大きな秘密の中で
おれは溜息をついた。
どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。
そんなことを思った。
そいつらが作り上げたこの世界って場所にうんざりしていた。まともな奴らはみんな途中下車しちまった。そして自分の遺伝子を欠片も残すことなく二度とこの星と関わらないことを決めた。正解だと思う。
狂っている。
おれは朝、目覚める度にそう思う。
電話が鳴った。「はいもしもし?」相手は黙っていた。暫くすると切れた。つーつー。
「そろそろ頭がおかしくなっても不思議ではないな」
おれは自分を客観視することが出来た。頭がおかしくなるその予兆を掴めるのだ。ある日、突然、涎を垂らし人に襲い掛かることはないだろう。少なくともその前日にはわかっている、明日の朝、おれは涎を垂らしながら人を襲うのだと。
限界が近付いていた。多分。それを越えたらあとは狂うしかない。我慢しろだって? たぷたぷのコップにあともう少しだけ入れても良いかと訊いてみろ。
刃物は既に用意した。
また電話が鳴った。はいもしもし?
「ああ、タケルゥ?」
母さんだ。陽気な声が聞こえた。今、ブラジルでサンバを習っていると述べた。確かに背後でラテンミュージックらしきものが流れているのが聞こえて来た。
「タケルゥ、あんた元気にしてるの? たまにはあんたの方から連絡ちょうだいね。あんたのことだからそろそろ連続通り魔、殺人でも企ててないかと心配だよ」
さすがはおれの母だ、全部お見通しなのだ。
「心配しないで、それより水道水は絶対に飲んじゃ駄目だよ? 毒が入ってるからね」
おれは事務的に伝えた。
「あんたの言う通りありがたあーい術符を蛇口に巻き付けてるから平気よ」
おれは電話を切った。
その瞬間、思い出した。
おれの母さんは数年前に死んだのだ。では今、話していたのは誰だったのか? また頭の中の電気信号が誤作動したのだろうか?
大丈夫。
おれにはわかっている。
おれは完全に破滅へと向かっている。
「刃物で人を刺すとして一体、誰を殺すべきなんだ?」
自分って奴もいる、自殺だ。自殺をするのは主に元気の無い奴だった。「ちかれた………」そのようなことを呟いて走って来る電車と正面から抱き合おうとするのだ。おれは元気が有り余っていた。毎日のトレーニングのおかげだ。プロテインも摂取している。おかしいのは頭の中だけだった。その気になれば池田小、連続殺人犯の宅間守を三人ぐらいは殺せるかもしれなかった。
どうせなら他人を殺すべきだな、と結論付けた。
早速、刃物を握り締め自宅を出た。途中、警察官とすれ違った。
「………それ何、持ってるの?」
そう問われて、おれは自分の手に握り締められているものを見た。どう見ても刃物、以外の何かには見えなかった。剥き出しのまま持って来てしまったのだ。
「刃物ですね」
「ちょっと署まで来てもらおうか」
手首を掴まれた。暴力警官、交番へ帰る。そのような文面がよぎった。おれは反対の手で電話を掛けた。そしてその巡査と相手を話させた。巡査は非礼を詫び、その場を去って行った。
おれは繁華街まで歩いて来た。コンビニで水を買おうと思ったが術符が無いのでやめた。ほんの少しだけ正気に戻る時もある。そんな時、おれは自分が一体、何をやっているのかわからなくなるのだ。まるでそれまで人形だった物体に魂が封入されたような感じ。だがすぐに魂はレンタル品のよう元の所有者へと返さなくてはならなくなる。
命令が下る。
それはいつも見えない波長で送られて来る。
けして逆らえやしない。
何もかもが予定通りに進行するしかないのだ。
おれは飛び付くようそいつに馬乗りになり有無を言わさず滅多刺しにしてやった。最初は驚いていたがすぐに血の泡をぱくぱく吐き、やがて黙った。
パトカーがやって来た。
警察官がおれを包囲した。随分、到着が早い。さっき会ったばかりの警察官の顔もあった。無線機で誰かと話しをしている。
「ええ、はい、標的は無事、処理いたしました。これから確保に向かいます」
おれは返り血を浴びぼんやりと解放感に包まれていた。
役目は終わった。
あとはあいつらに囲まれ連行されるだけだろう。
どうやらこの世界は見かけほど単純な仕組みではないらしい。もしあなたがこの場所で何かしらの安穏を見出せるなら、それは頭の中身を一部、差し出して麻酔を打ち込まれているに過ぎない。
秘密。
それは常に隠されずに剥き出しでそこにある。
ただ誰もその正体に気付いていないのだ。
そしておれたちはその泡の中でもがき、苦しみながら生まれて死ぬまで逃れることは出来ない。
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