第二章 ゲームの始まり
第16話 聖女 エルウア・マイグソン
それから順調に訓練と授業を進めていき、第三行軍訓練を修了し、高等魔法教育Ⅲが終わろうかと言う頃だった。僕とヒダカの身長差は数センチから十数センチになって、彼は声変わりを経験し、僕は当然出会ったときと変わらない。そんな頃。
僕らはヒダカの部屋で午後の休憩を取っていた。最近はもう週末以外はほとんど毎日この家に通っている。
「そろそろこっち住めよ」
とヒダカは簡単に言うけど、血の契約は性別までは変えられないのだ。彼の一番の理解者のままでいるには親友という立場が好ましい。バレる危険性は低い方がいい。
だから、この日も授業を終えて夕食を取って帰るだけの予定だった。ある一通の手紙が届くまでは。
ついに来たか、と僕は思った。ヒダカもそう思ったに違いない。手紙は教会のしかも教皇からのものだった。
――聖女との顔合わせの打診だ。
今までも聖女の噂や会わせたいと言われていることは耳にすることが多かったけど、直接的な話はなかった。でもそれもここまでと言うことだ。打診元は女神スラオーリを信仰するオリア教の教皇。さすがのフサロアス家も断りきれなかったのだろう。
聖女:エルウア・マイグソン。
人間族だとされているが、本当のところは分かっていない。周りも本人も天使族の血が混ざっているのではないかと考えているらしい。“らしい”と言うのは、彼女が孤児だったからだ。赤ちゃんの頃に地方の教会に預けられ、ほんの一年前まで修道院で見習いとして毎日を平凡に過ごしていた。それが、瀕死の悪魔族を延命させたことで教会全体がどよめいたのだ。
「なんでそこでそんなに驚くんだよ?」
ヒダカに聖女の生い立ちを聞かせていると、予想外のところで質問が入った。「ああ」と僕は納得する。
「悪魔族にも治癒魔法を使えたからだよ」
「悪魔族には使えないのか?」
「そう。悪魔族は怪我や病気がすぐ治るけど、治癒魔法がほとんど効かないんだ。光魔法を得意とする天使族でさえ悪魔族の治癒は難しいんだよ」
「聖女はそれができる、と」
「そうみたい。もちろん人間族や獣人族に使うのにくらべればかなり力は落ちるらしいんだけどね」
「なるほどな」
悪魔族に有効ということは、当然他の種族への治癒の威力は並みの光魔法の比じゃない。さらに彼女は光魔法と無色魔法を同時に使用する範囲ガードも得意としている。絶命の大峡谷での神試合は、何も勇者だけで戦うわけじゃない。両国の勢力戦でもある。その中に一体どれだけの悪魔族がいるだろうか。
それにフサロアス家は余りいい顔をしていないけど、戦力的にもキリセナや教授が同行するのはほぼ確定している。彼女たちが致命的な怪我をしたとき、助けられる唯一の存在が聖女なのだ。
「歳、いくつだっけ?」
「聖女の? 確か十三歳だったと思うよ? それがどうかした?」
「いや。ちょっと似てるな、と思って」
主語が無い。何に似てるのかと聞こうとして、ハタと気付いた。ヒダカと似ているのだ。十代始めに生活が一変しているところ。突然大きな力を手にしたところ、本当の家族が分からないところも似ている。
「話、合うかもね。会うの?」
「断る理由ないしな。会ってみるよ」
「仲良くなれるといいね」
ばくばくばくばく。ばくばくばくばく。自分で言ったのに不思議なくらい心臓が速まった。「なんか、嫌」と口から出そうなのを、得意の笑顔で覆い隠す。何でキリセナには会わないのに、エルウアには会うのか。誤魔化すように胸の辺りにそっと手を置いた。
何なんだろう? 時々ヒダカと話していると気持ちがグラグラする。話をするのは楽しいのに、何故か急に苦しくなる。訓練中の姿を見ると、心強い気持ちと不安な気持ちが交互にやってくる。
「――がいい?」
「……ぇ?」
「だから、お前はいつがいい?」
「ぼ、く……?」
「ああ」
「え? 僕も会うの? 君のことなのに?」
「はぁ?」
「え、何」
「お前は俺とセットだろ? なんでそんな他人みたいな言い方すんだよ」
ヒダカが唇とツンと尖らせた。すごくイラっとした。
「君ねぇ、そんな子供みたいなこと言わないでよ」
「子供じゃない……」
「じゃあ、」
「でもお前は! ……兄弟、みたいなもんだろ? だったら別にいいだろ?」
「なんでそこまでこだわるの……? あ」
「んだよ」
僕はあることに思い至って口元に手を当てた。もしかして――。もしそうなら話は別だ。
「君、もしかして女の子苦手なの? ごめんね、今まで気づかなくて……」
「違う!」
「いいんだよ? 僕には本当のこと言っても」
「違うって言ってんだろ。お前だって知ってるだろ、俺はモテる」
「うん、まあ、そうだけど、関係ないよね?」
「女の子と話をする機会も多いって話だよ。今まで困ってたか?」
「そんなことは、なかったね」
世界の“勇者様”だ。男女年齢問わず人気がないはずがない。最近は“勇者様”として人前に出ることも増えた。ついこの間は来年首相の座を引き継ぐ予定の兄と会談していた。
僕は部外者なのでどんな話をしていたのかは知らないけど、それ以降、ヒダカが今まで以上に色々なことへ意欲的になったので、何かしらいい刺激を受けたのだろう。記事が出来上がるのが楽しみだ。そんな彼に人気がないなんて思ってもいない。確かにパーティーのときなどは色々な女性と話しているのを見たこともあった。
ならこれは純粋なわがままなんだろう。僕は仕方なくため息を落とした。
「聖女はいつがいいって言ってるの?」
折れてやると、途端にヒダカが嬉しそうな顔をする。あの誘拐事件からヒダカは本当に感情をよく表に出すようになった。出会った頃が嘘のようだ。
「こっちに合わせてくれるってさ。で? いつがいい?」
「なら、十日後の休みは? 午後なら空いてるけど」
「やっぱりそこか。ならその日で返事書くな」
「うん……」
ヒダカがさっそく机に向かって手紙の返事を書き始める。少し納得できなかったけど、受け入れたものは仕方ない。その様子をソファーに座って眺めながら、話題を変えたくて聞いてみた。
「ねぇ、ヒダカ」
「んー?」
「君、僕のこと好きでしょ?」
ビリッ! 紙が破れる音がした。
「え! ちょっと!」
「な、なに! いきなりなんだよ!」
「なに? 君が僕のこと好きなことくらい知ってるよ。何年友達してると思ってるの」
「は……あ、ああ、そういう……?」
「どうしてかなって思って。やっぱり誘拐事件で助けたから?」
ヒダカは破れた手紙を適当に丸めてゴミ入れに放り込むと、体ごとこちらを向いて椅子の背もたれに頬杖を付いた。そのまま僕を見て何も言わない。どこか試すような雰囲気を感じて、知らない内に瞬きが増えた。
「……ヒダカ?」
「色々、あるけど」
「うん」
「お前も色々大変なんだって分かったから、だと思う」
まさか女だと気付かれている? 微かに冷や汗が出たけど、すぐに否定した。僕は自分で言うのもどうかと思うけど顔が整っているから性別が分かり難い。
体も女性らしい体型になる前に成長を止めたから男女の差は少ないし、意味もなく髪を短くする女性は少ないから疑われることはないと思う。それでも言っている意味が気になって聞いた。
「色々って?」
「一人なのは俺だけじゃないんだって分かったからだよ。お前、あの家で一人だっただろ?」
「ヒダカ……」
「それに気付いたら、俺たち仲良くなれるかもなって、そう思ったんだよな」
「フ、フフ」
ホッとした。それから嬉しくてつい笑ってしまった。
「ルメル? 笑うことないだろ?」
「ああ、ごめん。嬉しくて。――ありがとう、ヒダカ」
「お前のそういうとこ、たまにすごい調子が狂うんだよな」
そう言って微笑む表情を見た途端に、背中を何かが駆け抜けた。温かくて、頬が、耳が熱くて手で顔を覆った。何? 何だ? 何が起こってる?
ヒダカは、まるで洗い立てのシャツを着たような、頑張ったことで褒められたような顔をしていた。一瞬で目に焼き付いてしまった。
「あ、その、えっと……」
バタバタと両手を顔の前で動かして何とかしようとしてみるけど、何もどうにもならない。椅子を引いてヒダカが立ち上がる気配がする。こっちにくる!
「ぼ、僕は!」
「えっ?」
「確かに家に言われて君と仲良くなろうとしたけどっ! でも、君を大事な友達だと思ってるよ! だから」
着地点を考えずに話し出したものだから、続きの言葉が浮かばない。「だから、だから」とそればっかりで先に進まない。そのことが余計に気持ちを焦らせる。
「クッ」
「ひだか……?」
「アハハハハ! ハハ! ハハハハ! ご、ごめ。アハハハ! 大丈夫だって! 何年友達してると思ってんだよ。――分かってるから。ありがとう」
ずいぶん大きくなってしまった掌が頭に乗る。じんわりと広がる温かさが心地よくて、暫くそのまま頭を俯けたままにしていた。
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