第1話『優奈の視線』

 4月28日、金曜日。

 今日は朝からスッキリと晴れている。晴天の下、俺は通っている私立常盤学院大学附属高等学校に向けて家を出発する。

 私立常盤学院大学附属高等学校。

 校名の通り、常盤学院大学という私立大学の付属校だ。成績が著しく悪かったり、素行不良だったりしない限りは、どこかの学部学科に内部進学できる。常盤学院大学は難関私立大学として人気が高く、知名度はかなりのもの。なので、付属校であるうちの高校も結構人気だ。

 俺がこの高校を受験して入学したのは、大学付属校だからというのもある。ただ、それよりも家から徒歩10分ほどと近く、受験当時は3歳年上の姉が在学生だったのが大きい。姉さんも「いい高校だよ」と言っていたから。

 近いから朝は急がなくていいし、高校では西山のような友達が何人もできた。成績も学年の上位一割に入るかどうかを維持できているので、内部進学についても問題ないだろう。いい高校生活を送ることができている。

 校門を通ると、俺のクラスの教室がある校舎・第1教室棟の入口前に、男子生徒と向かい合って立つ有栖川さんの姿があった。その周りには何人もの生徒が集まっている。


「オレと付き合ってください!」

「……ごめんなさい」


 有栖川さんは男子生徒から告白され、振っていた。ほんと、有栖川さんは大人気だな。

 フラれてしまった男子生徒は泣きながらその場を走り去った。その様子をチラッと見て、有栖川さんは校舎に入っていった。それと同じタイミングで、周りにいた生徒達も散らばっていく。

 俺も少し後に校舎に入り、6階にある俺のクラス・3年2組の教室に向かう。階段で6階まで上がるからいい運動になる。


「おはよう、長瀬!」


 教室に入ると、西山が元気良く声を掛けてくれた。サッカー部の朝練があるので、俺が登校すると既にいることが多い。

 西山おはよう、と挨拶して、彼の一つ前の席である自分の席に座る。


「さっき、校門を通ったときに有栖川さんが男子生徒に告白されたところを見たよ。今日も振ってた」

「今日もあったか。さすがは有栖川だ」


 持ち前の爽やかな笑顔で西山はそう言った。今日も推しが人気で嬉しいのかな。

 有栖川さんの名前を出したのもあり、有栖川さんの席の方をチラッと見る。

 有栖川さんは自分の席に座りながら井上さんと、高身長で茶髪のポニーテールが特徴的なクラスメイトの女子の佐伯千尋さえきちひろさんと3人で談笑しているようだ。特別仲がいいのか、有栖川さんはあの2人と話していることが多い。

 また、井上さんは有栖川さんの胸に触ったり、顔を埋めたりすることも。ああいう場面を何度も見かけたことがある。そんなことを思いながら有栖川さんを見ていると……彼女と目が合ったような気がした。




 今日も学校生活を送っていく。

 うちの高校は3年生への進級時に文理選択が行なわれ、俺の在籍する3年2組は文系クラス。そのため、カリキュラムも国語科目や社会科科目の比率が高い。

 また、3年生なのもあって、演習と名の付く科目が多い。演習科目は常盤学院大学に進学してからの講義についていけるように、地盤となる基礎学力を身に付けるための科目だ。また、国語や英語などの演習科目では入試の問題集を教材にしているので、他大学の入試に備えるのも可能だ。

 今のところはどの科目もついていけている。

 50分の授業を受け、10分の休み時間があり、また50分の授業を受け……の繰り返し。学校生活の流れとしてはいつも通り。

 ……なのだが。

 10分休みの時間を中心に、有栖川さんから視線を何度も感じている。目が合った気がすることも複数回あって。昨日までこういうことはなかったのに。どうしたんだろう。

 また、俺の後ろに座っているからか、3時間目の授業後の10分休みに、


「なあ、長瀬。今日は有栖川が何度もこっちを見てきてないか?」


 と、西山が小声で俺に問いかけてきた。


「俺も何度か視線を感じたよ。昨日までこういうことはなかったのに」

「なかったよな。昨日の放課後に何かあったか?」

「井上さんと一緒にバイト先に来て、2人に接客した。それはこれまでに何度もあったからなぁ。まあ、俺のオススメのドーナッツを初めて教えたけど」

「そうか。……もしかして、その教え方が良くて、有栖川は長瀬が気になっているとか? お前、人当たりがいいし、イケメンだし」

「そんなことがあるのかなぁ」


 俺の教えたドーナッツを買ってくれて、帰り際に美味しかったと言ってくれたけど。

 昨日は普段よりも有栖川さんとたくさん話した。だけど、俺のことが気になっているとは思えない。今朝を含めて、告白を振る場面をたくさん見てきたからだろうか。


「まさか、気になっているのは……お、おおお俺か?」

「俺の後ろの席だから、見ているのは西山って可能性もあり得るな」

「もしそうだったらどうしよう」


 有栖川さんに告白されているところを想像しているのか、西山は頬を赤くして頭を抱えている。もし、気になっているのが西山だったら、有栖川さんを少し遠くから見ていたい西山にとっては一大事だろうな。


「まあ、実際にそうだと分かったら考えればいいんじゃないか。顔が赤いし、今から色々と考えていると体が持たなくなるぞ」

「そ、そうだな。この後も授業があるし、部活もあるから有栖川の視線については考えないでおこう」


 そう言い、気持ちを落ち着かせるためか、西山は深呼吸を何度もしていた。

 その後も、有栖川さんから視線を感じることが何度もあった。

 また、昼休み中に父さんから、家族のグループトークに、


『和真。今日は確か、バイトがないんだよな。学校が終わったら真っ直ぐ家に帰ってきてほしい。大事な話がある。できれば、母さんと真央まおもいてほしい』


 というメッセージが送られてきた。

 昼休みの時間に父さんからメッセージが送られること自体が珍しいのに、大事な話があるって。しかも、母さんや真央姉さんも聞いてほしいようなことなんて。いったい『大事な話』とは何なのか。この文言からして俺に向けてだよな。ただ、ここで内容を知ったところでどうこうできるわけではないだろうし、俺は『分かった』とだけ返信しておいた。母さんと姉さんも、直後に同じように返信した。

 今日は有栖川さんがこちらに何度も視線を向けているし、父さんからは大事な話があると言われるし。俺の周りで、いったい何があったんだろう。

 午後の授業はあまり集中できず、ただ板書を写すだけの時間と化した。




 放課後。

 昼休みに送られた父さんのメッセージもあったので、俺は掃除当番が終わると真っ直ぐ帰宅する。

 家に帰ると、リビングに母さんと真央姉さんがいた。母さんは今日はパートがなく、姉さんは昼過ぎからの講義が終わって真っ直ぐ帰ってきたという。


『父さん、帰ってきたよ。母さんと姉さんも家にいる』


 というメッセージを父さんに送る。

 すると、すぐに『既読』マークがついて、


『分かった。父さんもあと数分で家に帰るから』


 父さんからそんな返事が届いた。


「父さん、あと数分で帰ってくるってさ」

「そうなんだ。それにしても、カズ君への大事な話って何なんだろうね?」

「さっぱり見当がつかないわ、真央。和真はお父さんから何か聞いてる?」

「聞いてないな。放課後になれば分かるから。ただ、俺も全く見当がつかない」


 俺に大事な話があると言ったから。例えば、家族全員になら転勤とか宝くじが当たった。姉さんと俺になら弟か妹ができたとか考えられるんだけどな。最近の父さんを思い返しても……いつも通りって感じだし。


「まあ、和真の言う通り、あと少しで分かることだし、今はお父さんの帰りを待ちましょう」

「そうだね、お母さん」


 父さんが数分で帰ってくるから……着替えるのは後にするか。

 リビングに戻り、ソファーにくつろいで真央姉さんと母さんとアイスコーヒーを飲みながら父さんの帰宅を待つ。


「ただいま」


 アイスコーヒーを飲み始めてから数分ほどで、父さんが帰ってきた。俺達3人は声を揃えて「おかえり」と言った。

 さあ、まもなく大事な話が聞ける。本当に、父さんから俺に対して話したい大事なことって何なんだろうな。そう思いつつアイスコーヒーを呷ると、


「こちらのスリッパをどうぞ」


 という父さんの声が聞こえた。誰かと一緒に帰ってきたのか。もしかして、俺に話したい大事な話に関わる人か? ますます話の予想がつかなくなってきた。

 リビングの外ではざわざわと人の話し声が聞こえる。どうやら、来客は一人や二人ではなさそうだ。

 それから程なくして、スーツ姿の父さんが扉を開けた。家族3人がリビングにいるからか、父さんはいつも通りの穏やかな笑顔になる。


「ただいま。和真、すぐに帰ってくれてありがとう」

「放課後は特に予定なかったからな」

「そうか。母さんと真央もありがとう」

「いえいえ。私もパートのシフトに入ってなかったし」

「金曜日の講義は昼過ぎで終わるし、バイトとかの予定もなかったからね」

「そうだったか。和真の話だけど、母さんと真央にも聞いてほしいことだから、いてくれて良かった。……みなさん、こちらのリビングで話しましょう。和真達家族もいますので」


 父さんがそう言うと、リビングの外から足音が聞こえてくる。

 最初にリビングに入ってきたのは――。


「えっ!」


 リビングに入ってきた人を見て、俺は思わず声を上げてしまった。


「スマホのおじいさん……」


 そう。昨日のバイト中に、道ばたでスマホを見つけてあげたおじいさんが部屋に入ってきたからだ。昨日とは違い、灰色のスーツ姿で帽子も被っていない白髪頭だけどすぐに分かった。

 スマホのおじいさんは俺と目を合わせるとニッコリと笑う。


「こんにちは、長瀬和真君。昨日ぶりだね」

「こ、こんにちは……」

「昨日は私のスマホを見つけてくれてありがとう」

「いえいえ。でも、どうしてここに……」

「それは、君のお父さんの言う『大事な話』のためだよ」


 そう言うと、スマホのおじいさんの口角はさらに上がる。スマホのおじいさんと再会しただけでなく、このおじいさんが大事な話に関わっているなんて。混乱してきたぞ。

 その後、父さんよりも少し若そうな黒いスーツ姿の男性。30代くらいだと思われるワンピース姿の女性。中学生くらいのセーラー服姿の女の子、そして、


「こ、こんにちは。長瀬君」

「有栖川さん……」


 うちの高校の制服を着た有栖川さんが家の中に入ってきた。

 まさか、父さんの言う『大事な話』って、有栖川さん絡みのことなのか? もしそうなら、今日は学校で何度も俺の方を見ていたことにも納得がいく。


「和真と有栖川優奈さんはクラスメイトなんだってね。こちらは有栖川優奈さんのご家族だ。祖父の総一郎そういちろうさん、父親の英樹ひできさん、母親のあやさん、妹の陽葵さん」

「祖父と父親ってことは……有栖川グループの会長さんと、有栖川商事の社長さんか」


 スマホのおじいさんって、あの有栖川グループの会長だったのか。オーラのあるおじいさんだと思っていたけど、まさか日本有数の企業グループの会長だったとは。驚いた。真央姉さんと母さんも目を見開いている。

 俺達の反応を見てか、おじいさんは「ははっ」と朗らかに笑い、英樹さんも声には出さないけど微笑んでいる。


「有栖川グループ会長で、優奈と陽葵のおじいちゃんの有栖川総一郎だ。よろしくね」

「初めまして。有栖川商事で代表取締役社長をしている有栖川英樹といいます。優奈の父でもあります」

「優奈の母の彩です。初めまして」

「初めまして、妹の陽葵です。中学2年生です!」

「長瀬和真君以外は初めましてですね。有栖川優奈といいます。長瀬君のクラスメイトです。よろしくお願いします」


 有栖川家のみなさんが自己紹介する。

 有栖川さんの御両親も品のある雰囲気を醸し出しているな。父の英樹さんはメガネを掛けて落ち着いた雰囲気だ。母親の彩さんは高校生や中学生の娘がいるとは思えないくらいに美人だなぁ。

 陽葵ちゃんは元気いっぱいの女の子って感じでとても可愛い。さすがは有栖川さんの妹って感じだ。


「私の家族も紹介します。息子の和真、妻の梨子りこ、娘の真央です」

「初めまして、長瀬和真といいます。よろしくお願いします」

「初めまして、母の長瀬梨子と申します」

「長瀬真央です。大学3年生です。初めまして」


 長瀬家も自己紹介した。

 その後、リビングのソファー、キッチンにある食卓の椅子、父さんと母さんの寝室にある椅子を使ってここにいる9人全員が腰を下ろす。

 また、父さんの指示で、俺は父さんとソファーで隣同士に座る。ちなみに、俺の正面には有栖川さんが座っており、彼女の隣にはおじいさんが座っている。


「それで……父さん。俺に話したい大事な話って何なんだ? しかも、有栖川家のみなさんが来て」

「それは――」

「私から説明させてくれないかね、長瀬拓也たくや君。我々からのお願いだから」

「分かりました」


 おじいさんからの申し出に父さんは快諾する。

 有栖川家から俺にお願い? どういうことだ?

 おじいさんは視線を俺に向ける。有栖川グループの会長だと分かると緊張する。おじいさんは真剣な表情になっているし。


「長瀬和真君。私の孫娘の優奈と……結婚してくれないだろうか」

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