9 辺境の人たち

「デニス様っ!!」


 思わず、彼の名前を叫んだ。


 周囲までも溶かすような灼熱の炎が、巨大なドラゴンを呑み込む。太陽のように真っ赤な球体は、瞬く間に肉を燃えたぎらせて、ぐつぐつと沸騰するみたいに象っているものを変化させた。


「デニス様っ、今ですわっ!」


「……! あ、あぁ!」


 デニス様は短く呪文を唱えて、人くらいの大きさの鋭利な水の杭を作り出す。

 そして、渾身の力を込めて投擲。ドラゴンの心臓を貫いた。


 耳をつんざく断末魔の咆哮は、中心街の端まで鳴り渡り、人々を震えさせたのだった。

 その後は、沈黙。

 戦いの終わった兵士たちは、眼前の光景に言葉を失って、茫然自失と立ち尽くす。


 数拍して、


「「「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉおおおっっ!!」」」」」


 感動と興奮と激情の入り混じった歓声が、雲ひとつない晴れやかな青空に響いた。




「凄いじゃないか、マギー!」


「きゃあっ!」


 出し抜けにデニス様がわたしに飛び付いて来て、ぎゅっと抱き締めながら頭をわしゃわしゃと撫でてきた。


「助けてくれてありがとう! ――そう言えば、君の家門は炎魔法で有名だったな。とんでもない威力だな、こりゃ」


「……ま、この国で炎魔法なんて無意味だけどね」


 鏡を信仰するこの国では、同等と見做される水魔法は神聖視されていたが、逆に鏡を破壊する炎魔法は不吉とされていた。


「そんなことはない! 誇れるような凄い魔法だ!」と、彼は満面の笑みを見せる。


「そうかしら……」


「そうだよ! 君がこの地を守ったんだ! 素晴らしいことだ」


「そ、う……?」


 デニス様から手放しで褒められて、こそばゆい気分になる。王妃教育では叱られることばかりで、褒められるなんてなかったから。……役に立てて、良かった。


 ふと視線を感じて彼の顔を見ると、デレデレと締まりのない顔をしながらわたしを見ていた。


「な、なに?」と、わたしは思わず顔を背ける。


「いやぁ~、やっとマギーが俺の名前を呼んでくれたって思って!」


「あっ、あれはっ……!」


 みるみる頬が熱くなった。改めて指摘されると……は、恥ずかしいわ…………。


「あれは……たまたま、ですわっ! だって、戦闘中は時間との勝負でもあるから『へんきょうはくさま』なんて長ったらしい名詞を言っている暇なんてないでしょう?」


 しどろもどろに言い訳を並べる。あの時は、彼らを助けなきゃって必死だった。


 前に、デニス様はわたしに「困っている時は俺に頼っていいんだよ。その代わり、領民が困っている時は助けてやってくれ」と言った。彼は優しい人だから、自分ではなくて領民を助けて欲しい、って。


 でも、わたしは領民を助けるのは当然として、彼のことも助けたいと思った。

 きっと、彼は領主として大きな義務と責任を背負っているのだと思う。


 妻になる身として、その半分くらいは一緒に背負いたいと願ったのだ。

 だから、行動しただけ。

 それだけ……よ。


「ははは。じゃあ、『でにすさま』じゃなくて『でにーちゃん』のほうが分かりやすくていいかもな」


「長くなっているじゃない!」


「こっちのほうが言いやすいじゃん」


「別に」


「じゃあ、次からはデニーちゃんでよろしく」


「絶対に呼ばない!」









「本日のMVP・マギーちゃんにかんぱぁ~いっ!」


「「「「「乾杯っ!!」」」」」


 ガシャリ――と、グラスの鳴る音が一斉に響いた。

 お祭り騒ぎが大好きな辺境の人々は「強敵を倒した記念パーティー」を領主のお屋敷で行っていたのだ。


 そう、わたしも住んでいるデニス様のお屋敷だ。

 大広間に豪勢な料理やお酒を並べて、戦い終えた兵士たちやその家族、関わった人々……入りきれないくらいのたくさんの領民たちが集まっていた。



「マギー、今日は君が主役だから楽しんでくれ」


 わたしもデニス様と乾杯をする。


「ありがとう。でも、主役は戦いに関わった皆だわ。全員が祝福されるべきよ」


「ははっ、それもそうだな。……その、こういうの苦手だったら部屋で休んでいいから。疲れただろう?」


「いいえ」わたしは首を横に振る。「わたしが……社交をしたいの。その……領地の皆さんと仲良くなりたいと思っているの。…………わたしは、辺境伯の妻ですから」


 彼は一拍ほど黙り込み、目を見開いたかと思ったら、すぐにふっと目を細めた。


「そうか」そして、私の頭をぽんと撫でる。「よろしくな、奥さん」


「っ……!」


 またもや顔が上気する。今日で何度目かしら。彼に触れられると恥ずかしくて、でも嬉しくて、もぞもぞするような複雑な気分だった。

 だけど……嫌な気はしないのはなぜかしら。



「公爵令嬢、飲んでいますか?」


 掛け声に顔を上げて周囲を見渡すと、そこには兵士たちがぐるりとわたしたちを囲んでいてた。皆一様に瞳を輝かせて、こちらを見ている。


「凄いじゃないか、公爵令嬢! ――いや、辺境伯夫人?」


「見直したぜ! 王都の人間もやるじゃん!」


「もしかして、辺境伯様より強いんじゃないか!?」


 わっと、わたしに近寄ってめいめいに讃賞の言葉をくれた。

 多くの人から表立って褒められるのは生まれて初めての経験で、急に恥ずかしくなって思わず顔を伏せる。予想外の突然の称賛に戸惑ってしまった。


「わ……わたしは、何も……」と、小声で答えるのが精一杯だった。


「こらこら、お前たち! マギーがびっくりしているだろう? 彼女と話したい時は俺を通すように!」と、デニス様が助け舟を出してくれる。


「そんなこと言って、デニス様、公爵令嬢を独り占めするつもりでしょう?」


「そうだ、そうだ! 全く、独占欲が強いんだから」


「まぁ、こんな素敵な方なら辺境伯様が渡したくないのも無理ないですねぇ~」


 どっと笑い声が起きる。恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ちがないまぜになって、くすぐったい気分になった。



「それにしても、今日の敵は手強かったなぁ」とブレイク子爵令息。


「今日はあちらから来たからな」


「本当に公爵令嬢のお陰ですよ」


「あちら……から?」


 わたしは目を丸くする。彼らの言葉に違和感を抱いたのだ。


「あれ? マギーは知らないのか? ほら、鏡を通じて相手と交信ができるだろう?」


「えぇ、それは知っているわ」


 鏡は、人や物を繋ぐ媒体としても利用される。魔力を操作して、鏡の向こうにいる人物と会話をしたり、向こうの様子を見たりすることが出来るのだ。


 デニス様は頷いてから、


「高度な魔力を駆使すれば、鏡の向こう側へ行くことが可能だ。魔物も、そうなんだよ」


「えっ……!」


 そんなの、初耳だった。ただでさえ、鏡を利用して移動するのには莫大な魔力量が必要なのに、人間より知能の低い魔物がそんな技を使えるなんて……。


「王都では知られてないのか?」とブレイク子爵令息。「奴らは主に水を使って来るんだよ。魔の瘴気を利用しているようだ。それも突然に現れるから大変なんだ」


「それは……知らなかったわ」


 平和な王都では、魔物の存在なんて文献や話でしか知らないから。王都へは幾重もの防波堤を突破しなければ魔物は侵入することは出来ない。


 ……わたしたち王都の住人は、辺境や他の領地の犠牲の上に成り立っていたのね。


「それが、厄介なことに、あちら側から来た魔物は強さが倍以上になるんだ。しかも気性が荒くて、討伐も大変なんだよ」と、子爵令息は肩をすくめる。


「まぁ、放っておいたらこちら側の瘴気にやられて死ぬのだが……それまで激しく暴れてな。腹を空かせてるみたいで凶暴になるんだよ」とデニス様。


「そうそう。あれが来ると、いっつも大変なんだぜ」と子爵令息。


「そうなのね。王都の人間は、あなたたちに何度命を救われたのかしら……! いくらお礼を述べても足りないわ。本当にありがとう」


 わたしは深く頭を下げた。こんな安っぽいお礼なんて、彼らには失礼かもしれない。でも、感謝の気持ちを伝えたかったのだ。


 自分も、もう辺境の人間だ。だから彼らとともに戦いたいと思った。

 それが、デニス様の言う「自立」なのだと思うから。









 翌日、わたしは屋敷の図書館へと足を運んだ。目的の本を探すためだ。


 宴の最中に、わたしはデニス様の乳母のマーサと接触した。そして、彼のお母様が作っていた料理について話を聞いたのだ。

 残念ながら、彼女にも詳しいレシピは分からなかったらしい。なので記憶を頼りに作ったそうだ。


 まだ始まっていないのに万策尽きたと落胆していたら、彼女から図書館に隣国の本が収納されていることを教えて貰った。亡き辺境伯夫人が嫁入り道具に持って来た、隣国の言語で書かれている書物があるらしい。


 お誂え向きにも、王妃教育で周辺国の言語は一通り学んでいたから、一縷の望みをかけて読んでみることにしたのだ。




「ここの棚ね……」


 古い図書館の奥の一角に、他と言語が異なる棚があった。

 手でなぞりながら背表紙を読む。ほとんど物語だけど、図鑑や魔法についての書籍も並べられてある。


「あった! これだわ!」


 わたしは一冊の本を手に取る。それはハーブについて書かれたものだった。

 もしかしたら、なにかヒントになる事柄が載っているかも……!


 早速、閲覧室で中身を確認しようと踵を返したが、不意に動く視界の中に気になるものが入って、再び本棚に戻った。

 本を取って空いた棚の奥に、なにやら紙のようなものが挟まっている。


「……?」


 おそろおそる手を伸ばす。無性にそれが気になって仕方がなかった。


「これは……!」


 その文字を見て全身が粟立った。

 そこには「親愛なる未来の辺境伯夫人へ」と書かれていたのだ。

 

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