げに厄介は、人の気持ち

けろけろ

第1話 げに厄介は、人の気持ち

 テュードル王の第三王女、私――ナタリアの朝は早い。

「マシュー! ……マシュー? 居るの?」

「はい、ここに」

 週明けの執務室は忙しかった。書類に埋もれた私を救出するため、専任騎士のマシューが駆けてくる。

「兄上にも困ったものだ……! さんざん安請け合いした挙句、私に仕事を回して……!」

「それは姫様を信頼なさってこそですよ」

 苦笑する私だけれど、マシューの言葉は心地良い。

「まったく、出来た臣下だな」

「はは、おだてましたね? では、ぜひ、書類をお手伝いさせて頂きましょう」

 何も言わずに、私は書類の束を差し出した。書式別に整理する事が、マシューへ言い渡すいつもの仕事だからだ。

「はい、かしこまりました」

 マシューが一礼して書類を受け取る。執務室に、静かな時間が流れ始めた。




 どれくらい時間が経っただろうか。

 私はぽつりと呟いた。

「マシュー、この間の話、考えてくれたか……?」

「……あの時申し上げた通り、無理ですよ」

「そうか……」

 私は書類から目を上げて、マシューを見つめる。

 主君である私が、この専任騎士に恋心を抱いてから、もう何年になるだろう。ブルネットで黒い瞳の私と違い、金髪碧眼のマシューは眩しく、出会った頃から立派で、戦災孤児の面倒を見るほど優しいのだ。

 最初は、傍に立たせておくだけで満足だった。

 次に、仕事以外のことも話したくなり。

 そのうち、触れたくなった。

 そして、それ以上を望んだ――。

「ふん、お前は嘘つきだ。騎士になる時、血の一滴まで私に捧げると誓ったはずだぞ」

「申し訳ありません、血はもちろん全て姫様に、しかし恋心はステュアートに捧げたいんです。あの栗色の髪と、無邪気できょろっとした瞳が毎日私を悩ませています」

「……馬鹿ね、ステュアートとは男同士。もっと言えば、そんな関係でもないくせに」

 溜息をつく私に、マシューは微笑を浮かべる。

「さ、姫様。もう少し書類を頑張りましょう」

「──遠乗り」

「は?」

「遠乗りに行きたい」

 私は判りやすい交換条件を出した。ただ、書類を仕上げないと困るのは私なので、本当は交換条件になっていない。

 でも、マシューは二つ返事で快諾してくれた。

 私は満面の笑顔を見せた事だろう。

「どこまで行くかな……」

 楽しく行き先を選定しながら、物凄いスピードで事務処理して行く私。マシューと遠乗りに行けると思えば当然だった。処理される書類の量を見て、マシューも喜んでいる。

 私は体力こそ無いものの、特別に頭脳が秀でていた。このような事務処理の類から、チェスのようなボードゲーム、それに戦略戦術まで。だからお兄様にコキ使われて、マシューにも迷惑が掛かるのだけれど。

 そこへ、こんこんというノックの音が聞こえてくる。

「すみません、聖騎士団のステュアートですが」

 ドアの向こうからその声が聞こえた瞬間、私は立ち上がった。まるでバネのような動きだ。

「わ、私は留守だからな!!」

 私がそう言い捨て、分厚いカーテンの隙間に入った。今、瞬時に隠れられるのはここだけとも言える。

「失礼します」

 まだ入室の許可も与えていないのに、ステュアートはドアを開けたようだ。その途端、マシューの嬉しそうな声が聞こえてくる。

「やぁステュアート、私に用か?」

「そんな訳ないだろ!? ──姫様はどこ?」

「残念、お留守だよ」

「君が姫様を一人にするとは思えないな」

 少しの間。

 でもすぐに明るいステュアートの声が響く。

「カーテンに隠れるのはいいですけど、おみ足が少し見えてますよ……?」

 そう言われ、ゆらゆらとカーテンが揺れてしまう。それは私の動揺からだ。

「姫様、このステュアートと遠乗りに行きませんか?」

「……書類がたくさんあるし、私は遠乗りが嫌いだ!!」

 先ほど行きたがっていた遠乗り。なぜステュアートが誘って来たのか私は驚く。それはマシューも思っていたようだ。カーテンの隙間から、騎士らしくないあんぐりした表情が見える。

 その間、私はずっとステュアートに誘われていた。

「息抜きって事で、いいじゃないですか。帰ってきたら私も書類整理を手伝いますから」

「聖騎士だというのに、暇な事だな……!!」

「それだけ平和という事で、喜ぶべきですよ? ……えいっ!」

 私がステュアートにより、カーテンから剥がされた。そのままずるずると引き摺られて行く。

「くっ……! ステュアートよ、不敬罪だぞ……!」

「はいはい、馬の用意は済んでますからね」

「ステュアート!!」

 私はステュアートに対し、本当の不敬罪に処すなどの厳しい態度に出られない。何故なら、愛するマシューがステュアートの事を想っているからだ。

 また、マシューもステュアートの行動を止めない。多分ステュアートの想い人が私で、その気持ちを尊重したいからだと思う。

 更に、ステュアートは私が強く出ないので、照れているだけだと勘違い──。

(……どうなっちゃうの、これ!?)

 私はマシューに手を振られながら、行きたかった、いや、行きたくなくなった遠乗りに出発した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

げに厄介は、人の気持ち けろけろ @suwakichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ