5 斧がない
「ここよ、ここ!」
朝食が終わると、早速わたしは辺境伯を伴って外へ出た。
彼は一応ここの領主なので、事前に許可をいただかなければ。今後のわたしの自立計画も、きちんと話しておきたいし。
わたしたちは、森の中の少し開けた場所へと辿り着いた。
ここは庶民の家が二件ほど入るくらいの広さで、日当たりもいい。昨日の領地視察で目星を付けていた場所だ。
「ここに小屋を建てるの。わたしの城よ」
「小屋ねぇ……」と、彼は胡散臭そうに周囲をしげしげと眺める。
「この土地はどなたかの所有物なのかしら? だったら、わたしが買い取るわ」
「ここは特には……まぁ、強いて言えば俺の土地だな」
「じゃあ、売ってちょうだい。ちゃんと適正価格を支払いますわ」
「別に金はいらないさ。夫婦の財産は共有だからな。マギーの好きにしてくれ」
「あら、ありがとう。太っ腹ね」
「――で、これが君の言う自立なのか?」
「そうよ!」わたしは両腕を大きく広げる。「ここに小屋を建てて、あと畑を作って家畜も飼うの。自給自足で、わたしは一人で生きていくのよ!」
「それは面白そうだな」
「だから、辺境伯様も自由にしてちょうだい。わたしはお飾りの妻になるから、あなたは真に愛する女性と一緒になればいいわ」
「はぁっ!?」と、彼は顎が外れたみたいにぽかんと大きく口を開けた。
「え? だって、ずっとここで生きていたのだから、恋人の一人や二人いるでしょう? わたしは気にしないからどうぞご自由に」
「いや……俺に特別な人はいないが…………」彼は手を顎に当てて少し考え込んで「いや、一人いるか……」
「ほら、いるじゃない! だったら、その方と――」
「それは、マギーのことだよ。君が俺の大切な人だ。俺の奥さんになる女性だからな」
「なっ……!?」
にわかに辺境伯が真顔になる。わたしをじっと見つめる力強い眼差しが、瞳を擦り抜けて胸の奥へと潜って行くようだった。
すると、矢庭に身体がかっと熱くなって、胸がばくばくして、視界がぶれた。
「こっ……」やっとの思いで口火を切る。「これから小屋作りを始めますので、部外者は出て行って!!」
なぜだか急激に恥ずかしくなって辺境伯の顔をまともに見れず、わたしは彼の背中をぐいぐい押して退出を促した。
「はいはい。じゃあ、後で迎えに行くよ」
「一人で帰れるわよ! もうっ、あっち行って!!」
◇
やっと静けさが戻った。残るのは風の音と小鳥の鳴き声と――い、いま獣の雄叫びがした気が……いいえ、気のせいね。
それにしても、この魔の瘴気の濃さはどうにかならないかしら。王都に比べて身体が重くなって動きづらいのよね。
「えっと、まずは小屋の材料を用意しなくちゃ。周囲の木を切って利用しましょう」
頭の中で小屋作りの計画を立てる。
一番日当たりの良い場所は住居にしましょうか。いえ、畑のほうが良いかしら?
「とりあえずは木を切りながら考えましょう――あっ!」
ここで、わたしは大事なことに気付く。
木を切るには斧が必要だ。それに、小屋を建てるのにも道具がいる。
何よりもまず、それらを用意しなければならなかったのだ。
「斧って……どうやって作るのかしら!?」
自立のためにも、道具も自身で作らなければいけないわよね。
刃物だから……鉄? どこに行けば鉄があるの? あっ、加工するのは火が必要よね。……まぁ、火は問題ないか。
「へいへいへい! 待たせたな!」
その時、お誂え向きにも辺境伯がやって来た。彼は台車を引きながら戻って来たのだ。
「な、なんですの?」と、わたしは目を丸くする。
彼はニッと笑って、
「小屋を作るには道具が必要だろう? だから使えそうなものを持って来た!」
「斧も……」と、わたしは思わず呟く。
「斧? あるよ。はい、どうぞ」
彼は笑顔で斧を差し出した。
「…………」
わたしは身じろぎせずに、困惑顔でその場に立ち尽くす。
「ん? どうした? 小屋を建てるのに木を切らなきゃいけないんだろう? あっ、ひょっとして使い方が分からない? じゃあ、俺が――」
「駄目よ。受け取れないわ」と、わたしは差し出した手を押し返した。
彼は目をぱちくりさせて、
「なんで?」
「なんでって……わたしは自立をするって決めたんですもの。まずは斧を作ることから始めなきゃ」
「はあぁっ!?」
唖然としてこちらを見る彼を横目に、わたしは得意げに持論を述べる。
「自立とは、身の回りのことを全て己でまかなうことなの。そこに他人の手が加わったらいけないわ。だから、斧を作らなきゃ! ねぇ、鉄はどこにあるのかしら?」
「あー……、まずは鉱山だな」
「では、鉱山へ――」
「うわあぁぁっ!!」
その時、突然辺境伯が胸を抑えてその場にうずくまった。
「ど、どうなさったの!? 大丈夫!?」
わたしは跪いて、彼の肩を支える。
彼は苦しそうに喘ぎながら、
「わ、悪い……。持病の発作が……。済まないが、台車の側面に結びつけてある水筒を取ってくれないか? 水を飲めば落ち着くはず……」
「分かったわ!」
急いで台車へ走る。そして水筒を持って、一目散に彼のもとへ戻った。
「……んっ」
彼はごくごくと勢いよく水を飲む。あれだけ苦しんでいたのが、すっかり治ったみたいだ。良かったわ。
「っぷはぁ~! これで落ち着いたよ。ありがとう、マギーのお陰だ」
「そんな。とんでもないことですわ」
「お礼に君にこの斧をあげよう。存分に使ってくれ」
「馬鹿にしているのっ!?」
ようやく騙されていたことに気付いて、顔が真っ赤になる。
さっきのは演技だったのね! わたしに斧を与えるために、わざとらしく病気を装ったんだわ。
彼はにこりと笑って、
「馬鹿にしていないよ。俺は君に救われた。そのお礼に斧を渡す。等価交換みたいなものだ」
「そんなの……自立とは言えないわ」
「仮に、さっき君が言っていたように斧を作るために鉄を探すのが自立だとしたら、君が今着ている服も脱ぎ捨てて、野生の蚕を捕まえて育てるところから始めないといけないんだぜ? そんなこと出来るのか?」
「それは……」
わたしは口ごもる。答えはもちろん――不可能だ。
蚕から糸を採取するまで時間がかかるし、布にするための機織りも作らなければならない。それまで一糸まとわないなんて無理な話よね。
そもそも、野生の蚕を触るなんて……無理!
「自分の力だけで生きようとすることは、立派な心がけだと思う。でも、生きていく限りどうしても一人ではできないことが起こるんだ。そんな時は人に助けてもらって、逆に人が困っている時は手を差し伸べる……これが、大人として自立をしているということなんじゃないか?」
「そう……かもしれない」
彼の正論に、返す言葉もなかった。
「だからマギーも困っている時は俺に頼っていいんだよ。その代わり、領民が困っている時は助けてやってくれ」
「分かったわ……」
わたしは改めて彼から斧を受け取った。初めて持つそれはずしりと重くて、でも反比例してわたしの心は不思議と軽やかだった。
小屋が完成して、ここに住むようになったら、余った野菜やお肉は領民たちへ配ろう。領地視察で見た孤児院へ持って行こうかしら。
辺境は魔物討伐の最前線で、残念なことに亡くなる兵士も多い。孤児院は、その残された子供たちの居場所だ。
幸いにもわたしは貴族として教育を受けて来たので、それを彼らに教えることができるんじゃないかしら。
子供たちが大人になって困らないように、手助けができるかもしれない。
……きっと、わたしにも出来ることがあるはず。
こうして、わたしの小屋作りが始まったのだ。
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