1 辺境送り
「もうすぐ、ローヴァー公爵令嬢を乗せた馬車が到着するようです」
「そうか……」
側近の言葉に、デニス・アレッド辺境伯は渋い顔で頷いた。
王宮からの無茶な命令に嘆息する。
これから領地へ来る予定の、マーガレット・ローヴァー公爵令嬢。
デニスは5年前に一度だけ彼女と会ったことがあった。
馬車を待ちながら、令嬢の姿をぼんやりと思い出す。
あれは、彼が珍しく王宮の夜会へ参加した時のことだ。
たまたま仕事で王都へ滞在していて、せっかくだからと国王から舞踏会に誘われたのだった。
快諾したものの、複雑に入り組んだ王宮に慣れない彼は、たちまち道に迷ってしまった。
「どうなさったのですか?」
困惑顔で立ち往生していたところに現れたのが、マーガレットだった。
初めて彼女の姿を見たときの驚きは、今でも鮮明に覚えていた。
プラチナブロンドの煌めく髪に、宝石のような碧い瞳。美しく整っているが少々負けん気の強そうな顔立ちは、彼の好奇心をくすぐった。
「いや……ちょっと道に迷ってしまって、な」
「もしかして、夜会の会場を探していますの? でしたら、わたしもこれから向かうつもりですので、ご一緒しましょう?」
二人は、会場に着くまで会話を楽しんだ。
マーガレットは気高そうな見た目に反して、辺境の田舎から出てきたデニスに対しても気さくに話してくれた。
話題の広さと当意即妙な受け答えは、さすが高い教育を受けた中央貴族の令嬢といったところだろうか。
少しの時間だったが、それは彼にとって心に残る思い出となったのだった。
そして、一番印象的だったのは、彼女が笑った時に現れる片えくぼ。
くしゃりと大きく笑ったときに浮かび上がるえくぼは、ちょっと大人びた澄まし顔の彼女が年相応の子供の姿に戻ったみたいで、とても可愛らしかった。
「マーガレット・ローヴァー公爵令嬢か……」
デニスは自然と頬が緩んだ。
◇
「うぅ……」
寝心地の悪さに自然と目が覚める。
ガタガタと全身が強く揺らされて、急激に酔いが回っていた。
「つっ……!」
身体が揺れるたびに、体中に突き刺す痛みが走る。驚いて見ると、腕にぐるぐると包帯が巻かれていた。
「お目覚めになりましたか」
頭上から冷たい女性の声が響く。
反射的に顔を上げようとしたら再び痛みが身体を貫いて、思わず呻き声が出た。
「もうすぐ目的地へ到着しますので、しばしのご辛抱を」
目の前の人物は冷淡にそう言い放ち、すぐに蹄鉄と車輪の音だけになった。
声のもとへ必死で目を動かす。顔までは見えなかったけど、王宮仕えのお仕着せ姿なのは分かった。
つまり、わたしは王宮からどこかへ送られている最中だということなのね……。
目を閉じて記憶を辿る。
たしか、女神の間でトマス様から一方的に婚約破棄を告げられて、抗議しようとしたところで大地が揺れて、聖なる大鏡が破裂して……。
この怪我は、鏡の破片が自分に襲いかかった時だ。
わたしは女神様の逆鱗に触れた、ということ…………?
「うっ……!」
またもや痛みがわたしを襲った。鋭い痛みに身悶える。
なんだか寒気までしてきた。この嫌な感じは瘴気によるものかしら。王都と比べたら、魔力の瘴気が濃い気がする。
よく見えないけど、窓の外から不穏の影が覗き込んでいるみたいだった。
そうこうしているうちに、自然とまどろんできて、いつの間にか再び眠りについた。
◇
「いようっ、公爵令嬢! 俺のこと覚えてるぅ~? ――つーか、その全身包帯ぐる巻きはどうしたっ!?」
「あなたはっ……!?」
到着するなり、目を剥いた。
従者に支えられて馬車を降りると、そこには……デニス・アレッド辺境伯が、満面の笑みでわたしを待ち受けていたのだ。
懐かしい姿をみとめて、少しだけ心が落ち着いた。
辺境伯は魔物との戦いで磨き抜かれた美丈夫で、ひときわ上背が高くて、鮮やかな赤い髪が印象的な方だった。
わたしは彼に一度だけお会いしたことがある。
精悍な見た目とは反して、剽軽で……ちょっと騒がしいのよね。でも、そこが楽しくって。
はっと我に返る。
目の前に彼がいるということは……、
「ここは……辺境っ!?」
思わず大声を上げた。令嬢らしくないはしたない声に驚いたのか、周囲の人たちは目を丸くしてしんと静まり返った。……辺境伯以外は。
「えぇっ!? 聞かされていなかったのかぁっ!?」と、彼は大袈裟なくらいに大きな声で尋ねる。地声なのかもしれないけど、傷口に響くようなうるささだった。なんだか頭が痛いわ……。
「わたしは……特には……」
「おいおいおい! なに考えているんだ、王宮は!」と、彼は大仰にのけぞる。
「……ねぇ、静かにしていただける? わたし、ずっと眠っていて、まだ身体が……」
「おっと! 悪い悪い! その身体で長旅は辛かっただろう? さぁ、屋敷で手当をしよう!」
「きゃっ!」
辺境伯はわたしが返答する前に、出し抜けにわたしの身体をひょいと持ち上げた。急激に彼と顔が近くなって、たちまち頬が熱くなる。
「なっ……なにをするのです!? 離して!」
「こんなに大怪我した令嬢を一人で歩かせるわけないだろう? 大丈夫だ、俺は水魔法が使えるからすぐに治してみせるさ!」
「そういう問題ではなくて……未婚の令嬢がこのように殿方と接近するのは品のないことなのです」
「まぁ、別にいいんじゃないか? これくらい。俺たち夫婦になる仲だし」
「へぇええぇっ!?」
思わず素っ頓狂な声が出て、身体が痺れた。一瞬で世界が凍り付く。
い、今……彼は、なんて……?
わたしが目を見張って口をぱくぱくしていると、辺境伯は首を傾げて、
「あれ? 本当になにも聞いていないのか? 俺たち、王命で結婚することになったんだぜ?」
満面の笑みで言い放った。
そして勝ち誇ったかのように、したり顔でばっと親指を立てる。
「………………」
わたしは少しの間だけ押し黙って、
「えええぇぇぇぇぇぇえええっっっ!!」
またもやまたもや、令嬢らしからぬ大声を辺境中に響かせたのだった。
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