魔法
白井
魔法
今日、私は一ヶ月ぶりに学校へ登校することにした。
窓から外を見ると、雲一つない清々しいほど青く澄んだ空が広がっていた。この空を私は一生忘れないだろう。目に焼き付けるように、それを眺めた。
だが、そんなのでいいのか? そうとも思った。
ああ、そうだ。雨が降ることが当然なさそうなのは一目瞭然だ。よし。では板井に無茶振りをしてみよう、そう私は思った。
人の気配がして、私は後ろを向いた。彼女は当然のようにそこにいた。笑うことのない表情を浮かべて、感情のこもっていない二つの赤い瞳をこちらに向け、壁によりかかって立っていた。しばらく睨みあった。彼女の睨み方にあまりにも敵意がなかったから、思わず私は笑ってしまう。
「おはよう」私はかすれた声。
「はい」高い声で板井は言った。
「今日は学校に行こうと思うんだ。あ、なんなのその驚いた顔は? やめてよね。人がせっかくやる気になっているのに」
もちろん、板井は何の感情もあらわにしていない。私の冗談だった。
「それでさ、板井も一緒に来るんだよね? だって私はいつ何時、命を狙われてもおかしくないんでしょう?」
「──」
「もちろん、学校には空を飛んで行くんだよね? そうだよね?」それは私の願望だった。しかし、
「いいえ」彼女はそう答えた。
「え、学校までついて来てくれないの?」
「いいえ」
まったく、分かりにくい返答だ。いいえ、しか言わないのだから。
「空を飛んでは行かないってこと? どうして」
「雨が降るので」
「雲一つない快晴だよ?」
「朝ごはんができています。準備ができたら、下へ来てください」私の質問には答えず、急かすかのように板井は言った。珍しい反応だった。
「はいはい、分かりましたよ」私は手を振った。
両親は仕事で忙しく、最近まで私はいつも家で一人だった。それゆえ、寂しい思いをしていたのだが、今は板井がいる。だが、私の両親は板井のことを知らない。板井は魔法をかけて自身を私以外の誰にも視えないようにしているのだ。そう、板井は魔法使いだった。嘘ではない。私は知っている。空を飛んだり、手のひらから炎を出したり、枯れた花を蘇らせたり、いろんな魔法が使えるのだ。
今日の朝食は、トーストに目玉焼きにベーコンだった。昨日は白飯に味噌汁に焼き魚だった。板井が作れる朝食はしかし、その二種類くらいだった。彼女が発する言葉もそれより少し多いくらいの種類しかないが。
「いつも美味しい。ありがと」私は食べながら。
「はい」板井は喜びもせずに。
まあ内心では喜んでいるのかもしれないけれど、はい、だけでは分からないのだよ。
板井も自分で作った料理をパクパクと食べていた。本当に可愛らしい光景だった。きっと子猫を飼っていたら、こんな気持ちになるのだろう。胸の奥がじんと温まるような気持ち。
「ねえ、空は飛ばなくてもいいから、せめて魔法を見せてよ」
食べ終わると、私はお願いした。板井は無言のまま立ち上がると、ピアノの上に置いてあったサングラスを持ってきて、それを食卓の上に置き直した。彼女が数秒それを見つめる。すると、突然にサングラスがとけて黒い液体になってしまった。気持ちわるっ、という思いが顔に出てしまったのを自覚した。板井の真似はどうやらできないようだ。私は真似が得意ではない。
「へえ。これは何だか、かなりこぢんまりとした魔法だね。でも、まあ、すごいね。うん」
「いいえ」
「何が?」
「魔法ではなく、手品です」言いながら、板井はティッシュペーパーでその液体を拭っている。
「え、手品なの? そんなのは別にいいから、魔法の方を見せてよ」
板井は軽く頷くと、黒く染まったティッシュを天井に投げた。そのティッシュはふわりふわりと浮かぶと天井に張り付いた。瞬時に彼女の方を向く。彼女なりのジョークだったのかもしれないが、彼女の表情は無だった。
「ねえ、これって魔法なの?」
「はい」
「もっとすごいの、前に見せてくれたじゃん」
「──」
「できないの?」
「はい」
「どうしたの、まったく。なんかおかしいよ」
「すみません」
「じゃあ、代わりに空を飛ばせてよ。ほら、雨も降っていないし、できるでしょ」
「もうすぐ降ります」
「え、本当?」
雷の音が鳴り響いて、びくりとする。窓の外をみると、雨が滝のように降っていた。嘘みたいなにわか雨だった。幻覚かと思って、私は窓を開けて、顔を外に出した。一瞬で顔がびしょ濡れになる。
「うわあ、雲がないのに雨が降っている」
窓を閉めて、板井の顔を見た。彼女は珍しく微かに笑っていた。
「もしかして、魔法?」
「はい」
魔法 白井 @takuworld10
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