第一話 【アナザーワールド・アナザーガール】(2)

   *


「──へえ、こんな子なんだ……」

 その日の帰り道。学校を出てすぐの交差点で。

 赤信号に足を止め、わたしはスマホを眺めていた。

 表示されているのは例の声優、香家佐紫苑さんの画像だ。

 ここまでバズったわけだし、気になって検索してみたのだ。

「すごく……綺麗な子」

 思わず、ほうと息をついてしまった。

 カラーの入ったショートヘアーに自信に満ち溢れた顔。

 顔立ちは有名人だけあってとても整っている。大きくて印象的な目にすっと通った鼻筋。唇は薄く、なんだか楽しげな曲線を描いていた。

 年齢はわたしと同じ十七歳。身長も大体同じらしい。

 ただ……身に纏っているオーラが桁違いだ。しなやかな佇まいから艶のある表情から服の着こなしから、「特別な女の子」感がビシバシ感じられる。

 わたしも、ときどき深夜アニメを見ることがあった。

 好きな作品もあるし、映画化されたものを見に行ったこともある。

 ただ、声優さんという存在を深掘りして調べることはなかったし、はっきりと注目したこともなかった。こんな子がいることや、今一番人気と言ってもいい声優さんであることは、全く知らなかった……。

 ……こんなにも色鮮やかで、お芝居までできちゃう子がいるんだ。

 もう、別世界の存在としか思えない。

 こんな風にとぼとぼ帰るわたしと、香家佐紫苑さん。声がどんなに似ていても、全く別の世界を生きる別種の生き物であるようにしか思えなかった。

「わたし、何にもないしなあ……」

 つぶやいて、ぼけっと空を見上げる。

「ほんとに、何にも……」

 ──かつて、わたしは『文化』が好きだった。

 映画、音楽、小説、漫画、アニメ。物心ついた頃からそういうものが好きで、お小遣いを全て費やしてそれらを楽しんできた。

 そして、そういうのが好きな人間にありがちなこととして……自分でも作ってみたくなった。表現者になりたいと思ってしまった。中学に入ってすぐのことだった。

 さっそく、色々試してみた。

 漫画を描いたし小説も書いたし、短い動画を作ったりもした。

 自分でも、割と良いものができた自信があったんだ。

 もちろんプロには遠く及ばないけれど、中学生としては上出来じゃない? そう思えるものが作れていたと思う。

 その集大成が、三年生だったときに友達と組んだバンドだ。

 途中から入った軽音楽クラブ。他のバンドが人気曲のコピーをする中、わたしたちは全曲オリジナル曲で臨んだのだ。

 今でも思う、悪くないステージだった。

 演奏はしっかりしていたし、曲だってなかなかの仕上がりだ。

 けれど文化祭当日。客席が一番盛り上がったのは、同じ軽音楽クラブの、人気者男子が組んだバンド。全員モテて、実際顔もかっこよくて、かわいい彼女のいる男子たちが演奏した流行の曲のコピーだった。

 彼らは決して演奏が上手かったわけではない。歌も楽器もギリギリ聴ける、っていうレベルだ。それでも、体育館のフロアは大いに盛り上がり歓声が上がった。

 文化祭が終わったあとも、しばらくは彼らの演奏の話題がそこかしこで聞こえた。

「あれかっこよかったよなー」

「わたし泣いたもん」

「高校でもやってほしいよな」

 ──誰も、わたしたちの演奏なんて覚えていなかった。

 そのとき──ああ、と、理解できた感覚があった。

 わたしってそうなんだ。世の中って、そうなんだ。

 わたしは、ただの地味な一女子でしかない。

 今も音楽や映画や漫画を好きな気持ちには自信があるけど、そんなものは武器にならない。華もなければ魅力も足りない、表舞台で輝けない脇役なんだ、わたしは。

 世の中のことだって、勘違いしていた。

 みんな「良いもの」が好きなんだと思っていた。目立たなくても、良いものを作れば誰かが評価してくれるんだと無根拠に信じていた。

 そんなこともなかったみたいだ。

 多くの人にとっては、人気者レースなんじゃないか、と今は思う。

 人気があるところに人は集まって、そこで披露されるものをこそ「良いもの」だと思う。全てが全てそうではないかもしれないけど、少なくともそういう傾向はあるんじゃないか。

 そして──わたし自身、自分の興味の薄いこと、例えば、服装やメイクやお笑い芸人や食べ物の好みは、人気者レースの観客でしかなかった。流行っているものに乗っかるだけで、こだわりを持って選ぶなんてことをしてこなかった。

 それに気付いたとき、すとんと納得した。

 ──わたしの文化に対する憧れは、成就しない。

 どんなに映画に憧れても、音楽に涙しても、物語に心震わせても……それを作って生きていきたいという気持ちは叶わないんだ。

 世の中が、それを求めていないから。

 わたしに、それを覆すほどの魅力もないから。

 ──中学三年の冬。

 帰り道を歩きながら、わたしは一人そんなことを思った。

 以来──どこか諦めたような気持ちで、わたしは毎日を地味に過ごしている。

 そして今、高校三年生の春。夢中なもののないわたしは、進路のことさえろくに考えられていないのだった──。

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