第3話

「え……?」


 すると、そこにはこんな言葉が綴られていた。


『やっと、あの人と一緒になれる』


 それは、明らかにMiraiが誰かに向けて放ったメッセージだった。その相手は、恐らく諸麦さんだろう。

 直前には、自分で撮ったと思しき錠剤の写真とともにこんなツイートが残されていた。『これさえあれば、怖くない』。


「どういうこと……?」


 六月七日の『これさえあれば、怖くない』、六月八日の『やっと、あの人と一緒になれる』、六月九日の『あの人に会えるまで、あともう少し』──この三つが直近でMiraiが呟いたツイートだ。

 けれど、いくら考えてみても分からない。恐らく、写真に写っている薬は通っている病院で処方されたものだとは思うけれど……。


 私は首を傾げた。そして、コーヒーを飲み干すと帰路につくことにした。

 時刻は20時。自宅マンションのエレベーターに乗りボタンを押すと、六階に着く。エレベーターの扉が開いた。

 真っ直ぐと自分の部屋──602号室に向かおうと足を踏み出した瞬間、私は息を呑む。


(──え?)


 601号室の前に、帽子をかぶった女性が立っていたのだ。


(あの人って……もしかして……)


 監視カメラに映っていた怪しい女性と同じ服装だ。

 私は意を決して、恐る恐る女性に近づく。女性は俯いていたため、どんな表情をしているのかは分からなかった。

 不意に、その人物は顔を上げて私を見た。目が合った瞬間、彼女は困惑したような表情を浮かべる。


「あ、あの……私……」


「あなた、もしかしてMiraiさん……?」


 私たちの間に、沈黙が流れる。やがて、その人の顔がみるみるうちに怯えたような表情へと変わった。

 そして、「ごめんなさい!」と叫ぶと、慌てて階段を駆け下りていった。

 その後、その人が戻って来ることはなかった。しかし、私は妙な既視感を覚える。


(今の子、どこかで会ったことがあるような……)


 一瞬だけしか見えなかったが、確かに顔見知りだった気がする。でも、誰なのか思い出せない。



***



 翌日。

 PCで書類の作成をしていると、不意に隣の席の先輩社員から声をかけられた。


「柊木さん。なんだか、元気がないみたいだけど何かあったの?」


「えっ? ああ……いや、何でもないですよ。少し、寝不足なだけです!」


 咄嵯に笑顔を作って否定したが、上手く笑えた自信はなかった。


 昨日の一件以来、ずっと頭の中がモヤモヤして落ち着かないのだ。

 一応、諸麦さんには報告したけれど、今のところ特に進展はない。


「本当に? 何か悩み事でもあるんじゃない?」


「いえ、大丈夫です! 心配かけてすみません」


「ううん。もし何か相談したいことがあったら、いつでも言ってね」


「はい、ありがとうございます」


 私はお辞儀をすると、再びPCに向かった。

 そういえば、昨日は雨が降っていた。なのに、彼女は傘を持っていなかった。

 もし、その状態で外を歩いていたのだとしたら全身ずぶ濡れになっているはずだ。

 ──でも、彼女の服は濡れていなかった。一体、なぜ……?

 思いあぐねていると、ふとある考えが脳裏をよぎった。


(……! まさか、同じマンションの住人とか……?)


 だとすれば、雨で濡れていないことにも説明がつく。

 私は居ても立っても居られなくなり、仕事が終わるとすぐに諸麦さんにLINEメッセージを送った。


『諸麦さん。今、お時間よろしいですか?』


 すると、暫くして彼からの返事が返ってきた。


『どうかしましたか?』


『例の件なんですけど……ちょっと、気になることがあって』


 私は、Miraiの正体が同じマンションに住んでいる住人かもしれないことを伝える。


『そ、そんな……でも、まさか……』


 諸麦さんは困惑しながらも、何やら言い淀む。一体どうしたのだろうか。


『どうしました?』


『ああ、いや……なんでもありません。ということは、つまり彼女はずっと近くにいたということですか……?』


『もしその仮説が間違っていなければ、そういうことになりますね』


 既読にはなったものの、諸麦さんは黙り込んでいた。きっと、想定外の事態に戸惑っているのだろう。


『あの……今日はありがとうございました。また、何かあれば連絡します』


 そう告げると、私は諸麦さんとのトークを終了した。


(早く、あの子のことを思い出さないと……絶対、マンション内で会ったことがあるような気がするんだけど……)


 帰路につきながらも、私は必死に記憶を辿る。

 すると、ふと頭にある人物が浮かんだ。そうだ。あの子は、確か──。

 私はハッとした。そして、思わず立ち止まる。


(嘘……でしょ……?)


 私は愕然としながら呟く。

 ──その人物とは、自分の部屋の真下に住む女子高校生だった。名前は、確か黒瀬くろせさんだったはず。

 マンション内ですれ違うと、必ずにこにこと微笑みながら挨拶をしてくれる感じの良い子だった。

 それが、いつの頃からかあまり見かけなくなってしまったのだ。


(とはいえ、引っ越したわけではなさそうなんだよね……もしかして、不登校とかなのかな?)


 だとすれば、彼女も心の病気を患っている可能性がある。高校生なら年齢的にもMiraiとちょうど同じくらいだし、何かと共通点が多い。

 ──よし、今度彼女の家を訪ねてみよう。私は決意を固めた。



 ***



 後日。私は有給を取り、諸麦さんと一緒に502号室を訪ねることにした。

 私たちは、あえて平日の昼間を選んだ。彼女の両親は共働きなので、平日の昼間は家にいない可能性が高い。本人と接触するには、そのほうが都合が良いのだ。

 インターフォンを鳴らすと、「どちら様ですか?」と若い女性の声が聞こえてきた。

 私は、すかさず「602号室の柊木です。ちょっと、お話いいですか?」と答える。

 すると、玄関のドアの鍵が開いた音がした。そして、ゆっくりとドアが開かれる。

 中から現れた女性は、先日見た女性と同一人物だった。やはり、黒瀬さんで間違いなかったようだ。

 黒瀬さんは私たちの顔を見ると、驚いたように目を見開く。しかし、すぐに表情を曇らせると俯き加減に言った。


「……私に、何か用でしょうか?」


「突然押しかけてしまってすみません。実は、少しお聞きしたいことがありまして……」


 私はそう言うと、早速本題に入ることにした。


「その……601号室の前にいつも花束を置いていたのって、あなたですよね……?」


 私が尋ねると、黒瀬さんはビクッと肩を震わせた。けれど、やがて観念したかのように小さく首を縦に振る。


「やっぱり、あなただったんですね……」


「……」


 彼女は何も答えなかった。

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