第三話 【透明少女】(2)
*
「よーし、そろそろ始めよう」
お目当ての店に向かいながら、紫苑が歌うような声で言う。
「ここからは、『香家佐紫苑』のお芝居をしてもらおうか」
「あー、もうやるんだ……」
うなずきながら、わたしはキョロキョロを辺りを見回す。
道行く沢山の人たち。若い人から仕事中らしき大人たちまで。平日にもかかわらず、小中学生みたいな小さい子たちの姿も見える。
「こ、こんなとこでやって大丈夫?」
不安に駆られて、わたしはおずおずと尋ねた。
「なんか、変だなって思われないかな? 紫苑有名だし、身バレしちゃったりとか……」
「えー、大丈夫でしょ」
紫苑は、けれどあっけらかんとした声でそう答えた。
「別にそんな、みんな周りの人を気にしてたりしないでしょ」
「そ、そんなものかな……?」
「うん。わたし、街中で声かけられたこともないし。世の中そんなアニメ好きばっかりでもないってー」
「そ、そうかなあ……」
言ってる間にも、通りを行く若者たちのバッグ。そこに付けられたアニメのキーホルダーやらバッジやらが目に入る。さらには向かいの建物。大きな街頭ビジョンには、新進気鋭のアニメ監督、
『──ええ、新作劇場アニメです。「おやすみユニバース」という小説が原作で──』
……いやほんとに大丈夫!?
アニメ、紫苑が思ってるより原宿でも人気じゃない……?
とはいえ、確かに今のところ紫苑が声をかけられる様子はない。
それ以前に、視線を向けられることもあまりない雰囲気で、そもそもわたしもこんな格好でここまで来ちゃったわけで、
「やるしかないか……」
小さくつぶやいて、覚悟を決める。
これまでひたすら「音」を覚えてきた紫苑。
ライブ映像やネットの配信番組で、繰り返しチェックしてきた仕草や話し方。
それを──この街中で演じてみるしかない。
「……よし、オッケー!」
わたしの中に『紫苑』のイメージを宿し。
声のトーンを上げて──まずはそう言ってみた。
「今からやってみるね。気付いたところがあったらどんどん指摘して!」
顔には自信ありげな笑みを浮かべ、足取りもこれまでよりきびきびと。
口調もできるだけ楽しげに、歌うような感じを心がけた。
うん……結構できてるんじゃない? 初めてにしては、筋がいいんじゃない?
「あはは、思い切りがいいねー。そういうのマジ大事だよ」
うれしそうに笑って、紫苑はそう言う。
「役者は瞬発力が重要だからね。良菜のその反応の良さは本当に才能だと思う。ということでさっそく言うと……」
紫苑は、短くわたしを見る。
そして──ズババババっと、一気に指摘を入れていく。
「まず、猫背になってる。もうちょっとちゃんと背筋伸ばして!」
「え、伸ばしたつもりだったけど……」
「足りてないよ。頭の上から一本の線で、引っ張られる感じを意識してみて」
「こ、こうかな……?」
「うん、良くなった。あとしかめ面禁止。人前にいるときは、できるだけ明るい顔で」
「……お、おーけー!」
「あー、顔は良くなったけど、完全にテンションが良菜に戻ってる」
「えー! ほんと? 気付かなかったー、やば!」
「あはは、普段声張ってないのがバレバレの声してるね」
楽しげに笑う紫苑。
「まあこの辺は仕方ないねー、時間がかかるところもあるだろうから!」
……あー、やっぱそこはバレるかー。
実際わたし、普段の生活で全然声張らないし。
先生に授業で当てられても、結構ぼそぼそ答えちゃうからなあ……。
「難しいねー。これからは紫苑の振りも、しっかり練習しないと」
言いながら、店のウインドウに映った紫苑とわたしを見比べる。
確かにそっくりだけど細かく違うところが無数にあって、その一つ一つがめちゃくちゃに目立って見えた。
「でも、どうすればいいんだろ。どうすれば、上手く『紫苑』ができるようになるかな」
「んー、そうだなー」
紫苑は考える顔になり、
「芝居の基礎と、同じなんじゃないかな」
「芝居の基礎?」
「うん」
と、紫苑は真面目な顔でうなずく。
「わたしならどう生きるか、良菜が生きてる間ずっと考え続けるの。小さいことも、大事なことも」
「……紫苑なら、どう生きるか」
「明日の朝ごはんに何を食べたいか、デートに行く日のネイルは何色にするか──決められた時間で何を捨てて、決められた場所で何を諦めるのか」
──紫苑のする選択。
何を選ぶのか。そしてそれ以上に──何を選ばないのか。
紫苑の時間は限られている。対して、選択肢は数え切れないほどある。
その中で、紫苑のする判断──それを、考え続ける。
「怖くなっても辛くなっても、やめちゃダメだよ」
紫苑の目が、まっすぐわたしを見ている。
「良菜の中のわたしに問い続けるの」
「……怖くなったり、辛くなったりすることがあるの?」
「あるある! 超あるよ!」
もー困っちゃう! みたいな顔で紫苑は言う。
「良菜もいつか、そんな日が来ると思うから。今のうちに覚悟しておきなー」
「えー怖いんですけど!」
「それが役者の宿命ですから。と、そろそろお店だね」
言われて視線をやると、通りの向こうに紫苑の言うお店が見えた。
海外デザイナーのブランドで、尖ったデザインの服が一部の若者に大人気らしい。八十年代風のネオンが掲げられた店構えも、紫苑に通ずる遊び心が感じられる気がした。
「ということで、今日は服選びも良菜がやってみてよ」
にまっと笑って、紫苑は言った。
「わたしならどれを気に入るか、どれを選ぶかを考えながらねー」
「わー、難しそう! でもまあ、何でも挑戦だねー」
ちょっと不安を覚えつつも、わたしはうなずいた。
これもまさに「紫苑の選択を考える」練習になるんだろう。
だとしたら、怖じ気づいたり恥ずかしがっている場合じゃない。
できる限り『香家佐紫苑』を貫くだけだ。
ただその前に、
「……ていうか、本当にいいの? お金出してもらっちゃって」
ふと気になって、わたしは念のため紫苑に尋ねる。
「結構高い服でしょ? なんかさすがに悪いなーって」
今日の買い物の代金は、全部紫苑が持ってくれるという話だった。
全然貯金がないからありがたいし、彼女の言い出したことでもある。
けど……金額を考えると、どうしてもちょっと気が引けた。
「あーいいのいいの。仕事のための経費だし」
ごく当たり前のような顔で、けれど紫苑は言う。
「ちゃんと領収書もらって、確定申告のときに提出するから。個人事業主だし、その辺の切り分けはきっちりさせてもらいますよー」
「へえ、コジンジギョーヌシ」
……正直、その辺のことはよくわからないけれど。
紫苑がそう言うなら問題ないんだろう。ここはお言葉に甘えようと思います……。
*
「──あー、これかわいい! いいんじゃない!?」
わたしが目についたカットソーを掲げると、紫苑は首を振り、
「──やー、わたしならもっと攻めたデザインのにするかな」
「──これなら沢山着回せそう! 王道のデザインだし!」
手に取ったデニムジャケットに、紫苑はむーんと腕を組み、
「──オーソドックスなのは、もっと大人になってからでも着れるでしょー」
「──じゃあ、このパンツならノイズも出にくそうじゃない?」
紫苑はパンツよりも、わたしの姿勢に目をやって、
「──ていうかまた背筋曲がってる。声のトーンも注意ね!」
そんな風に指導をもらいながら、服を選ぶこと一時間。
わたしたちは、一式『紫苑っぽい服』を買い終えた。
アウターとインナー、パンツとスカートを数セット。普段のわたしが絶対買わないような派手なものだったし、結局紫苑に全部選んでもらってしまった。
ていうかこれ、難しすぎない!?
服の好みとか、出会って数週間でわかるわけないと思うんだけど!
さらにその後、渋谷の百貨店に移動してコスメのチェックを一時間。これはさすがに一式紫苑に選んでもらうことになり、使用方法までレクチャーしてもらった。
「──とまあ、こんな感じでやればわたしっぽくなるよ」
「ふんふん……難しいなー」
お店の脇にあるベンチに腰掛け。
メモを取ったノートのページを眺めながら、わたしは腕を組む。
「こんな色々コツがあるんだ。しかもわたし、これを事務所の車の中でやるんだよね?」
「慣れればなんとかなる! 芝居と同じで場数こなすしかないよ!」
「わかった。あー、あとさ」
と、わたしは自分の身体、さっそく着替えた新しい服に目をやりながら、
「こんな短いスカート穿くの、実は初めてかも。ちょっとハズい」
そう、それが気になっていた。膝の上の方まで見えちゃうスカート。
制服でもいつもスカートは長めにしていたし、私服もパンツかロングスカートばっかりだった。なんだか妙にスースーするし、落ち着かない気分……。
けれど、紫苑はどこか意外そうに、
「え、そうなの!? めちゃくちゃ似合ってるのに」
「んー。でもこれまでは、見せる相手も機会もなかったし」
「いやいやー、誰かに見せるために短いの穿くわけじゃないから」
なぜか得意げに笑って、紫苑は胸を張る。
「わたしが一番かわいいと思うから選んだんだよ! 全部自分のためです!」
「ああ、なるほど」
確かに、それは紫苑らしい発想だなと思う。
肌を見せるのも綺麗にするのも、全部自分のため。
そんな気持ちでなら、わたしもこのスカート丈、大丈夫かも……。
「何をやるにも、そうやって人のせいにしないことが大事だねー。あ、あと!」
と、紫苑は思い出した顔になり、
「お風呂入ったあと、寝る前には肘と膝にこのクリーム塗って! がさがさの肌とか、絶対見せたくないから!」
「肘と膝まで……!?」
ケアするポイントがさらに増えてしまって。わたしは頭爆発寸前になりながら、ノートにメモの続きを書き込んだのでした。
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