【不定期更新】犬飼課長の何でもない日常

若桜紅葉

ついてない日、優しい味

 思えば朝からついてなかった。

 

「明日早番で起こしてあげられないからね」

 妻にそう言われていたのにアラームを設定し忘れて寝坊したうえ、慌てて飛び出して泥水を跳ねた。


 昨日の夜、雨音が凄かったなあと思ってはいたけれどまさか家の門を出てすぐのところに特大の水たまりがあるだなんて。


 かといって着替えに戻っている時間など全くないのでそのまま駅に行くほかなかった。

 

 そして極めつけは人身事故で電車が遅延。


 あんなに頑張って走ったのに結局は会社の朝礼に間に合わず仕舞い。

 一応遅延証明書はもらえたけれど朝礼の途中で入ってしまったのでとても居たたまれなかった。


 

 とにかく朝から災難続きだったのだ。

 そして今なぜ朝の回想をするに至ったか。



 昼飯時になって僕は家に弁当を忘れたことに気が付き、渋々コンビニでバナナとサンドイッチを買いに行った。

 ぼんやりする頭で適当にサンドイッチを選びレジへといくと若い女の子がいぶかしげな顔をしながら商品をスキャンした。


 何故そんな眉間に皺を寄せ首を傾げているんだ……僕みたいなおじさんがバナナとサンドイッチ買っていたらおかしいのだろうか。


 おじさんだからと言ってみんながみんな、かつ丼とかハンバーグとかそういうものを食べるわけじゃないんだよ。

 むしろ胃が年々弱ってきているからさっぱりしたもののほうが好きだったりするんだよ。

 

 そう内心反抗したけれど言葉にする訳でもなく、朝の疲れも相まってとぼとぼと自分の席まで戻ってきた。



 そして今、気が付いた。

 あのいぶかしげな顔はこれのせいだったのかと。


 ビニール袋から顔を覗かせるバナナに似た形状の何かがこちらを見ていた。



『こんにちは! 僕コーンだよ!』

 アテレコするならこんな感じだろうか。


「ちょ、バナナの真横にコーンとか嫌がらせだろ、この置き方!」

「間違った人絶対いるだろ、かわいそー」


 そういえばバナナコーナーの近くに行ったときにこんな会話をしている人がいたっけな。


 間違える人なんていないだろうと思っていたからスルーしていたけれど、まさか自分が間違えているだなんて。


 バナナの陳列棚にコーンが紛れていたとかそういうわけでもなく、ただ単純にバナナの横がコーンの定位置だったところに店長のいたずら心が垣間見える。



 ちなみにトウモロコシは嫌いな食べ物トップ3に入るぐらい嫌いだ。


 コーンとかいう謎にかっこいい名前もあまり好きじゃないけれど、何よりも味と触感が受け付けない。

 ちなみに妻も子供たちも大の苦手である。


 なのでステーキハウスのスープバーがコーンスープだったときの絶望感は筆舌に尽くしがたい。


 意気揚々とスープのカップを持っていくも開けた瞬間にそっと閉じてしまう。

 そして飲みたかったわけでもないホットコーヒーを取って席に帰るのだ。


 うちの家族は序盤のスープバーでしくじるとみんなで仲良くホットドリンクをもってきてしまう。

 なんだかカップを持ったのに戻すのも忍びないし、という思考が働くのだ。仕方がない。



 話が逸れてしまった。

 まあ結論、このゆでられたコーンを家に持って帰ってもゴミ箱行きになってしまうということだ。


 買った分際で開けもせずに捨てるのもどうなのか。

 でも食べたいかと言われれば答えはノーだし、本当どうしよう。


 こんなおじさんがコーンを眺めて昼休みを潰しているのも傍から見たら変な状況だ。

 もう途方に暮れてから15分近く経っている。


「お疲れ様でーす! あれ、犬飼課長、どうしたんですか、ぼーっとしちゃって」

「あ、藤宮ふじのみや君。いや、ちょっと困っててね」


 藤宮君もちょうどコンビニから帰ってきたようでエコバックを掲げている。


 エコバック持ち歩いているなんてまめだなあと言ったことがあるのだけれど、どうやら妹さんが作ってくれたものらしい。兄妹仲の良いことだ。


 彼の明るい茶髪が部屋の照明に反射してまぶしい。

 性格も明るいから彼自身が光り輝いているように見えるのが不思議だ。


「うお、課長、嫌いなのにコーン買っちゃったんですか。どして」

「それがね、バナナコーナーの真横がコーンコーナーだったんだよ」

「あー、あれかぁ。間違える人いるのかなーって思ってましたけど、まさかほんとにいるなんて」

「僕も間違える人いるのかな? って思ってたよ。……まあ、自分が間違えちゃったんだけどね」


「もー、課長ってばおっちょこちょいっすね」


 けらけらと笑う藤宮君に心救われる。


 ちょっと恥ずかしい失敗だけれど思いっきり笑ってもらえたほうがありがたい。

 自分の話が受けた感じがするのもうれしいし。


「そんなおっちょこちょいの課長にいいものをあげましょう」


「いいもの?」


「ハイ、バナナ味のプロテイン!」


 独特な掛け声とともにエコバックから紙パック飲料が出てきた。


 頭の中でとある効果音を流してしまうほど彼の声真似は似ていたので思わずくすっと笑ってしまう。

 そんな僕の様子を見て彼も楽しそうにニコニコしていた。


 もしかして僕のことを笑ってしまったから、気を遣ってボケてくれたのかも。

 藤宮君は優しいなあ。


「というわけで、課長のコーンと俺のバナナ味プロテインは交換こ、ということで」

「え! 申し訳ないよ」

「大丈夫っすよ! 俺、トウモロコシ好きなんで。いつもお世話になってるお礼だと思って!」


 行き場をなくしたコーンが藤宮君の手に吸い込まれていく。


『やったー! 食べてもらえるぞー!』

 そんな言葉が聞こえてきそうでほっとした。


 コーンくん、間違えて買ってしまってごめんね。お達者で。


「ありがとう。そしたら遠慮なくいただきます」


 控えめに紙パックを持つと「どうぞどうぞ!」という返答が返ってきた。


 そういえばこれ、今CMでやってる有名なやつだ。

 プロテインって飲んだことないけれどどんな感じなのだろう。


 ドキドキしながらストローに口をつけた。


 ……牛乳とは少し味が違うけれど、ほぼバナナ牛乳。

 しかもこれを飲むだけでプロテイン15g摂取できるとのことで、紙パックに大々的に宣伝されていた。


 今日はついていなかったけれど親切にしてもらえたし、新しいものに触れられたし、結果オーライだなあ。

 人に優しくしてもらうと疲れが吹っ飛んでやる気が満ちあふれてくる。


 よし、午後も頑張るぞ!

 意気込んで時計を見ると休憩時間があと5分で終わろうとしていた。


 あわただしくビニール袋からミックスサンドを取り出し、口へと放り投げる。


 僕はなんでこう締まらないのかなぁ……。

 ゆっくり食べる間もなく、泣く泣く口の中に張り付くパンをプロテインで流して食べた。


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