第19話 相手を殺すというリアル

 『敵の敵は味方』という心理状態、それに本来は仲間のはずの魔獣に一方的になぶられている姿を見るにつけて、俺は知らずしらずに白のことを不憫に思ってしまったのだろう。


 白は俺等に対して唸りはするものの、先ほどの戦闘の傷のせいでもはや満身創痍といった状態で、とても飛びかかってこられる状況ではなかった。


「この魔獣はわたしが責任を持って処分します。ルドルフ様はお疲れでしょうし」


 と、クレアは涼しい顔をしながら大分物騒なことをさらりと言う。


「グ、グルゥゥ!!!」


 言葉は通じてはいないはずだが、クレアの殺気を感じたのだろう。

 白は自身の身の危険を感じ、一層けたたましい唸り声を上げる。


「い、いや……クレア。ちょっと待って」

 

 俺はそう言ってクレアを慌てて止める。

 そして、一応最低限の警戒をしながらも白の方へと近づいていく。


「ルドルフ様!? 何を? 危険です!」

「少し試してみたいことがあるんだ。襲いかかってきても今のコイツの状態なら対処できるし」

「いや……しかし」


 なおも懸念を示すクレアを半ば無視して、俺は白に触れられる距離まで近づく。

 考えといっても大したことではない。


 俺が覚えているもうひとつの魔法を試してみたかったのだ。

 といっても攻撃魔法で白にとどめを刺すつもりはない。

 逆である。


 回復魔法「ヒーリング」を白に使ってみようと思っていた。

 自分に襲いかかってきた魔獣の傷を治そうというのは一見すれば大分馬鹿げた考えではあるが、一応俺にも考えはある。


 第一に「ヒーリング」の効果を確認しておきたかった。

 

 というのも、今後俺やクレアが負傷した時に、どの程度の傷までなら癒せるのかを事前に把握しておくことは重要だからだ。


 カールに剣で切られた時に、俺はこの「ヒーリング」を自動で発動したらしいが、あくまで推測であり、実際に俺は見てもいないし、意識すらしていなかった。


 だから、現に一度使って見てその効果をこの目で確認する必要があった。

 目の前にいる白は素人目に見てもかなりの重傷を負っていて、ほとんど身動きすら出来ない有様だ。


 まさに「ヒーリング」を試す絶好の機会である。


 問題は、治した後に、白が再び襲いかかってはこないかというところではあるが……。


 その点も俺は大丈夫だと思っていた。


 というのも、白の行動——俺等を上手く利用して、群れに奇襲攻撃を仕掛けた——を見るにある程度の知性を持っていると思われるからだ。


 だから、怪我を治してやればこちらに敵対意思がないのもわかるだろう。

 それに俺の魔法の威力もわかっているはずだ。

 あえて、リスクを犯してまで、俺等に再度襲いかかってはこないだろう。


 とまあ……色々理屈をつけてはいるが、最大の理由はこの白を見ていて自分でも意外ではあるが、どうにもかわいそうになってしまったというところが大きい。


 仲間から攻撃されて、重傷を負って、弱々しく鳴く今の白を見ると、なんだか大きな犬に見えなくもない。

 このまま見捨ててどこかに行くのはどうにも心が傷んでしまう。

 

 と、俺はそんな同情的な気持ちで白の体に触れようとした。

 が……白は最後の抵抗とばかりに体をわななかさせて、俺の首元めがけて牙を向ける。


「ルドルフ様!!」

 

 間一髪……俺の肉体は白の攻撃をなんとかかわしてくれた。

 ここでもクレア——固有値——に助けられた。

 

 俺の体は自分のものとは思えないくらいに恐ろしい反応速度で動いてくれた。

 

 最後の一撃をかわされた白はもはや万事休すといった感じで、その場に突っ伏して倒れ込んでしまう。

 

 さすがの俺も二度も殺されかかった相手の傷を治すほどお人好しではない……はずなのだが。

 

 いざ目の前で虫の息の相手の止めを刺すのにはどうにも躊躇してしまう。

 体はからっきし動かないのだが、白の目はまだ生きていて、俺をジロリと睨んでいる。

 

 そう白は生きているのだ……。

 魔法が遠距離で使えてよかったと俺はその時切に思った。

 

 遠距離じゃなかったらさっきの魔獣たちにすら俺は魔法を放つことができなかったかもしれない。

 

 相手の目が見える、相手の息遣いが聞こえる……そんなで近距離で相手を殺そうとするのはこんなにも人の精神を動揺させるものなのか……。

 

 訓練された兵士でも敵を前にして半分以上は銃を撃つことさえできないという話しを俺は思い出していた。

 

 元いた世界では地球の反対側から遠距離操縦をしたドローンで敵を攻撃している。

 それですら操縦者のメンタルは大分やられてしまう。


 相手は人ではなく魔獣……。

 それなのに、俺は白を屠ることがどうしてもできなかった。


「ルドルフ様。大丈夫ですか?」

 

 クレアが心配そうな顔を浮かべている。

 きっとクレアに頼めば、俺の変わりに手を下してくれるだろう。

 

 だが、それはこの精神的負担をクレアに押し付けることを意味する。

 結局のところ異世界に来て、別人に転生して、魔法を使えるようなっても、その精神まで変えることはできないといったところか。

 

 所詮俺は平々凡々の人間なのだ。

 魔獣や人を簡単に殺せるものではない。

 

 いや……それでいいのかもしれない。

 何のためらいもなく殺せるようになったらそれこそ……もうそれは俺ではない気がする。 


 とりあえずこいつは……白は治す!


 俺は一人で勝手にそう決意をして、白に対して手をかざす。

 

 

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