3 辺境の生活が始まる

 わたしはウキウキと階段を降りる。

 領地へ到着して数日たって、身体はすっかり元通りになった。

 これまでは寝室で食事を摂っていたけど、今日からは屋敷の食堂でいただくことになったのだ。




「よう、マギー! もう良くなった~?」


「あっ……愛称で呼ばないでくださるっ!?」


 食堂へ着くなり、辺境伯はヘラヘラと笑いながら開口一番馴れ馴れしくも、わたしの愛称を呼んできた。

 ドキリと心臓が鳴って、胸を押さえる。マ、マギーなんて、うんと小さな頃に、乳母から呼ばれて以来だわ!


「なんで? 別にいいじゃん。俺たち夫婦になるんだし」


「しっ、親しき仲にも礼儀あり、ですわっ! それに、わたしたちは出会ったばかりなのに、もう愛称呼びをするなんて……」


「え? 俺たち幼馴染じゃん?」


「たった一度、たまたま、少しの時間、お会いしただけですわっ!」


 わたしの叫び声が食堂中に響き渡った。

 執事やメイドたちが、気まずそうに顔を見合わせている。不安定な沈黙が居心地を悪くした。


「おいおい、病み上がりの身で大声で叫んだらぶり返しちゃうぞ!」


 ……空気の読めない辺境伯が空気の読めない発言をする。イライラが急上昇した。

 わたしは矢庭に気色ばんで、


「だ、誰のせいで叫ばざるを得ないのですかっ!!」


 思いっ切り怒りをぶつけたが、


「もう元気みたいだな。じゃあ朝食にしようぜ、マギー。あー腹減った~~~」


 彼はどこ吹く風でフォークを手に取ったのだった。


「もうっ、マギーって呼ばないで!」


「俺のことはデニーちゃんって呼んでくれ、マギー」


「朝食をいただきましょう……デニス・アレッド・辺境伯・閣下!」


 その後は終始無言を貫いた。辺境伯は隣でべらべらと喋っていたけど、断固無視よ。

 それでも彼は、一人で話し続けて、一人で盛り上がっていた。何がそんなに楽しいのかしら?



 賑やかなのか静かなのか分からない朝食会が終わると、


「マギー、元気になったことだし、今日は俺が領地を案内するよ」


「…………そうね」


 わたしは好奇心に負けて、彼に付いて行くことにしたのだった。









「きゃあぁぁっ! なによ、これっ!?」


 もう何度目か分からないわたしの悲鳴が周囲に響く。


「うるせぇな。これくらいでいちいち騒いでるんじゃねぇよ、中央貴族が」


 そして、隣の悪態も一揃いに響く。声の主は、ブレイク子爵令息。辺境伯の側近を務めているらしい。ちなみに、彼の父親は屋敷の家令だ。


「こっ、こんなのっ……王都には存在しないわ!」


「だらしねぇんだよ、中央の奴らは」


 噂には聞いていたけど、辺境は魔境のような土地だった。


 ここは、魔物出没の区域との境目で、常に戦闘の最前線だ。

 魔物は闇の力の影響を受けた瘴気を好むので、ここは当然王都よりも濃度が高くて、空も紫色に染まって、なんだか不吉だった。


 そして、王都では見られない複雑怪奇な生態系。見たこともない大きなカエルや、蔓の長い植物、よく分からない形の生物のような物体……王都から出たことのないわたしには、驚きの連続だったのだ。


「っかぁ~! こんなんで辺境伯の妻としてやっていけるのかよ!」


「それくらいにしておけ、ブレイク。マギーが困っているだろう」


「へいへい」


「マギーも、ゆっくりと慣れればいいよ」


「そ、そうね……。王都とは世界が違って驚いたわ」


「またまた、大袈裟だなぁ」


「本当よ」


「どうせ箱入り娘だから知らねぇだけだろ」


「わたしは王妃教育を受けて来たのよ。辺境の瘴気のことは授業で習ったわよ!」


「実物は初めてじゃん」


「ブレイク~」


「へいへい」


 強がってみたものの、一抹の不安が頭をよぎる。話に聞いていたよりも、辺境の環境は過酷だった。

 子爵令息の言う通り、わたしはここで自立してやっていけるのかしら……?









「今日は我が未来の妻の歓迎会だ。みんな、楽しんでくれぃ!」


 非常に非常に気を揉んだ領地の視察が終わったと思ったら、今度は宴会のはじまりだ。

 王都で行われる貴族のお上品なパーティーと違って、貴族も平民も入り乱れ……というか、ほぼ平民たちの飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎである。


 辺境は国防の要でもあるので、完全実力主義を貫いている。無慈悲な魔物の前に、身分なんて関係ないのだ。

 生き残るため、そして国を守るために、ここには腕揃いの兵士たちや技術者たちが集まっているのだった。



「おい、中央貴族令嬢。これも食えや」


「ありがとう。……あら、とっても美味しいわね」


「それ、昼に森にいた巨大4連カエルだぞ。ぷぷっ」


「きゃあぁっ! なんてものを食べさせるのっ!?」


「お前、旨いって言ったじゃん」


「こらこら、ブレイク~。マギーに変なものを食べさせるんじゃない!」


「もう~、デニス様はこの女に甘すぎ~」


「マギー、苦手なものがあったら遠慮せずに言ってくれ。代わりに俺が食べよう」


「……とりあえずゲテモノ類はよしていただけます?」


「なんだと? 巨大4連カエルのどこがゲテモノなんだよ!」


「ブ~レ~イ~ク~~」



 わたしは辺境伯の隣の、会場の中心の席に座っていた。

 名目上は今日の主役なだけあって、わたしの元には代わる代わる辺境の人々が挨拶にやって来ていた。それを笑顔で受け答える。


 社交は、苦手だ。


 どんなに頑張っても、人と接するのが苦痛を伴うことは、決して払拭できなかった。

 でも、自分は将来の王妃になるのだからと、我慢して我慢して、やり抜いた。

 自分に比べて、キャロット伯爵令嬢はいつも社交の中心にいて……正直、恨めしかった。


「マギー、今日は疲れただろう? もう喋らずに適当に笑うだけでいいよ。あいつらの相手は俺が代わりにやるから」


「えっ……?」


 わたしは目を丸くする。不意を突かれて驚きを隠せなかった。

 そんなことを言われたのは初めてだったのだ。だって、社交は貴族の義務でしょう?


 辺境伯はふっと笑ってから、にわに立ち上がった――と、思ったら、


「ウェ~イ! お前たち、盛り上がっているかぁ~~~っ!!」


「「「「「ウェ~~~イっ!!」」」」」


 元気よくジャンプをしてテーブルを乗り越え、乱れまくるどんちゃん騒ぎの中へ飛び込んで行った。


 その後は、ウェイウェイ言いながら踊っているのか喧嘩をしているのか分からないくらいにもみくちゃになって、ワインの瓶に直接口をつけながら一気飲みをして、ワハワハと豪快に笑っていた。

 彼の周りには自然と辺境の人たちが集まっていって、渦のような熱気に包まれていた。


「…………」


 わたしは、その混沌とした様子を、ぽつねんと一人で遠巻きに眺めていた。

 本当に、彼は子供みたいにはしゃぐのね。たしか彼は、年は自分より7歳年上だったはず。


「なんて落ち着きのない24歳なのかしら……」


 呆れて声も出ないくらいだけど、ちょっと楽しかった。

 そして、ちょっと嬉しい。

 彼は、わたしが社交が苦手なことに気付いていたのだと思う。そして、ああやって道化役を…………いえ、あれが彼の「素」なのかしら?




 ……それでも、わたしは一人で生きていくと決めたのだ。

 だから、辺境伯には最初から伝えておかなければならない。彼の真に愛する人のためにも。


 夢みたいな宴が終わって夜の静寂を取り戻した時、わたしは意を決して、彼に打ち明けた。


「わたしは……あなたを愛することはないわ」と。



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