ゼブルディアオークション
56 病気
こんな安らかな時間は久しぶりだった。
何かやったわけではないが、やはりスライムの件が精神的な負担になっていたのだろう。悩み事が全てなくなったせいか信じられないくらい肩が軽い。
眼の前でシトリーが大きな鞄を漁っていた。
目元に少しかかったピンクブロンドの髪とその隙間から見える瞳は姉のリィズと瓜二つだ。身長はリィズよりもやや高いが、目元が優しげで、いつもだいたい地味めなローブを着ているせいかどちらが妹か間違われた事はないらしい。
可憐でしとやかで暴力よりも交渉を重んじる。
錬金術師アルケミストである彼女の優秀さは盗賊である姉とはベクトルが違う。
あらゆるアクシデントに卒なく対応できる彼女は『嘆きの亡霊ストレンジ・グリーフ』でも万能なメンバーだと言えるだろう。
時折妙なものを生み出す癖と、たまに見せる姉を彷彿とさせる苛烈さがなければ完璧だった。
長旅から帰って来たばかりなのに疲れなどはないらしい。手元から目を離すことなく言う。
「ボス部屋に強い剣士の幻影ファントムがいたんです……」
「ああ、それで……」
その一言で事情を察する。
僕の幼馴染の一人。嘆きの亡霊の剣士、ルーク・サイコルは、剣の道を極める事に妄執とも呼ぶべき情熱を抱いている男だ。
現段階でもやたら強いのだが、ルークには優れた剣士を見ると斬りかからずにはいられないという厄介な性質があった。
今回の相手はレベル8宝物殿のボス部屋に出るような幻影である。さぞルークの血も滾った事だろう。
そして、やる気になってしまったルークを止められる者などいない。というか、そもそも止めたりしない。
「ルークさんの悪い病気が発症してしまって……ルシアちゃん達はもう少し付き合う、と」
いつ帰ってくるんだよ……。
「勝てたの?」
「惨敗です。一対一で勝てるようになるまでやるって。新たに湧かなくなったら帰ってくると思いますが……少し、時間がかかるかも?」
シトリーが思案げな表情を浮かべて言う。
帝都でもほとんど敵なしのルークが惨敗するってどんな相手だよ……。僕は絶対に出会いたくないぞ。
しかし、これでリィズと合わせたら『嘆きの亡霊』は二枚抜きである。
ルーク達の強さは誰よりも知っているが、探索先の宝物殿も屈指の難所、少し心配だ。
「帰ってきちゃって良かったの?」
「お姉ちゃんはともかく、私の役目は準備なので……キルキル君も置いてきたので大丈夫です」
キルキル君というのは最近のシトリーが護衛として連れ回している魔法生物だ。
見た目は灰色の石のような肉体を持つ巨漢であり、目の位置に穴の空いた袋を被りブーメランパンツを穿いている。
どう見ても変態だし一見人間のように見えるが、シトリーが魔法生物と言い張るのだから魔法生物なのだろう。何の魔法生物なのかは知らないが……。
僕はその存在についてはなるべく考えないようにしていた。
ちなみにキルキル君という名前は、その生き物がキルキルとしか喋れない事に由来している。甲高い声でキルキルと叫びながら恐るべきタフネスと膂力を武器に敵を蹂躙するらしい。頭おかしいと思う僕はハンターとして失格なのだろうか……。
まぁ、シトリーは優秀なハンターだ。慎重派な彼女が見積もりを誤ることなどほとんどない。待つしかないだろう。
と、その時、シトリーが漁っていた背負鞄から何かを取り出した。
大きなカーキ色の鞄は彼女のトレードマークである。前衛ではなくアイテムの数と種類が戦力に直結するシトリーは何時でも大きな鞄を背負っている。
シトリーがニコニコしながら取り出したのは小さな指輪だった。
透明な水晶のついた小さな指輪型の宝具だ。
「……宝具まで持ち帰ったのか……」
「宝物殿で見つけたものじゃありませんが……」
どこで拾ってきたのだろうか。シトリーちゃんが机の上に置いた指輪を慎重につまみ上げ、観察する。
鈍い銀色の指輪だ。宝石の代わりにあしらわれた無色透明な水晶は精緻にカットされているにも拘らず、向こう側がはっきり見えるくらいに汚れがない。
僕の趣味は宝具集めである。ルーク達が持ち帰った宝具の全ては最低一回、僕の前を通るし、頻繁に宝具店にも通っている。
僕が唯一仲間たちに勝っている物があるとするのならばそれは宝具に対する造詣に他ならない。
シトリーが眼の前に置いたそれにも見覚えがあった。
「……『異郷への憧憬リアライズ・アウター』の指輪タイプだ。どこで拾ったの?」
ラビ研を退けるのに使用した宝具。
魔法を一つだけストックする宝具である『異郷への憧憬リアライズ・アウター』。
僕の持っているのはペンダントタイプだったが、これはその指輪タイプである。
『異郷への憧憬リアライズ・アウター』はあまり珍しい宝具ではない。独特の透明度を誇る水晶こそがその技術の根幹であり、形も様々な物が存在する。
指輪型。腕輪型。ペンダント型。サークレット型。杖に取り付けられているパターンもある。水晶の大きさで込められる魔術の上限が決まっているのだ。
ストック時に、本来その術の起動に使用する百倍の魔力を消費するという特性からあまり人気がない代物だが、ルシアという極めて優秀な魔導師を仲間に持つ僕からすればあればあるほど嬉しい品だ。
舐めるような目つきで指輪を見る僕に、シトリーちゃんが薄く笑みを浮かべて言う。
「クライさんには、今回迷惑を掛けてしまったので……お土産です」
「迷惑……?」
別に迷惑なんてかかってないっていうか、むしろ色々後始末してもらって、こっちがシトリーにお礼をいいたいくらいなんだけど……何の話だろうか?
もしかしたらシトリースライムが逃げ出した件だろうか? それもまぁ迂闊な事をしてしまった僕が悪いんだし、僕のためを思ってくれた彼女を責めるつもりはない。
僕はそれを指摘するか迷い、喉から出る一歩手前で止めた。シトリーもそんなこと言われなくても理解しているだろう。
こういうのも初めてではない。僕はありがたくシトリーの好意を受け入れた。
「別に迷惑なんてかかってないけど、お土産だって言うなら貰おうかな。助かるよ」
「いえいえ。私とクライさんの仲じゃないですか」
穏やかな笑みを浮かべるシトリーに、僕はそれ以上何も言うことができなかった。
……実は僕は彼女に凄まじい額の借金があったりする。
§
失敗した。だが、シトリー・スマートはその事実に対してショックを受けていなかった。
シトリーは錬金術師アルケミストである。
錬金術師アルケミストの実験はもともと、失敗を積み重ね徐々に正答に近づいていく類の物だ。
世の中にはまるで天に導かれているかのようにたった一度で正答を導く者もいるが、自分がそこまで優秀ではない事をシトリーは知っていた。
いや、優秀である必要なんてないのだ。
自分には何度失敗してもそれをカバーしてくれる仲間がいるのだから。
もともと、トレジャーハンターに必要とされる才能の中でめぼしいものに恵まれなかったシトリーが、帝都ゼブルディアのハンターでもトップクラスのパーティについていけているのは、仲間の尽力に寄る所が大きい。
その事を理解しているシトリーは常に謙虚でいることを心がけていた。
謙虚で、多様性を認め他者を尊敬し人を無闇に下に見ない。
もともと、百万の民から称賛を受け才能を褒めそやされても、それはシトリーの心には響かない。
『アカシャの塔』の殲滅。
その事後の聞き取り調査を受けながら、シトリーはこの無駄な時間が過ぎるのを表情を変えずに待っていた。
「他に何もなかったんだな?」
「はい。提出した物が全てです。何か不自然な点でも?」
「……いや。必要な情報は……揃っている」
ガークがシトリーの答えに苦虫でも噛み潰したような表情をした。
何もかも提出した。クライが欲しがっていた『時空鞄マジック・バッグ』も、中の貴重な資材や研究資料ごとくれてやった。
本当だったら喉から手が出るほど欲しい兄弟弟子達の死体もそのまま差し出した。唯一掠め取ったのは小さな指輪一つだけだ。
強欲なのは良くない。多くの物を得ようとすれば大切な物が指の間からすり抜ける。
いずれこの時が来る事は知っていた。
帝国の遺物調査院や騎士団はその恐るべき研究の完璧な証拠に怯えそしてそれが未然に防がれたことに胸を撫で下ろす事だろう。それでこの件には幕が降ろされる。
今回、たった一つの大きな失敗は――自分の生み出したスライムが予想外の成長を遂げていた事だけだ。
クライから聞いた話を思い出し、少しだけ眉を寄せる。
スライムが周囲の環境に応じて性質を変えるのは錬金術の基礎知識の一つだが、まさか完全に密閉した特殊合金製の金属筒を透過できるようになるとは思わなかった。
スライムのスペックを過小評価していたシトリーのミスだ。一つ間違えれば誇張でもなく、帝都が滅んでいただろう。
だが、もともとスライムをクライに預けていたのはこういう事態を想定しての事だった。
魔法生物は扱いが難しい。創造主であるシトリーとてその全てを知っているわけではない。
まさかそれをあのタイミングでけしかけてくるとは思わなかったが、それもまたちょっとしたイタズラのようなものだ。
考えようによってはシトリーの手間を一つ減らしてくれたとも言える。
「……ソフィアというメンバーは?」
「駆けつけた時にはいませんでした」
「提出してもらった資料は確認したか?」
「最低限は」
厳しいガークの目にはかすかな猜疑心が見えた。それに向けて笑みを浮かべて見せる。
完璧な証拠だ。今回は前回と違う。ちゃんと犯人がいるのだ。
もしも必要ならばソフィアの死体も出せるが、なるべくならばやりたくない。
『嘆きの亡霊』のルールの一つは『一般人』に手を出さない事。法を破るのに躊躇いはないが、そのルールには従いたい。
まぁ、でも問題はないだろう。直感は――『証拠』にはならない。
ゼブルディア帝国は法治国家だ。帝国上層部にはシトリーの顧客もいる。
シトリーが『嘆きの亡霊』のそれぞれのメンバーの中で突出している点を挙げるとするのならばそれは――財力になるだろう。
『錬金術師アルケミスト』は金になる。知識も、調合した薬も、生成した魔法生物も、何もかもが巨万の富を生み出す。
クランハウスにシトリーの研究室が存在するのは、シトリーがその建設時に個人として多額の出資を行ったからだ。魔導師でも剣士でも、突出したハンターには富が集まるが錬金術師のそれは他職の比ではない。
「ノトが意識不明なのは残念だった。治療は続けているが戻る気配がない。尋問すればもっと詳しい事がわかったかも知れない」
「とても……痛ましい話です。手加減できるような相手じゃなかった。クライさんを責めないでください。クライさんは私を助けてくれただけなんですッ! それに……ノト・コクレアは……その――」
小さく口ごもり、瞳を伏せるシトリーを、ガークの後ろに立つカイナが表情を引きつらせて見ている。
ノト・コクレアは帝国から永久追放処分を受けている。
帝都はもちろん、国内で見つかれば殺されても文句は言えない。殺してしまった側も罪には問われない。
それもまた、シトリーがノトを評価していた理由の一つだ。後始末だけならばともかく、犯人を仕立てるというのは存外面倒な話なのだ。
「……外傷はない。治癒術も効かねえ。内臓や脳に損傷もねえ。だが意識はねえし心臓も止まりかけてる。こんな傷は初めてだ、と、専属の治療師ライターが言ってたよ」
「時間経過で回復する……と思います。衰弱しているだけかと」
原因はマナ・マテリアルの不足である。
マナ・マテリアルは万物に宿り強化する、その存在の根幹をなすと言っても過言ではない重要な要素だ。
本来、この世界で普通に生きていればありえない話だが、それが何らかの原因で――例えば奇妙なスライムに吸い取られた、などの理由で――ほぼゼロになれば、死にかけもするだろう。
時間経過で回復するはずだが、記憶は残っていない。既に人体実験も済ませている。
「どうやったらこんな状態になる?」
「……ガークさん。私に、クライさんの手口を漏らせ、と、そう言っているんですか? 冗談ですよね?」
笑みをそのままに目を細めるシトリーに、ガークが口を噤む。
トレジャーハンターは命懸けの職だ。
その手法は千差万別、その手口を――特に、戦法を他人に知られる事は大きなデメリットになる。
理由なくそれを探ろうとするのはマナー違反だ。
もちろん今回の場合は――それをやったのはシトリーのスライムだから関係ないのだが、仕向けたのがクライなのは間違いないので嘘は言っていない。
目を見開き硬直するガークに、申し訳なさそうな表情で続けた。
「ガークさんを信頼していないわけじゃありませんが――そういうのはクライさん本人に聞くのが筋です」
「……ああ、そうだな。悪かった」
これでいい。もしかしたら、クライはガークにシトリースライムの力を教えてしまうかもしれない。
だが、その時は――千変万化がそれを最適だと判断したということだ。恨むつもりはない。その時は笑顔で捕まろう。
信頼とはそういう事だ。
立ち上がり、ガークとカイナに小さく会釈して言う。
「もし何かあれば教えてください。アカシャの塔は私の敵――全ての魔導師と錬金術師の敵です。絶対に止めなくてはならない」
「…………ああ、協力感謝する。何かあったら連絡する。しばらく帝都にいるのか?」
「はい。何かあったら、クライさんかお姉ちゃんに伝えていただければ」
ともあれ、今回はクライに不要な負担を強いてしまった。何か詫びをするべきだろう。あんな指輪一つではとても足りない。
今回はトラブルメーカーの姉が先に帰ってきている。ブレーキが存在しないのは姉の欠点の一つだ。
きっと何かしら迷惑を掛けてしまっただろう。
姉の失敗を贖うのも妹の役目の一つだ。
鼻歌を歌いながら探索者協会の応接室を出るその時には、シトリーの頭からはアカシャの塔やノトに対する興味は消え去っていた。
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