神は見ている
ソメイヨシノ
1.キリスト事件
アグルスのドゥール地方、ダンルという小さな町で起きた事件は、誰もが知っている。
かの有名なキリスト事件だ。
ルーセン・C・ファークレイ。
当時8歳の彼は、毎日、教会に通うのが日課だった。
家にいれば、両親からの虐待と祖父母による仕打ちに耐えなければならなかった。
母親はまだ幼い彼に、「お前が女だったら男に売って金儲けできたのに」と罵り、父親は酒を飲みながら、殴る蹴るの暴行をし、祖父母はそれを見ていながら、助ける事もせず、彼を扱き使うように、あれをしろ、これをしろと命令した。
学校では当然のようにイジメられる存在であり、見て見ぬふりをする先生もいれば、執拗以上に身体中の傷の理由を尋ねたり、それはまるで興味でしかないように思え、彼は脅える日々だった。
そんな彼を救ったのが、町の教会だった。
たまたま通りかかった教会の前——。
復活祭が行われており、外の通りに迄、聴こえて来る聖歌に、彼は足を止めたと言う。
教会の中は基本、誰が入っても構わない。
彼は教会が醸し出す独特の雰囲気と礼拝堂の美しさとパイプオルガンの音色と十字架に磔にされたキリストのモチーフに、一瞬にして心を奪われた。
世の中には、こんなにも神聖で、美しくて、邪悪さが全くないものが存在するのだと涙さえ溢れたと言う。
それから彼は毎日のように教会に通い、十字架に祈りを捧げ、神父も彼を受け入れた。
只、彼は祈りに来る一般人と変わりなく、やはり、ホーリーネームをもらったり、イベントに参加できたりするのは、信仰心だけでは無理な話だ。
それなりの寄付金などが必要となるのだ。
そんな金、彼に用意できる訳がない。
彼は自分の生い立ちを悔いたのは、初めてだった。
両親に何をされようが、何を言われようが、祖父母にどう扱われようが、彼はそこで生まれた以上、脅えはしても、そうして生きていく事に抵抗さえなかった。
だが、どうだろう、信仰心も然程ない癖に、金さえあれば、ホーリーネームをもらえ、一般以外の日でも、神聖な場所に出入りできて、神の御加護を全身全霊で受け、まるで神直々に愛されているような顔で、聖書の意味さえ、理解しているのか、わからない連中がいる。
この世は不公平だと気付かされる。
ある日、ルーセンは女の子に出会う。
彼女は、その教会の信者であり、正確に言えば、親が信者であり、彼女自身も両親と弟と、日曜日になると必ず教会に訪れていた。
彼女のホーリーネームはハニエル。
彼女はルーセンと出会った時に、本名ではなく、このホーリーネームで、自分を呼んだ。
ルーセンは直ぐにわかった。
その名は美の天使であると——。
だから彼は教えてあげた。
ハニエルが月に関連ある天使である事、権天使と力天使の序列を支配し、金星、十二月、天蝎宮と双魚宮を支配する事、神秘主義の十の生命の樹では大七のセフィロトに宿るとされる事、魔術においては、ハニエルは寵愛を勝ち取る為に呼び出され、また、ハニエルは愛と美を支配しており、愛情、平和、調和の為の呪文で人間の世界に召喚される事など。
彼女はハニエルというホーリーネームが、天使の名前であると知り、その天使の様々な話を聞ける事から、ルーセンと関わりを持つ事を好んだ。
ルーセンもまた、彼女に好意を抱いた。
自分の身体についた傷などを気持ち悪いと言わずに、しかも対等どころか、彼の話を楽しそうに聞いてくれて、尊敬の眼差しさえ浮かべ、笑顔を見せてくれて、そのように傍にいてくれる同年齢の人は初めてで、不思議な気持ちだったと言う。
それがルーセンの初恋だったのかもしれない。
そして彼女は殺害される。
いつもの日曜日の朝、彼女は両親と弟と共に教会に来て、祈りが終わると、弟と共に教会の中庭で遊んでいた。
両親は神父の有り難いお話を聞く為、礼拝堂に残っていた。
弟がトイレに行った時、彼女はルーセンと出会い、ルーセンと一緒に教会の外へ出て行く。
その後、彼女は行方不明となり、捜索願も出される。
ルーセンは、教会の一般出入りが許可される午後には、教会で、いつものように十字架を見上げ、祈りを行い、聖書を読んでいたのを神父も目撃している。
そして次の朝、彼女は海岸の砂浜で遺体となって発見される。
白い砂が広がる中で、その砂に描かれた翼の真ん中で手を広げ、まるで天使のように——。
外傷は殆どなく、解剖結果で、殺害方法は毒薬だと判明。
だが、手の平に、十の傷跡があり、犯人からの何らかのメッセージかと思われた。
その一週間後、また別の幼女が、砂浜で、遺体姿で発見される。
そのまた一週間後、今度は赤ん坊が同じ場所で殺害された。
その両方が、最初の事件と異なったのが、殺害方法は刃物で肉を裂かれ、外傷に酷い傷があると言う事と、地面には何も描かれてなかった事、そして手の平に十の傷跡がなかったと言う事。
その為、これが連続殺人かどうか、犯人が同一か、判断がし難くなった。
被害者の共通点は、被害者を含めた家族全員が教会の信者である事。
犯人は、教会の神父であると言う噂も流れたが、神父にはアリバイがあった。
そして、赤ん坊の遺体が見つかって、その3日後にルーセンが捕まった。
逮捕に至ったのは、教会で赤ん坊が泣き騒ぎ、母親があやしている所に、ルーセンが面倒をみててあげると声をかけ、その後、赤ん坊とルーセンがいなくなった事からだった。
逮捕に3日かかったのは、ルーセンがまだ8歳だったと言う事と、ルーセンそのものの存在だった。
いつも教会で見かける少年は、その赤ん坊の母親の目に、信仰心が強く正義に溢れた少年に見えたと言う。
着ているものや体の痣など関係なく、神の意思に背く事なく誠実な子供に見えたのだ。
ましてや、虐待を受けた傷は信者達には痛々しくも神々しさ迄に感じれた。
拷問に合うイエス・キリストを連想させられたのだ。
また彼の両親がアルビノ遺伝子を持ち合わせていた為、彼は白い肌に水色の目をしていた。
それはイエス・キリストと同じだと、この教会では語られている。
それ所か、ルーセンはとても頭が良く、聖書や偽典さえも全てを暗記してる程で、8歳とは思えぬ程、知的で理性的で、言葉を交わすだけで、教会に通う者ならば誰もが彼を神の使いじゃないかと言い、褒め称える程のカリスマ性を見せた。
神父の変わりに、一般の話を聞いてやるなどもこなし、キリストの生まれ変わりなどと唱える者や神の復活を信じる者さえもいた。
その為、ルーセンが連続殺人鬼だったと知った者達の中には、被害者はキリストの復活の為の生贄となったと狂言する者も現れ、ルーセンは神の子キリストの生まれ変わりで、被害者はホンモノの天使となったんだと言う者さえ、いたと言う。
だが、彼が犯した罪に理由などない。
何故なら、後にルーセンはこう供述しているからだ。
「理由? 理由なんてなくて、只、そうしてみたかったんです——」
そして、彼は、取調べの最中、被害者を「それ」としか表現しなかった。
その後、アグルスでは猟奇事件と少年犯罪が増え、中でも『サイレント事件』は未解決であり、今も尚、続いている事件である。
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