SINNER
ソメイヨシノ
1.童歌の章
イギリス、コッツウォルズ地方にあるカッスル・クーム。
数あるコッツウォルズ地方の村の中でも、イギリスで最も古い町並みが保存されていると言われるこの村には、『風読み人』または『風追い人』と言われる血筋の者がいる。
だが彼等は、自ら『SINNER』と名乗っている。
SINNER、その意味は、宗教、道徳上の罪人。
何故、自ら、そう呼ぶのか、それは寧ろ彼等に道徳心があるからだろう。
彼等は神殺しをする為に生まれたのだから。
「Japan! Tokyo! すげぇ! 来ちゃったよ来ちゃったよ、I came Tokyo!」
と、喜びの声をあげる少年、いや、青年か——。
だが、まわりに人、人、人の人混みに、
「・・・・・・思ったより、結構、ウザイな」
そう呟く。
ここは日本。
公用語、日本語。
首都、東京。
通貨、円。
人口、世界第10位。
日本のガイドブックを見ながら歩く。
長めの前髪で無造作に動くサラサラのブロンドの髪。
アンバーの瞳は、光の加減で、薄くブルーにも見える。
ごく普通の膝が破れたジーンズと少しヨレヨレになったシャツ。
大きめのリュックを背負っているせいか、背が低く見えるが、イギリス人にしては低い方かもしれない。
「あ、あるじゃん、タクシー乗り場!」
男はガイドブックから目を離し、タクシー乗り場に走った。
「すいませーん、Excuse me. 木里村(きさとむら)ってどこ?」
「お客さん、乗ってから行き先を言ってよ」
「No.No.No.No money. お金ないの、歩いていくから、場所だけ教えて?」
タクシーの運転手は嫌な顔になり、
「その仕事はお巡りさんだよ」
と、交番を指差した。
「・・・・・・Policeman? No! 苦手なんだよ」
だが、運転手は車のドアを閉めてしまった。
「・・・・・・なんだよ、日本人でも東京の人って、チップ渡さないと、道も教えてくれないの? 随分、場所で人が変わるんだなぁ」
ブツブツ口の中で文句を言いながら、地図を広げて見始める。すると、
「すいません?」
と、日本の男性が声をかけて来た。
「日本語凄くお上手ですね? あの、あそこにいる外人さんの通訳お願いできませんか?」
どうやら道を聞かれて、困っているようだ。
「通訳? OK. でも道はわからないよ? キミが言う言葉を相手に伝えるしかできないからね?」
そう言うと、男性はニッコリ笑い、OKと人差し指と親指をくっつけて、丸を作って見せた。
通訳は直ぐに終わり、ロンドンから来たと言うそのオジサンは、何度も二人に握手をし、手を振って行ってしまった。
「日本語、本当に上手だね?」
「小さい頃から日本にはよく来てるから、日本語は普通に喋れるよ。でも最近ずっと日本には来てないせいか、いまいちかな。あ、独りで来たのは初めて! 東京も始めてなんだ。ずっとイギリスに帰ってたから」
「へぇ、キミもイギリスなんだ? じゃあ、今の人と同じロンドンに?」
「そんな都会には住んでない。カッスル・クームって田舎町に住んでるんだ。村だよ、村」
「へぇ、でもいいとこなんでしょ?」
「まぁ、ね」
「あ、僕は長内 季人(おさない きと)。アナタの名前は?」
「オレはシンバ。シンバ・レスター」
「イギリス人だよね? イギリス人にしては変わった名前じゃない? シンバなんて」
「そう? でもキトも日本人にしては変わった名前だよ」
「そっか。ほら、大抵はマイケルとか思い浮かぶから。さっきの人もマイケルって言ってたし。でもそっか、そうだよな、日本人だからって、みんな太郎って訳じゃないし」
「いや、実際、マイケルは多いよ。でもマイケルなんて聖なる名はオレはもらえない。オレはSINNERだから。マイケルって言うのはね、あの有名な旧約聖書に登場する大天使ミカエルの英語形なんだよ。ドイツ語ではミヒャエル、フランス語ではミシェル、イタリア語ではミケーレ、スペイン語とポルトガル語ではミゲル、ロシア語はミハイル、フィンランド語ではミカ。聖なる名前として、よく付けられるよ。ちなみに略称はマイク」
「・・・・・・すごいね。そうなんだ? へぇ。でもそのシナー? って?」
「SINNER 罪人って意味だよ」
「罪人!?」
驚いた声をあげる季人。
「ねぇ、所で、木里(きさと)って村に行きたいんだけど、道わかる?」
「え? きさと?」
聞き返すと、シンバは地図を広げて、恐らく、この辺だろうと指を指す。
地図にも載ってない村なので、大体の場所しかわからないが、
「ここら辺にある村って、木里村(こさとむら)の事じゃない?」
と、季人は直ぐに、そう言った。
「こさと?」
「木に里って書いて、木里村」
季人は手の平に木と里という漢字を書いて見せる。
「Yes. そう、その字! 『きさと』じゃなくて『こさと』って読むのか」
「うん、木里村。その村なら、僕もこれから行くとこだよ」
「Really?」
「うん、本当だよ。夏休みなんだ、お爺ちゃんが住んでる村で、毎年、一人で暮らしてるお爺ちゃんに会いに行くんだよ」
と、直ぐに季人は頷いて、そう説明した。そして、
「良かったら、一緒に行く?」
そう尋ねると、シンバは、即効で頷き、
「謝謝!」
と、頭を下げる。
「いや、僕は中国人じゃないし」
笑いながら、そう言うと、
「そっか、えっと、ありがとうって日本語でなんだっけ?」
と、天然ぶりを見せるシンバ。
「ありがとうでいいんだよ」
笑いが止まらず、またも笑いながら、そう答えると、シンバは、そうだったと苦笑い。
「シンバさんは、いろんな国の言葉が喋れるの?」
「シンバでいいよ、仕事柄、いろんな国に行くからね、簡単な言葉なら直ぐにイロイロ喋れるようになるよ」
「仕事って?」
「だからSINNER」
「それ、罪人って意味だろ? それが仕事? わかった会社の名前?」
「会社じゃない。SINNERはオレ自身。オレの名前でもある。だから、シンバのシンはSINNERのSINから来てる。オレのfamilyは男はみんな名前にSINがつくんだ」
「ふぅん・・・・・・あ、バスに乗るから、バス停に行こう?」
「バス!? オレ、No money!」
「お金ないの? どうやってここまで来たの? まぁ、いいや。バス代は出すよ」
「No! それは悪いよ」
「ううん、丁度良かったんだ、実は毎年、村に一人で帰るの怖かったから」
「怖い?」
「うん」
季人は頷いて、歩き出すから、シンバも、とりあえず、後に付いて行く。
「シンバは信じないだろうけど、僕は変なモノが見える」
「変なモノ?」
「うん、なんて言えばいいかな・・・・・・そう、亡霊! 亡霊が見えるんだ」
「亡霊? Ghost?」
「そう、ゴースト。木里村に行くと必ず見えるんだ」
「今は見えてないの?」
「今はいないね」
「そうなんだ?」
「あ、ほら、バスが来た! 乗らないと次はないよ! 一日2本しか走ってないから、あれで今日はおしまいだよ」
「それは乗らなきゃ!」
と、シンバは重そうなリュックを背負っている割りに、めちゃめちゃ素早くて、季人を追い抜いて、バスの入り口で、
「キト! hurry up!」
そう叫んでいる。
「マジで!? 凄い速くない? 外人ってみんなあんなもんなの!?」
季人は余りのシンバの速さに、思わず、立ち止まって呟く。
そして、二人、バスに乗り、一番後ろの席に座った。
「長時間、バスに乗らなきゃいけないんだけど、シンバはバス酔い平気? 僕は薬飲んで来たけど、それでも酔う時は酔うかな」
「オレは平気。船も飛行機も車も、なんでも乗り物酔いはない」
「いいなぁ」
「喋ってれば大丈夫だよ。で、さっきの話だけど、Ghostが見えるって?」
「あぁ、うん、そうなんだ、木里村に行ったら、必ず見えるんだ。だから本当は嫌なんだよ、村に行くのは。だけど、お爺ちゃん、頑固でね、村から出ないって言うんだ。家族は一緒に住むべきだと思わない? なのに木里村から出ない。都会は嫌いなんだって」
「ふぅん、キトは都会に住んでるの?」
「うん、僕は新宿」
「シンジュク? それはトウキョウ?」
「木里村も、一応は東京だよ」
「あぁ、そうだよね」
シンバが頷くと、季人は肩から下げている鞄からポテトチップスを出して来て、食べる?と言う風に、シンバに差し出す。
「Thank you」
シンバはポテトチップスを一枚もらい、口に入れる。
「木里村は都心から、かなり離れてて、もう地図にも載ってないし、駅だってない。バスだって、下りたら、かなり歩かなきゃならない。そんなとこで、どうして住んでる人がいるのか、僕にはわからないよ」
「キトは普段は何してる人?」
「僕? 僕はね、美大に通ってるんだ。美術大学。油絵とか、日本画、版画、彫刻、工芸、建築、デザイン、パソコン、ウェブデザイン、映画、映像編集、漫画、アニメーション、ゲーム、多様な分野があるけど、僕は油絵を描いていきたいんだ」
「へぇ! 凄いな! オレにはない才能だ!」
「才能じゃないよ、只の夢だよ。僕よりも上手い絵を描いてる奴なんて一杯いて、それを大学に行って知ったんだ。知らなきゃ良かったよ、だから大学なんて行かなきゃ良かったって思うよ」
「絵を見て、上手い、下手がわかるだけ才能だと思うけどな。キトのその荷物って絵の具とか? それ、スケッチブックだろ? 見せてよ!」
「ダメだよ、見せれるモノじゃないし。僕の話より、シンバの話を聞かせてよ。そのシナー? 罪人だっけ?」
「SINNER キトの言うGhostに近いかな、そういう者をオレは退治してるんだ。たまに依頼も来るけど、殆どはEarthに流れる風っていうか、空気っていうか、そういうのを感じて、退治に出かけるんだ」
「地球に流れる風とか空気で、Ghostがどこにいるか、わかるって事?」
「うーん、ちょっと違うかな。Ghostとは違うんだよ、神。だから、どこにでもいるんだ、勿論、日本にも多くの神々がいるだろ?」
「天津神々とか? 絵画を見た事があるから知ってるよ」
「うん、そういう神が大人しくしてない時があるって言うのかな?」
「神が!? わからないよ、神様は僕達人間の味方だろう?」
「そうだね」
「じゃあ、なんで倒すの? どっちかって言うと悪魔を倒すんじゃないの? あ、わかった、シンバはエクソシストなんだね?」
「違う、エクソシスト、あれはキリスト教の理神論者だ。オレはキリストと敵対する場合もあるし、キリストの味方に立つ時もある。特にキリストの悪魔は異教の神々なんだよ、地中海世界で信仰されていた古代文明の神々が否定されて悪魔となったんだ。バアル神やモレク神は、神なのに悪魔と言われる代表的だよね。つまり、悪魔って言うのはね、異教の神の事を言うんだ。世の中、悪と善はそうやって均等になっている。だけど、均等じゃなくなる場合がある。例えば一方的にバアル神を信仰する者が増え、バアル神が善だと思い込む者が増える。その信仰心はバアル神に偉大なるチカラを与える。そうすると、バアル神はチカラをつけ、そして、この世界に君臨する。で、オレ、SINNERの出番。バアル神を倒さなければならない。何故って、バアル神は善だとしても、悪だと言う者もいる。バアル神が善か悪か、それは人間が決める。少しでも悪だと思う者がいる以上、バアル神は真っ白な存在ではない。わかるかな? この世界に神は沢山いて、沢山の神が世界に君臨しようとしているんだ。そうさせない為にオレのような奴がいるって訳。神々は人々の願いを聞いてくれたり、時に、過酷な運命を与えたり、喜びも、悲しみも与える。なのに、一人の神が、この世界に君臨したら、人々の運命の歯車が狂う。善だと思っていた事が悪になったり、悪だと思った事が善になったり。今、均等にある善と悪、光と闇を保つ事が大事なんだ」
「・・・・・・シンバはとても凄い運命を背負った人だったんだね」
驚いた顔で、そんな事を言う季人に、
「オレの話を信じるの? キトは理神論者だな」
そう言ったシンバ。
「いや、僕の母は何とかって神を崇めて信仰してるみたいだけど、僕は無宗教だから」
「関係ないよ、宗教なんて。神を信じるか、信じないかだから」
「・・・・・・だったら、理神論者なのかな、僕は神を信じてる」
「だよね。でも神はいないよ、キトには神がそう言うと思うよ」
「え!? 僕は神に見放されるって事?」
「No.No.No. 神はね、神の存在を信じてる者には、神などいないと言うんだ。神は存在すると言ったら、その人の信仰を強めるだけだから。逆に神の存在を信じてない者には、神は存在すると言う。神を全く信じない者は、神がいないと信じ込む事が、その人の真理への到達の邪魔となるから。神はそうやって、人に道を指し示す事しかできない。真実は人が見つけなけなければならないからだ。だけど神が君臨し、暴走したら、人に真実を指し示す事をしなくなる。この世界は終わるよ」
「・・・・・・」
季人は、なんだか話が凄すぎて、返答に困り、少し考えた後、苦笑いをする。
シンバはニッコリ笑い返し、
「ポテト、もらってい?」
そう聞いた。季人は、慌てて、ポテトチップスの袋をシンバの方に向け、
「いいよいいよ、全部、食べていいよ」
そう言った。
「ねぇ、シンバは宗教に入ってるの? 宗教っぽいじゃない? 話が」
「宗教には入ってないけど、オレの知識は様々な経典から来てるから、話が宗教っぽくなると思うよ。さっきの神がいる、いない、その話も仏陀であるゴータマ・シッダルタからの話だしね」
「そうなの? ふぅん、でも、その仏陀の宗教には入ってないの?」
「日本では仏陀は釈迦だね、オレは釈迦を敵に回す事もある。でもさ、釈迦もキリストもヤハウェも、アラビアンナイトのジンも、ヒンドゥーのシヴァも、地中海世界のバアル神、モレク神も、たくさんの素晴らしい事を人間に指し示す。それは別に悪い事じゃない。自分にいいなと思う事は自分に取り入れて、その言葉を信じればいいじゃない? 敵の全てを悪いって思うのは、Nonsenseだ。寧ろ、相手は神。オレなんかより、ずっと素晴らしいし、ずっと正しい」
「・・・・・・でも敵にするんだよね?」
「ここは神の世界じゃない。人間の世界だからね、神が君臨するのは良くない。人間が神を崇めるだけで、神は素晴らしいと思える存在。それがこの世界」
「でも人間のせいで、この世界は汚れてる気がする」
「そうだね、でもそれはオレの仕事じゃない。この世界が汚れてると思うなら、それは人間達が考えるべき事だろう? 考えもせずに、心も肉体も、この世界さえも闇で覆い尽くそうとする人間、そういう人間を裁くのも、オレの仕事じゃないし。っていうか、このバス、誰も乗らないんだな?」
重い台詞の後に、軽く流すように、目の前の景色の事を言うシンバに、季人は、慌てて、周りを見る。
「あ、あ、うん、そうだね、滅多に乗らないから一日に2本なんだろうし」
季人は周りの事まで気にできる会話じゃなかった為、すっかり、自分達の会話の世界に入り込んでいた。それと言うのも、シンバの話が面白かったのだ。
宗教などには興味がない。
オカルト的な話もホラー映画も苦手だ。
自分が妙なモノが見える事も怖くて、そんな話を聞く事も嫌な筈なのに、シンバの話は、まるで子供が大人に御伽噺を聞く時のように、それで? それで? それでどうなるの? そう聞きたくなるような話なのだ。
「それでシンバは木里村に何しに行くの?」
「なんか日本に吹く風があちこちで変だって、爺ちゃんが言うんだよ。で、まず1つ、この辺だって、地図を見せてくれて、ここら辺に『きさと村』って村があるって、爺ちゃんが言うんだ。若い頃、爺ちゃんが行った事があるんだって。でも『きさと村』じゃなくて、『こさと村』だったんだよなぁ、帰ったら、爺ちゃんに文句言わないとな」
「ふぅん、でも木里村には神なんていたかなぁ? そういえば、古い神社があったけど、別に有名な神様じゃないと思うんだけどな」
「神に位なんて関係ないよ、それを決めたのは人間だよ、知名度が薄い神程、位は低い。けどさ、逆を言えば、知名度が上がれば、位は上がる。例え無名でも人々が崇め、信仰しすぎれば、この世界を支配するチカラくらい、簡単に持ってるよ」
「ふぅん、そうなんだぁ。それで、やっつけるの?」
「やっつけるかどうか、わかんないよ、新しい神が生まれても風は吹き荒れる。古い神が忘れ去られ、この世界から消えてなくなっても、また風は荒れる。只、それだけの事なら、別にオレは関係ないし」
「ふぅん、ねぇ、気になってたんだけど、シンバのリュックの中身さぁ・・・・・・」
「あぁ、テントだろ、寝袋だろ、ランプだろ、それから——」
「キャンプ用品なの!? それってまさか外で野宿!? 今夜は雨みたいだよ?」
季人はそう言うと、バスの窓から流れる景色を見る。
すっかり都心から離れ、木々が生い茂る山道を走るバス。
空はどんより曇っている。
「あぁ、別に平気だよ、慣れてるし。雨は恵みの水。No moneyのオレは感謝しなきゃ」
「風邪ひくよ、そうだ、お爺ちゃんのうちに一緒においでよ、僕の大学の友達だって言えばいいから。部屋はたくさんあるんだ」
「Really? Actually, I hate getting wet because of rain」
「・・・・・・?」
「実は雨で濡れるの嫌なんだ」
シンバは英語を日本語で言い直し、笑った。
「誰だってそうだよ、幾ら恵みの水でもね」
季人も笑って、そう言った。
会話が途絶える。
季人は不思議なシンバの存在に聞きたい事がいろいろあった。
一番、聞きたい事は収入の事。
SINNERは仕事だと言っていたが、聞けば聞く程、それは仕事と言うより、使命と言う感じだ。そして、SINNERはその家系の血筋みたいな感じだ。
だとしたら、収入源はどこから?
世界へ飛び回るなら、それなりの収入源がなければ、無理だろうし、かと言って、正直、シンバの仕事は胡散臭い。
勿論、季人は信じているが、信じる、信じないの話で仕事は成り立たない。
だけど金の話など、そう簡単に口に出せない。
大人とは、ホント、面倒な生き物だ。
「あのさ、シンバのそのシナー?」
「SINNER」
「そう、シナー! それさ、えっと、その、日本人にもいるのかな?」
聞きたい事はやはり聞けないまま。
「いないんじゃない?」
「霊能力者とかなら日本人でもいるのに?」
「そうだなぁ、似た職業を持ってる人はいるだろうけど、SINNERはいないよ」
「ふぅん、そうなんだぁ。それって、シンバじゃないとシナーにはなれないの? シナーになりたいって思ってもなれないの?」
「SINNERになりたい? 罪人に? そんな奴いないよ」
シンバはそう言って笑った。
「どうして? かっこいいよ?」
なんだか少年漫画や映画、そういう架空の世界のヒーローのようだと季人は思ってしまう。
「かっこいい? まさか! キトは人殺しをかっこいいと思う?」
「思わないよ!」
「だろ? それよりも酷い神殺しだよ、オレは。確かに神なんて人によっては空気みたいな存在で、謎めいた不思議な存在なんだろうけど、でも、誰の中にも神はいるんだ。いないって言う奴の中にも、神は存在する。信じなくても、困った時に、助けてくれたのは神じゃなくても、気付かないだけで、神の導きはあった筈。そんな神を殺すんだよ。きっと、キトも、オレを知ったら、罪な人間だって、わかるよ」
季人は、ふぅんと頷いたが、よくわかっていない様子だ。
誰でもそうだろう、神よりも、身近な人間の方が大事だ。
神を殺すと聞いても、それがどういう事なのか、罪なのか、罪じゃないのか、サッパリわからないだろう。
季人はシンバを罪人だなんて思う訳がないと思うが、口には出せずに黙り込む。
揺れるバスの中、沈黙が続き、季人は窓を眺める。
「シンバはさ——」
また何か聞き出そうと思ったが、見ると、寝てしまっている。
口の周りにはポテトチップスの食べかすだらけ。
「・・・・・・本当にシンバはそれで神なんて殺せるの?」
と、シンバの寝顔にクスクス笑いながら呟く。
でも良かったと思っている。シンバがいてくれる事はとても心強い。明るいシンバがいるだけで、妙なモノは見えないような気がして来る。
季人は今年こそ、木里村で亡霊を見ませんようにと祈る——。
「シンバ、シンバ! 起きて! 下りるよ」
「I ・・・・・・I get・・・・・・up」
「ほら、目を覚まして!」
「OK. ・・・・・・OK・・・・・・」
シンバが目を覚まし、バスを降りて、辺りを見回すと、木、木、木。
生い茂る木々に囲まれ、緑色ばかりが広がる。
「ここからまだまだ歩くんだ、良かったね、雨まだ降ってないよ、降り出す前に急ごう」
そう言って、季人は歩き出す。
今の時代、人が住めるのか?と思う程の山中。
方角さえ失わせそうな場所。
獣道を只管、歩き続ける。
季人は、そろそろシンバが疲れて来たんじゃないかと振り向くが、シンバは息切れさえなく、涼しげな顔で、しかも、鼻歌まで歌い出し軽快に歩いている。
大きなリュックを細身の体で背負っているが、とても軽く見える。実際、軽いのか、重いのかもわからないが、大きさからして、かなり重そうなのに。
季人は道を知っているだけに、長距離を歩く事も苦に感じないが、それでも呼吸は乱れ、汗も頬を伝う程、流れている。
足場だって、アスファルトで綺麗に整った道じゃない。それだけで疲れるし、歩き難い筈なのに、シンバはまるで毎日この道を普通に通っているような感じで足取りも軽い。
不思議なイギリス人だなぁと季人は思う。
「・・・・・・今日は曇ってるせいか涼しいから、うるさくないね」
言いながら、汗一杯かいて言う台詞じゃないなと、季人は思う。
「ウルサイ?」
「うん、晴れてるとね、この時季は蝉がうるさいんだ」
「へぇ、でも都心に比べると涼しいんじゃない?」
「そうだね」
頷きながら、だから汗一杯かいて頷くのは、どうなのかと、季人は思う。
「何か聞こえる」
シンバが立ち止まり、そう言うと、季人は振り向いて、
「もうすぐ村だ、多分、子供達の歌だよ」
そう言った。
「歌?」
「うん、シンバは知らないかもしれないね、日本の童歌だから」
「童歌? あぁ、わかる、Mother Goose!」
「そう、マザーグース! あ、ほら、あそこが村の入り口だよ」
季人が指差した所からは、道がある。
その少し先で子供達が遊んでいるのが見える。
「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ」
子供達の歌がハッキリと聞こえだす。
二人の子供が向かい合い、両手を繋いで、その両手を挙げて、その中を子供達がくるくると通っていく。
「天神様の細道じゃ ちょっと通して下しゃんせ」
その子供達の遊びを足を止め、遠目にジーッと見ている季人。
「キト?」
シンバが声をかけるが、季人は気付かないのか、子供達の遊びを異常な程、見つめている。
「御用のないもの通しゃせぬ この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります」
しょうがないので、シンバも子供達をジーッと見る事にした。
「行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」
歌い終わったら、突然、両手を挙げていた子供二人の手が、下に落ち、その中に子供が一人入った。すると何故か季人はビクッと体を硬直させる。そして、
「ああ!」
と、突然、シンバが大声を出すので、再び季人はビクッとする。
「どこかで聞いたMelody! Japanese Signal!」
「え? ジャパニーズシグナル? あ、あぁ! そうだね、日本の音響信号機の曲だね。でも最近は鳥の鳴き声の信号機の方が多いと思うよ?」
「鳥の鳴き声のも知ってる! ねぇ、あの歌はこの村の歌なの?」
「え? まさか。『通りゃんせ』は埼玉県が舞台だった思うけど、でも童歌って何故か、広まるよね。歌詞は意味不明で、どういう経緯から歌が生まれ、どういう意味で託されているのか謎なのにね。だから変な曰く因縁ついた解釈をされたりするのかな。それにしてもここはホント、都心から離れてるって理由なのか、子供までも遊びが古典的だね。知ってる? 都心で見かける子供なんてサラリーマン同然だよ? 塾行って、夜食食べて、また勉強して、睡眠とって、学校行って、休む時間がないくらいなのに。同じ東京とは思えないね」
「・・・・・・キト、何か見えてる?」
「え?」
「顔色が悪いし、無理に明るく喋ってるみたいだから」
そう言って、シンバは季人の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ、お爺ちゃんの家はこっち。疲れたろ? 早く行って、休もう」
季人はそう言って、シンバを案内するように村の中に足を踏み入れる。
子供達が遊んでいる横を通り抜け、村の奥へと向かう。
「ここがこの村の何でも屋さん。何でも売ってるって言うけど、何にも売ってないよ」
季人がそう教えてくれた店の看板にはカタカナでコンビニエンスストアと書かれている。
しかも店の前には公衆電話がある。
「ここは役場。それから、こっちが——」
季人が役場の隣の家を指差した時、
「やぁ、南雲さんとこの、お孫さんじゃないか、確か季人くんだったね? 今年も遊びに来たの?」
と、自転車に乗ったお巡りさんが手を上げて、話しかけてきた。
「あ、駐在さん」
と、季人もペコリと頭を下げる。
「チュウザイさん?」
シンバは季人に、小さい声で聞くと、
「うーん、警察の人っていうか、お巡りさんってわかる?」
と、季人は尋ね返した。
「わかる。Policeman. 苦手なんだよね、policeman」
と、シンバは苦笑い。
「友達かい? 外国の人?」
「あぁ、うん、僕の大学の友達なんだ、イギリス人で、シンバ・レスターくん。シンバ、こちらは駐在さんで、いつも村の治安を守ってくれてるんだ。散歩してれば、必ずどこかで会うだろうから、見かけたら挨拶するといいよ」
そう言って、二人を紹介する季人に、
「いや、季人くん、私は外国人は苦手でね」
と、駐在が囁いた。でもシンバは日本語を喋ると季人が言おうとした時、
「My name is Simba Leicester. It is a very good village here. I liked it. Thank you!」
と、英語をペラペラ喋り、シンバは駐在に握手を求めた。
駐在はポカーンとした顔でシンバを見つめた後、差し出された手にハッと気付き、急いでシンバの手を握る。
「How are you?」
「え? あ、それは知ってる! なんだっけ、えっと、き、季人くん」
駐在は季人に助けを求める。
季人は苦笑いしながら、
「ご機嫌いかがですか?って聞いてるんだと思います」
そう答えた。
「あぁ! そう、そうだ、そう言ったんだ、あ、あいむ、べりぃ、べりぃ、さんきゅー?」
「What?」
「ええっと、その、あ、あいあむ、あ、べりぃ・・・・・・」
「What?」
「あ、私、仕事がありますので、この辺で! 季人くん、また!」
手をあげて、そそくさとその場を離れる駐在に、シンバは笑いを堪える。
「シンバ! 意地悪しすぎだよ!」
「簡単な英語しか言ってないよ。でもオレPolicemanは苦手だから良かった」
「なんで苦手なの?」
「だって別に悪い事してないのに、ウロウロしてるってだけで怪しいって判断して文句言って来るじゃん」
それはどうなんだろうと季人は思うが、何も言わずに苦笑い。
そして、二人は再び歩き出す。
村と言っても、家は普通に並び、家の造りも普通の都心で見るような家だ。
団地らしき建物もある。それは古い。
結構、人が住んでいるようだが、駅もないなんて、不便な場所だ。
あちこちで植物は沢山見る。
都心のように綺麗に手入れされた木々がある訳じゃない。
只、鬱蒼と茂る木々達。
ポツポツと雨が降り出す。
少し足早になる季人に、シンバも足早になり、ついて行く。
「ここだよ」
と、季人が立った家の前の表札には『南雲』と書かれている。
そういえば、駐在さんが、『長内』ではなく『南雲』と言っていた事をシンバは思い出す。
引き戸で、ガラガラっと開けると、中は庭があり、そして直ぐに玄関。
「おじいちゃーん、来たよー!」
と、玄関を開け、季人は家の中へ入る。
シンバも季人に続いて、家の中へ入った。
独特な他人の家の香り。
暗い玄関で、季人は靴を脱ぎ、
「待ってて」
と、シンバに言うと、部屋の中へ上がり込んで行く。
シンバは玄関の靴箱の上に置かれている妙な木彫りの置物をジィーっと見つめる。
「シンバ、あがって? なんかおじいちゃん、どこかに出かけてるみたい」
「そうなの?」
「でも直ぐに帰って来るよ、雨も降ってきてるし。多分、裏山の畑に行ったんだ」
「へぇ」
シンバは部屋にお邪魔した。
暗いローカを行くと、座卓と座椅子とテレビ、扇風機などがある6畳程の部屋に出た。
隣の部屋は障子が開いていて、壁に箪笥が並んでいる。
もっとローカを行くと、二階へ上がる階段。
その向こうは台所とトイレとお風呂。
「日本の家って、ちょっと風流だね」
「そう? もう古い時代遅れの家だよ。こんなとこに一人でいて、寂しくないのかな」
季人は言いながら、蚊取り線香をつけ、引き戸の窓を開ける。
「畑って、何を作ってるの?」
「いろいろ。多分、今日、僕が来るから、ご馳走を作ってくれようとして、畑に野菜をたくさん取りに行ってるんだと思う。毎年そうだから」
「愛されてるね」
「え!? そ、そうかな?」
愛なんて言葉をサラリと言うシンバに、流石、イギリス人だなぁと思い、季人は自分が日本人である為か、照れてしまう。
「二階で寝るから、大きな荷物も二階に置いておくといいよ」
「OK.」
シンバは頷き、二階へと上がる。
狭い階段を上り、左右に襖がある。
両方開けて見るが、どっちも殺風景な畳の部屋で、
「キトー! どっちの部屋ー?」
と、叫んだ。すると、
「左はおじいちゃんが寝るから、右ー! 階段上ってすぐ右ー!」
と、叫ばれる。
「右? 右は・・・・・・Right! こっちだ」
と、右の部屋へ入る。部屋の真ん中にある一本の線。それを引っ張ると部屋が明るくなった。電気が点いたのだ。
小さな窓がある。
窓を開けると、鬱蒼とした緑が広がり、雨がシトシト降り続けている。
シンバは大きなリュックから、たくさんの本を出してきた。東京に着いた時に見ていたガイドブックもある。
シンバはドカッと座り、胡坐をかきながら、本を読み出す。
どれくらいの時間が経っただろうか、シンとした部屋の中、チクタクと時計の音だけが響く。すると、ギ、ギギギと木が犇く音がなり、誰かが階段を上ってくる。季人だ。
「シンバ、何してるの?」
「あぁ、日本の悪魔について色々見てた」
「悪魔? 日本の妖怪大全集? それ、どこで買ったの?」
「買ったって言うか、持って来た」
「イギリスから? そんな本があるんだね、イギリスに。しかも日本語だし」
と、季人も本を幾つか手に取って見て、笑っている。
「ヨーロッパの民間伝承上の存在Failyと日本の妖怪は同じなんだよ」
「ええ!? Failyって妖精でしょ? 背中に羽があって、小さくて可愛い奴だよね? 妖怪とは違うと思うけどなぁ」
「土地柄だよ。オレはイギリス人、キトは日本人。そういう感じ」
「ふぅん。妖精ってどっちかって言うと精霊かと思ってた」
「精霊は死者の魂の事を言うんだ、日本で精霊流しってあるだろ?」
「あぁ、あるね! そういえば、あるよ! そういう行事が! でも精霊って、魂って言うより、妖精に近いような気がする。だって、火の精サラマンダーとかあるでしょ?」
「よく知ってるね!」
「日本のアニメにそういうの出てくるよ」
「アニメ!? 日本のアニメは凄いね!」
シンバはそう言うと、
「Theophrastus Philippus AureolusBombastus von Hohenheim」
と、なにやら、長い言葉を吐いた。
「え? なに? なんて?」
「なんだ、日本のアニメで、出てこない? じゃあ本名じゃなくて、Paracelsusuの方で出てた?」
「パラケルスス?」
「知らない? ルネサンス初期の錬金術師だよ。1525年にバーゼル大学の医学部教授に就任。その翌年にキリスト教を批判し、大学から追放。以後、放浪の身となる。その16世紀の錬金術師パラケルススにより、地、水、火、風の四大元素が実体化したものとして精霊が関連つけられたって訳。地の精はノーム。水の精はウンディーネ、火の精はサラマンダー、風の精はシルフ。これまた神の話になってくるんだよね、古代ギリシア、古代インド、古代中国、密教、四大元素は古代哲学者達から唱えられているよ。神っていうのは魂のようなモノであり、空気のような妖精達のようなモノであり、オレ達と違って肉体なんてないから、通常はこの世界に存在できない。でも人間のチカラは神を大きく超える。それが信仰。信じると言うチカラは果てしない。例えば、オレと言う存在が季人の中で、いないと信じられる。そしたら、目の前にいても、オレの姿は季人には見えない。何故って、信じられてないから、肉体がないんだ」
「・・・・・・」
「様々な神がいて、それを生むのも、殺すのも、人間次第。神の名を唱え、多くの人に信仰させる事で、生まれたばかりの神だって、大きなチカラを持つ。たくさんの、たくさんの人が信じられれば、神が肉体を持つ事も可能だ。例えば、今ある宗教で最も多く信者がいるのがキリスト教。なら、キリストは復活するのか。有り得なくはない。事実、キリストの復活は今現在でも唱えられている。だけど、残念な事に、キリスト教の中でも宗派が幾つも別れている。同じキリストでも解釈さえ全く違う。それに咥え、キリストは神じゃないと唱える人も少なくはない。うまくその関係が保っていて、キリストが今現在、復活する事はないと予想してる」
「・・・・・・」
「It's been drizzling」
「え?」
「いや、霧雨が降り続いてるなぁって。キトのお爺ちゃん、まだ帰って来ないの?」
「あ! そうだね! おかしいな、もう外も暗いしね、ちょっと裏山まで見に行ってくるよ。シンバの話は面白くて、聞き始めると聞き入っちゃうね」
そう言うと、季人は立ち上がり、階段を下りていく。
シンバは日本の妖怪大全集と言う本を開いて見て、
「座敷わらし・・・・・・か・・・・・・」
と、呟き、そのページを読み始めた。
妖怪もまた神の一種である。
人間には理解できない奇怪で異常な現象を象徴する超自然的存在。
日本は、昔、自然が生み出す災害を神の怒りだと信じていた。
些細な出来事も、不幸な出来事も、神の悪戯や神の仕業として、その神の意思を沈めようと生贄やお供えなどを差し出したと言う。
「Rain seems to stop tomorrow.」
開けた窓から、まだ降り続ける雨を見ながら、シンバは呟く。
霧雨だが、シンバの言う通り、明日は雨が止むのだろうか。
暫くして、季人は帰って来たが、祖父の姿がどこにも見当らず、その日は眠れない夜となった。
——朝。
季人はいなかった。
恐らく、祖父を探しに行ったのだろう。
シンバへの置手紙が座卓の上にあった。
『シンバ、おじいちゃんを探しに行ってきます。朝御飯の用意が台所にできているので、食べてください。出かける時は鍵は閉めなくてもいいから、そのまま出かけてね』
シンバは台所に行き、季人が用意してくれた朝御飯を頂き、食べ終わった後は、食器を綺麗に洗い、そして、出かけようとして、6畳程の部屋の柱に傷があるのを見つける。
「A comparison of stature」
そう、それは背比べの傷跡。
子供の頃だった誰かの背丈。
ふと、その柱の上には、小さな神棚がある。
小型の神社を模した宮形。それを見たシンバは、
「氏神」
そう囁いた。
氏神とは日本において、同じ地域、集落に住む人々が共同で祀る神道の神の事。
シンバはジィーっと神棚を見た後、パンパンと手を叩き、祈った。
イギリス人が手を叩き、日本風に祈る光景は少し妙だ。
そして、罰当たりにも、飾ってある札を手にとって、ジィーっと見た後、それを持って、外へ出かけた。
昨日来た道をスタスタと行く。
晴れ渡った空に、蝉の鳴き声がうるさい。
今日も、村外れで、子供達が輪になって遊んでる。
「Hi!」
気さくに声をかけるシンバに、子供達は仰天し、一人の男の子を先頭に、皆、その男の子の後ろへ隠れた。
「ごめんね、驚かせたかな? キミ達が昨日歌ってた歌、教えてほしいんだ」
「・・・・・・」
「歌ってたろ? えっと、キトが童歌って言ってた。あれ、オレも歌えるかな?」
なんだろう、この外人・・・・・・と子供達は不可思議そうに、シンバを見つめる。
ニッコリ微笑んでいるシンバ。
後ろに隠れていた一人の女の子が、
「いいよ、教えてあげる」
と、ヒョコと顔を出す。
「Thank you. Pretty girl.」
子供達はシンバを仲間にして、輪を作る。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
「この歌は誰が歌い出したの?」
その質問に子供達はお互いを見合い、首を傾げる。
「この歌はどうしてここで歌うの?」
その質問に子供達は再び、首を傾げる。
「この歌の意味はわかる?」
その質問にも、子供達は首を傾げる。
「この歌はどこで聞こえる?」
すると、一人の子が、
「あっちだよ!」
そう指差した。
「Thank you」
と、シンバは指を差し示した子の頭を撫でる。
「そうだ、オレの国の童歌、教えてあげるよ。London Bridge is falling down, Falling down, Falling down, London Bridge is falling down, My fair lady. 同じように輪になって遊ぶといい」
子供達は英語の歌が気に入ったようだ、通りゃんせよりもリズムが軽快で楽しいのだろう、何度も何度も歌い出す。
「ロンドン橋はこの地にないからね、たくさん歌っても問題ない」
と、シンバは独り言で、そう言うと、手を振って、子供が指し示した場所へと向かう。
あっちと言う方角的なものだけを頼りに、通りゃんせを口ずさみながら、歩いていく。
「なんだっけ? ちょっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ——」
子供達に教えてもらった歌を思い出し、思い出し、忘れないように、口ずさむ。
すると、向こうから苦手な存在が自転車に乗ってやって来るのが見える。
「あぁ、名前忘れたな、キミの名前、なんだっけ? まぁいいや、私の事は覚えてる?」
と、駐在はシンバに声をかけた。
何故、苦手なのに、自分から声をかけて来たのだろう?
「季人くんは一緒じゃないの? どこに行ったか知らないかなぁ?」
どうやら、外人は苦手だと言ってられない状況のようだ。
「実はね、村の老人達が昨夜、うちに帰ってないらしく、皆、心配しててね。季人くんの所はどう? さっき、南雲さんのおうちに行ったんだけど、誰もいなかったから」
シンバが黙り込んでいると、
「あぁ、そっか、日本語、わからないんだね?」
と、駐在は困ったような表情になり、帽子をとって、頭をかいた。
「・・・・・・そうだな、昨日は雨が降ってたし、屋根がある集会場とか」
シンバが日本語で、そう言うと、駐在は目を丸くした。
「キ、キミ、日本語喋れるの!?」
だが、シンバは無視して、
「人がたくさん集まれるような場所とか、そういう場所は探しましたか?」
そう尋ねた。
「季人くん、そんな所で何してるの?」
「いえ、キトじゃない。老人達」
「老人達が!? 何故そんな場所に? それに何故、キミがそんな事を知ってるんだ?」
「知ってる訳じゃない、只、雨が降っていたし、この村から老人達が出たとしたら、村の離れで遊んでいる子供達の目に必ず付くと思う。子供達は家に帰ったんですよね? だとしたら、老人達が出て行った事を親に話すでしょう? でもそんな報告を受けてないから、アナタはこの村の中を探してるんですよね?」
「そ、そうだけど」
「だとしたら、この村で、雨宿りできて、数人の老人達が一緒にいられる場所を探すのがいいと思って。一人や二人の老人だったら、一緒にいるかって事も怪しいけど、村の老人達って事は数人はいるんでしょ?」
「そ、そうだね、数人というか、数十人というか」
「でしょ? だったら、集会場とか探した方がいいよ。それに今日は暑い。日中に外にいるとは考え難い」
「成る程。だが、この村の建物、殆どが、空き家だからなぁ、どこでも集合できそうだ」
「団地みたいな建物も、誰も住んでないみたいだね」
「そうなんだよ、みんな、都心へ引っ越してね、老人ばかりになり、姥捨て山みたいだろう? いや、勿論、子供も数人いるから、若い夫婦もいるけどね。でもね、いつも村の外れで遊んでいる子供達が、この村の子供全員なんだ。少ないだろう? 学校もないから、いつもあそこで朝から夕方まで遊んでるよ」
「駅もないですし、不便ですからね」
「まぁね、私はこの村で育ったし、愛着がある。だがまだ未婚でね、両親もこの村で健在なんだけど、結婚しろ、この村を出て嫁を探して来いって毎日言われてるよ」
「ははは」
一応、笑ってみるシンバ。
「さて、じゃあ、探しに行くかな。一緒に探してくれるんだろう?」
「No! それはアナタの仕事だよ。オレは行く所がある」
「どこ? キミ、季人くんと同じで絵を描くの? 季人くん、よく絵を描いてたから」
「No! 絵は描かない」
「じゃあ、暇だろう?」
「No! 暇な訳ないだろ、オレ、この地の神に会いたいんだ、だから神を探してる」
「神?」
「キトの家で氏神を祀ってあるのを見た。多分、キトのおじいちゃんは崇敬者じゃなくて、氏子だと思うんだ、キトも古い神社があるような事を言っていた、だから、この村のどこかに神社があると思うんだけど」
崇敬者とは、神を祀る神社の周辺には住んでいないが、その神を信仰している者の事を言う。氏子とは、同じ氏神の周辺に住み、その神を信仰する者同士の事を言う。
「この村にある神社って言ったら、1つしかない。神は・・・・・・あれ? なんて名前の神だったっけかな?」
その台詞で、既に忘れ去られて来ている神なのだとわかる。
「もしかして、神社ってあっち?」
シンバは子供が指し示した方向を、指差す。
「あぁ、そうだな、あっちだよ。案内しようか?」
「一人で行けるよ、大丈夫。アナタは老人達を探した方がいい。きっと神について話してるんじゃないかな、老人達は」
「え?」
シンバはじゃあと手を挙げ、神社へと向かう。
そして、通りゃんせの歌を再び口ずさむ。
「ヤバイ、忘れてる。えっと、通りゃんせ 通りゃんせ・・・・・・」
一生懸命、歌詞を思い出し、シンバは歌う。
そして、時折、空を見ながら、風の通り道を探して、草木が生い茂る道を行く。
シンバの口ずさむ歌をなぞるように、誰かの歌声が聞こえる。
子供の声だ。
カランコロンと下駄の音と共に、風がシンバの横を駆け抜けていく。
小さな風が、たくさん、駆け抜けて、笑い声が通る。
やがて、神域への入り口、鳥居が見え始めた。
鳥居は神域と人間が住む俗界を区画するものであり、結界である。
つまり、鳥居から向こうは神の世界。
「・・・・・・鬼里?」
鳥居の真ん中に鬼里と文字がある。
大江山、酒呑童子が住んでいたとされる麓の京都府大江町は鬼の里で有名だが、こんな誰も来ないような鬱蒼と草木だけが茂るような場所に、どうして、こんな文字が——?
「あぁ! そうだ、この村の名前なんだ! 鬼に里で『きさと』だ」
昔は『こさと』ではなく、『きさと』だった。
鬼から木に漢字を変えたのだと、シンバは悟る。
シンバの周りに着物を着た子供達が、まだ遊ばないのかと待っている。
「あぁ、ごめんごめん、じゃあ、遊ぼうか」
シンバがそう言うと、子供達はコクンと頷いた。
「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ」
シンバがそう歌うと、子供達は鳥居の向こう側へ走り、
「天神様の細道じゃ」
そう歌う。
シンバも鳥居をくぐり、神がいる細道を歩く。
「ちょっと通して 下しゃんせ」
「御用のないもの 通しゃせぬ」
童歌とはわらべ達が歌うからこそ、意味がある。
「この子の七つのお祝いに お札を納めに 参ります」
と、シンバは季人のおじいちゃんの家から持ち出した札を見せる。
「行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」
そう歌い終わると、子供達は笑い声だけを残し、姿を消した。
シンバの周りを悪戯な風が舞い上がる。
もうそこは鬼の里——。
「お前か、座敷わらしをあんなに集め、人間達に、無闇に道を開かせようとしてるのは——」
「・・・・・・何者だ?」
シンバをジロリと見て、そう呟くように言ったのは、まさに鬼。
「勝手に我が神域へ入るとは、何者だぁ!?」
鬼は急に怒り狂うように、大声を出した。
その声は地響きの如く、低く、それはそれは恐ろしい声。
「SINNER. 神なら知ってるだろ、自ら罪人と名乗り、神を殺して回っている人間の存在を——」
「・・・・・・あぁ、罪人か。知ってるさ、小さな神ばかり狙い、それで神殺しと言う偉大な罪の名を自ら名乗っている小者だな」
「なんとでも言ってくれ」
そう言うと、シンバは、
「確か、鬼は鬼を切る剣があったな」
と、少し考え込み、自分の記憶の引き出しから、ほしい知識を取り出し、
「源氏の名刀『髭切丸』、徳川禁忌の剣『村正』、大村加卜の十五枚甲状の名刀『加卜』、そして長曾禰虎徹こと『虎徹』。どれで殺されたい?」
そう聞いた。
「貴様! 丸腰で来ておいて、何を申すか! 大体、そんな刀、手に入るものか!」
「入るんだな、それが!」
シンバはそう言うと、ヘラッと笑い、
「妖刀村正にしとくか」
そう言うと、何やら、念じるような、祈るような、そんな表情で目を閉じた。
驚くのは鬼だ。
シンバの腰に、村正が携えられる。
「驚いた? オレはエクスカリバーだって信仰できるよ?」
「信仰だとぉ!?」
「日本語の使い方間違ってる? Sorry, I am a Briton」
「ふざけるなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
大きな体で、大きな爪を剥き出しにし、鬼はシンバに向かって来た。
シンバは妖刀村正を抜き、鬼に向ける。
妖しい光を放つ村正。
「そんな偽村正など怖くはないわぁ!!!!」
そう叫んだ鬼の爪が、村正により、弾き返される。
「お前が偽物と思う気持ちより、オレが思う本物と言う気持ちの方が上みたいだな、もしかして、怯えてんじゃないのか? 村正を目の前にして」
鬼を挑発するシンバ。
鬼は喉を鳴らし、シンバを威嚇する。
「名をくれ」
「What?」
「もっと名を、我が名を叫べ!!!!」
それは村にいる氏子達への言葉。
「I see. お前は忘れ去られるのが嫌なんだな? 眠るのが嫌なんだ。だから今更、氏子達の夢にでも出て行ったか? 今更、村の老人達はお前の存在に怯え出したか? やめとけ、幾ら足掻いたって、鬼の里で有名なのはここじゃない。酒呑童子の知名度に勝てる訳もない。幾ら、わらし達に、ここの場所を人間達に知らせるように動かしても、村には言う程、人は残ってない。数人がここにやって来て、お前に祈った所でどうなるって言うんだ? 今迄通り、大人しくしてろ。そしたら殺さないでやるから」
「罪人、お前は何故ここに来た?」
「・・・・・・」
「我が力が強くなるのを止めに来たんだろう?」
「・・・・・・」
「なら、我はこの世に君臨できる筈だ!」
その通りだ。
信仰心が深い者が一人いるだけで、それなりに強いチカラとなる。
老人達が深い信仰心を持っていたら、それはかなりのチカラ。
そして、その老人達の中心となる人物、その者と神が強く繋がっていたら——。
つまり、神に代わり、人々に教えを説く、その者は、神と一心同体。
神を殺したら、その者も死ぬ。
再び、鬼はシンバに牙と爪を向く。
シンバは村正で鬼に立ち向かう。
——今は名も忘れ去られた、只の鬼。
——でも昔は結構、有名だったのかもしれない。
——だからこそ、今、この村を捨て、出て行く人間達に自分の存在を訴えている。
——可哀想な神。
——哀れな神。
——嘗ては、恐れられ、生贄さえ差し出した人間達が祈った神。
——今は名も呼ばれない。
シンバが止めを刺そうとした時、
「シンバ!」
その声に、シンバは振り向いた。
季人が立っている。
「・・・・・・やめて、シンバ。お願い。お爺ちゃんが——」
「・・・・・・見えるのか? キト」
それはここにやって来たくらいだ、見えて当然だろう。
「シンバ、お爺ちゃんがさ——」
「・・・・・・キトのおじいちゃんが死にそうなんだろ?」
「知ってるの!?」
「キトのおじいちゃんは、この神の教えを守る為、教えを説き、教えを広め、神の復活を試みた。老人達を集め、その話は夜通し続いた。そうだろう?」
「・・・・・・僕は神様に祈りに来た。お爺ちゃんを助けてほしくて」
「やめろ、もうこの神は名がない、只の鬼は名を広められない。無理に広める事は闇が広がるか、光が広がるか、均等な善悪のチカラがおかしくなる事だ。例え、小さな傾きでも、それが募れば、大きく傾く。今の均等な光と闇をそのままにしなければダメなんだ」
「お爺ちゃん、胸が痛いって倒れたんだよ! お爺ちゃんが僕の手を握って、神への祈りを願ったんだよ! お爺ちゃんを助けたいんだよ! シンバ!」
「ごめん、キトのおじいちゃんは悪くない。けど、オレはおじいちゃんを助ける術を知らない」
「シンバ!!!!」
泣き叫ぶ季人。
シンバはもう動けずに唸るしかできない鬼に再び、刀を向ける。
「シンバ、お願いだから!!!!」
「天の神は地上には君臨できないんだ! わかってくれ!」
吠え返すシンバ。
「お爺ちゃんを助けてよ! お願いだよ! お願いだから!」
シンバは刀を振り下ろせない。
季人の悲鳴に似た叫びに躊躇してしまう。
「キトのおじいちゃんは神を崇めすぎた。この神の教えがどんなものなのか、オレは聞くつもりはないが、その教えが呪縛になってる者もいるんだよ」
「知らないよ、そんなの! 僕のお爺ちゃんは神を信じただけじゃないか! 何が悪いの!? ねぇ、シンバ! 何が悪くて、お爺ちゃんは死ななければならないの!?」
そんなの、シンバだって、わからない——。
鬼は唸りながら、
「・・・・・・知っている」
そう囁くような小さな声で言った。
「知っているぞ、その男。お前はあのジジィの孫だな? 生まれたばかりのお前は、死にかけていた。そんなお前を助けたのは我だ。7つまで無事に生きて来れたのも、ジジィが毎年、札を納め、我に信仰していたからだ。だが、お前は7つの年、この地を離れた。お前がこの地を離れても、ジジィは、この地に留まり、毎日、祈りをかかさず、我の信仰を続けた。今、お前が無事に生きているのは、ジジィの我に対する信仰と、我のチカラ——」
「・・・・・・お爺ちゃんが僕の為に祈ってくれてたの?」
「そうだ。今度は我にチカラを与える番だ、我に名をよこせ、我の名を叫べ、我を呼べ!」
そう言われても、季人は神の名を知らない。
「残念だな、お前の名前はもう消えた」
シンバはそう言うと、ジーンズの後ろポケットから、札を出してきた。
それは季人のおじいちゃんの家の神棚に祀ってあった札。
「キトの7歳の誕生祝の札だろう、それを最後にキトはこの地からいなくなり、札だけを祀ってあったんだろう。お前に治めたこの札には、お前の名があった筈。だか、もう消えてなくなっている。この地も『木里村』と、名前も変えられ、お前は、その存在を消さなければならなかった。いつか、また再び、お前を祈る者が現れるまで、大人しく、天に帰るべきだった。誰の夢にも現れてはいけない、誰の道を開いても閉じてもいけない、誰の願いも聞いてはならない、誰の祈りも受け止めてはならない、誰の運命も指し示してはならない。なのに、お前は——」
「黙れぇぇぇぇ!!!!」
鬼は怒り狂うように吠え、大きな体を力の限り振るい動かし、呼吸を乱しながら、シンバを、その凄まじく醜い顔で鋭く睨む。
「教えてやろう、罪人! お前がどれだけ神を冒涜したのか! お前は人間だ、いつか死ぬ。だが、その魂は、お前に殺された神々に焼かれ、永遠の苦痛を味わうのだ。地獄など、そんな場所にやるものか! お前は神々の元で、永遠に苦しむのだ。それが罪人、お前の罰! 神々を殺したお前の子孫代々、その魂を呪い殺してくれるわぁ!!!!」
「・・・・・・その台詞、いろんな神から聞いてきたよ」
シンバは悲しそうにそう呟くと、鬼の爪を刀で弾き返し、鬼の肉を切り落とす。
肉が切り刻まれる度に、鬼は悲鳴をあげ、季人は泣きながら、やめてくれと囁くしかできない。
座敷わらしの歌が聞こえだす。
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちょっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めに 参ります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
神域と俗界の世界が交わり始める。
神域が消え、鳥居の結界が弱まっているのだ。
それはこの神が弱っている証拠。
座敷わらしは幸運をもたらすと言われるが、それはこうして、神への道を案内してくれるからだろう。
今、鬼がこの世から姿を消した。
荒々しい風が吹き抜け、そして、風は止み、静かになる。
シンバの手に持たれていた妖刀村正も消え、辺りは、鬱蒼と茂る緑に囲まれた神社の中。
何の手入れもされていない壊れかけの神殿と薄汚れた鳥居。
もう鳥居の真ん中に書かれていた『鬼里』の文字も消えている。
「人殺し!!!!」
シンバに、そう叫んで、泣き崩れる季人。
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
それが最後の童歌。
風に舞い上がるように、その歌声は座敷わらし達と共に、神のいなくなった、この地から去った——。
蝉の鳴き声がうるさい程、響く。
季人の祖父は、この何の施設もない村の病院で発作と言う理由で命を落とした。
村の皆は、只の発作で死ぬ程、この村には人を助ける術がないと知ると、近々、都心の方に引っ越す事を決意したようだ。
神もいなくなり、人もいなくなる。
誰もいなくなったこの村は、静かに眠るだけだろう。
6畳程の部屋で、季人は膝を抱え、ぼんやりとしている。
目の前には背比べの跡のある柱。
ぼんやりとした瞳には、
『大きくなったな、季人』
と、柱に背丈の分の傷を付け、笑う祖父の姿が見えている——。
二階から、荷物をまとめたシンバが下りて来て、
「キト、ありがとう」
そう言ったが、キトは振り向いてさえくれない。
「・・・・・・オレ、次へ行かなきゃいけないから、行くね?」
「人殺し」
呟くように、シンバを罵る。そして、それが弾き金になったか、季人は、
「人殺し! 人殺し! 人殺し! お前なんか、案内してやらなきゃ良かった! なんで村に来たんだよ! お前なんか! お前なんか!」
と、シンバに大声で泣き叫んだ。
「だから、言ったろ? きっと、キトも、オレを罪な人間だって、わかるよって——」
シンバはそう言うと、その家を出て行く。
季人はその場で泣き喚き、崩れる。
電話の音が鳴り響く。
長い間、鳴っていたが、季人が出なかったので、電話は一度鳴り止み、そして再び鳴った。
鼻をグズグズさせながら、季人が電話に出ると、
『お兄ちゃん?』
「あぁ、お前か。今どこ?」
電話は季人の妹からだった。
『まだ家なの、直ぐにそっちに向かえなくて』
「なんで!? おじいちゃんが亡くなったんだよ? お父さんは何してるんだよ!」
『お兄ちゃん、あのね、お母さんがね、元気になったの』
「え?」
『昨日ね、お兄ちゃんから、おじいちゃんが亡くなったって電話もらった後、お母さんが信仰してる神様のお札がね、突然、燃えたのよ』
「燃えた?」
『うん、それで、お父さんが、病院にいるお母さんに何かあったんじゃないかって急いで病院に行ったら、お母さん、不思議な事に元気一杯でさ、退院できるんだって!』
季人は言葉を失う。
どう言う事なんだろうと不思議でならない。
母は父と結婚して、この村を出てから、ずっと原因不明の病で病院通いしていたと言う。
子供を生める体じゃないとも言われたなどと言う話も父から聞いていた。
それでも季人達を生み、その後、容態は悪化して、ずっと入院生活をしていた。
それが突然、元気になったなど、有り得るのか。
『ほら、よくお母さん、言ってたでしょ? 崇敬者として、田舎の神の教えを守らなければならない。体を悪くするのは、その地を守護してくれる神がいたのに、その地を離れた報いだって。馬鹿馬鹿しいってお父さんは言ってたけど。でも案外、そうだったんじゃないの? だってお札が意味もなく燃えたんだよ? 怪奇現象じゃん!』
季人はシンバの台詞を思い出す。
『キトのおじいちゃんは神を崇めすぎた。この神の教えがどんなものなのか、オレは聞くつもりはないが、その教えが呪縛になってる者もいるんだよ』
祖父は亡くなったが、代わりに呪縛から解き放たれた母は健康を取り戻した。
だからって、誰かが犠牲になり、誰かが助かるなんて、そんな事、喜べる事じゃない。
喜べる事じゃないが、幼い頃から、母が元気になるよう、どんなに願った事か。
『それでね、お母さん、明日には退院だから、明日そのまま、みんなでそっちへ向かうから。おじいちゃんのお葬式はそっちでやった方がいいでしょって』
母が元気になった事で、嬉しさの余り、弾んだ声を出して話す妹の声が、悲しくて悲しくて、季人は、声を殺して泣いていた。
『お兄ちゃん? 聞いてる? ねぇ? お兄ちゃん?』
季人は受話器をそのまま置いて、シンバを追いかけていた。
季人が追いかけて来る事など知らないシンバは、もう既に村の外れにいた。
「あ、外人のおにいちゃん!」
ロンドン橋の歌を歌っているかと思えば、子供は誰もいなく、たった一人だけ、シンバに気付いて、遠くから駆けて来た。
「みんなはどうしたの? どうして歌って踊らないの?」
輪になって遊ぶ姿は、シンバにとって、ダンスに見えたようだ。
「もうこんな村外れで遊ばないよ」
「どうして?」
「だって、もう誰も来ないもん、誰も呼ばなくいいもん」
無意識の内に、神の手の中で転がされていたのだろう。
ここで歌を歌い、この村へ誰かを呼び寄せようとしていた。
「それにね、もう、みんな引っ越しちゃうんだよ」
そう言った子供に、シンバはそっかと頷く。
「今年は、南雲さんのおにいちゃんが絵を描いてないから、みんなホッとしてる」
「うん?」
「あのね、毎年、絵を描いてるの、それで、遊んでる所も描いてくれたんだけど、見たら、怖い鬼も描かれてたんだよ、鬼と私達が一緒に遊んでる絵なの! みんな怖いって言ってた。でも鬼があんまり楽しそうな顔だったから、みんな怖いって言えなかったの」
「・・・・・・そっか。それはね、鬼じゃないよ」
「鬼じゃないの?」
「うん、怖いけど、この地で遊んでるキミ達を守ろうとしてくれた、この村の神だよ。この地で遊んでるキミ達が大好きだったんだと思うよ」
「・・・・・・ふぅん、神様なの?」
「うん、でも、その神様も、もういなくなったよ」
「どうして?」
「誰もいなくなるから、もう守る必要もなくなったんだよ」
「ふぅん」
季人には、この村を守る神の姿が見えていたんだなと、シンバは思う。
「ねぇ、外人のおにいちゃん、また歌、教えてね! 通りゃんせ、また教えてあげるから」
人は無意識の内に、神と接触し、神を信じ、神を崇め、神に願う。
これからも、世界中で、神は生まれ、神は滅び、神は人々を指し示し、人は神を祈る。
そして、罪人の名を持つSINNERは、神のチカラを均等に、この世に振り分ける——。
例え、それが、悲しみを生むだけだとしても——。
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