第19話 運命の人
しばらく沈黙が続いた。
「この手が夢に出てました。でもただの夢…ですよね」と夕雨は言って俯いた。
「これ?」と言いながら、夕雨の目の前でひらひらさせる。
この手に掴まりたいと思うような衝動とそれをしてはいけないような気持ちで泣きたくなる。
「君が言う…運命の人?」
「…はい」
夕雨は顔を上げて、未嗣を見た。整った顔の未嗣に不思議と懐かしさが込み上げてくる。
(お久しぶりです)
「え?」
ふと頭に浮かんが台詞に自分で驚いてしまう。お久しぶりってどういうこと? 未嗣と出会ったのは、つい最近だと言うのにどうしてそんな台詞が浮かんだのか分からないが、口に出したくなる。
「あの…三条さんは以前、どこにお住まいでしたか?」
「ん?」と驚いたようだったが、教えてくれた。
近隣の県だったが、夕雨は行ったことがなかった。
「こちらには初めてですよね?」
「うん…。まぁ、仕事の新人研修で数か月滞在とか…あったけど。住むのは初めてかな。どうかしたの?」
夕雨はじっと未嗣を見た。整った顔に見覚えはなかった。それでも懐かしさを感じてしまう。
「どこかで…もしかしたら会ってたのかな…って思って」
「会ってた? 夕雨ちゃんは何歳?」
「私は今年で十九になります」
「若いなぁ…。三十二だから一回り以上違うね。それじゃあ、会ったとしても、中学生の頃とかになってしまう」
確かに未嗣が社会人の頃、夕雨は中学生だ。すれ違ったとしてもなんの接点もなさそうだ。それなのに、
(覚えてないんだ)という気持ちが溢れて寂しさを感じる。
やはり夢で会っていた人は未嗣かもしれない、と夕雨は思った。しかしそれを証明することもできないし、未嗣には「前世で好きだったから」という理由は嫌われそうだ。でも未嗣の一目惚れも前世が理由だとすれば、納得はできる。
「運命の人のことは置いといて…。でも君のために何かできることはしたいって思う」
「…いつも…助けてもらってばかりで…私は何もできなくて」と言うと、口にした言葉以上に気持ちがそう思っているのか、涙が溢れだす。
ティッシュを差し出すと、未嗣は柔らかい声をかけてくれた。
「じゃあ…一緒にハンバーグ食べてくれる?」
夕雨はなんとか頷いて、ハンバーグを焼くことにした。未嗣の作ったハンバーグが残った種を全部使ったみたいで、ものすごく大きくて、ひっくり返せるか不安になった。
「恐竜の卵みたい」と言って、少し笑う。
「あ、ひび割れてきた」と言って、未嗣は慌てる。
結局、未嗣のハンバーグは三つくらいに分裂した。そしてその一つを夕雨のお皿に乗せた。
「オマケ」
「えー?」
少し焦げたハンバーグと壊れた肉の塊が仲良く並んだ。フライパンに残った肉汁に赤ワインとケチャップとウスターソース、バターに塩胡椒を入れてソースを作った。煉瓦色の艶のあるソースが出来上がった。それをゆっくり上から流す。
「夕雨ちゃん…」
「はい?」
「幸せだな」
「え?」
未嗣は結婚したものの、入退院を繰り返す妻との生活は気を使うことが多かったらしい。未嗣は病気の妻に家事をさせることはなるべくしたくなくて、ご飯は宅配サービスを使っていたし、入院時はお見舞いの後にスーパーでお弁当を買ったりと、できてたのご飯をあまり食べることはなかったようだ。だから夕雨が作る辿々しい料理でも喜んでくれる。
「それに二人で食べる温かいご飯は…やっぱりありがたいな」としみじみ言うので、夕雨は少しは返せただろうか、と思った。
「あの…ご飯は作ります」
「え?」
「作るって言っても、大したものはできませんけど」
「いや、美味しいよ。…だから」
「はい。これからも英語教えてください」と夕雨は頭を下げた。
「彼氏にはしてくれないの?」
「あの…それは…何だか恐れ多いというか」とあたふたすると、未嗣は笑った。
「じゃあ…しばらくは振りだけでいいか」
「振り? ですか?」
「いや、どっちでもいいけど」
思わず、「しばらく振りで」と頭を下げた。
帰り道も駅前まで送ってくれる。月明かりが綺麗で未嗣を見るのが恥ずかしくて、月を眺める。
「彼氏の振りしていい?」
「え?」と言っている間に手を取られた。
大きな手が夕雨の小さな手を握る。驚いて、未嗣の顔を見るが、未嗣は前を向いている。視線の先を見ると、あの男がいた。
「しつこいな」と呟く未嗣の声を聞いた。
夕雨は怖くて、足が竦んでしまう。
「こんばんは」と掠れた声が近づいて、ゾッとした。
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