第8話 固有魔法

「ナイフ……?」


 先ほどポケットに感じた重みの正体だ。多分フルーツナイフだ。ご丁寧にカバーまでついている。よくこんなものを持ち出せたものだ。助かるけど。できれば横のポケットじゃなくて、後ろに入れて欲しかったというのはわがままだろうか。無理に捻った左脇が引きつって辛かった。


 三十分ほど格闘して縄を切る頃には、自分の呼気が袋に充満して顔中に汗をかいていた。自由になった両手で我武者羅に引っ張り取る。


「ぷはぁっ!」


 やっと新鮮な空気を取り込んだ気がした。袖で額を拭く。

 閉じ込められているのは、男が言っていた通りにただの倉庫のようだ。狭くて暗くて埃っぽい。薄っすらと光が漏れているのが扉の隙間だろう。そっと近づいて撫でたり、押したりしてみる。それなりに厚みがあって、自力で開けるのは難しいことが分かった。


 辺りを見回すと、ロープ、角材、何かの端切れ、空き箱、空瓶などが無造作に隅に重ねられているのが分かった。使えそうな物はもらうつもりだけど、今頼れるのはフルーツナイフが一本と服の内側に縫い留めていた魔力回復の薬剤が二個と言ったところだ。とにかく今は待つしかないか、といつ人が来てもいいように袋を被って腕をロープで緩く結んだ。



 エイデンが会いに来てくれてから四時間が経った。僕はまだ生きている。

 あれから一度だけ食事と言う名のパンと水を与えられた以外に、何の変化もない。

 誰も来ないし、拘束は解いてもらえない。パンはともかく、どうやって水を飲めと言うのか。仕方ないのでバレない程度に口を潤すだけにしておいた。


 何もすることが無いと多くの人は時間の流れを遅く感じる。でも僕はこんなときにどうやって過ごせばいいのかを知っている。意外に簡単で、とても難しい。静かに目を閉じて、楽な姿勢で座るとただ無になることだ。これは後に『座禅』だと知る、僕の心を保つための手段だった。


 足を緩く伸ばして闇の中を揺蕩っていると、フッと意識が浮上した。急に扉の向こうが騒がしくなったのだ。まだ遠いけど、辺りが静かだから耳に届く。


「なんだっ! どうしたっ!」


 扉付近にいた見張りの焦る声がする。

 今だ! 僕は勢いよく立ち上がって扉に体当たりした。


「助けて! 開けて! 火事だ! 火が出た!」


 僕はドン、ドン、と何度も扉に体をぶつけた。


「えっ! 火事? 火事だと!」

「火が出てる! 早く消さないと! 全部燃えちゃうよ!」


 本当は火どころかランプ一つすら無い真っ暗闇だ。


「向こうが騒がしいのも火事だよ! きっと! 早くここを開けて消して!」

「わ、分かった! 大人しくしてろよ!」


 ガコンと閂の外される音がする。扉の影に隠れて見張りが中に入ってくるのを待つ。


「おい、どこ、」


 ガッ!


 最後まで言わせなかった。人は話している途中は無防備だ。固有魔法を使いながら、角材で思い切り何度も殴った。子供の力だと一度や二度殴った程度ではきっと意味がない。何回か殴ってから魔法を解くと、うめき声も上げずにその場へ倒れ込んだ。見張りの瞼を持ち上げて、本当に意識がないことを確認する。


「よし」


 深い息を吐いた。ロープとフルーツナイフを持って倉庫を出て扉を閉める。まずはエイデンのいる場所を探さないといけない。廊下を適当に進みながら、最初に見かけた獣人族の女に飛び掛かった。


「勇者はどこにいるの?」

「え? え? ちょ、何……!」

「もう一度だけ言うね。勇者はどこ?」

「ヒッ!」


 女は二度目の質問で、自分が床に押し倒されて、しかもナイフを喉に突きつけられていることに気付いたようだった。


「教えて」

「あ……あ……。こ、この道を真っすぐ。突き当りを左に行った一番奥の部屋……!」

「どうも」


 女をロープで縛って放ると、部屋に向かう。罠の可能性もあったけど、それならそれで構わなかった。また誰かに聞けばいい話だ。

 廊下には男女種族入り混じって何人もの人がいた。みんな右往左往しているようだ。中には天使族もいて、背中をゾッと冷たいものが走った。この天使族が残留なのか、谷越えしてきた者なのかによって随分と話が変わってくる。


 それでもスピードを緩めずに隙間をぬって走っていく。心臓が苦しい。魔力回復薬を一つ口に含む。固有魔法は便利だけど、長時間は使えない。ぜぇ、ぜぇとノイズのような自分の呼吸と、ドッドッと叩くような心音がバラバラに跳ねる。いま足を止めたら暫くは動けないだろうことが分かる。何とか体を引きずって聞き出した部屋の前にたどり着いた頃には、とうとう頭がガンガンと痛み始めていた。


 焦って魔法を使い過ぎた。でも、エイデンに何かあったら困る。

 すぐそばまで助けが来てるのだから連れ去られる可能性は低いし、僕がここまでしなくてもきっと死なない。でも何がどう作用して死ぬか分からないし、もし死んでしまったらどうなるかも分からない。


 絶対に分かるのは、もし彼が機能しなくなったら、僕はまたあの部屋に押し込まれると言うことだけだ。


 できれば呼吸を整えてから中に入りたかったけど、仕方なく魔法を使用したまま扉を開けて体を中に滑り込ませた。目についた大きなベッドの下に潜り込み体を横たえる。


「ぜはぁっ! はぁ、はぁ、はぁっ! ぁ、ぁ、ぅ、はぁ、はぁ、はぁっ……!」


 室内の人間にバレないように必死に声を殺して呼吸を整える。苦しいっ、苦しいっ、苦しいっ! 誰かの話し声がするのに、何を話しているかを拾うことができない。頭がぼんやりとしている。誰かが何かを言ってエイデンの声が答える。その繰り返しだ。部屋が合ってたことに気持ちが弛んで、視界が白くなる。


「――行かねぇって言ってんだろっ!」


 急に大きな声がしてハッとした。一瞬だけ意識が浮いていた気がする。呼吸はかなり楽になっていた。うつ伏せのまま顔を上げて、残りの魔力回復薬を口に入れて様子を伺う。


「そうは言ってもな、勇者様。あなたに決定権がないことくらいは分かってるだろ」

「無理矢理連れて行くつもりか? できるのかよ? もう、そこまで来てるんだろ? 警護官」

「なっ! なんの根拠があってそんなことを仰るので?」

「勘だよ、勘。勇者様だからな」


 適当言ってる……。この部屋は遮音されてるみたいだから、外の騒ぎは聞こえない。ほんとに何を根拠に言ってるのか分からないけど、多分ソースは僕だ。


「どうしても、一緒には来てくださらないのですね?」


 話し声はエイデンとさっき話した男と後一人だ。人を使うことに対する慣れを感じる。この最後の一人が依頼人かもしれない。


「仕方ない。おい、あれを使え」

「あー。でも、あれって……」

「仕方ないだろう。この際どうなっても構わんさ」

「ハイハイ」


 不自然な間が開いた。男の足らしきものが奥に向かって歩いて行くのが微かに見える。


「勇者様よ、悪いけど、これ飲んでもらうぜ?」

「んだそれ? 飲むと思うか?」

「これか? 強くなる薬だよ。それが飲みたくなるんだって」

「どういう」

「失礼します! リーダー! ガキが逃げました!」

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