第45話 始まりのベルが鳴る②

 バレリエ教授の家で一晩過ごしたけど、結局全員がほとんど眠れなかったので、僕と教授、その弟子たちとで早朝からスラオーリ歴や勇者歴について語り合うことになった。


 例えばヒダカも言っていたような東西の勇者に関する伝承の違いや歩んできた歴史の違い。それに伴う文化や政治の違いなども語られた。みんな当たり前に造詣が深く、感心してため息ばっかりついてしまった。


 今からその人たちを殺しに行くのだと思うと複雑な気分になったのは、勿論黙っていた。


 この日は中央政府によって急遽国民の祝日とされた。これから先、少なくとも勇者が死ぬまでの間は祝日のままとなるのだろう。


 ずっと教授のところに厄介になるわけにもいかないので、夕方には家に帰った。


 騒ぎすぎて疲れたのか、昼の間は比較的に静かだった商業エリアの方からまた楽器の音が上がり始めている。今夜もまた眠らない夜が来るのだろう。


 家の前に着くと、予想通りにたくさんの記者がいて、開戦へ向けた話を聞こうと躍起になっていた。


「ルメルさん! とうとう開戦しましたね! 抱負をお願いします!」

「出陣式の日程が変わる可能性があるとの情報が入っていますが、お兄様は何か仰っていらっしゃいますか!」

「勇者の側近として、この戦いをどう見ていますか!」


 次から次へと浴びせられる質問。勇者パーティーでは一番役立たずと言われている僕でさえこの量の人がきているのだから、他の三人はさぞ大変なことになっているだろう。ヒダカやセナはともかく、教会がエルゥを守ってくれていることを心底願った。


 僕は笑顔を浮かべて居住まいを正す。


「二度目の天啓を受けてさらに気分が高揚しております。この国に勝利をもたらせるよう精一杯戦ってまいりますね。本日はお集りいただきありがとうございます。まだ詳しいことは分かっておりませんので、追って正式な発表をお待ちください。それでは、この辺で失礼いたします。スラオーリに感謝を」


 声を張って一息に言ってしまうと、深く礼をして踵を返した。


 当然後ろからはまだまだ足りないとばかに大きな声が追いかけてきたけど、振り返りもせず門戸を閉じた。




 翌日の訓練は施設全体から熱が迸るかのようだった。あちらこちらから、まるで奇声のような掛け声が聞こえてくるのだ。


 さすがに昨日は誰も訓練などしていないだろうから今日が天啓以来、最初の訓練だ。気合が入るのも仕方ないのかもしれない。


 絶命の大峡谷では、待機していた歩兵が東の兵と剣を交え始めたと連絡が入った。


 地方に待機していた軍勢も続々と谷に向かっている。


 長期戦に備えて城塞は随分前から建築が完了しているし、少しずつ蓄えられた食料や武器はこれから順次運ばれるだろう。


 今までも背後で蠢いていた戦いの気配が一気に濃厚になったのを感じた。


 仲間たちは忙しいのか誰も来ていなかった。今はみんな方々の対応に追われているんだろう。


 良くも悪くも僕は責任の少ない立ち位置だから、逃げようと思えば逃げられてしまう。今日施設に来たのも、家にいるよりマシだと判断しただけだ。


 結果的には剣士を始め、色々な人に手合わせを願われたり質問攻めにされたりしたことで、疲れて昼食も取らずに外に出ているんだけど。


 念入りに変装と変身魔法を施すと、魔導車から商業エリアの手前で降りてセンターエリアへと出る。人通りが多すぎて魔導車では入れなかったからだ。


 すでに二日経ったと思っていたけど、周りはまだ二日だったらしい。


 誰もがまだまだ祭りはこれからだと言わんばかりに興奮して顔を赤らめている。


 うん、まあ、大人の半分以上はお酒のせいかもだけど。


 勇者が現れたときもすごかったけど、今回は切り札を持った状態での開戦に浮かれきっているようだ。まるですでに勝利したかのような騒ぎ方に見える。実際に、すれ違う人たちの多くが「勝ったようなものだ」と話している。


 いたる所で「安いよ」とか「大売り出しだよ」と呼び込みの声が響き渡っていて、この機に売りつけようという商魂なのか、さっさと売り切って酒場に繰り出したいのか、その両方なのか。


 通りがかったティーショップなどの静かな店は昼時にも関わらず閉まっていて、逆に酒場には店内から溢れたらしい客が路上で乾杯している。


 家族のある者は食材をたんまりと買い込んで家でお祝いするのだろう。


 押し寄せる独特の熱気が息苦しくてそっと脇道に逸れる。そこでも何人かが酒を酌み交わしていた。どうにも逃げ場はないらしい。


 仕方なくその人たちから少し離れたお菓子屋の軒下に移動した。人のざわめきも視線もこちらを気にしてなんていない。


 ここなら問題ない。


 今の僕は一人だ。護衛はいない。シャリエと話した翌日からいなくなった。本当に僕の役目は終わったらしい。


「すごい熱気……。まだ勝敗は分からないのに。ねぇ、そう思いません?」

「……その通りですね」

「それで、ずっと後を付けてきてるみたいですけど、何の用ですか?」


 僕が場所を気にしていたのはこのためだ。


 商業エリアに入った辺りから後を付けられていた。立ち居振る舞いから剣士でも戦闘士でもないのはすぐに分かった。他に仲間がいる様子もない。


 万が一腕利きの魔導士だったり、強力な魔道具を持っていたりしたとしても対応できると踏んで声をかけた。


「気付かれていたのですか」

「ええ、まあ……」

「それは失礼しました。ルメルさん」


 僕は瞬きの回数を増やした。動揺を表すわけにはいかないけど、言い当てられて驚くのは仕方ない。


 途端に相手の目的が分からなくなったので、さっきよりも慎重に口を開く。


「ルメル? 

「メルシルさん、と言った方がよろしいですか?」


 とぼけようとした勢いを見事に削がれた。


 それどころじゃない。


 どうしてその名前を知っているのか。そもそも僕は今、女装しているのだ。正確には正しく性別に合った恰好をしている。


 これで僕がルメルだと気付く人はまずいない、と高を括っていた。相手は見たことも無い相手だ。変身魔法はお互いに面識がないと看破することはできない。


 その上、まさか、本名を言い当てられるはずがない。この名前を知っている人間のほとんどは、メルシルは死んだと知らされているはずだからだ。


「――君、誰?」

「名乗る程の者ではありませんが……。恐れ多くも、預言者と呼ばれております」

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