才能がない魔導師がなるものだと考えられているくらいだ。

 シトリーの魔力量は普通の錬金術師よりはマシだが、常人の域は出ないし、優れた錬金術師である彼女の魔力は千金に値する。


「私、が……! ちゃんとッ! ノト・コクレアを、改造できれば――ッ! あぁッ!」


 息も絶え絶え、艶のある声でなんか物騒な事を言っているので聞き流した。


 こんな事でいちいち反応していてはシトリーの相手なんてしていられない。

 彼女の悪ふざけはリィズの上を行っている。あの姉あってこの妹あり、だ。


 ぴたっと押し付けられたシトリーの身体から鼓動が伝わってくる。肩や背中に触れた指先にはもうほとんど力が籠もっておらず、擦るような力加減だがそれでもかなり気持ちいい。


「最悪、『星の聖雷スターライト』に頼まなきゃいけないかもなぁ」


星の聖雷スターライト』は『始まりの足跡ファースト・ステップ』最大の魔導師パーティである。

 六人存在するメンバーそれぞれが帝都でも有数の魔導師であり――純粋な『人間』ではない。


 純粋な人間よりも遥かに高い魔導師適性を示すことで有名な『精霊人ノウブル』である彼女たちは独特の感性を持ち、まぁ端的に言うと人間をナチュラルに見下している。


 私情から来る頼みを聞いてくれるかはかなり怪しいところだ。


 シトリーがか細い悲鳴を上げ、僕の首に腕を回し、紅潮した頬を寄せてくる。


「ッ……そんなッ! クライさんッ……私と、してる時に、他の女の話なんて……しないでッ……くださいッ!!」


 楽しそうなのは結構だけど、誤解されるのはいつも僕なんだなぁ。

 シトリーの囁くような声が耳をくすぐってくる。


「お姉ちゃんがいない……今だけがチャンスなんですよ? もっと、私を、感じて――」


「……うんうん、そうだね」


 リィズがいたら飛んでくるね。他の人でも誤解しかねないよ。声だけ聞けば酷いもんだ。

 と、その時まるで謀ったようにクランマスター室の扉が開いた。


 エヴァが額に指を当て、眉を顰めている。頬が僅かに染まっていた。何事にも動じないエヴァにそんな表情をさせられる者は少ない。


 ……いつも迷惑かけてすいません。


「……一応、聞きますが…………何を、してたんですか?」


「見ての通り、肩揉んでもらってた」


「こ、このフロアは……ハンターは出入り禁止で……」


 ちゃんと服も着ているし、僕とシトリーの間にいかがわしい事は何もなかった。


 エヴァが震える声で今更なルールを指摘する。

 まだ大きな声を上げていないのは、これが初めてではないからだ。


 ……いつも迷惑かけてすいません。


「な、何も知らない癖にッ! 私と、クライさんの間に、口を挟まないで下さいッ!」


「はいはい。火に油を注がないでねぇ」


 なんか変な声をあげられ、ムラムラしてきてしまったので首に回されていたシトリーの腕を二度叩く。


 エヴァを怒らせたら割を食うのは僕なんだ。

 楽しそうなのは全くもって結構なことだが、そこの所考えて欲しい。


 シトリーが僕の意志を察して、名残惜しそうに腕を解く。


 立ち上がると、信じられないくらいに身体が軽かった。まるで残っていた疲労が全て洗い流されてしまったかのようだ。

 軽く腕を回し調子を確かめる僕に、シトリーが先程まで淫靡な声を上げていたとは思えない無邪気な笑顔で言った。


「今度は、肩だけではなく、全身マッサージとか……如何ですか?」


 うーん……抗いがたい。


「いいポーションがあるんです。きっと……今まで感じた事がないくらい、気持ちいいですよ」


「なんかダメになりそうだからやめておくよ」


 いちいち法の隙間を狙っている感じがして凄く危うい。

 錬金術師の性なのか、事ある毎に薬だの針だの使おうとするのはシトリーの数少ない弱点だった。


「よし、気が進まないけどチャージして貰うか。準備って大切だよね」


「私が交渉しましょう。……宝具の魔力が切れてしまった責任の一端は私にありますし……『精霊人ノウブル』には常々興味があったんです。……ノトさんと上手く交配させれば素晴らしい魔導師を作れたかもしれないのに」


 なんで一つの会話の中にいちいち違和感が発生するんだろうか。

 僕は首を傾げながらも、シトリーを連れてクランのラウンジに向かうことにした。

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