第119話 伝説的な人柱


 非佐木を助けるか否か。


「そも」


 芥が改めて訊ねた篝の言葉に返答を返すよりも先に、会話の流れを断ち切るように、なずなが言葉を差し込んだ。


「そも、この会話に置いて、最も重要なことは、こちらの芥ではなく、あちらの芥の正体についてでございませんこと?」


 あちらの芥、とは白芥のことだ。


 確かに、こちらの芥が白芥の偽物であり、非佐木をダンジョンに連れ戻すための舞台装置として生み出された者であったとしても、それは明確に白芥の正体が何かを示す回答になりえない。


 どうやら、なずなにとっては芥の正体がなんであるかは興味がなく、だからこそ今までの会話に加わっていなかったようだ。


「確かにな。というか、どうして死神なんだ?」


 なずなの言葉に未若沙の疑問が付随する。なぜ選ばれたのが非佐木なのか。


 白芥の正体と、非佐木という少年が選ばれた理由。実のところ、この二つはとても単純な理由から生まれたモノであった。


「廉隅兄弟……廉隅漆喰と廉隅煉瓦の二人の手によって生み出された、ワクチン。それがあの二人の役目なんだ……いや、ちょっと違うかな。抗生剤……も、なんか違うんだよね」

「どういうことだ?」


 この世界がコンピューターの中のプログラムのような世界であるということを信用してしまった以上、受け入れてしまった以上、これ以上の話には驚かない未若沙は、いつになく冷静に篝の言葉に疑問を返した。


 もちろん、疑問には回答が返ってくる。


「まず、白芥から。彼女は漆喰がその身を犠牲にして、ウィルスの命令系統に人格を与えた存在なんだ」

「?????」


 またもや飛び出て来た常軌を逸した話に、未若沙のみならずぼんやりと聞いていた芥の頭の上にも疑問符が五つも並べられてしまう。


 ただ、


「なるほど。つまりは、この世界を喰らうという命令で動いているウィルスたちの本能を抑えようと、人間的な思考回路をプログラムで作り出し、理性を与えて制御しようとしたと」

「君、頭いいね。卒業したら僕の下で働かない?」

「申し訳ないのですが、私には私をアイドルにしてくれるという先約がありますので、残念ながらお断りさせていただきますわ」


 どうやら、なずなはしっかりと理解したらしい。


「あー……つまり、ウィルスを人間にしたのか?」

「まあ、そういうことですわ」

「そのすまし顔、相変わらずむかつくな……」

「ほらそこ喧嘩しない。……ってことは、あの子がウィルスの本体ってこと?」

「漆喰の研究だと、ウィルスに直接的な命令を下せる母体ということらしいね」


 白芥はウィルスに命令を下すことができる。とすれば、どうして漆喰たちはそのようなことをしたのか――


「理由は二つ考えられる。おそらく、漆喰はウィルスの取り込んだものを模倣するという特性を利用して、自らを取り込ませて人間を作り出す方法を使った……というか、それ以外で母体を変性させることができなかったんだろう」

「あー、そういえばダンジョンの中のモンスターって、リアルに居る生き物とか植物とかを改変したような奴が多いもんな」

「地球に存在するデータを食べて、モンスターとして出力して手駒を増やしていると……確かに、その名に違わぬウィルスですわ」


 現実(この世界も電脳ではあるが)のウィルスは、人間の細胞を利用して自分と同じものを増殖させている。


 つまりは、地球に存在する人間や動物、或いは植物のデータを食べ、その食べたデータを使ってモンスターを作り上げているというシステムで、ウィルスは手駒となるモンスターを増やしているのだ。


 そして、それを利用して漆喰は自らの体を捧げ、代わりに白芥というウィルスに命令することができる人間を生み出した、ということだ。


 それが、白芥を人間として生み出した理由の一つ。


 では、もう一つは?


「もう一つは……懐柔するためだ」

「なに?」

「漆喰の研究記録によると、命令系統を無くしたウィルスが、出力したモンスターを使ってどんな行動をとるかわからないらしい。だから彼らは、その命令系統そのものを停止させることで、ウィルスやモンスターの無力化を画策した――そこで、彼らは人間を模倣させたようだ。それこそ、本能すら忘れてしまうような激情を生み出すために」


 人間の激情は、時によって本能すら超えて理性すら敵わないほどの行動をとらせる。


 特に顕著なのが――


「要するに彼らは、恋によってウィルスの機能を停止させようと目論んだんだ。それこそ、本能すらも忘れさせるような恋をさせて、それ以外のすべてを、どうでもよくさせようとしたんだろう」


 本能を眩ませる感情。


 それこそが恋だ。


「ウィルスの本能に命じられていたこの世界を破壊するという衝動を、時には死すらもいとわない恋という本能に上書きした……そして、彼らは作り上げたのだ。虚居非佐木という、ウィルスに対する特効薬を」


 だから、二人の男は画策した。


「ウィルスが生み出したモンスターを檻に入れ、それらの命令系統に人間という変性を施し、彼女を留めるための恋愛人形を作り出した――、どんな状況に陥ろうともパニックにならない冷徹な判断力を持ち合わせ、人間に非ざる力を施された少年を」


 それが、煉瓦と漆喰という人間が画策した、世界救済の策である。世界を保っている地球というコンピューターを破壊するウィルスから、世界を守るための計画。


「さて、何が言いたいのかと言えば――」


 これまでの会話を、右往左往し続けた言葉を締めくくるようにして、篝は続ける。


「白芥という少女を抑え込むために、非佐木君は今、ダンジョンの中にいるんだ。そして、どんな理由であれ、彼に会うということは、それらすべての計画を台無しにするということだ」


 再び訪れる沈黙。それは、篝の語った言葉の意味を、三人が計りかねている証拠だ。だからこそ、代表するようにして未若沙が訊ねる。


「白芥を懐柔するために非佐木が用意されたのは、まあなんとなくわかった。じゃあ、もし非佐木がいなくなったら……どうなるんだ?」

「そうだね。ありていに言えば――」


 非佐木を助け出しダンジョンから脱出する、或いは非佐木と再会することで、それらの計画が台無しになったとして、果たしてどんな影響があるのか。


 その質問に対して、篝はただただ最も可能性のある事実を語った。


「非佐木君を取られて激昂した白芥と人間の戦争になるんじゃないかな。いや、ともすれば戦争にすらならないかもしれないね。だって彼女は、自由に暴走現象を引き起こすことができるんだから。全世界のダンジョンが同時に暴走現象を起こしたら、それこそ人類の終わりさ」


 ぞっとした。


 ただ一人の少年の行方が、この世界の命運を握っているなんて。いや、それ以上に、世界が滅んでしまうという言葉が、こんなにも現実的に存在することに、ぞっとした。


 あの凶月事件のような出来事が、全世界で起きる?


 そんなもの――


「でも……!!」


 非佐木に会いたい。その一心で芥は立ち上がった。しかし、非佐木一人の行方によって、世界のすべてが左右されるという話を聞いたことで、その覚悟は揺らいでしまう。


 果たして、自分一人のわがままに、世界なんてものを付き合わせていいのだろうか、と。


「だから、改めて訊くよ」


 訊ねる。


「虚居非佐木という少年を助けるか否かを」


 世界を滅ぼすか、ただ一人の少年に全てを背負わせるか。


 悲劇の坂下で運命に抗うことなく座り込む少年に手を伸ばすか否か。


「……まあ、すぐに結論を出さなくてもいい。ただ、来年君たちは高校三年生。将来のこともかかわってくる以上、長くこの件にかかずらわっているわけにもいかないだろう」


 すぐに非佐木を助けに行くという結論を出すことのできなかった彼女たちを、篝は責めなかった。


 それもそうだ。誰も、世界滅亡のスイッチを押すことなんてできるわけがない。そうでなければ、電気椅子のスイッチなんて一つで事足りる。


 ともあれ、役目は果たしたと、篝は席を立つ。


 その場に残されたのは、少女三人と犬一匹。誰もが言葉を発しないままに、この日のお見舞いは終わってしまうのだった。


 非佐木を助けるか否か。


 その答えが出ないままに。

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