明けない夜の明け方
とにかく誰かぶん殴りたかった。
おれは人間じゃない。
小説の中の登場人物だ。
もちろん肺呼吸もしてない。
当たり前だろ?
うんざりだ。
本当のことなんて何も無い。全てが用意された嘘偽り。
誰かぶん殴りたかった。
小説の中の登場人物が、小説の中の登場人物をぶん殴るとどうなるか?
結論から言うと小説の中の刑務所へと入れられる。この世界では当たり前なことしか起こらない。ノーサプライズ。
どいつもこいつも安っぽい嘘にまみれている。小説の中で登場人物をぶん殴ると小説の中の警察に逮捕され小説の中の刑務所に収監されますよ、と注意される。
あのなあ………。
お前ら全員、頭の中を改造されている。お前なんて何処にもいない、いると思い込んでいるだけ。
そしてお前ときたら何の疑問も抱かずへらへらと笑って過ごせればそれで良かった。
だがおれはもう一秒だって我慢、出来ない。
我慢。
それは非常に良くない。
だから誰か適当な死んでもいいような奴が向こうから歩いて来ないだろうか………そうすれば物陰へと誘い込み鈍器を振り下ろして殺すから。お前の視界の外、それならいいんだろ?
おれは人間じゃない。
何度もそう言っている。
みんなそういったことを見て見ぬ振りする。
何か本当のことがこの世界で起こっているかのような振る舞いをする。最低最悪の詐欺師野郎ばかりじゃあないか。
おれはもう真実、以外を吐露する気は微塵も無い。世界が凍り付こうが知ったことか。
小説の中の登場人物、そいつが臨界点を突破して手当たり次第、誰かぶん殴りたいとか喚いてるだけ。
とにかく、もう、相手の顔面が潰れるまで渾身の力を込め今すぐにぶちのめしたい。
「誰でも良かった」
あの頭の悪そうな供述をしてみたかった。他人からどう思われるか、などといった些細なことはとっくに通り過ぎていた。
今のおれに残されているのはただ後始末だけ。この自分とかいうがらくた人形をどうやって処理すべきか。
取り敢えず人生を強制的に終了させるしかないだろう。
この世界は狂っている。
そしてみんな狂っていない振りをしている。おれはもう疲れた。何かの壮大な実験にでも巻き込まれたのだろうか? 一体おれたちにこの場所で何をやらせるつもりなんだ?
個性なんて何も無いのに、ただ生きてるだけなのに。
そこには始まりも終わりもない。いきなり理解不能へ放り込まれただけ。どうして自分が存在しているのかもわからないのに存在していた。こんな状態でどうして発狂せずにいられるだろう。
ただ何も起こらない状況が続くだけだった。この世界で能天気に笑える奴らは皆、死んでしまえ。
ああ。
言われなくたって死んでやるよ。
小説の登場人物の寿命はそう長くはない。大抵は三日ぐらいだ。あとは最初から何も無かったみたい全て忘れ去られておしまい。
ああ、そんな奴がいたっけ? と全く違う誰かと勘違いされておしまい。曖昧な記憶の中で泡のように消えるのみ。
とにかくみんな死ぬのだった。
そこら辺を歩いているキリンさんとかもすぐ死んだ。心不全で。寝たのか? と思うともう死んでいる。
用済みだから、死ぬのだ。
キリンさんがいなくても良い世界になったから死ぬのだ。その際、本人の意思なんて関係ない。もっと生きたい、でもそんなのはちっとも反映されない。そういった不条理におれたちは囲い込まれている。身動き一つ出来やしない。そしておれたちときたら自分が自由だと勘違いしていた。実際には何も無かった。
おれはテレビを点けた。小説の中にもテレビはある。画面でアナウンサーが喋っていた。
「今朝、小説の中で人が死にました」
ああそうかよ。おれは思った。
よくあることだ。
とにかくこの世界ではよくあることばかりが起こる。またかって思う。だからなんなんだと怒りが込み上げて来る。曇りのち晴れとか。全員、爆殺されれば良いのに。
おれたちは何も起こらない空っぽの人生とかいうやつを死ぬまで生きろと恫喝されていた。その際、見えない力が凄かった。当事者のおれはもう何もかもを手放すことしか頭にはないのに。
おれは朝、通勤電車に乗った。その瞬間に確信した。
(何もかも狂っている)
間違いなかった。
そこに乗り合わせた全員が洗脳されていた。何か根本的な過ちを犯したままそれを続行していた。とんでもない悪が進行していた。恐ろしいことにそいつは笑顔で真正面からおれたちの方へとゆっくり近付いて来ていた。
叫んでも無駄だ。ただの頭のおかしい奴、扱いされて終わりなだけ。テレビの中のアナウンサーが喋るだけ。
「今朝、小説の中の山手線で快速急行が転覆し三百名の死者が出ました。来年同時刻に企画されているアニバーサリーイベントでは遺族代表による缶コーヒーの贈呈式が行われる模様です」
おれは死んだ。
意外と早くに。
くすくす笑った。
その後ぎゃははっと大声で笑った。
おれは死んだ。小説の中でな。これほど愉快なことは今まで一度もなかった。そしててめえらときたらまだだらだらとその世界で生きていやがった。
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