行軍訓練
第20話 再・サピリルの森①
二週間なんてあっと言う間だ。僕らは今、大型の魔導車に乗ってサピリルの森に向かっている。行軍訓練も四回目となると、今までの流れの復習が主だ。五回目以降は義務化されていないので僕とヒダカは慣れたものだ。どの獲物をどちらが多く捕れるか賭けようとか、今回こそ毎回食べ損ねていたテーマの実を食べたいとか、そんな話をしていた。最初の内は。
でも、僕はキリセナがヴェニーを苦手だと言っていた意味を少し理解した。
「賭け! それは危ないんじゃないか? いくらサピリルの森が比較的安全で、小屋などの設備が充実しているとは言っても何がある分からない。まだまだ着くまでには時間がある! 私と一緒に森に出る動物の予習をするのはどうだ?」
無垢な目で本を差し出された。そこには”サピリルの森の動物たち”と書かれている。彼は今回の引率者の一人として同じ魔導車に乗った。最初こそ親切な印象だったものの、すぐにこの調子になったのだ。ついでにこの本はすでに三回は読んでいる。
「あの、ヴェニー?」
僕はそっと手を上げて話を遮った。こうでもしないと今にも本の説明が始まりそうだ。この国で数人しかいない魔導士におけるベストスコアの実力に、見事な白髪と緑の目をした美青年なのに、何と言うか、勢いが強い。彼は嬉しそうに僕を見た。
「なんだい? ルメル君」
「ヴェニーは、行軍訓練は何度目?」
「私は二回目だな」
何でこの人ここにいるんだろう。僕とヒダカの方が経験豊富だ。
「今回の引率なんだよね?」
「ああ、魔導士としての引率だ。大丈夫。安心してくれ。これでも実力はプロフェッサーに認められているんだ」
ヴェニーが快活な笑顔でそう答えた。
そっとキリセナの方を見る。彼女は終始エルウアの腕に寄り添って、開いた魔導書から一切顔を上げない。尖った耳にはさすがに耳栓まではしていなかったものの、エルウアの耳にはそれらしい物があったので褒められた状況じゃない。
キリセナがヴェニーを苦手としていることくらい気付いているはずなのに護衛に付けたのは、バイレアルト教授も、とうとう養女離れを決意したということなのだろうか。
ヴェニーがどこに持っていたのか、サピリルの森関連の本を次々に僕に差し出してくる。なんで僕に、と思いはしたけど、話しかけられるので、仕方なく到着するまでの間は適度に相槌を打った。
前回の行軍訓練は別の森で行われたのでここに来るのは少し久しぶりだ。通い慣れた小屋にやってくるとダイニングを兼ねた中央の部屋に荷物を下ろす。
「各自、荷物を置いたらここに集合してくれ! さっそく訓練に入る!」
「エルゥ、部屋、こっち」
「ありがとう」
きょろきょろと落ち着かない様子のエルウアは慣れたキリセナに任せることにした。
今回の訓練は人数がちょっと大がかりだ。なにせ賢者と聖女までいるから、どうしても全体の人数が増える。魔導士はヴェニーを入れて三人いるし、兵士は六人、護衛も六人という厳重ぶりだ。
小屋の部屋数は限られているから、護衛と兵士は野営するらしい。外の景色を眺めてみる。三度目のサピリルの森は何だか厳しい顔をしている気がした。
「寒くなってきたけど、大丈夫ですか?」
「我々は慣れていますからね」
仕事とは言え大変なことに変わりはないだろう。本来なら自分たちも野営訓練をすべきだ。神試合の開始は今から三年後と言われていて、絶命の大峡谷までは魔導車で移動する予定となっていても、途中で何があるか分からないのだから。せっかくの機会なのだし、自分たちも野営に参加すべきではないか。そう提案しようとした。
「ヒダカ。僕たちも」
「きゃあああーー!!」
「なんだ!」
「エルウアの声だった!」
ヒダカと二人顔を見合わせて、その場にいた全員でエルウアに宛がわれた部屋に向かう。扉の前に着くと、そこにはすでにキリセナがいた。
「エルゥ! どうしたの! エルゥッ!」
普段淡々とした話し方しかしないキリセナが声を荒げている。
「キリセナ! どうしたの!」
「鍵がかかってるのか?」
走り寄る僕たちを見たキリセナが小さく頷く。
「エルゥの悲鳴、聞こえて、でも、出てこない……」
「エルウア! どうしたの? 聞こえる? 聞こえるならここ開けて!」
強めに扉を手で叩く。部屋の中からは何かが割れる音、物が倒れる音が響く。仕方ない。ヒダカを振り返ると、彼は後ろに控えていた兵士の一人と頷き合った。
「キリセナ、どけ。壊す」
「でも、ここには……」
「防御魔法がかかってるんだろ? 知ってる」
「エイデン様、三、二、一でいきます」
「分かった」
「いきます! 三、二、一!」
ドォンッ!
人と木の扉がぶつかった程度では到底出ないような音が辺り一帯に響いた。騒ぎを聞きつけて、兵士と護衛がさらに一人ずつ増えた。兵士がヒダカたちの加勢に入る。残った護衛に尋ねる。
「天窓には誰が?」
「護衛が二人向かっています。小屋の周辺も見回るよう指示しています。ご安心ください」
「分かった。ありがとう」
ドォンッ!
さっきよりも扉の軋みが大きい。後、二回もすれば魔法ごと破ることができそうだ。またドォンッ! と音が響く。
今日の狩りは難しいかな、とただ眺めるしかできない自分が頭の隅でどうでもいいことを考える。こんなに大きな音を撒き散らしていては、森の動物たちは方々に逃げてしまっているだろう。
ドォンッ! バキバキバキバキッ!!
ダァンッ!
強化魔法を使った勇者と、屈強な男二人の力に防御魔法が負けて、扉が音を立てて内側に砕ける。勢いのまま室内に倒れた三人は床に受け身を取った。
「エルゥ!」
キリセナの声が響く。果たして部屋の中には――小さなサルがいた。
「は……?」
「え、え? え?」
サルの正面にはドーム型の防御魔法を張って涙を浮かべるエルウアがいる。これは、どういう状況なの?
「エ、エルウア? 大丈夫?」
「ルメル様! 大丈夫です! でも、これ、この子何なんでしょうか……!」
そんなことを聞かれても、僕たちの方が状況の理解ができていないと思う。サルがいるのは理解できる。森の中だ。何らかの方法で迷い込むことも、まあ、あるかもしれない。
問題は、サルが迷い込むような隙を与えた護衛たちと、何よりあのサルからかなり強い魔力が感じられることだ。しかも、サルは今にもエルウアに火魔法をぶつけようとしている。エルウアは大丈夫そうなので、攻撃された後始末として水魔法の詠唱を始めようとした時だった。
「女神スラオーリに歎願します。対象を捕縛することにご協力ください」
横から冷淡にも聞こえる声がして、サルの頭上に黒い靄のようなものが現れる。ジャラジャラジャラ! 靄は鎖の巻き付いた鉄格子になり、真っすぐに下に落ちてサルを捕まえてしまった。
「女神スラオーリに感謝します。ラリューリュー」
「詠唱短縮……」
これが、キリセナだけが扱えると言う魔法の詠唱短縮。初めて見た。彼女は魔法の訓練では正式な詠唱を行っていたので、今まで見る機会はなかったのだ。その場にいたエルウア以外の全員が彼女に目が釘付けになってしまった。
余りにも綺麗で、余りにも洗練されている。これが、天才魔導士キリセナ・バイレアルト。誰かがゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。どこか厳粛な空気を「キー! キー!」 とサルの鳴き声が引っ掻き回す。
「エルゥ、大丈夫?」
「セナ、ありがとう」
エルウアは無事そうなのでキリセナに任せることにして、僕は鉄格子の中に収まってしまったサルに近づく。
「闇魔法と水魔法……」
完璧だ。サルによる魔法まで防いでいる。
「さすが天才だな。あの短時間でこんなことできるのか」
「ヒダカ、お疲れ様」
「ああ。エルウアが無事そうでよかったな」
「はは、そうだね」
「で、」
「これ、使い魔?」
「だよな? やっぱり」
「なりそこない」
ヒダカと二人、他の人たちもみんなで鉄格子の中のサルを眺めていると、後ろから淡々とした声がした。
「なりそこない?」
「どういうことだ?」
「捨てられた」
「キリセナ?」
「私が説明しよう」
ヴェニーが静かな顔で僕らを見て、それから寂しそうな顔でサルを見下ろした。
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