第三話 【透明少女】(3)

   *


「──ということで、わたしの演技はここまでにしよう」

 そんなこんなで買い物を終え。休憩しようとやってきたカフェ。

 窓際の席で、アイスティーを飲みながら紫苑は言う。

「お疲れ良菜。よく頑張ってくれたね」

「……ふうぅぅ……」

 その言葉に──わたしは全身の力を抜きつつ深く息をついた。

「うん、お疲れ……」

 ……本当に疲れた。

 一挙手一投足、全部紫苑を演じながら買い物するのは……マジで本当に疲れた。

 頭はずっとフル回転、普段使わない筋肉を使ったから、明日は筋肉痛確定だ。

 もはやメモを取る元気も残ってない……。

「どうだった? ここまで二、三時間くらい、ずっとわたしの振りをするのは」

「大変だったあ。もうくたくたになっちゃったし」

 と、わたしはテーブルに視線を落とし、

「正直、あんまり上手くやれた自信はないかも……」

 うん、実際にやってみてわかった。

 誰かのお芝居をするのは、本当に難しい。

 顔が似てるとか声が似てるとかそういうアドバンテージはあるけれど、声色が一つ違えば、素振りが一つずれれば、あっという間に「別の人」になってしまう。

 思っていた以上に、『紫苑の振り』は大変だ。

「それに……正解がわからないんだよね」

 一番の不安ポイントを、ぼやくようにしてこぼした。

「紫苑だったらこうするかなとか、こう考えるよねとか色々想像はできるんだけど。実際がどうか、紫苑が本当にそう考えるのかがわかんないっていうか。それが不安で……」

 キャラにしろ紫苑にしろ、わたしたちがしているのはあくまで『お芝居』だ。

 つまり、わたしたちは本人じゃない。

 確実にそこにあるはずの『正解』を真似ているだけ。

 だからこそ──底なしの不安があった。わたしの思う『正解』は、本当に正しいの?

 キャラは、紫苑は、本当にこんな言動をする? 本当の、本当に?

 さらに視線を落とし、爪先を見る。

 紫苑の格好をしているけれど、唯一わたしが自宅から履いてきたスニーカー。その汚れがなんだか普段よりもみっともなく見えて、この場にふさわしくない気がした。

「あー、なるほどねー。でもそれは、簡単な話かも」

 紫苑は意外にも、あっさりした口調でそう言う。

「答えが合ってるか合ってないかは正直関係ないんだよ」

「関係ない……?」

「うん」

 うなずくと、紫苑は窓の外、街の景色に目をやり、

「大事なのは──良菜が良菜の中の『紫苑』をどれくらい信じられて、身と心を預けられるか。虚構を真実と語れるか、だよ」

「そっ、か」

 つぶやいて、コーヒーを一口飲む。

「虚構を、真実と語る……」

 舌の苦みを味わいながら、わたしは考える。

 ……芝居って、もしかしたらそういうことなのかもしれない。

 演技は演技である以上、どこまでいっても虚構だ。ウソに過ぎない。

 けれど、それを本物だと思わせるのが、真実として語るのがお芝居なんだ。

 だとしたら、まずはわたしがわたしの中の『誰か』を、どこまで信じられるか。

 信じなきゃ、真実になんてならない。

「……信じられるまで、考えるってことだよね」

 紫苑との会話を思い出しながら、わたしはつぶやく。

「その人がする選択を、怖くなっても考え続ける……」

「そういうことだねー」

 紫苑がこくりとうなずく。

「永久に、それを続けるだけだよ」

 テーブルに、短く沈黙が降りる。

 店内に流れるお洒落な音楽が、わたしたちをうっすらと包む。

 普段はこういう静けさが苦手なのだけど、紫苑相手だと気まずくなくて不思議だった。

 コーヒー二口分ほども黙ったあと、

「ていうか、このあともうちょっと時間ある?」

 ふと思い立った様子で、紫苑が声を上げた。

「え、あるけど」

「だったらさあ、一回、試してみちゃおうか?」

「何を?」

「テープオーディション」

 あっさりと、紫苑はそう言った。

「良菜がそこまでお芝居のこと考えてるなら──試しにテープ録っちゃわない?」

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