第56話『お見舞い-前編-』

「これで、今日の終礼を終わります。委員長、号令をお願いします」


 渡辺先生がそう言い、クラス委員長による号令で、今日も放課後になった。早く帰りたいと思っていたから、待望の放課後だ。やっと放課後になったよ。


「さてと、今日も部活行ってくるか」

「ああ。部活頑張れよ、西山」

「ありがとう。有栖川……良くなっているといいな」

「ああ」


 優奈からは昼休みの時間にグループトークに『みなさん、ありがとうございます』とメッセージが届いたのみ。ゆっくりと休めていて、体調が快復に向かっているのだと思いたい。


「朝もお願いしたけど、有栖川にお大事にって伝えておいてくれ」

「分かった。また明日」

「ああ、また明日な!」


 いつもの爽やかな笑顔でそう言うと、西山はスクールバッグとエナメルバッグを持って教室を後にした。今日は優奈が休みだったから、いつものような元気さはなかった。ただ、あの爽やかな笑顔を見せられるのだから、部活をしっかりとやれそうだ。

 俺はスクールバッグを持って席を立ち上がり、井上さんの席まで向かう。井上さんは佐伯さんと談笑していた。


「井上さん、佐伯さん、今日もお疲れ様」

「おつかれー、長瀬君」

「長瀬、おつかれ! これから萌音と一緒に帰るんだよね」

「ああ」

「優奈に会えるのが楽しみだわ。少しでも元気になっていたらいいな」

「そうだね。優奈によろしく伝えておいて」

「分かった。じゃあ、行こうか、井上さん」

「ええ。千尋、部活と掃除当番頑張ってね」

「今週は佐伯さんのいる班なのか。部活も掃除当番も頑張って」

「ありがとう。また明日ね!」


 俺と井上さんは佐伯さんに手を振って教室を後にする。

 優奈と一緒じゃないからなのか。それとも、優奈の夫だから、俺自身の注目が高まっているのか。はたまた、井上さんが可愛いから井上さんを見ているのか。理由は何にせよ、こちらを見てくる生徒がちらほらといる。

 そういえば、井上さんと2人きりで歩くのはこれが初めてかもしれない。これまでは優奈や佐伯さんが一緒だったから。


「そういえば、長瀬君と2人きりで移動するってこれが初めてだっけ」


 階段を降り始めたとき、井上さんがそんなことを言ってきた。井上さんも同じことを考えていたか。だからか、頬がちょっと緩んだ。


「たぶん初めてだと思う」

「だよね」

「今まで優奈とかが一緒にいたもんな。あと、俺も同じことを考えてた。井上さんと2人きりなのって初めてかもって」

「ふふっ、そっか」


 井上さんは楽しそうな笑顔でそう言った。今日になってから、井上さんのこういう笑顔を見るのはこれが初めてな気がする。

 俺達は1階まで降りて、昇降口で上履きからローファーに履き替えた。

 高校を後にして、優奈と俺の自宅があるマンションの方向に向かって歩き出す。今も曇天なので、登校したときと同じく肌寒い。


「井上さん。途中でドラックストアに行ってもいいか? 優奈にゼリーとかプリンを買いたいと思ってさ」

「分かったわ。これまで優奈のお見舞いに行ったときも、差し入れにゼリーやプリンとかを途中で買ったわ」

「そうなんだ。どういうものを買うと優奈は喜んでくれるかな。1ヶ月近く一緒に住んで優奈の好みも分かってきたけど、体調を崩したのは今回が初めてだからさ。井上さんに訊きたくて」

「なるほどね。甘いものならどれも喜ぶけど、果実系のゼリーは特に喜んでいたわね」

「果実系のゼリーか。分かった。じゃあ、ゼリーを買っていこう」


 井上さんが言うように、優奈が喜んで食べてくれたら嬉しいな。甘いものを食べているときの優奈の笑顔を思い出すと、心が温かくなって、頬が緩んでいく。


「長瀬君……放課後になってからだけど、元気そうになって良かったわ。優奈が欠席していたからか、今日は授業のときを中心に浮かない雰囲気だったことが多かったし」


 井上さんは穏やかな笑顔を俺に向ける。


「結婚してから、優奈が休むのは初めてだからな。寂しくて、授業中は優奈のことをずっと考えてた。優奈が体調を崩した心配もあってさ。もし、心配を掛けていたならごめん」

「気にしないで。優奈がいなくて寂しいと思うのは自然なことだし。それに、私も寂しかった。いつも前の席にいる優奈がいないから」

「そっか」


 親友が学校を休んだんだ。しかも、井上さんにとって優奈は一つ前の席。自分の席に座ると、優奈が欠席していることを実感させられる。井上さんの抱く寂しさは相当なものだったんじゃないだろうか。


「放課後になって、もうすぐ優奈に会えると思うと嬉しいんだ」

「私も嬉しいわ」


 井上さんはニッコリとした笑顔になる。優奈に会えることの嬉しさが理由だからか、井上さんの笑顔はとても可愛く思えて。


「それにしても、優奈は幸せ者ね。自分のことをこんなにも大切に想ってくれる人が旦那さんだなんて。優奈が羨ましいくらい」


 井上さんは優しい笑顔で俺を見つめながらそう言ってくれた。そんな井上さんの頬はほんのりと赤らんでいて。触れていないけど、井上さんから温もりが伝わってきているような感じがした。


「優奈の親友の井上さんがそう言ってくれるなんて。何だか俺が嬉しい気持ちになるな」

「……今日の長瀬君を見てそう思ったのよ。それに、結婚してから、優奈は長瀬君と一緒にいたり、長瀬君の話をしたりするときは今まで以上に可愛い笑顔を見せるの。それが嬉しい。優奈と結婚してくれた長瀬君のおかげよ、ありがとう。これからも親友の優奈をよろしく」

「ああ」


 結婚してから、優奈の笑顔をたくさん見てきた。優奈と一緒に住み始めてからはより多く。優奈の笑顔はとても可愛くて。これからも、優奈がたくさん笑顔を見せられるようにしていきたい。

 その後、マンションのすぐ近くにあるドラッグストアに行き、りんごゼリーと桃のゼリーを購入した。俺が全額払おうと思ったけど、井上さんが「私も払いたい」と言ってくれたので割り勘にした。

 ドラッグストアを後にして、俺達はマンションに入り、10階の自宅に帰る。随分と久しぶりに帰宅した気がする。


「ただいま」

「お邪魔します」


 家の中は薄暗く、とても静かだ。

 俺達の声に何も反応がないってことは、優奈は今も寝ている可能性はありそうだ。ただ、今の優奈の様子を確認しておきたい。

 井上さんにスリッパを用意して、俺達は優奈の部屋の前まで向かう。


 ――コンコン。

「優奈、ただいま。起きてるかな。井上さんと一緒に帰ってきたよ」

「お見舞いに来たわ。優奈の好きなりんごのゼリーと桃のゼリーを買ってきたわよ」


 俺が部屋の扉をノックして、俺と井上さんはそう言う。

 優奈……起きているのかな。もし、寝ているようだったら、静かに部屋の中に入って優奈の様子を確認――。


『……どうぞ』


 小さいけど、部屋の中から優奈の声が聞こえた。優奈、起きていたんだ。扉越しだけど、優奈の声が聞こえたからか井上さんは嬉しそうだ。

 俺が優奈の部屋の扉をそっと開けた。

 今日はずっと曇っているのもあり、部屋の中は朝と同じく薄暗い。そんな中でも、優奈がこちらを向いてベッドに横になっている姿が見えた。部屋の照明を点けると、優奈は眩しそうにする。


「優奈、ただいま」

「お邪魔します。お見舞いに来たわ。ゼリー買ってきた。あと、千尋や西山君がお大事にって言っていたわ。千尋は部活の後に来るかもしれない」

「そうですか。萌音ちゃん、お見舞いに来てくれてありがとうございます。そして、和真君……おかえりなさい」


 優奈はいつもの柔らかな笑顔でそう言ってくれる。嬉しそうにも見えて。頬がほんのりと赤いくらいで、顔色は今朝に比べてだいぶ良くなっている。

 あと、家に帰って優奈に会えたのはもちろん、優奈の笑顔を見られたことが嬉しい。


「優奈、体調はどうだ?」

「だいぶ良くなりました。和真君が作ってくれたお粥やお弁当をちょっと食べて、薬を飲んで寝ていましたから。熱っぽさは多少ありますが、それ以外の症状はなくなりました」

「そうか。良かった……」

「良かったわ……」


 優奈の言っていた通り、市販の薬を飲んで快方に向かっていて良かった。ほっと胸を撫で下ろす。俺と同じタイミングで、井上さんもほっとした様子で胸を撫で下ろしていた。


「ぐっすり眠れましたし、目が覚めたのがちょうどお昼休みの時間だったので、お昼にみなさんへお返事のメッセージを送りました」

「そうだったんだ。あと、ぐっすり眠れるのはいいことだよ」

「そうね。寝るのは体調を回復させるのに大切だものね」

「ですね。お昼にお粥とお弁当のおかずを少し食べて。そのときにも薬を飲んだので……ついさっきまで眠っていました」


 結構な時間、優奈は眠れていたんだな。それも体調が良くなった理由の一つだろう。


「和真君。体温計を取ってもらえますか? お昼を食べたとき以外はほとんど寝ていましたから、今朝から測っていなくて」

「分かった」


 俺はローテーブルに置いてある体温計を取って、優奈に手渡す。

 優奈は上体を起こして、体温計を腋に挟んだ。多少の熱っぽさがあるとは言っていたけど、今朝よりも下がっているといいな。

 ――ピピッ。

 30秒ほどして体温計が鳴り、優奈は体温計を手に取る。


「36度9分ですね」


 そう言い、優奈は俺達に体温計を見せてくる。液晶画面には『36.9℃』と表示されている。


「今朝は37度8分あったから、結構下がったな」

「ええ。37度を切っているし、このままゆっくり休めば明日は学校で会えそうね」

「そうですね。学校といえば……今日の学校はどうでした?」

「今日はどの教科も中間試験の返却と解説だったよ。優奈達と勉強したおかげで、今のところは結構いいよ」

「私も調子いいわ」


 井上さんはご機嫌な様子ででそう言う。井上さん、いい点数の教科がいくつもあったからな。

 また、結構苦手な科目のある西山と佐伯さんも、今のところ赤点はない。不安な科目が返却されたとき、2人は赤点じゃないことに喜んでいたっけ。


「中には、クラス1位は優奈だとか、優奈は100点満点って言っていた教科もあったわ」

「言ってたなぁ」

「そうでしたか。手応えはありましたけど、それがちゃんと点数に繋がっていたようで良かったです」


 ふふっ、と優奈は穏やかに笑った。


「優奈。私達に何かしてほしいことはある?」

「そうですね……汗を拭いてほしいですね。熱が出ている中で寝たので、背中を中心に汗を掻いてしまって。お着替えもしたいです」


 頬を紅潮させながら優奈はそう言う。

 熱が出たときって、寝ると汗を掻くことはあるもんな。汗を拭いてもらったり、着替えたりしてスッキリしたいのかもしれない。


「汗拭きとお着替えね。分かったわ。今までのお見舞いでもやったことがあるし、今回も私がするわ」

「ええ。今回も萌音ちゃんにお願いします。和真君は夫ですが……そ、そういうことをしてもらうのは恥ずかしいので……」


 そう言うと、優奈の頬の赤みが強くなり、顔全体に広がっていく。恥ずかしそうな様子で俺のことをチラチラと見ていて。

 俺は夫だけど、汗を拭いてもらったり、着替えを見られたりするのは恥ずかしいか。だから、さっきは頬を赤くしていたのか。


「分かった。体を拭くバスタオルはローテーブルに置いてあるもので大丈夫かな」

「ええ、大丈夫です」

「良かった。じゃあ、井上さん。お願いするよ」

「任せて!」


 やる気に満ちた様子でそう言うと、井上さんは俺に向かってサムズアップ。何かしてほしいかって自分から訊くほどだし、優奈に指名されたからやる気になっているのだろう。これまでにやったことがあるそうだし、井上さんに任せて大丈夫そうかな。


「じゃあ、終わるまで部屋を出ているよ。自分の部屋か廊下にいるから」

「分かったわ」

「また後で、和真君」


 俺は自分のスクールバッグを持って、優奈の部屋を後にする。

 体を拭いたり、着替えたりして時間がかかるだろうから、俺も着替えるか。

 自分の部屋に戻り、俺は勉強机にスクールバッグを置き、今朝も着ていたスラックスとパーカーに着替える。朝から変わらず肌寒いので、この服装がちょうどいい。

 優奈の部屋の前に行き、優奈の体を拭いたり、着替えたりするのが終わるのを待つことに。……部屋の中から、何やら話し声が聞こえてくるな。耳を澄ましてみると、


『優奈、気持ちいい?』

『気持ちいいですよ』


 という会話が聞こえてきた。この会話からして、優奈は井上さんに汗を拭いてもらっているのかな。


『久しぶりに優奈の裸を見たけど……変わらず綺麗ね』

『ありがとうございます』


 ……今、優奈は裸なのか。汗を掻いたからお着替えもしたいと言っていたもんな。部屋の中の状況を思わず想像してしまいそうになる。

 あと、今の井上さんの言葉からして、井上さんは優奈の裸を見たことがあるのか。まあ、女子同士だし、2年以上の付き合いがあるんだし、お泊まりとか修学旅行のときなどに見たことがあるのだろう。


『これで全身拭き終わったわね』

『ありがとうございます。スッキリしました』

『いえいえ。……優奈の体調もある程度良くなっているし、下着と寝間着を着させる前に、優奈の胸に顔を埋めてもいいかしら。優奈の生おっぱいを顔面で感じたいの。堪能したい』

『萌音ちゃんらしいですね。いいですよ』

『ありがとっ』


 弾んだ声でお礼を言う井上さん。井上さんの嬉しそうな笑顔が容易に頭に思い浮かぶよ。優奈の言う通り、井上さんらしいというか。もしかして、さっき……体を拭いたり、着替えるのを手伝ったりすることにやる気を見せていた一番の理由はこれだったのではないだろうか。

 結婚の報告をした日、優奈がいいと言うなら優奈の胸を触れていいと井上さんに約束した。だから、俺から言うことは何もない。


『柔らかい……! あったかい……! いい匂い……! Fカップの生おっぱい最高だわ! 今日は千尋の胸をいつも以上に堪能して、千尋のもいいなと思ったけど、やっぱり一番は優奈ねっ!』

『ふふっ、褒めてくれて嬉しいです』


 興奮した口調の井上さんとは対照的に、優奈は普段と変わらない落ち着いた口調で。きっと、これまでにも裸の状態で井上さんに顔を埋められたことがあるのだろう。……あと、優奈の胸はFカップなのか。大きいとは思っていたけど。

 優奈の着替えが終わるまで、スマホを弄りながら待つのであった。

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