第113話 伝説的な夜景
「やあ、非佐木君。相変わらず元気そうでなによりだ」
「あ、煉瓦おじさん。こんにちは」
「これはどうもご丁寧に。こんにちは」
非佐木と煉瓦が出会ったこと、と篝は仰々しく語ったけれど、ここで初めて非佐木が煉瓦と出会ったわけではないし、邂逅を果たしたわけでもない。
そこに運命的な何かがあるわけでもなければ、奇跡的ないわれがあるわけではない。
非佐木にとっては、煉瓦という男もまた、篝と同じ父親の大親友というだけのことだ。
厚かましく、優しく自分と接してくれる大人であるというだけのことだ。
だからこそ、実に一年ぶりとなる邂逅を果たしても、久しぶりという気持ちさえあれど、なんらかの感慨や因縁がぶつかると言ったようなことがあるわけではなかった。
なかったのだけれど――
「どうやら、あの子と仲良くしてくれてるみたいだね」
「あの子?」
「芥だよ。可愛いでしょ? 私の自慢の子供だからね」
その話は、非佐木の興味を引きつけた。
「え、芥のお父さんって煉瓦おじさんだったの?」
「まあね。並べてみると、よく顔が似ているもんだよ」
「そうかなー」
芥。
それは、度々非佐木がダンジョンの中で出会う女の子の名前だ。
最初に出会ったのはたしか、狗頭餅を相手にして連敗を喫した時だったはず。まだまだ三回の敗北とはいえ、やはり子供心には悔しいものは悔しい。そんなSクラスダンジョンの浅層でモンスターを蹴っ飛ばしながらいじけていた非佐木の背中に声を掛けたのが、真っ白な少女であった。芥であった。
未知と不明を併せ持った未明の少女は、明けきらない空の様に、或いは沈み切らない夕日の様に、儚げな姿で非佐木の前に現れたのだ。
白。
髪の毛も白ければ、身に着けているワンピースの色も白。肌も目もまつ毛も陶磁器のように白く、風に揺られるカーテンのように靡くスカートから伸びる脚もまっしろしろ。足先に備えられた靴も白いという白づくめな、特徴的で非現実な少女こそが、芥であった。
だからこそ、芥が煉瓦の子供であると教えられた非佐木は、いぶかし気に煉瓦を見た。事実、煉瓦の頭髪は綺麗な茶髪。肌色はアジア人らしい黄色人種。
染まりきらないキャンバスのような白は、煉瓦のどこにもなかった。むしろ、その腹の内は真っ黒なのだけれど、それは非佐木の知らないところなのでともかくとして。
「芥は居ないの?」
「あの子はあんまり日の光が得意じゃないからね。ダンジョンの中なら、窓もないから好きに遊べるんだ」
「そうなんだ」
日の光が得意じゃない、という話は芥からも聞いたことがある。アルビノだとかなんだとか、とにもかくにもダンジョンの中だからこそ、彼女は好きなように歩けるのだと、非佐木は聞いたことがある。
だからこそ、煉瓦のその言葉からも、彼が芥の父親であることに納得したようだ。
「ちょっと今日はとある提案をしようと思ってさ」
「提案?」
「うん、提案」
次はどのダンジョンに行こうか。どんなダンジョンに行かせてほしいと篝にねだろうか。そんなことを考えていた非佐木の下に訪れた煉瓦は、得意げに言葉を並べる。
もしも、ここで非佐木が「知らない大人の人について行ってはいけない」というような、子供ならばいくらでも言い含められているだろう言葉を思い出していれば、この先に起きる悲劇は起こらなかったかもしれない。
煉瓦は知らない大人というわけではないけれど、怪しい大人ではあるけれど、とにもかくにも彼が信用ならない大人であることを篝から言い含められていたのならば、彼がこの先で真実を知ることになることもなければ、伝説になることもなかったし、ましてや両親を失うこともなかったはずだ。
はずなのだ。
もしもの話をするならば。
世界はもっと早く終わっていただろう。終末を食い止める暇もなく、終焉を阻止する余裕もなく、全てが滅んでいただろう。
ただ、これはどこまで行ってももしもの話でしかなく、この物語の結末を変えるようなものではない。
だからこそ、この物語はこう続く。
「SSクラスダンジョンには興味あるかな?」
「え、なにそれ!」
煉瓦のそんな提案は、ダンジョン狂いとまで言い切れてしまう非佐木の好奇心を盛大に刺激した。
それはもう、今後たてていた予定をすべて投げ出してでも、彼の語るSSクラスダンジョンへと向かうことを非佐木に決定させるほどには、盛大に。
彼の興味は、向いてしまったのだ。
難易度SSクラス『箱根温泉街洞』へと。
すべてが始まった場所へと。すべてが終わってしまった場所へと。
◆◇
『箱根温泉街洞』は、つい一年前に発見された――出現したダンジョンである。
その難易度は驚異の『SS』。ダンジョンが立て続けに世界中に発生したすべての始まりの日であり事件である
もちろん、箱根は神奈川にあるモノの、移動時間を考慮すると日帰りで行くには、長時間ダンジョンに潜っていることも難しくなってしまう。
そんなこともあり、煉瓦の言葉によって、虚居家族による二泊三日の家族旅行が提案されたのだ。
篝は、相も変わらず忙しい虚居夫妻に対する気づかいだと、煉瓦のその提案に何の疑問も抱かなかった。いや、煉瓦のことだから何か変なことを企んでいるかもしれないと疑いはしたが、箱根は休養に最適な温泉地であり、そう言った休養で退屈してしまうであろう子供はダンジョンが大好きなダンジョン狂いであることを含めて、その提案は真に虚居夫妻の一家団欒を願ってのものだと想像した。
事実はそうだったのかもしれないけれど、その時は疑いもしなかった。
ともあれ、煉瓦の言葉が非佐木から麻木へと伝わり、その話に非沙美が同意した約一週間後に、彼らは箱根に向けて出発した。
「見ろ見ろ薊! 温泉がいっぱい!」
「くさい」
「可愛げのねぇ意見」
非佐木七歳、薊四歳。
運命の日である。
とはいえ、初日から激動が始まるかと言えばそうではない。ダンジョンに対して興味津々と言った非佐木であるが、しかし移動の際に自ら薊の世話を請け負ったこともあってか、或いは家を出る前から未知の難易度のダンジョンに対してテンションを上げっぱなしだったせいか、車の中ですでにへとへとになってしまった彼は、箱根由来の休息にはぴったりな温泉で疲れを癒したのだ。
実際、小学生になった非佐木に合わせて、彼が学校から下校してきたタイミングで出発したこともあって、学校での疲れの分もきっと積み重なっていることだろう。
ともかく、聞き分けのいい子供だった非佐木は、ダンジョンは明日という麻木の言葉に従って就眠した。
それが家族旅行一日目の話だっ――
「寝れない!」
「寝なさい!」
まあ、この年頃の子供が、明日が待ち遠しくて眠れないなど特に珍しい話でもなくて、いつもなら聞き分けのいい非佐木も、この時ばかりは電気を消したはずの旅館の中で、非佐木はそんなことを言って飛び起きてしまう。
「寝ないと明日疲れちゃうよ、非佐木」
「でも楽しみ過ぎて寝れないんだよ!」
「まったく……非沙美。ちょっと非佐木連れて散歩行ってくる」
「ん、わかった」
聞き分けがいい非佐木がこのままダンジョンに突撃していくことはないだろうけれど、眠れないという彼を放っておくのも憚られる。
そう思った麻木は、薊の寝かしつけを非沙美に任せて夜の箱根に散歩に出た。
『……まったく、クソガキは元気だねぇ』
そんな様子を、非佐木のスキルとして見ていた狗頭餅はそう言った。
『主が元気であられることは我々としても安心できること。しかし、口が悪いぞ狗の』
『まったく、これだから野良育ちは……』
『お前らも変わらねぇだろ糞が!!』
とまあ、非佐木の召喚獣三人衆は騒がしくしているが、これは非佐木にすら聞こえない非佐木の中での出来事であり、太陽の沈んだ夜の静けさは観光地だろうと変わらない静寂で世界を包み込んでいた。
「おお、すごい綺麗!」
「流石は観光地ってところか」
とはいえ、日本有数の温泉地の一つである箱根の夜は、決して陰鬱とした闇が広がるような場所ではなく、これでもかと煌びやかな光がともった別世界だ。
それはまるで、日常の世界とは全く別の場所に来てしまったような。そんな錯覚をしてしまうほど。
「しかし、流石に寒いな。大丈夫か、非佐木」
「問題ないよ」
「子供は風の子ってか。流石だな」
時期は秋。10月下旬の寒空の下。昼間はまだほんのりと暖かいが、夜は冬さながらに冷え込む、冬へと向かう下り坂を季節が転がっていくような時期だ。
秋空の下でひとたび木枯らしが吹けば、思わず身震いをしてしまう。体にこたえる寒さに非佐木を心配した麻木であったが、元気いっぱいの子供の体力の前には、秋の木枯らしもなんのその。
普段とは違う夜の世界を歩き回れる非佐木は、まさしく風の子と言えるようだ。
「……」
「お父さん、見てよ星もすごい綺麗!」
「ん、ああ、そうだな」
星が綺麗だ。そう言って空を指差す非佐木に、麻木は少しだけ言葉を濁した。その訳を非佐木は知らず、その訳を麻木は語らない。
語らないままに、麻木は言葉を紡いだ。
「非佐木。お前、ダンジョンは楽しいか?」
「うん! 毎日行きたいぐらいだよ!」
「まあ、学校がある日はそこまで遠出できないからな」
今年で七歳となる非佐木は小学校一年生としての門出を迎えたところ。六歳までの日々の様に、毎日の様にダンジョンへと行くことはできなくなってしまった。
それでも、少年はダンジョンに焦がれ、憧れた。それもこれも、すべては――
「なんたって、僕はお父さんの子供だからね!」
すべては、非佐木の憧れる偉大なる冒険者であり、煉瓦のダンジョンアイドル計画に基づいて、多くの冒険者にダンジョン攻略の手引きをした先達である父親に認められるためだ。
その言葉を聞いた……そんな言葉を聞いた――そんな言葉を聞いてしまった、麻木は、非佐木へと向けていた顔をくしゃりとゆがめる。
嬉しそうな、苦しそうな。喜んでいいのか、どうしていいのかわからない。そんな顔をして、麻木は言った。
「ごめんなぁ……本当に、ごめんなぁ……」
「……?」
謝った。
嬉しそうに、悲しそうに。
誤ったかもしれないその言葉。そこに込められた意味を理解できない非佐木は、ただただ困惑することしかできない。
だから、彼は言うのだ。
「うれしい時は、ありがとうじゃないの?」
「ああ……そう、だよなぁ……」
今この瞬間、麻木が悲しんでいるとは思いもしなかった非佐木はそう言った。そう語った。
だから、麻木は。
「ありがとな……非佐木」
一つの覚悟を決めた。
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