プロローグ ―聖騎士―

「じゃあ、行ってくる」


 次の日、父親は家を後にして仕事へと戻っていった。

 国を守る国防騎士軍の元帥は軍を指揮して戦場へおもむかなかればならない。隣国ルミナレスとの戦争が始まってしまったからである。


 王国は巨大な国家であるが、それは過去に戦争によって領地を広げたからである。ルミナレス国はその領地を取り戻そうと王国に宣戦布告を行ったのだ。


「戦況は?」

「勝勢です。我々は少しずつ前線を上げています」


 無数の叫び声、足音、決意と決意がぶつかる音が広がる平原に貼られたテント。

 そこで騎士たちからの戦況報告を聞いて今後の方針を決める元帥。鎧を纏って平原の地図とそこに書かれた情報に目を通す表情と目付きに、あの優しさは全く残っていない。

 国のため、家族の幸せのため、未来のため。聖騎士は机の上に置かれたつるぎに手を伸ばす。


「行くぞ」


 元帥は騎士たちにそう告げてテントを出ようとする。


「お待ちくださいっ!元帥自ら前線へ行くのですか?」

「当たり前だ、我が軍の騎士たちが覚悟を持って戦っているのに、こんなテントの中で見てるだけなんてできるか」


 元帥は右手に持った剣の鞘を左手に握り、鞘から抜く。


「しかし!」


 伝令係であろう騎士は一歩前に踏みだして反論しようとするが、その一歩で踏みとどまる。


「まぁ、言いたいことはわかる。大丈夫さ、俺は国防騎士軍元帥、聖騎士だぞ?」

「わかりました……、では私も行きます」


 騎士も腰に装備していた剣を抜いて誓う。側にいさせてほしいと。


「それは本気の目だな」


『言っても無駄、頑固な騎士にも困ったものだ』と元帥は思ったのだが、言葉にはしなかった。


「このまま攻めるぞ!!!奴らに撤退の隙きを与えるな!」


『おぉぉぉぉぉっ!!!!』

 

 軍を指揮する立場でありながら、堂々と最前線に立ち、刃を向けて向かってくる敵を次々と斬り捨てていく元帥。彼には三人だろうが、四人だろうが、全く歯が立たないのだ。次々と襲いかかる敵の攻撃を軽々とかわしていく姿は目で追うのがやっとの速さだ。

 背後から迫る横一線の斬撃を身を屈めて躱し、目の前のもう一人の腹部に一撃、そのまま剣を引き抜いて背後から斬りかかってきた敵に一撃を与える。まるで彼だけが倍速で動いているかのような速さで……。


「さぁ、どんどんかかってきな」


 元帥は、遠く地平線まで続く、国を背負った騎士たちの魂がぶつかり合う光景を見つめた。


『元帥っ!!』


 背後から一人の上級騎士が呼びかける。

 何やら全力で走ってきたようで、息を切らし、額に汗をにじませている。


「どうした?」

「こっ………子供です!子供が……この前線に……」

「どういうことだ」


 騎士たちが溢れる戦場、叫び声と血が流れるこの場所に紛れ込んでしまった


 それは元帥が最前線へと到着した頃、今から数分前のことである――――。


「はぁ、はぁ……」


 騎士たちが地面に横たわっている姿、流れる血、金属と金属が激しくぶつかり合う音、地鳴りのような無数の足音。

 そんな地獄のような場所で、騎士たちの足元を駆け抜けていくのは、身長が110cm前後の幼い少女。


「……っ!」


 地獄の光景を目にしながらも、多くの騎士たちの叫び声を聞いても、揺るがぬ強い眼差しで少女は戦場を駆けていく。

 白いワンピース姿、そして小さな両腕でを抱えながら最前線を目指して突き進む。


『おっ!おい!何してる!』


『子供が紛れ込んでるぞ!止めろ!』


 最初は戦いで気づかなかった騎士たちも次第にその不自然に気づき始める。止めようと手を伸ばしたり、行く手を阻むように前に立ちふさがるが、少女小柄であることをうまく活かしてすり抜ける。


 時にはジャンプ、時には股の下を潜り抜け、纏っている砂で薄汚れたワンピースを掴まれても、身体を捩って振り払う。多少破れようが気にしない。


「あっ……」


 突然、騎士たちの森は終わりを告げて景色が開けるのだ。

 少女は最前線へと到達した。


「どこ………」


 ここで、迷いのなかった少女がキョロキョロと周りを見始めた。

 今まででの勢いというのは、騎士たちに捕まることを避けていたからであり、ここから先は死の世界だ。敵国の騎士たちが伸ばしてくるのは手ではなく、刃である。

 

『おらぁぁぁぁ!』


「きゃっ!!!」


 少女が迷っている間に後ろから敵国の騎士が斬りかかる。

 不意を突かれたこと、そして殺意に満ちた表情に恐怖を感じて回避行動に移ることができなかった。


「いぁぁぁぁぁーー!!」


 叫び声とともに身体を丸める。両手を頭に当てて少しでも見を守ろうとする生物の咄嗟の反応とともに死の覚悟を決める。


……………。


 しかし、身体に異変を感じることも、痛みに苦しむこともなかった。

 一瞬恐怖を忘れて、現実の世界を見るために瞳を開いた少女の目に飛び込んできた光景は、大きな戦士の姿だった。


 恐怖のあまり、『ザクッ』という鈍い音を聞き逃していた。

 敵国の騎士と少女との間に立ち塞がるのは、アルレギオン王国国防騎士軍最強の男。


「あ………あり………っ」


 ありがとう、そう言おうとした彼女の目に映ったのは、男の右肩に深く刺さった剣先と流れる血であった。

 振り下ろされた一撃、元帥である男はそれを弾くのではなく、受け止めることを選んだ。鍛え抜かれた身体であるからなのか、右肩に刺さって止まった剣、それを気にしないが如く、少女に向けて言った。『大丈夫か?』と………。


「だい……じょう…ぶ」


 驚きながらも少女は問に答えた。

 それを聞いて安心したのか、微笑みながら振り向いて背後で追撃せんとする騎士に一撃を与えた。

 しかし、その一撃は殺すものではなかった。敵の利き腕に深く傷を与えるの攻撃。恐怖を与えるものだ。

 彼は配慮したのだろう。目の前で人が斬られて死んでゆく姿を見せつけるわけにはいかないと。


「ごめんなさい………」

「何故こんなところまできた?」


 少女は怒られると、強い言葉を浴びせられると察したのか謝罪の言葉を投げかけたが、意外にも元帥は優しい表情で少女に尋ねた。


「お父さんに……渡したくて」


 先程、身を守ろうとした際に落としたを再び両腕に抱えて、弱々しい眼差しで目を合わせる。


「なるほどな。しかし、ここは危険だから、それは届けておこう」


 元帥は少女に手を差し伸べる。

 小さな両腕に抱えたものを受け取ると、優しく背中に手を添える。

 その背中は僅かに震えているように感じたのだった。


「おい!この子を安全な場所へ」


 少女を立ち上がらせると、近くの上級騎士に呼びかける。


「わかりました。ですが、元帥は……」

「これくらい問題ないさ」


 問題ないとは言うが、右肩の傷は思った以上に深く、右腕に力を入れるだけでもやっとというほどだ。出血も止まっておらず、長時間の戦闘は無理であろう。

 ここは最前線。気を抜くと敵の騎士たちが襲いかかってくる。


「あり……がとう」


少女はそう言い残して、上級騎士とともに安全な場所へと向かっていった。


「元帥……」


 『私も行きます』と言ってテントからずっと側にいる騎士が、心配そうな眼差しで問いかける。


「幼い子に残酷な姿は見せられないだろ?」

「ですが、攻撃を弾くこともできたはずでは……」


 少し驚いたような顔をした後に、男は微笑んで言った。


「これでいいんだよ」


と………。


「あ、そうだ」


 先程の少女から預かったものを、騎士に向かって軽く投げた。それは白い布に包まれているが、騎士が受け取るとカチッという音がした。


「これは……剣……ですよね」


「そうだな。戦場に行くのに剣を忘れるやつがいるのか?まぁ何かあるんだろうな」


 元帥はそう言って、敵国の騎士たちの溢れる景色を見る。

 右手の感覚を確かめるように、3回ほど手を閉じて開くと腰の剣を引き抜いた。


「どこへ?」

「どこへって、決まってるだろ?戦場に来てるんだ。その剣はあの子の父親に渡しておいてくれ」


 上級騎士は止めようとしたが、何もしなかった。いや、止めること自体無駄だということがわかっていたのだろう。


「ちょっと、暴れたりないからもうひと暴れしてくる。うまい酒、用意しとけよ!」


 上級騎士に背を向けたまま、元帥は敵陣へと消えていった………。


 やがて、夕日が広がる空の下、ルミナレス国は撤退し、降伏を宣言した。

 アルレギオン王国は戦いに勝利を収め、加えてルミナレス国の15%の領地を奪うことで両国は合意した。

 王国では、戦争に勝利したことによる盛り上がりがあると思われた。しかし、勝利をしたはずなのに冷たい雰囲気が漂う。

 それは、幼い少年のもとにも伝わったのだ。

 少年自身、すぐに状況を理解することができなかったが、母親が悲しみに溢れていたことが目に焼き付いた。


「約束………したじゃん……」


 夕焼け染まる空は姿を消し、悲しみを際立たせるかのような夜空が広がる。

 少年は剣を握り、バンッと勢いよくドアを開けて家を飛び出し、いつも剣術の稽古に励んでいる大木へと向かった。


「そんな……そんなっ!」


 大木の前で俯いて、肩を震わして涙を流す。


 勝利の知らせとともに、王国を駆け巡った衝撃――。

 アルレギオン王国国防騎士軍所属、聖騎士バルト・ヴォーグ・ド=リグスタイン元帥。

 戦死。


「大嘘つきっ!!!剣なんて、剣なぁ゛んてっ!!!」


少年は怒りとともに、剣を地面に叩きつけて、悲しみの夜空へ向かって叫んだのだった……。

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