第9話 伝説のスタートライン
――午後六時四七分。
改めて極彩街道に戻って来た俺たちは、昼間とは違ってちらほらと人を見ることができる一層にて、配信の準備を進めていた。
「うわー凄いいっぱい人いるね」
「これでも少ない方だな。休日の昼間はもっと人いるぞ」
今日は平日の木曜日。五月の終わりごろともなれば、新生活に慣れて来た人間が、ストレス解消に近場のダンジョンを漁り始めにやってくる時期だ。
一層を見渡してみれば、俺たちと同じく配信準備を整えている人もちらほら見かける。
「ね、ねえひーくん」
「なんだ芥」
「こんなに人いるのに、配信するの……?」
「ああ、そうだ。っていか、配信に関してはそこまで気にしなくていいぞ。たまにやばい奴もいるが、基本的にお前が潜るのは二層近辺で、まずそこで足踏みしてる人間の方が少ないからな」
「そうなんだ」
おそらくは、一層でダンジョン潜行の準備をしている冒険者たちを見て怖気づいたのであろう芥の弱音が零れるが、俺は問題ないとその不安を一蹴した。
初心者が渦巻く難易度EやDとは違い、難易度Bに来る人間は、そこそこ冒険者としての歴があるやつが多い。それが半年なのか十年なのかは置いておくとして、そういうやつらに共通するのは、ある程度ダンジョンを進めているということだ。
ダンジョンで死ぬとセーブポイントに転送されるように、芥には教えていないが、実はダンジョンには転送機能が標準で備えられている。階層の途中で転送することはできないが、攻略したことのある階層の入り口なら、一層から転送で移動できるのだ。
なので、ここにいる人間の大半は、攻略途中の階層に行く、或いは自分磨きに自分に合った難易度の階層に移動する連中の方が多いだろう。
そんなわけで、一層で初心者が右往左往したところで、他の冒険者には迷惑は掛からない。それに、冒険者の暗黙了解の一つとして、配信中の冒険者がいた場合、出来る限りスルーするというモノもある。
もちろん、これはマナーの範疇なので、その人の良心の問題なのだが――どちらにせよ、配信中の冒険者に絡んだところで面倒ごとの方が多く、そしてこのようなダンジョンに日ごろから潜っているような歴の長い冒険者ともなれば、そういったマナーを知っている人間も多いだろう。
そんなわけで、改めて近場に難易度Bのダンジョンがあったのは幸運なことなのだ。それに、神奈川ともなれば公共インフラがしっかりしているので、様々なダンジョンに行きやすいというのもあるな。
「と、とりあえず配信は頑張るとして……ひーくんは何やってるの?」
「これか? これは今回の一番重要なアイテムだ。その名もダンジョンカメラ。ああ、それとこれ耳に付けといて」
「なにこれ、耳栓?」
「収音マイク付きの小型インカムだ。付けてても目立たないし、激しい運動をしても外れにくいダンジョン配信の必需品」
「ほへー」
あんまりにものんきな声を漏らす芥は、本当に俺の説明を理解しているのだろうか? いや、まあいいか。
とにかく、カメラの準備も終わったし、配信用のタブレットの準備もできた。あとはワンクリックで配信を始められる状況だ。
まあ、その前に最終確認がいくつかあるんだけどな。
「まずはカメラだな――」
タブレット端末に表示されたボタンの内、配信開始ではない違うボタンをタップする。そうすれば、用意していたダンジョンカメラが空を飛んだ。
「おおぉ! 空飛んでるよこれ!」
「静音ドローンのお高い奴だ。思考操作タイプで、対象追跡モードも搭載された、アドベントフロンティア社の最新の配信機材だな」
「な、なんかすごいんだね……よくそういうの持ってるね、ひーくん」
「友人の伝手だよ。知ってるだろ、俺が友達多いの」
「変なの、をつけ忘れてるよ」
「意図的だ」
見たこともないような機器にちょっと引き気味な芥だが、まあ実際俺も使ってて引き気味だ。手のひらサイズの撮影ドローンとは聞いていたが、まさか操作を手動ではなく思考で行えるなんてな。
それに、対象追跡モード――つまるところ、設定した対象を人工知能が自動で追跡し、俺の思考操作なしに必ず画角に入る様にしてくれる機能まで付いているとのこと。
冗談みたいな性能だろ? 当たり前だけど冗談みたいな価格だぜ、これ。試作品って言われて渡されたはいいけど、たぶん正規品で買うと、芥の借金の十何分の一は返済できる額だ。
ちなみに小型インカムの方は普通に売ってるやつだ。普通に税抜き三万四千円ぐらいだったはず。え、高いって? ああ、まあ……そうだな。
気にしないでくれ。
「よし、じゃあ最終確認だ」
「う、うん」
「これからお前は、芥ではなく、ダンジョンアイドル『ケシ子』の仮面を被ってダンジョンに潜る」
「私はケシ子。ダンジョンアイドル」
「どんな状況でもへこたれるな。逆境を楽しめ。笑顔を忘れるな」
「へこたれるな。楽しめ。笑顔が大事」
「オーケー。んじゃ、行くぞ」
「了解!」
改めて確認した時計が示すのは午後六時五九分。人気SNS、バズッターで作った専用アカウントの初配信開始ツイートは予約済み。配信機材に不備は無く、最終確認にてインカムもしっかり作動していた。
そして、カンフル剤の準備も万端だ。
後は、このボタンを押すだけ。
ここからだ。ここからすべてが始まる。
これを逃せば、目標達成が大きく遠のく。いや、困難になる。それだけ、スタートダッシュは大切なんだ。
特に、時間に余裕なんてない俺たちにはな。
だからこそ息を整えて、秒針が刻む時間を数えながら、昂る心を落ち着かせて一層の階段を下り、二層の入口へと移動する。
そして、俺は改めてダンジョンカメラを起動した。
「配信開始だ。伝説を始めるぞ、ケシ子」
「うん。私がんばるから。しっかりと見ててよね」
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