第五話 アパート
常に最適化されていく日本の心臓たる街が更新と撤廃の繰り返しで意図せず生み出した場所は
都庁を心臓と見立てたなら、街を通る道路は動脈で路地は神経だろう。もし人間の体ならどこか一つでも詰まれば大きな影響が出るのだろうが、都市にとっては些細な問題にしかならない。せいぜいがどこかで人が居なくなっても気付かない程度。
クシナの住まいへと向かうには、動脈たる道路から離れ、
この辺りは工場勤務が多く、新宿にしては家賃が比較的安めに設定されている地域になっている。
クシナの住処は昨年、一応の耐震工事とリフォームが済んだばかりで外見に反して中は想像よりも綺麗なのだが風呂は無いし備え付けのエアコンは湿った空気を吐き出す粗悪品で、暗に『この街に住めるだけ感謝しろ』と言われている様だ。無論、金さえあれば引っ越したいとも思うが、新宿の住居はどこも無駄に高い。
こんなボロ屋のワンルームですら月に六万の家賃を要求されるのだから、この街は人を糧に成長する巨大な化け物なのではないかとクシナはつくづく思う。
「あたしの家とは言ったけど、二つ隣の部屋が空いてるからそこに」
玄関の前で指した部屋の扉を漆黒の男、クロミネはじっと見やった。表情どころか年齢すら不明な男クロミネはここに来るまでの途中で自身のことを語ってくれた。
年齢は三十一歳で独身。体に異変が起きる前は〈ミツメ商事〉に勤めていたらしく、ミツメと言えばサラリーマンの中でもかなりのエリートの部類に入る。しかも課長クラス。多分年収は一千万を超えてる。
……けれど現在は休職中との事。その上、今回の事で出世レースからは外されてしまうでしょうとの事だ。
元々住んでいた場所が高層マンションの高層階だったが為に、今の体で暮らすのは難しいからと引き払ってしまい。何日かはネカフェで過ごしていたらしい。
決して口には出来ないが転落人生とはこう言う事を言うんだろう。
かつてはエリート街道を歩んでいたのに、こうしてボロアパートのワンルームに住む事になる気分とはどういうものなんだろうか。
こちとらこんなボロ屋の家賃でさえ稼ぐのがやっとの貧乏生活を続けている身である。『住めば都ですよ』精神で何とか耐えられているものの、クロミネの場合は著しくQOLが下がった状態なのでそうもいかないだろう。
しかし、それはそれ。こちらの提案した条件が飲めないのなら依頼を受けないだけだ。
しばし黙り込んでいたクロミネだったが、ようやく現実を受け入れたのかクシナの方へと体を向けた。
「ありがとうございます」
マスク越しの男の声はそれほど動揺しているわけでも無かった。それに「どーも」と軽く返す。
まだ依頼を受けただけで何の解決策も浮かんでいないが、明日からの事を考えていたので、そんなおざなりな返答になってしまった。なんにせよ落ち着いているならそれに越した事はない。
「では部屋はありがたく使わせていただきます。明日、必要な物のリストを作成してお渡しするのでよろしくお願いいたします」
「おー任せてください」
「ではまた夜に」
クロミネがアパートの一室へ入っていくのを見届けると、何故か着いてきた
何をそんなに期待しているのか知らんけど、ククリにしてもらう事は今日時点ではもう無いのに。ただ、このまま帰れと言った所で素直に帰るとも思えない。どうするべきかと考え、肩越しに背後を見た。
「……泊まってくか?」
聞くとククリはぶんぶん首を縦に振って答えた。
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