ベビーブルー②

 連絡を受けたゆいは即座にかっ飛んできた。やはりあの内容に心当たりがあったのだろう。

「お主ら、生霊としてリーザが存在したのは無論知っているな?」

「ああ……」

 ゆいは事故で意識を失い、魂が肉体から抜けてしまったリーザのことを持ち出す。幽体離脱、種を明かせばなんてことない内容だ。誰もが確認できていない霊現象の一つ。それが実際に存在した。

「ゲートの影響は想像の力や観測の力を引き上げこの様なことさえ現実のものとしておる。じゃから、ああいう儀式も危険なんじゃ。実際に探しておる霊力もここから出ておるしのう」

 また新しい単語が出てきたが、読んで字のごとくの性質を持つものだそうだ。想像力は空を飛ぶ、一日中続く真昼というものを飛行機や電球という発明品という形で想像から現実へ引きずり出した。どれも同じ成分のシロップが色の認識で違う味という力を持つ。これが想像の力、認識の力だ。

 ここで大事なのはその力の詳細ではなく、ゲートによってそれらが増幅、想像や認識をブーストして『こういうことがある』という空想を現実にしてしまう可能性があるということだ。

「なるほど、ってことは下手に枕元に『飽きた』って書いた紙置いちゃだめなんだな。マジで異世界へ行っちまう」

「そういうことじゃ」

 遊騎の言うようなことだって起こるのが真の2000年問題以降の世界だということだ。

「とにかく、深井さんに言ってやめてもらわないと……」

「うーむ……そうしたいところじゃがなぁ」

 響は即座に止めようとするが、ゆいは言葉を濁す。何せこれはシンプル故にこの準備してますよね? と詰めたところで証拠が出てこない。そして今はやめさせてることができても隙を見て出来てしまう。

「まぁ儂に任せい。いうたじゃろ? 餅は餅屋とな」

 ゆいはこういうのが慣れっこなので、危険を阻止した上で完全にやめさせる方法も持っているのであった。

「ところで……」

 それより、と彼女は言う。ちらりと見たのはケンケンの様に移動する水道だ。

「尾平良なる地には初めて来るが、あれはなんじゃ?」

「何ってワンダーな水道管だが?」

 遊騎は当たり前の様に語る。尾平良は芸術の街。とりあえず新しい技術を芸術作品に使い出すので動く水道は見慣れたもの。水道管は汚れを見つけると独りでに蛇口を回して水を出す。

「そういえばいましたね。水道管の寿命ってどれくらいなんでしょう?」

「さぁ? 10年くらいじゃねえかとか思ったけど15年前からいたな」

 尾平良に来たことある響はあの水道管と顔見知りである。遊騎の高い対応力にはこの町で過ごした経験も多く含まれている。やれ多様性! ポリコレ! と叫ぶよりこういうのが跋扈している方が自分と異なる存在を受け入れる下地になる。いろいろあった零人がここに落ち着けた理由の一つだ。

「と、とりあえず時間がある。どこかで待機しようかの……」

 あの水道管はさておき、問題の時間までは待機。近くにいすぎるのも相手の警戒を煽ってしまう。

「じゃ、うち来いよ。離れててもお前らなら速攻で来られるだろ?」

 一回、遊騎はゆいと響を家に連れて帰る。響はどっかで時間潰す気満々であったのだが、こういう場合断る方が好意を無碍にするので快諾する。

「おじゃましていいんですか?」

「ああ、あいつも久しぶりに会いたいってよ」

 響には遊騎の家にいる誰かと面識がある様だ。


 それは公界家のガレージにいる。白い装甲のライオン型ロボットであり、サイズはバスより二回り程度大きいもの。響を見るなりそのライオンはイエネコの様な甘えた声で鳴く。

「ブリッツレオン!」

 響が南極で遊介と会った際に彼が探検に用いていたズーテクという種の機体だ。元々あった黄色の装甲は武装も含んでいたので、法律の関係で換装されている。

「ほう、ズニアスの金属生命体か」

 ゆいは彼の故郷を聞いたことがある。ズニアスという世界ではこの様な金属生命体が跋扈している。目もロボットらしいツインアイではなく瞳が存在し、生き物であることを強調する。

「ズニアス? こんなんがいるんだからすっげぇ科学発展してんのかな?」

 一方で遊騎は生まれた時から家族にブリッツレオンがいたためか詳しくはない。おおらかさ寛容さが却って細かい知識の獲得に繋がらない。

「うーむ、それが過去の戦争で荒野になっておってな。兵器として生み出されたこやつらが野生化しておる」

「いろんな世界があるなぁ」

 一応ズニアスからの留学生もおり、この金属生命体は白楼に何機かいる。あるおもちゃやアニメの影響で基幹世界人の一部には熱烈なファンもいるのがズーテクでもある。

「とりあえず待つかの……、お気になさらず。ただ霊力の強まりを感知するだけじゃ」

「移動はどうするんだ?」

「そこはほら、ワープ的な何かじゃ」

 ゆいは今夜深井さんが行動するかわからないまでも、待機を選んだ。他の人に任せる方法もあるが、それを今回はしなかった。

「他の奴の任せちゃダメか? 学校もあんだろ?」

「いうてなぁ……儂かて母親の端くれじゃ」

 ゆいは孫までいる母親。子供を亡くした深井に何か思うところがあるのだろう。そうでなければここまで出張りまい。

「それを言うたら響もなぜ付き合うんじゃ。お主こそ別によいじゃろ?」

「うーん、なんででしょうね?」

 響はなぜ自分がこの件に関わっているのかわからない。もう死のうとする必要も、罪滅ぼしの必要もない。リーザの願いと約束こそが彼を動かす。幸せになり、その生き様を冥府の彼岸で見せるというその約束。

「なんというか、見過ごせない気がするんです。なんだか、スティングさんの言ってたことがわかる気がします」

「スティングの?」

 おそらくと響は仮定する。スティングは男も助けるし能動的に見捨てはしない。それは男も女の子の大切な人かもしれないという思考に基づくものだ。

「ほら、男も女の子の大切な人だって。友達の知り合いは見捨てられないですよ」

「あー、そういう」

 遊騎はついに響がスティングの軟派さに影響されたのかと思ったが、そうでもないと知り安堵する。情けは人のためならず。見知らぬだれかを助けることが、友達の助けになるならやるものだ。

「おや、ここにも写真が」

「他の班もいるけど、南極探検隊ではズーテクを使ってんだ。やっぱみんなロボット大集合好きだな」

 ガレージにも写真がある。各所に遊介を忘れないように、知らない遊騎に伝えるかの様に痕跡が残っている。ブリッツレオンがここにいるのも、遊介を支えた家族というのもあるがそうした彼の存在を示す相棒でもあるからだ。

「ん?」

 ガレージは無風であったが、突如として風鈴が鳴り始めた。これはゆいが設置した霊力感知装置だ。

「始まったか!」

 恐れていたことが発生した。ゆいは即座に行動を開始する。


   @


 亡くなった我が子に再び会えるという儀式がこの世に存在するという。真の2000年問題以前ならば単なるオカルトであったが、深井はよく行く店の息子が入学したという白楼高校付近で妙な噂を聞き、可能であると確信した。

 なんでも幽霊の生徒がいるらしい。彼女の描いた絵を見れば認知できる、基幹世界人の幽霊。ゲートは超能力者の覚醒のみならず、オカルト現象の実在化も起こしていたのだ。

 儀式には火も血もいらない。これがハードルを大きく下げている。暗い浴室に湯を張り、その湯気で鏡を曇らせる。そして指で鏡に『baby blue』と書く。夫に指摘された通り、自分は中学時代から英語が苦手であった。メモを取っておいたが、それを無くした時は焦ったものだ。玄関で見つけることができたのだが。

 これをすると、鏡に死んだ子供が見えるそうだ。両手を鏡の前に差し出し、あやす様にする。そこにはぼんやりと、子供の姿が浮かび始めた。

「やった……」

 やはり儀式は可能だった。何か不穏な話もあったが、そんなことは忘れてしまった。これが成功したら言いたいこと、聞きたいことがあった。まだ赤子なのだから聞いても返答があるとは思えないのだが、願望を叶えて実現する儀式が成功したのだから聞けるはずだ。

「え?」

 だが鏡の中には、鏡の破片を手にしたおぞましい血まみれの女もいた。

「ふむ、やはり出おったか!」

 鏡の女が深井に襲い掛かろうとした瞬間、響が鏡にフォトンサーベルを向けてゆいが深井を引っ張って浴室から出す。

「これも業の理論ですか?」

 響は以前の宿題で見た桃源世の授業動画を思い出す。ワールドセイバー職員にあのレベルの話は釈迦に説法だが、ゆいの娘の仕事を見ておきたかったのだ。

「そうじゃ、願望を実体化した分不都合な部分も現実になる!」

 ここを説明すると60分講義15回分に膨れ上がるので省略するが、だいたい相手の行い以上に重い呪いをかけると跳ね返るあれと原理は同じ。

「え?」

 相手は鏡にいて攻撃は出てこない。だが、独りでに鏡へ入ったヒビに合わせて響の体にも傷が現れる。まるで鏡像に入った亀裂が現実の彼を引き裂く様に。

「がっ……ぁあああっ!」

「そこまでの力じゃと? そこを動くなよ!」

 強化人間の肌は柔らかに反して強固で簡単には切れない。それはジーラインやアンジェとの戦闘でも明らかだった。だが、それすら無意味になっている。相手が呪術の存在だから、それとも別の理由か。

「あ……っ、はっ、あぁ……」

 響は浴室の床に座り込み、体を抱いて動けなくなる。出血はすぐ収まったが、全身が粉々になるほどの激痛で動くことができないでいた。

(こやつにもう、戦いは無理じゃ)

 ゆいは響の様子を見て、ワールドセイバーへの復職さえ危ういと感じた。今までは鉄火場慣れした死を望むテロリストとして戦闘に支障はなかった。己を省みない以外は。だがこれではまるで、戦う力などない基幹世界の高校生そのものだ。

「だったら、鏡を先に……!」

 加えて冷静な判断も失っており、相手が攻撃する前に鏡を壊そうと洗面所の鏡を狙って飛び掛かる。そもそも相手がどんな攻撃をしたのかもわかっていないのだ。それまでの響はいくら死を望んでも、世界を守れないのでは意味がないため的確に相手を見て戦えていた。

「よさんか! 何を急にバカになっておるんじゃ!」

 ゆいも思わず感情的に怒鳴るほど稚拙。やはりと言うべきか、洗面所の鏡も割れて同時に響が引き裂かれるだけであった。

「ぎ……ぁぁぁぁっ!」

 棚のドアも鏡になっており三面鏡の様なものだったが、それらも同時に割れたため骨にまで亀裂は及び、粉砕複雑骨折の状態にまでなってしまった。

 目の前で起きる惨劇に深井は思わず悲鳴を上げる。

「気にするな。あやつは死なん」

 遊騎はガレージで待機しており、ここに来ていなかった。戦闘力の無さを自覚しており、少なくとも今の響よりは適切な選択ができる。

「あぐ……ぅ」

「全く、防護策がなければ死んでおったぞ?」

 ゆいは床に転がる響に、袴に折った折り紙を投げる。事前に張り付けていたやっこさんの折り紙と合体し、より強固な防御へと変化する。

「それつけておると、あっちへの攻撃も通りにくくなるからの、おとなしくしておれ」

 呪いへの防御は干渉を避け、逆に同じ呪いの存在への干渉ができなくなるもの。どの道もう戦えはしまい。ここで床でも舐めていた方がいい。

「さて、もう鏡は……」

 よりによって一番一般的な鏡を失ってしまった。向こうから来てくれないと反撃もできないので参ったものである。

「おや?」

 家の窓ガラスにうっすらとあの女の姿が見える。姿を反射するようなものならなんでもいい反面、鏡みたいにしっかり映らないとこちらに干渉できない様だ。

「ならば」

 ゆいはそこであるものを取り出した。正二十面体の物体を瞬時に熊、鷹、魚に見えるような形へ変形させていきそれと共に床に穴の様なものが現れる。穴には不思議な吸引力があるのか、窓ガラスに隠れている女は引っ張られる。

「おっと」

 響も引き寄せられ、むしろ窓ガラスの女よりも強く早く吸引されているのでゆいは足で踏んで抑えつける。その一方で深井とゆいは一切効果を受けていない。

(ふーむ、リンフォンの効果をここまで受けるとは)

 このアイテムは地獄を開く鍵、リンフォン。無論正式な地獄への道ではないのだが、地獄の性質上、罪人が引っ張られる。地獄での刑罰は現世の法で罰せられることで軽減ないし打ち消しとなるが、響は悔いたといえ量が多すぎる上に法では裁かれていない。地獄が冥府の一部なのでリーザに影響がない様に今まで使っていなかった。

「さて、来てもらうぞ!」

 窓ガラスの女の正体は産後うつで赤子を殺した母親、ということになっている。あくまで願望を叶えたコストの様に発生しているのでその話が本当かどうか不明かつ実在ではないのだが、あの女は罪人の性質を持っている。

「消えよ!」

 ゆいはコトリバコを取り出し、そこから放たれるへその緒みたいな物体で女を貫く。女はガラスの様に砕け、その存在が消え失せる。これにて一応の解決とはなった。

「ふむ……」

 しかし深井の問題自体が終わったわけではない。あくまで何とかしたのは儀式の悪影響だけ。

「あれ……終わった?」

 響はふらふらと今になってやってくる。だが痛みが激しく、すぐに座り込んでしまう。

「すみません、ゆいさん……。全然役に……」

「お主、らしくなかったのう」

「なんででしょう……なんであんな……」

 響にも突拍子のない行動の理由はわからなかったが、一応迷惑をかけて役に立たなかった自覚はあった。言葉を言い切る前にかくんと響は気を失ってしまった。出血は少ないが全身の骨が折れているので、ダメージが重い。

(なにか、あやつに心境の変化が? いやそれにしては……)

 ゆいはそれまでの命を捨てるような戦いから自身も守る戦いに切り替えたことで戦法がグダグダになったのかと思った。しかし頭の中ですぐに否定する。ならばなぜいかにも殺してくださいみたいな無防備さを敵に晒すのか。以前の響でさえ自身こそ省みないが自分が死んで戦力が減少すると世界や仲間がやられるという観点は持っていた。

「じゃが、死んだ子に会いたいとは……よほど深く子を愛しておったのじゃな」

「え? 私はそんな……」

 それはさておき、とゆいは深井に声をかける。彼女は否定するが、ゆいにはわかっていた。

「私は悪い母親です。子供を死なせて……」

「七十八十を生きた者さえ風呂場の温度一つで死ぬ。七歳までは神の子というほど人はどれほど努力しても容易に死ぬのじゃ。儂も母親じゃったから子を失えば同じことをしないとも言えんが、己を責めてばかりではいかん。もっとうまくやれた、と振り返れる時点で子に想いを割くよい母じゃよ」

 そして彼女はコトリバコを取り出す。これは赤子を材料に使うおぞましい呪具だが、彼女のそれは少し違う。

「儂が手綱を握っておるからむやみに危害をばらまかんが、こやつらがなんとも言わんのはその証拠じゃ。こやつらは捨て子、母に捨てられ命を落とした名もなき稚児。じゃから親失格の者を見ればそれはもう暴れてのう」

 若い頃のゆいが死んだ乳児たちから凄まじい呪いを感じ、制御すべくこの形にした。死に水を取ったゆいには従うらしく、普通に弔っては確実に呪いが拡散するためこうして今も共に戦っている。それが八人。

「長生きの儂とそれに付き合っておるこやつらが言うんじゃ。それでもと言うんなら、その子に胸を張れる人間になって、死した時にあちらで謝罪するんじゃな」

 リーザと響の約束を引用する形で、どうにかゆいは思いを伝える。呪いが口伝でも伝染するためあまりすべてを喋ろうとはしないゆいだったが、今回ばかりは言葉を尽くした。


   @


 翌日の放課後、響は再び遊騎の母が経営するチョコレートショップ『シュヴァルツバース』にやってきた。

「怪我大丈夫なのか?」

「うちには優秀なドクターがいますから」

 一応激しい運動は止められているが黙っておく。お店には深井が夫婦で訪れていた。

「おや、君が僕の妻を助けてくれた……」

 深井の夫が響を見て声をかける。忙しいエンジニアらしく、妻に目を掛けられない中で起きた事件故に感謝してもしきれないのだろう。

「僕は変質窒素粒子の技術研究を……おっと仕事の話はまた今度」

 遊騎は会話を聞いていたが、響に渡す様に言われていたもののことは黙っておく。あれは響向けな武器だが、ゆいの話を聞くに今の彼へ能力の落ちた武器は渡せない。そもそも戦い自体させたくはない。

 深井夫も遊騎を信頼しているので渡す様には再度言わない。

「もういいんですか?」

「ええ。あの子に向こうで胸を張れる母になりたいって決めたから」

 響は深井の様子を気にしたが、ゆいの言葉に思うところがあるのか少しずつ目標を得て行動を初めていた。リーザと響がかつて交わした約束はリーザの蘇生で無くなったが、誰かを救っている。

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