第39話 秘密と言う名の切り札
料理はヒダカの家やセナの家で食べるのとはまた違って、味が濃くてお酒によく合う。ついついお酒が進んでしまいそうになるのを、気を付けて喉に流し込む。
「エルゥ、膝、重くない?」
「よくあることなので大丈夫です。ありがとうございます」
花開くようにエルゥが微笑む。慣れっこな様子に苦笑した。
「セナは本当にエルゥが大好きだね」
「セナにとっては恩人だろうからな」
「ヒダカ?」
どういう意味? と続けるつもりの口は妙に張り詰めた空気に遮られた。
エルゥが目を丸くしてヒダカを見つめる。
「え、と……?」
「あ、と……少し、な。ごめん、知ってる」
「ぁ……そうです、か……。いえ、いいんです」
首を横に振りながら一度言葉を切ると、言い出しにくそうにエルゥは口を開いた。
「……ずっと言えませんでしたね。セナも寝てるし、少し話してもいいですか?」
出会って三年。言いたくないなら言わなくてもいいと思っていた、エルゥとセナの関係。二人だけの何か。
吹っ切れたように穏やかな顔で話し出す彼女を、僕もヒダカも無言で促す。
エルゥは深呼吸をしては良い淀むことを二回繰り返した。
「エルゥ、無理しなくてもいい」
ヒダカは本当に内容を知っているようだ。心配そうに彼女を見ている。このときになって、僕は初めて少しだけ嫌な予感がした。
でも、それを自覚する時間は与えてもらえなかった。
「――私、死者を蘇生したんです」
唐突にエルゥが言った。
あれだけ騒がしかった酒場の音が消えた。何度も瞬きをして、僕は知らない内に「ええ?」なんて笑っていた。
同時に喧騒が戻ってくる。
「それで奥さんと喧嘩してさー」
「そりゃ、お前が悪いだろ」
「そうよー? まだ子供も小さいんだから、気を付けないと!」
聞き耳を立てているわけでもないのに遠くの席の声が届く。
すぐにそれらが段々と引いていき、視界の端にグラスを持ち上げるヒダカの腕が映った。ゆっくりと彼を見ると、中身を一口飲んでこちらを見る。その目は真剣だった。笑ってなんかいない。慌ててエルゥに顔を戻す。
「エルゥ……?」
冗談じゃない? そう言いそうな僕を見ることなく、エルゥがゆっくりと首を横に振る。
あり得ない。
それが最初の感想だった。
あり得ない。
死者の蘇生など、それこそスラオーリの所業だ。
どうやって? 誰を? どんな状況で? なんで? どうやって?
ぐるぐると頭の中に言葉が回る。でも、どれを口にしてもエルゥを傷つけてしまいそうで、とても失礼な好奇心のような気がしてただ唇を震わせた。
「……ヒダカさん」
エルゥの声は震えている。
「ん? ああ、なんだ?」
「ヒダカさんは、どこまで知ってるんですか?」
「あー……。相手が誰なのかと、どんな状況だったかっていうのを少しだけ……」
ヒダカが言いにくそうに口にする。
「どこで知ったのか、聞いても……?」
「ごめん、それは言えない。でもセナからじゃない。あと、誰をって言うのは俺が勝手にそう思ってただけだ」
エルゥが納得するように小さく何度も頷く。置いていけぼりの僕を心配したのか、誰よりも年上かのような笑みでこちらを見た。
「ルメルさん、いきなりごめんなさい。驚きましたよね」
「エルゥ……」
「あれは、私が首都に来て二ヶ月ほど経った頃です」
その日、エルゥは教皇と教授の立会いの下、セナに出会った。
当初の二人は、今のように親友になるような関係ではなかった。友好的なエルゥに対して、セナは彼女の魔力と魔法に興味を持ってはいたけど、ただの研究対象といった状態だった。
それでもいずれ勇者パーティーの一員になるだろうと予想された二人は、大人の都合によって何度か会っていた。
どこも同じだな、と話に小さく相槌を打つ。
ある日、セナは会いに来たエルゥをほったらかしにして自分の研究に没頭していた。
「セナって昔から、研究のことになると周りが見えなかったんですよ」
完全に事故だったそうだ。セナの隣の研究室――つまり教授の屋敷の一部屋――が爆発した。
余りに突然のことに誰も反応することはできず、エルゥも左足を骨折する大けがだった。痛みに耐えながら自分の治癒を行い、探した先にいたのは胸に大きな瓦礫が突き刺さり、呼吸を止めたセナだった。
「必死だったんです。息が止まっているなんて認めたくなくて。だって、あのときのセナがそう思ってないのは知ってましたけど、初めてできた友達だったんですよ。修道院では同年代の子はいなかったし、何よりセナは、初めて私の話を聞いてくれました」
首都に来たら友達の一人でもできるかと思っていたのに、周りは褒め称えるばかりでまともに話を聞いてもくれなかったそうだ。
セナは、興味が偏ってはいたけど、話せば必ず真正面から取り合ってくれた。だから、何が何でも助けたかった。エルゥはそう言った。
瓦礫をどかして二人を見つけたのはバイレアルト教授と数人の警護官。
彼らの視線の先には、明らかに助からないと分かるような空洞を開けた体に必死に治癒を施すエルゥ。ただでさえ治癒の効きにくい悪魔族。教授が代表して声をかけたそうだ。
「エルウア、ありがとうございます。でも、もういいんですよ。この子は、もう……」
「まだです……! まだなんです! だって! キリセナはまだ温かい……!」
「エルウア……」
「まだなんです……!」
泣きながら治癒を続けていたそのときだった。
「私は、今でもあれはスラオーリだったと信じているんです」
声が。
声が聞こえたそうだ。
「何と言ったかは分かりません。でも、セナを助けてくれると、そう言ってくれたような気がします」
そうして、セナは目を開けた。
まるで何事も無かったかのように。
胸元に大きな傷跡だけを残して。
「その後はちょっと大変でした」
疲れたようにエルゥが笑う。
その先は嫌でも想像が付く。きっとエルゥは話を聞きつけた金持ちから蘇生を乞われたのだろう。
「プロフェッサーも教皇様も口止めをしてくれていたんですけど、完全には無理だったみたいで……」
酷いときは軟禁されて力を使うよう命令されたりもしたそうだ。
「私は人を傷つける魔法を余り使えなくて、それからはずっとセナが守ってくれていたんです」
エルゥがそっとセナの頭を撫でる。
「あれ以来、一度もあの力は使ったことはありません。使えるのかも分からないんです」
僕は一言も口にできなかった。ただただ、エルゥのつむじを見つめる。
「大変だったな」
ヒダカが口を開いた。
やたら重い頭をヒダカに向ける。
「話してくれてありがとう」
「やっと話せました。聞いてくれてありがとうございます」
二人が見つめ合う。その光景がやけに遠い。
どうしたんだろう。なんだかすごく疲れてる。
何か言わなきゃ、言わなきゃ。
「エルゥ……。その……」
「ルメルさんも、いきなりごめんなさい。ありがとうございます」
謝る必要なんてないのに、言わせてしまった。僕の方が年上なのに。
「ううん。気の利いたことが言えなくて、ごめん。まだ、少し驚いてるみたいで……」
何とか笑顔にした顔は本当に笑えていたのかな。
劣等感とか、敗北感とか、後悔とか、後ろ向きになってしまった自分とか。全部、全部隠せていられたらいいな。
自然を装って握ったグラスは汗もかき終えて、カラカラに乾いていてしまっていた。
セナも眠ったまま起きなかったことで、その日はそのままお開きとなった。
魔導車でセナを送り届けるヒダカを見送って、エルゥと二人きりになる。
「ルメルさん」
「ん?」
「もう少し、話せませんか?」
「うん……」
僕の隣を歩くエルゥは市場によくいそうな茶色の薄い生地で作られた古着を着ている。変身魔法を使っているし、周りからはどこにでもいる少女に見えてるんだろう。
でも、僕には彼女の神秘的な雰囲気に服だけが浮いているように見える。
僕らは近くのティーショップに入った。
小さなテーブルを挟んで椅子に座った途端に、エルゥが勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさいっ! 仲間外れみたいになってしまって……!」
「エルゥ……?」
「まさか、ヒダカさんが知っているとは思わなくて……。そんなつもりは」
「分かってる! 分かってるよ! 大丈夫! 気にしてたの?」
慌てて両手を左右に振る。
「その、なんだか、ルメルさん、苦しそうな顔してたので、気になってしまって」
背筋が強張る。
やっぱり、誤魔化せていなかったんだ。
「ごめん、気を遣わせちゃったね。うん……驚いちゃったのかな……」
「いいえ、驚いて当然ですから」
嘘でもそんなことないなんて、言えなかった。余りにも突拍子のない現実を突きつけられてしまって、受け入れるのに時間がかかる。
店員にお勧めのお茶を二杯頼んでテーブルを見つめた。
「あの……」
エルゥから話しかけてくれたのは、正直助かった。慌てて顔を上げる。
「ん? 何?」
「これからも、仲間でいてくれますか?」
「え……? ――そんなの、当然だよ!」
「よかったです。嫌われたらどうしようかと思っていて……」
「僕、そんなに変な顔してたかな……?」
「ルメルさんは、結構分かりやすいんですよ?」
「前も言ってたね、それ」
「はい」
エルゥがやっぱり笑うから、いきなりだけど聞いてみたくなった。
「ねぇ、エルゥ」
「はい」
「エルゥは、ヒダカを好きじゃないの?」
パチパチと大きなピンク色の瞳が瞬きを繰り返す。ニマっと笑った顔が酒場での最初の頃の顔とダブって、僕を少し警戒させる。
「人として尊敬してます。仲間として信頼してます。大好きです。でも、多分、それはルメルさんとは違うと思います」
「……気付いてる?」
「はい」
あえて僕は主語を言わなかった。エルゥが何に気付いているかは知らない方がいいんだと思った。
「そう……」
「あっ! セナは気付いてませんから!」
「僕、そんなに分かりやすいかなぁ? うまくやってきたつもりなのに、自信失くすなぁ……」
「うーん? どうでしょう? 私は、ルメルさんを知ってるから分かりました。ルメルさんをよく知らない人には分からないかな、と思います」
僕は渋い顔をした。エルゥの言い分からすると、ヒダカも気付いてることになる。
実は、その可能性は考えたこともある。でもヒダカが表沙汰にさえしなければ、血の契約の効力が続いているようなので、ずっと知らないフリをしている。
「じゃあ、ヒダカとは結婚しないつもりなの?」
「その、ルメルさんは、ヒダカさんが他の人と結婚してもいいんですか?」
「僕じゃ、無理だから」
「それは、でも」
「エルゥが、ずっと話せなかったみたいに、僕もどうしても話せないことがあるんだ」
何か言われる前に口を開いた。
「ルメルさん……」
エルゥは僕の名前を呼ぶだけだった。これは、本当に色々と勘づかれているかもしれない、と苦笑する。
「それがある限り、僕が出しゃばることはできないよ」
「それは、なくならないんですか?」
「分からない。でも、やらなきゃいけないことがあるから、どっちにしろそっちが先なんだよね」
「ふふ。それは、きっと私たちみんなそうですよ」
「ああ、うん、そっか」
「……はい、そうです」
提供されたお茶を眺める。
「するべきことが終わったら、か……」
「私たち、どうなるんでしょうね……」
「分かんない。分かんないなぁ」
「また、こうやってご飯に行ったりしたいですね」
エルゥも視線を落としてお茶の入ったカップを揺らす。
「そうだね。今日、楽しかったなぁ……」
まるで嘆くような声が出た。僕の言葉にエルゥは何も言わずに悲しそうに微笑んだ。
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