第23話『初めての朝』

 5月4日、水曜日。

 気持ち良く目を覚ますと……うっすらと明るい中、見慣れない天井が見えた。ここはいったいどこなんだ……?


「……そうだ。引っ越したんだった」


 昨日引っ越してきて、昨日初めて寝たんだから、この天井を見慣れていないのも当然か。寝ぼけていて、一瞬、知らない場所で寝てしまったのかと思った。

 明るいってことは、もう次の日の朝になっているのか。


「今、何時だろう……」

「8時過ぎですね」

「8時過ぎなのか、優奈……えっ?」


 すぐ近くから、優奈の声が聞こえたのですが。

 優奈の声がした方に顔を向けると……すぐ目の前に、両腕をベッドに乗せてこちらを見ている優奈がいた。俺と目が合うと、優奈はいつもの柔らかい笑顔になり、


「おはようございます、和真君」


 と、優しい声色で朝の挨拶をしてきた。

 目覚めたらすぐ側に優奈がいる。一緒に住み始めたから、現実としてあり得る状況だ。それでも、目の前にいる優奈がとても可愛いから夢じゃないかと思ってしまう。軽く舌を噛んでみると……確かな痛みを感じた。現実なんだ。現実だと分かった瞬間、優奈の甘い匂いが感じられるように。


「……おはよう、優奈」

「おはようございます。ぐっすりと寝ていましたね」

「引っ越し作業の疲れがあったからだろうな。今は8時過ぎだし、昨日は日付が変わる前に寝たから、少なくとも8時間は寝たことになるのか。よく寝たなぁ」


 休日に二度寝して8時間以上寝ることはあるけど、一度も起きずに8時間以上寝続けるのは久しぶりだ。昨日は酷く疲れた感じはしなかったけど、疲れが体に結構溜まっていたのかもしれない。


「ところで、優奈はどうしてここに? 起こしに来てくれたのか?」

「いいえ。まだ8時過ぎですし。ただ、和真君の寝顔がどんな感じなのか気になりまして。それでここに来たんです。いつもかっこいいですが、寝顔が可愛いので見入っちゃいました」


 楽しそうに言う優奈。俺の寝顔が相当良く思えたのだろう。寝顔は自分じゃどうしようもないけど、見入るほどに可愛いと言ってもらえるのは悪い気はしない。

 あと、俺の寝顔を見たくてここに来るなんて。言動全てが可愛いな。


「部屋に勝手に入って、寝顔を見られたのが嫌だったならごめんなさい……」

「全然嫌だと思っていないよ。むしろ、寝顔を見に来るのが可愛いと思ったほどだ」

「……そうですか」


 優奈はほっと胸を撫で下ろす。俺に怒られたり、嫌われたりすると思ったのかもしれない。

 それにしても……寝顔か。

 優奈の寝顔がどんな感じか興味はある。ただ、俺のお嫁さんとはいえ、18歳の女子高生の部屋にこっそり入る勇気は今のところはないな。


「数分前から寝顔を見ていたのですが、そのことで起こしてしまいましたか?」

「ううん、そんなことないよ。気持ち良く起きられたし」

「良かったです」

「むしろ、優奈が側にいてくれたおかげで気持ち良く起きられたのかもな」

「そうだとしたら嬉しいです」


 えへへっ、と言葉通りの嬉しそうな笑顔を見せる優奈。彼女の笑顔を見ていると温かい気持ちになれる。起きてすぐにこういう気持ちになれて幸せだな。優奈のおかげでいい目覚めになった。


「俺はぐっすり眠れたけど、優奈は眠れたか? 優奈にとっても部屋と寝具が変わったからさ」

「よく眠れました。昨日は引っ越し作業の疲れで眠かったですし」

「そうか。まあ、昨日は眠たそうにしていたもんな。眠れたなら良かったよ」

「はいっ。7時頃に気持ち良く起きられました。朝食を作ったのでいつでも食べられますよ」

「ありがとう。一緒に食べる前に、着替えたり、顔を洗ったりしてくるよ」

「分かりました。味噌汁、温めておきます」

「ああ。……何か、こういう話をすると、一緒に住んでいるんだって実感するな」

「そうですね」


 と、優奈は楽しそうな笑顔で言った。これから一緒に生活する中で、優奈の笑顔をたくさん見ていきたいな。そのためにも、優奈を笑顔にできるように夫として頑張らなきゃいけないと思った。

 俺は洗面所に行って顔を洗い、歯を磨き、自室で寝間着から私服に着替える。これが起床したときのいつもの流れだ。

 リビングに行くと、味噌汁の匂いが香ってきて。キッチンには長めのスカートに長袖の縦ニット姿の優奈がいて。扉が開いた音に気付いたのか、優奈はすぐにこちらを向いてニコッと笑った。


「お待たせ、優奈」

「味噌汁温まっていますよ。ごはんと味噌汁をよそいましょうか?」

「ありがとう。お言葉に甘えるよ」


 いつもは自分でよそうけど……今日くらいは優奈に甘えよう。優奈と住み始めてからの初めての朝だから。

 優奈は俺が実家から持ってきたお茶碗とお椀に、ご飯と味噌汁をよそってくれる。その光景が新鮮であり、不思議な感覚にもなった。

 俺はお茶碗とお椀をトレーに乗せて、キッチンの側にある食卓へ。

 食卓には既に配膳がほとんど終わっており、玉子焼きとほうれん草のおひたしが置かれていた。どちらも美味しそうだ。そう思いながら、自分のところにお茶碗とお椀を置いた。

 優奈にトレーを渡して、俺は食卓の椅子に座る。

 それからすぐ後に、優奈もトレーに乗せて自分のお茶碗とお椀を運んできた。それらを食卓に置き、俺と向かい合う形で椅子に座った。


「どれも美味しそうだ」

「ありがとうございます。お口に合うと嬉しいです。では、食べましょうか」

「そうだな。いただきます」

「いただきます」


 この家で初めての朝食を食べ始める。

 まずは……湯気と共にいい匂いが香っている味噌汁から。味噌汁の具は豆腐とわかめとネギと王道だ。何度か息を吹きかけて、味噌汁を一口吸う。


「……美味しい」


 出汁がよく利いている。味噌の濃さもちょうど良く、ネギの香りがほんのりと香ってくるのもいい。寝起きの体に優しく染み渡る。


「美味しい味噌汁だな、優奈」

「ありがとうございます。これまで実家で作ったときのように作ったのですが、和真君のお口に合って良かったです」


 優奈はいつもの柔らかい笑顔でそう言う。


「これが有栖川家の味なんだな。美味しいよ。……次はおひたしを」


 ほうれん草のおひたしを一口食べる。

 おひたしを口に入れた瞬間、ほうれん草の上に乗せられた鰹節の香りがふんわりと香る。噛んでいくと、シャキシャキという小気味いい音とともに、ほうれん草と醤油ベースのつゆの優しい味わいが広がっていく。


「おひたしも美味しいな」

「ありがとうございます。今日は引っ越してから初めての朝でしたので先ほど作りましたけど、常備食として作ったものを朝食に食べることもありました」

「そうなんだ。うちも何日か前に作った野菜の煮物を朝に食べることがあるよ。それがお弁当に入ることもあるな」

「私もお弁当に入っていますね。ただ、そういうものって、味が染み込んでいて美味しいんですよね」

「分かる。あと、ご飯が進むよな」

「進みますねっ」


 俺達は声に出して笑い合う。食事のことで、こうして気が合って楽しく話し合えると嬉しい気持ちになる。

 その後は優奈特製の玉子焼きと、昨日の夜に俺が米を研いで炊飯器にセットした白飯を食べる。


「優奈の玉子焼きは本当に美味しいな」

「ありがとうございます。ご飯も程良い柔らかさで炊けていましたね」

「ああ。良かったよ。優奈が側にいてくれたけど、水を入れたり、炊飯器をセットしたりしたのは俺がやったから。あの炊飯器を使うのは初めてだし。ほっとした」

「何かを初めて使うときってちょっと不安になったり、緊張したりしますよね。私もこの家にある玉子焼き器を初めて使ったので、少し緊張しました」

「そうだったんだ。でも、こんなに美味しく作れるんだから、さすがは優奈だなって思うよ」

「そう言われるとちょっと照れちゃいますね」


 えへへっ、と優奈は頬をほんのりと赤くしながら笑う。照れくさそうにする優奈がとても可愛くて。

 朝食を初めて一緒に食べるのもあり、これまでの朝食のことについて話しながら、優奈との朝食の時間を楽しんだ。

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